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0133「メタセコイヤ」



 北西を海、南東から南西をぐるりと山、北東と南西それぞれを名前の違う二級河川で囲われた、細長い頭陀袋のような地帯があった。南西の川に架け渡された橋から袋の外に向かい、しばらく道なりに進むとちいさなニュータウンが現れる。ブラボーロードと名付けられたニュータウンの玄関口を担う大通りはメタセコイヤの並木道で、地域のささやかな景勝地としてときおり周辺住民の話題に上ることもあり、縮小傾向にある路線バスの車内広告や、無人化された鉄道駅舎の待合室に貼られた観光PRのポスターなんかで、車道や歩道をふくふくと繁った枝葉が包み込んでいる様を見ることもできた。
 ニュータウンにはコンビニもスーパーもなく、レストランやブティックの類もなかったが、リウマチを専門に診る整形外科が一軒あった。
 このクリニックは、ニュータウンが整備された当初は心療内科として開業されたものだ。4年ほど前、年老いた院長が同郷の若い医師仲間に一筆認め、その医師仲間がクリニックを引き継ぎ、整形外科として新たに運営されていくこととなった。
 前院長の受け持っていた患者はあらかた別の場所へ通院するようになったが、ひとりだけ、看板を刷新したクリニックに通い続ける者がいた。患者はニュータウンに暮らす女性で、月に2度ほど、プロギノンデポーを投与しにクリニックを訪れた。現院長は、この患者についてのカルテ以上の知見はほとんどなかった。特に興味もなかった。しかし前院長が「打ってやってくれ」と言い、それ以上の特別な処置が必要ないというのなら、現院長としては断る理由もない。患者は通い続けた。そしてやがて、患者は年老いて死んだ。
 ブラボーロードに幾度も季節は巡り、現院長もゆっくりと齢を重ねた。このクリニックがかつて心療内科だったことを知る人間はもうほとんどいない。規則正しく整備された道路や家屋も徐々に経年の重みに軋みをあげ始め、アスファルトは餅のようにひび割れた。この地に暮らす人間も、ときおり微増しては減り、また増えてはどっと減り、人口推移のグラフは鋸状のギザギザを描きつつ下降し、点在する空き家に蔦は繁茂していった。
 そんなある年の暮れ、クリニックに初診患者がやってきた。受付が訝しみながら手渡した問診票のほとんどの項目は無視され、「本日はどうなさいましたか?」の「その他」の空欄に「ホルモン注射(プロギノンデポー)」とだけ書かれていた。インターネットで調べた末、ここに辿り着いたのだという。ここを見つけていなかったら、死のうと思っていたと初診患者は言った。いま、この国や、この街、この世界がどうなっているか。私のような人間が、どういう生活を送っているか、先生はご存知ですか? 現院長は初診患者の言葉に応答はせず曖昧に愛想笑いを浮かべ、とりあえず来週、またお越しください、とだけ言った。長く、あなたのような人のことは見ていなかったもので。プロギノンもいま無いんです。調達しますから、また、お越しください。そうして初診患者は患者になった。月に2度ほど、2アンプル、プロギノンデポーを投与するために、電車に乗りバスに乗り、注射代より高い交通費を出して、クリニックに通い続けた。そしてやがて、患者は年老いて死んだ。
 ニュータウンから大半の人間が去り、クリニックは閉業した。ほどなくして現院長も死んだ。このニュータウンに整形外科があったことを知る人間はもうほとんどいない。そしてそのクリニックがかつて心療内科だったことを知る人間はひとりもいない。季節は巡る速度を増し、マーブル状になった時間の流れの途上で、家々は朽ち、草木やその根が輪郭を支え、河川は幾度か氾濫し、メタセコイヤの葉は規則正しく繁り、散り、また繁り、そして散った。

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