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おしゃれを諦めた時 ~障がい者とおしゃれ☆~

若い人はおしゃれが好き?!

23歳の時、急に嫌いになった。

若い人はおしゃれが好き…当り前なのかはわからない。妻は少なくともそうだった。私の息子は、そこまで興味ないにしても、最近着ている服を見ると、好きになって来たみたい。私も20代から23歳途中までは、おしゃれが好きだった。10代が20代は、特に容姿が気になったり、友達と比べてみたり、そして少しでもモテたいと思って、ファッション雑誌をよく読んだ。

そうしているうちにおしゃれが好きになった。決してブランド物が欲しかったわけではなく、単純に、好きな色の、好きな形の、好きな素材の服を着たいと思っていただけ。だから、高校生や大学生時代は、好きな色も好きな形の好きな素材の服を沢山買った覚えがある。

特にデニムが好きだった。シャツは、赤や黄色の原色系が好きだった。色んな形の帽子も好きだった。香水も好きだった。アクセサリも色々と持っていた。昔流行ったカラコンも使っていた。

23歳途中で突然嫌いになったのは、頸髄損傷という大きな怪我をしたから。動くのは首から上だけ、当時は肩から下は感覚もほとんどない。そんな身体で着ることができるのは、介助者が私に着せやすい伸びる素材の服だけ。病院にいる間は、基本的にパジャマ。外出する時は、ジャージ。

そして一番嫌だったのは、トイレ介助をしやすい為に、ふんどしをしていた事。パジャマやジャージーやふんどしが、ダサかったわけじゃないけど、私がおしゃれを嫌いになったのは、好きな色の、好きな形の、好きな素材の服が大きな壁になってしまったからだった。

スーツを着た時の衝撃

おしゃれが嫌いになって約1年半経った頃、大学時代から仲良くしてくれている先輩が結婚することになった。その結婚式に、まだ入院中の私を紹介したいと言ってくれた。その頃はまだ呼吸器を使っていた。だからかなり病院とも交渉をして、何とか外出許可をもらった。

会場は東京、入院しているのは岡山県の病院。頸髄損傷になって、新幹線に乗ることも、病院以外で宿泊することも、大学の競走部の仲間と会うのも、初めてづくし。そして、結婚式用のスーツを着ることも。

結婚式当日。病院のベッドの上で、母親と看護師さんにスーツを着せてもらう。着せてもらいながら、色々と注意することを話してくれた。後のポケットのボタンに注意すること、後ろのポケットの中が折れ曲がらないようにすること、背中側のズボンのベルト通しに注意すること、革靴の中で指が回らないように伸ばしておくこと、長時間革靴を履かないこと、15分ごとに車椅子の背もたれを倒すこと。これは全て、褥瘡(床づれ)を作らない対策。

もちろん全て大事なことだったが、私にとっては、普通のスーツを着ることができたことに、とても感動した。うれしかった。そして元気になった。

電動車椅子姿の私のおしゃれ

おしゃれが好きだった時から変わらず、高価なブランド物が欲しいわけじゃない。好きな色の好きな形の好きな素材の服をきたいだけ。

そして最初に履きたいと思うのがデニムだった。

デニムは一番駄目。生地が固いし、介助者が履かせにくい、そして何より、お尻側のポケットや縫い目が褥瘡の原因になる。これら沢山の訳があって、デニムは二度と履けないと思っていた。

そんな壁があるのなら、全て乗り超えればいい。考え方、目線を変えれば、簡単なこともある。だって駄目なポイントは、既にわかっているのだから。

だから、生地の柔かいものを選んだ。お尻側のポケットを外してもらった。縫い目が肌に直接当たらないように裏地を貼ってもらった。ベルト通しも危ないと思い外してもらった。介助者が、履かせやすいようにお腹のところにボタンをつけてもらった。怪我をする前に履いていたデニムを、こんな感じでリメイクしていった。

これをする為に、仕事をして、少しお金を貯めた。この作業は、20,000円ぐらいで出来上がった。むしろこの作業をしてくれる人を探す方が、時間がかかって難しかった。

そしてその後、また仕事で貯めたお金で、オリジナルを2本作った。今でも大切に履いている。そして外出の時は、香水をつけて。

ちょっとだけ褥瘡と除圧のお話

これまで何で、何度も褥瘡の話をしたかというと、褥瘡は、脊髄損傷・頸髄損傷の人達にとって、最も注意するべき事項の1つ。一度作ってしまうと、完治しにくく、悪化しやすい。大体はベットで寝たきりで治療が必要。小さなモノでも数ヶ月かかる。大きなモノは骨の近くまで肉がえぐれていき、数年の治療が必要。そして身体の栄養段階が落ちる。体力低下に繋がる。その他の病気になりやすくなる。

脊髄損傷・頸髄損傷者は、絶対褥瘡作りたくない。

ファッションショー開催

退院してから2年、 NPO 法人を設立した。その中の事業の1つで、居宅訪問形式で、美容師さんに出張カットサービスを作った。その活動を、 NHK の全国放送で取り上げられた。

当時、#きらっといきる という番組。私はその収録で、いつかファッションショーを開催したいと語った。この放送を見たという美容師さんから、一緒にやろうという依頼があった。そして、実現した。

初回は、テーマをドレスに絞って開催した。約50人程のモデルさんのヘアー&メイク&着替え。美容師さんもとても大変だったと思う。でも何より喜んでいたのは家族たち。親戚一同駆けつけて来た。娘のこんな姿が見られるなんて。一番多く聞こえたのがこんな声だった。その後も合計4回開催した。

結婚する機会以外には、日本ではなかなかドレスを着る機会はない。その非日常を味わうことは、経験や気持ちを豊かにすることができる。日常の中に、非日常があることは、思い出に繋がる。一生残るものにもなりうる。私達が開催したのは、私達の事故満足だった部分がないとは言えない。

それでも、女性には憧れであるウェディングドレスを着る体験を(機会を)提供したかった。

今もサスティナビリティ性を模索している。

障がいがある人の結婚

障がい者手帳の障がい者区分で表すと、身体が約 35%、精神が約 64%、知的が約 97%。この数字は、平成25年の障がい者白書での配偶者がいない人の統計結果。2018年時点の日本における生涯未婚率が男性23.4%・女性14.1%。全く同じ基準で統計された物でもないし、年代も違う。なので、断言はできないかもしれないが、特に精神や知的に障がいがあると、結婚していない場合が多い。つまりドレスを着る機会に恵まれない場合が多い。

私が結婚できたのは、本当に幸運だったのかもしれない。

家族からの話

去年、神奈川県のあるグループホームを訪問した帰りの事。

グループホームで生活している方のお母さんから、「成人式の時の晴れ着を借りることができ無かった。」という話を聞いた。娘の成人式の着物をレンタルにいったところ、お店の人に、車椅子のタイヤで汚れでしょう。よだれがつきませんか。等の言葉はショックだったようだ。

だからといって、購入までは難しい。購入したところで、いくら母親であっても、急に着付けをするのも難しい。なので諦めた。

お店側の気持ちもわからないというわけではない。車椅子のタイヤに、つい、こすってしまうこともある。よだれがもしかしたらついてしまうこともある。その時に、どうしても取れない汚れができたのであれば、追加のクリーニング代とかでどうでしょう。婚礼のパーティーでお酒やワインで、ドレスに汚れが残った時と同じように。

なかなか成人式の時の晴れ着を借りられないとの話は、この時以外にも多方面から聞こえた。

ガラスの靴プロジェクト

世の中には、色々な考え方がある。だからこそ、他人に出張するばかりでは何も変わらない。だからこそ、「それだったら、私達が福祉美容活動をしよう」と思った。私達だけでも、できるところから取り組もうと。

そこで今回こんなことを考えた。
障害をお持ちの方や、社会的に障壁を感じているマイノリティの方々に対し、美容を通じて、一生の思い出、美へのきっかけづくり、そして社会参加への意欲の促進を目的として、#観音寺市 の素晴らしいロケーションで記念写真を撮るというプロジェクト。

そう、ちょうど結婚式の前撮り写真と同じ。活躍するのは、福祉美容師たち。福祉美容を学び、実践してきた美容師たちとチームを作りました。その中の1人である私の妻は、福祉着付けの技術も天下一品。私のこの身体に袴を着せて、長年結婚式の前撮り写真を撮り続けて来たプロカメラマンを驚かせた程。正直色んな人にも、本気で綺麗にしてくれる!

一生に一度の思い出を、私達がお手伝いしたい。

https://rire.shafuku-laugh.com/glass-slippers/

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今はおしゃれで、着用しやすい服も増えて来た。車椅子、特に電動車椅子だったら、まだまだ街中で目立ってしまう。見られる存在だからこそ、少しおしゃれでかっこよく見られてみませんか♪


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