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未来の理想の姿を考える意味 Vol.1

「自分は将来どういう人になっていたいのか」、誰しもこのテーマについて一度は考えたことがあるだろう。この問いに確固たる答えをもっている人がどれくらいいるのか私にはわからない。ただ、自分の場合は確固たる答えを持ち合わせていなかった。
そんなときに、以下のツイートに出会った。

コーチングというのに興味があったが、何よりもタイトルに惹かれ、すぐに応募したのは記憶に新しい。そこからというもの、「未来の理想の姿」について、今まで4回程度セッションを行ってきた。このnoteでは、今までのセッションを通じて、「未来の理想の姿」を考えることが、自分の中でどのように変化したかをつらつらと書いていきたい。
(コーチングの中で、考えは変わっていくので月1回程度で更新予定。)

コーチングとは

コーチングについては、上記の資料に詳しく記載してある。
個人的には、コーチとの対話を通じて、自分の中にしかない答えを見つけていくという点が当初自分の抱いていたコーチのイメージとは異なっていて、驚きだった。結局、答えを見つけるのは自分以外の何者でもなく、コーチはそれを導くために伴走する構図である。
Twitterでは初回コーチング無料のツイートがちらほらあるので、気になった人はまずはお試し感覚で受けてみるといいかもしれない。

コーチングを受ける前の自分

さて、本題に入ろう。結論からいうと、コーチングを受ける前の私は、「未来の理想の姿」を考えることに意味がないと思っていた。理由は以下の二点である。

・不確実性の時代で、理想の姿を描いても変わる可能性が高いから
・そのような時代で、あらかじめキャリアを計画するのが現実的でないから

まずは一つ目について。今は、様々な要因により、かつてより、将来の予測が困難な時代になっている。そのような時代の中で、自分の理想の姿を描いても、その時の外部環境によってすぐに変わるであろう。そのような中で都度都度理想の自分を考えることに意味を見出せなかった。

それと同時に、このような時代で、あらかじめキャリアを計画したり、計画したキャリアに固執したりすることは非現実的だと思っている。計画したところで計画通りにうまくいくような時代ではないような印象を漠然とながら持っている。

また、基本的に私の人生も偶発的な出来事ばかりで、計画した出来事はあまりない。それでも周りの人に恵まれ、いい人生を送っていると自分では思っている。であるならば、そこに何か計画する出来事を割り込ませる必要があるのか、というのが当時抱いていた私の想いであった。

今の自分

上記のような考え方をしていた私だが、コーチングを通じて今は少し、「未来の理想の姿」を考えることに対する考え方が変わった。端的に言うと、今は「未来の理想の姿」を考えることを楽しんでいる自分がいる。

現時点では、それは「腑に落ちる理想の姿」を見つけることができたからのように思っている。今まで腑に落ちるまで考えきれていないと言われれば、それまでなのだが、いままでの考えにあった外部環境の変化、それを言い訳にしない一つ筋が通った理想の姿を見つけることができた。それゆえに、理想の姿についてあれこれ考えることが少し楽しくなった。(実際見つけた瞬間、早くたどり着きたいと言っていたそうです。)もちろんそんな簡単に答えは出ないので苦しいことには苦しいが。

「腑に落ちる理想の姿」を見つけるうえで、理想の姿をキャリアと切り離して考えることが私には効果的だったように思う。目標を考えるときは、常に何かしら仕事の側面がまとわりついていた。その側面を一度切り離し、「どういう人間になりたいか」というところにフォーカスできたのも、腑に落ちる理想の姿を見つけることができた一つの要因だと思っている。

さいごに

今回は、コーチングを受けた1ヶ月の間の自分の変化についてつらつらと書いてみた。腑に落ちた理想の姿といっても、まだまだその姿はあやふやなものであるし、また、理想の姿になるためにどうすればいいかも正直全く見えていない。そのような状態だが、今後もコーチングを通じて、自分でこれらの答えを過程も大切にしながら、見つけていきたいと思っている。
なによりも、このように、理想の姿を考えることを楽しんでいきたいと今では思っているのが一番の変化かもしれない。

最後に、つたない文章ですが、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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