ステップファミリー、初めてお父さんと呼んでくれた日
妻の誕生日に息子からの告白
息子はとても悩んでいたらしい。私との関係性の事で。
今大学3年生の私の息子は、本当に優しい子です。いつも、「私の仕事が忙しくて疲れていないか。」「暑いので、妻の体調に変わりはないか。」「たまには一緒に飲む?」昨日も、妻も48才の誕生日で、一緒にお祝いをしようと、オンライン誕生日会を家族ですることになりました。
たわいのないもない話を40分くらいした所で、妻が席を立ちました。男2人で、少し時間話をしていると、息子は真剣な顔になって、私に告白しておきたいことがあると言って、グラスのお酒を飲みとしました。本の一瞬間が空いて…
息子:今まで言え無かったけど、後悔したくないから、「お父さん」と読んでもいいかな。
私:ありがとう…嬉しい。
咄嗟に言葉ってでないものです。私にとって、嬉し過ぎて、少し恥ずかしくて、涙が出そうで、感謝の言葉を伝えるのが、その一瞬の衝撃には精一杯でした。
結婚直前の私の失敗
私と妻は、2015年4月に結婚しました。そのとき息子は、15才。中学3年生でした。結婚する1ヶ月前に、3人で大阪へ旅行した時、私は息子にこんな話をしました。
私:俺は(息子の名前)と血は繋がっていなくても、親として頼ってもらいたい。どんなことがあっても大切にするから。
私の精一杯の言葉でしたが、逆に息子を傷付けてしまっていました。息子は、私の言葉で「血が繋がっていない」ということを、解っていながらも、言われたく無かったのです。私も伝えた後に、わざわざこの言い方をするのでは無かったととても後悔しました。
それから約2年間、交わす言葉数が少なくなった時期もありました。それでも、私は無理やりしゃべろうとはしませんでした。私は、息子も色々なことに悩む年齢だから、男の子だから、等と思うようにしていましたが、私の中で申しわけないと言う気持ちもあったのだと思います。
私達家族の過去
私達は、結婚して家族になるまで、厳しい体験をして来ました。私は、23歳の時の海の事故で、首から上しか動かない身体になりました。半年間は、全く呼吸ができない状態でした。言葉も一言もしゃべれませんでした。2年半も病院の病室での生活もありました。もちろん仕事もできるような状態ではありませんでした。
妻は、元夫からのDV、貧困生活の経験があります。離婚してからは、シングルマザーとして、1日中に12時間を超えるような労働の日もありながら、息子を育てて来ました。幸いなことは、息子は元父の顔を知りません。
私と出会った時は、笑顔がいっぱいの仲の良い親子に見えましたが、結婚する前に妻からリアルな話を聞いた時は、本当に驚きました。
今でも、ふとした時に、私も妻も過去の辛い記憶がフラッシュバックすることもあります。でもそれを2人で、いえ、3人で乗り越えて来たつもりです。
私達の息子の弟を考えたとき
結婚をした年、私と妻は、もう1人子供をつくろうとしました。もちろん、息子の事を一番に考えながら、挑戦するべきか止めるべきか。息子に気持ちを聞くべきか聞かないべきか。…悩みながらも、2人の決断は、もう1人子供を育てようというものでした。
決断し、始めたものの、なかなかうまくいくものではないことを、私達も想像していました。なぜなら私は、頸髄損傷になって約10年もたっています。昔のある検査結果の不安があったからです。また、妻は40代で、初産の時もかなり困難な経験があるからです。妻が妊娠できるように、様々な方法を試しましたが、最終的には#不妊治療に挑戦しました。
私の生殖機能
私は、かつて(2006年)岡山県に入院中、自分の精子検査をした事がありました。身体は肩から下が麻痺していましたから、性器も感情等で勃起するわけでも無かったからです。25歳の私は、いつかもしも結婚する機会や子供を考えた時に、自分の身体の機能は、衰えさせることなく、対処法があるのであれば少しでも維持して行きたいと考えたのです。
自分で精子を採取することができない私は、ドクターに射精させてもらって、3回検査をしました。1回目は、動いている精子なし。2回目は、動いている精子数匹。(ちょっと笑いました。)3回目は、正常の3分の1ぐらいです。正直、そのときは射精した事には嬉しく思いました。でも、25歳時点で、精子の数も活動量もかなり衰えている状態には、ショックを感じました。
私は、これ以上生殖機能が衰えないように方法がないか、ドクターに尋ねました。
私:先生、生殖機能が回復することはありますか?
ドクター:毛利さんの場合は、難しいでしょうね。すぐに動けるわけではなく、自分で射精できるわけではありませんからね。
私:現状を維持する方法はありますか?
ドクター:2ヶ月~3ヶ月に1回は、射精させてもらうと良いでしょうね…でも誰かに頼むことはできますか?
私:…
看護師さん、母親、友達…誰にも頼むことは、できませんでした。正直このことを書くのも初めてです。
障がい者の性とセックスボランティア
セックスボランティア( #SV )は、オランダでは制度化されている存在です。日本人にとって少し衝撃的な言葉であるがゆえに、無料で風俗まがいのサービスを行うという、間違ったイメージが広がった事がありましたが、そうではありません。物理的又は身体的に障がいがあるがゆえに、性行為が難しい人のために、射精等の性的介助を行う人の事なのです。
日本では、なかなか触れられない性についての課題。私が入院していた病院には、20代の若い子も沢山いて、性について冗談のように話してはいましたが、みんなもやはり、自分の生殖機能について悩んでいました。薦めてみましたが、現実を知りたくないと言って、私みたいに、実際に検査した人は、周りに居ませんでした。
私も彼らも悩んでいました。そして悩むのは、男性だけではなく、女性も悩むことだと思います。結婚した時に、障がいがあるなしに関わらず、子供が欲しいと思う夫婦は沢山いると思います。色々な家族の形がある中で、どの家族の形も認められる時代です。そんな中で、SVは、必要な存在だと思います。
私達にとっての不妊治療
不妊治療を決断してから、香川県内の病院を探しました。数ヶ月の間、病院に通いました。詳しい説明を受けて、改めて私の身体の生殖機能検査もしました。結果は、やっぱり元気な精子はいませんでした。そして、私は手術を受けました。私の精巣から人工授精に活用できる精子を採取する手術です。それまでの間も、夫婦で何回も話し合いました。これでいいのかどうか…
幸いなことに、十分な採取はできました。採取した精子を保存しておく為には、その期間分のお金がかかります。夫婦が悩んでいる間は、病院側はずっと待ってくれます。後は人工授精をするだけ…しかし、そこでもう一度立ち止まりました。なぜなら、もう一つの課題は、クリアして無かったからです。妻の事です。
妻は元気です。病気もありません。ただ、年齢の事はどうしようもありませんでした。初産が困難だった事も考えた時に、年齢の事はリスクでしかありませんでした。妻の生命やできた子どもの命の事を考えると、妻も不安だったと思いますが、私も同じぐらい不安でした。
約1週間、必死に考えました。そして最終的に不妊治療をやめました。保存していた精子も破棄してもらいました。妻は、破棄までしなくてよいのではないかと言いましたが、破棄しました。その理由は、今ある命を大切にしたかったからです。息子の生命、妻の生命。また、空想の中の家族の事を考えるのではなく、今の家族ことを考えたかったのです。
不妊治療の間は、命の事について沢山話しました。家族の事について沢山話しました。妻とケンカもしました。しかし、今の生命や家族を改めて大切に思うようになりました。
私達家族のこれから
今、息子は大学3年生。就職活動が始まります。最近は Zoom やLINE を使って2時間ぐらいオンライン飲み会をしながら語り合うことがあります。どうやって仕事を選んだのか、どうやって自分の特技を見つけたらよいのか、仕事って面白いのか。自分の良さ(価値)は何なのか。なかなかうまく答えられないようなこともあれば、私自身の振り返りになるようなこともあります。
コロナ禍のなかで自分の事を考える時間が沢山あるのでしょう。
私も、仕事で出会う人の話や今の会社のビジョンの事、時には株等の資産運用の事(笑)。つい数日前も、息子があってみたいというお仕事で知り合った素晴らしい人達に、 Zoom で会って頂きました。息子が必死で、考えて来た質問をしているところを見ると、感動します。成長したなあと。
私は、今日で「お父さん」3日目です。お父さんと呼んでくれる2回目の機会はまだ来ていません。でも、次からは、本当に自然体でいられるようにしたいと思います。
つい先日、 NHK で#杉山文野くんが、#カラフルファミリーとして出演していました。パートナーと出会い、家族ができ、今までとは違う家庭ができ上がる。そこに障がいがあるなしだったり、 LGBTQ だったり、母子・父子家庭にだったり、血の繋がりだったり、そういうことは大きな問題ではありません。そこにあるものはある。そういうのもいいよねって、ただ自然に認めればとても楽になります。その家族の事を考えたときに、私はお父さんになりました。
いつか将来、息子と一緒にプロジェクトをしてみたり、海外旅行に行ったり、一緒に会社をしたり(これは親のエゴかな)…私達は私達のカラーを出した、私達の家族の形を作っていきたいと思います。これまでも、これからもお世話になる人、応援して下さいね。
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