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危険なタスク。

 わたしが中学生のときの日直当番のことについては、第一作目の手記(拙著『変光星 ある自閉症者の少女期の回想』pp.286-289@遠見書房版)にも書いたが、いまだにわたしには、あの時、どういう行動をするべきだったのかが判らない。

 日直当番は校則によればクラスメートの退出を見届けてから、その後、教室の窓を閉め、明かりを消してから帰ることになっている。
 でも、たまたまわたしが日直当番だったその日には、いじめの常連の男子生徒たちが多数、教室に居残った。
 そして彼らは窓に沿って一列に場所を占領したので、わたしは全ての窓を閉めることができなかった。

 窓を閉めるために彼らに近寄っていったら、集団暴力を受ける可能性があった。窓から突き落とされる可能性もあった。
 いずれにせよ命がけというか、そんな身の危険を冒してまで、日直当番の義務を果たさなくてはならないのだろうか?
 それとも、身の安全を第一にして、窓を閉めることを諦めたほうがいいのだろうか?
 しかし後者だと校則違反である。つまり、“悪いこと”である(少なくとも学校サイドにとっては)。

 わたしは正しいことをしたいと願った。
 それで、もしわたしの判断力がもう少し弱かったなら、正しいことをしようとするあまり、窓を閉めようとして男子生徒たちの集団の中に突撃して、恐らくなんらかの物理的、身体的被害を受けていたと思う。

 一つだけ言えることは、学校側は、まだ子どもであり障害者でもある一生徒に、危険なタスクを課していたということ。

 考えて欲しい。
 放課後の教室で女子生徒が一人、居残りすることが、どれだけ危険なことであるかを。
 暴力や犯罪を誘発しているのと同じである。

 じっさい、あの時、わたしが暴力を受けなかったのは、(窓の一部を閉めるのを諦めてヘタれたこともあるけど)幸運だと思っている。

 翌日の朝の授業前のホームルームで、学年主任は、クラス中の見ている前で懲罰的にわたしを立たせたうえ、わたしを嘘つき扱いして、“窓を開けっぱなしにしたこと、照明も点けっぱなしにしたこと”の“非”を問うた。
 だが、あのとき本当に非を問われなければならなかったのは、一生徒に不可能で無謀で危険なタスクを課していた、学校サイドのほうだと思う。◆

(2024.4.10)

#学校 #日直 #冤罪 #いじめ

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