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僕と音楽

まず、これから文章を書くにあたってまずここでお詫びしたい。読み進めていくうちに、ただ思ったことを書いているので、変な文章になってる時があるかもしれないが、その辺は目をつぶっていただきたい。
私、理系出身なので、、、関係ないけど。

では、本題へ

音楽は、ただのBGMと思う人もいるし、音楽が唯一の心の拠り所になっている人もいる。
そんな音楽という存在は、私の人生において、切っても切り離せないものである。今や生活の一部と言っても過言ではない。生きていく上で必要不可欠な存在である。
しかし、音楽が好きとはいえ、自分ができる楽器は、小学校の時に少しやっていたトランペットと、授業でやっていたリコーダーくらいだ。
そんな私が、どうして音楽なしの生活ができない身体になったのか。
その理由は、中学生の時まで遡る。

これから話すことは、知り合いに一切話したことのない内容である。知っているのは親のみ。兄弟すら知らない。

私は、中高一貫校に通っていた。入学当初は同じ小学校から進学した奴に付き添って知り合いを作っていたくらい、人見知りであった。
今もそうだが、、、
下校の時、地元の中学に通う知り合いと会うことがあった。その度、そっちに行けばよかったと後悔していた。
モヤモヤしながら、学校生活を送るうちに、気がついたら周りにはグループができ、一人取り残された状態だった。この時から、グループという存在が嫌いだった。幸い、自分が入った部活で友達ができ、弁当を一人で食べる寂しい奴は回避したが、相も変わらず友達と言える人間は部活の奴だけだった。

ただそんな自分ではこのままだとダメだと思い、無理矢理いわゆる陽キャという奴とつるんでいた。約束を平気で破ったり、突然裏切られたり、私立高校独特の陰湿なやり方に、表向きでは気にしてない奴を演じていた。そうしないとこの世界でやっていけなかったから。
しかし、こういった生活を続けたことで、人間関係、人の視線、人の機嫌、様々な悩みが毎日頭を駆け巡り、家に帰って苦しんでいた。
それでも、我慢して、何も無かったかのうように毎日登校していた。

そんなある日、遂に限界が来てしまう。

いつものように登校した。
でも普段の雰囲気とは違った。
その日以来、学校に行っても、友達と話してても相手は実は僕のこと、嫌いじゃないのか。真実は分からないのに勝手に被害妄想してしまうようになってしまった。
気付かないうちに人を信用出来ない体になっていた。
これは全て自分の勝手な妄想のせい。それは分かっている。なのに、1人この世に取り残されたような気がして、日に日に生きるのが辛くなっていった。

そして、中学2年の時
私は遂に一線を超えてしまう、、、

何があったか察してくれたらなと思います。

幸い発見が早く、大事に至らなかった。
学校も連休だったため誰にも知れわたることは無かった。
その次の日。
私は、自分の部屋で、ぼーっと天井見つめただ寝ていた。
その時、つけっぱなしのラジオから、ノイズ混じりである曲が流れてきた。
その曲は爽やかで、夏の疾走感のあるメロディーなのに、聞いててどこか切ない気持ちになった。
その時、目から勝手に涙が流れていた。
理由も分からずに。

ただ今は死ぬなと、そう言われた気がした。

その時流れていた曲が
Base Ball BearのPERFECT BLUEだった。

後に知ったのだが、この曲はある夏に自ら死を選ぶことで完璧に青春を閉じ込めようとした女の子と、残された男の子がいた。そして、その男の子が数年後に次の夏へ向かうという物語があった。
この歌詞が、当時の自分に勇気や心の拠り所を与えてくれたんだと今でも思う。

この曲を聞いた時から、音楽の素晴らしさを知り、Base Ball Bearの曲を聴きまくることから始まり、どんどん自分が知らないアーティストの曲を発掘することが趣味になった。と同時にそれが私の生きる意味になった。
その後の学生生活の支えにもなった。

当時の私を知る人は皆んな口を揃えて怖かったと言う。
でもそれは、自分が学校で生き残る為に作り出したもう1つの人格であり、本当の自分ではない。
今、仲良くしてくれている人は皆んな、当時ほぼ喋った事もない子ばかりだ。
でも、音楽という共通の趣味、そしてライブを通して、本当の私を知ってくれたことで、仲良くなれたと思う。

初めて信用出来る人ができた。

私は、本当に友達と呼んでいいのか気にしてしまうので、今はまだ言えない。
ただ、この数少ない理解者にとても感謝している。

また、皆んなでライブに行って騒ぎたい。

そしていつか、友達と呼べる時が、、、

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