荒ぶる神の変容と解放:スサノオとヤマタノオロチ
「荒ぶる神の変容と解放:荒神と金神」に続く投稿です。
この稿では、「荒ぶる神」である、スサノオを中心に、その敵役だったヤマタノオロチも含めて、その変容と解放を扱います。
スサノオは、本来は「荒ぶる神」ではなったようです。
ですが、記紀神話が語るスサノオは、天つ神であるのに、悪神のような「荒ぶる神」の側面を持っています。
ヤマタノオロチも、ただのオロチではなく、その背景に、「荒ぶる神」、「国つ神」の側面を持っています。
そのため、中世でも、近代でも、人々の創造力を刺激し、新たは神話を生み出しました。
*「記紀以前のスサノオ」と「記紀の神話の天地を循環する水神スサノオ」というテーマのパラグラフは、「スサノオを変容」というテーマにとっては興味深いのですが、「荒ぶる神」の本テーマとは関係が薄いのでに、補記として最後に記しました。
記紀の神話の天地を媒介する神スサノオ
記紀神話は、多くの氏族が持つ神話を、それぞれの観点から編集して作られたものでしょう。
また、日本国の公式の歴史書は日本書紀(とその続編を含めた六国史)だけですが、ここには少なくとも本文とは別に、11種類の「一書」の神話が併記されています。
天・地・(海)・地下の各所で活動するスサノオ神話は、多くの神話の要素を組み合わせて作られています。
それぞれの神話の背景として、ユーラシア諸地域の神話との関係が指摘されています。
ですが、中でも、ユーラシア北方騎馬民族系の英雄叙事詩の影響が大きく反映しているようです。
これには、「天上の神が地上に醜い子供として誕生する」、「追放されて旅に出る」、「怪物を退治する」、「知恵を発揮する」、「地上の女と結婚する」、「冥界に親を探しに行く」、「新たな建国の英雄を迎える」といったストーリーがあり、記紀のスサノオ神話と多くの共通点があります。
記紀神話の最大の目的は、天皇による日本の支配を正統化することでしょう。
そのために、アマテラスを天の主宰神的な地位で描き、その子孫たる天孫族の地上の支配を描きます。
この観点から見れば、スサノオはその物語の中の一役者であり、「天(支配する者)と地(支配される者)の媒介役」です。
「媒介」とは、分けつつ、つなぐということです。
そのため、様々な「両義的」な性質を持つことになりました。
スサノオはアマテラスに敵対して天を追放されたので、天つ神でありながら「反天つ神」という性質も持ちます。
スサノオは国つ神の祖になりましたが、本来の国つ神にとって代わったので、「反国つ神」という性質も持ちます。
明示的には書かれていませんが、スサノオが退治したヤマタノオロチは、出雲の本来の神である八束水臣津野命(の荒御魂)だと考えられるからです。(詳細は後述)
また、天では荒ぶり、田を破壊しましがが、出雲では荒ぶるヤマタノオロチを退治して田を守りました。(詳細は後述)
つまり、「農業神」でありつつ、「反農業神」です。
そして、「荒御魂」でありつつ、荒御魂をハフる「反荒御魂」です。
ですが、記紀神話のスサノオに対する一番の印象は、アマテラスに反抗して天から追放された荒ぶる神であり、その姿が判官贔屓や、一部の反骨精神がある日本人に人気なのでしょう。
出雲の国つ神の荒御魂としての八岐大蛇
それならば、ヤマタノオロチ退治は、英雄物語として、多くの日本人に人気だったのでしょうか?
これは、判官贔屓、反逆精神には合致しません。
スサノオ神話が大きな影響を受けた北方ユーラシアの英雄叙事詩では、多頭龍蛇は悪神です。
ですが、日本では、現在でも、各地で竜蛇神が祀られています。
農民にとっては、竜蛇神は水神であり、重要な神です。
出雲の出雲大社や佐太神社、日御碕神社では、海辺に打ち上げられたセグロウミヘビを神の使いとして奉納します。
記紀神話では、大国主(大己貴命)を助けるために大物主が海の向こうからやってきます。
この大物主にはセグロウミヘビの姿が重なりますし、崇神紀では三輪で大物主がヘビの姿を現します。
出雲でも、大和でも、代表的な国つ神は蛇神です。
であれば、ヤマタノオロチを単純に悪神と見ることには抵抗があったはずです。
スサノオが歌った和歌にある「八雲立つ」という出雲の枕詞は、水が豊かという意味ではないでしょうか。
それなら、「八岐」というオロチの名は、多数の水系に分かれる豊かな川の水神という意味があるのかもしれません。
九頭竜川のように、川を多頭龍蛇と見ることはありますから。
「出雲国風土記」の国引き神話の主役であり、国土創成神ともいうべき八束水臣津野命は、斐伊川の水神だと推測されます。
ヤマタノオロチは、荒ぶる斐伊川であり、八束水臣津野命の荒御魂の表現でしょう。
「出雲国風土記」の記述から、クシイナダヒメは、本来、八束水臣津野命を祀る巫女だったと推測されます。
スサノオが、ヤマタノオロチを退治するに際して、クシイナダヒメを櫛にして刺したのは、巫女の姿になった(巫女の能力を身につけた)ということであり、垣を巡らして酒を置いたのは、神を祀る姿に似ています。
つまり、スサノオは、国つ神を巫女が祀るふりをして、ヤマタノオロチを退治したのです。
スサノオのヤマタノオロチ退治は、本来の国つ神の祀りが、天つ神の祀りに変えられたことの表現とも解釈できます。
和御魂となった斐伊川は、稲を育てて、最終的にホノニニギの天孫降臨を導きます。
ホノニニギは稲穂の豊かな実りの神であり、降臨は地上における実りを表現します。
ヤマタノオロチの目は、「赤かがち」のようと表現されていますが、これは天孫降臨を先導するサルタヒコも同じです。
つまり、両者は同体で、実は、星においてはオロチ座(西洋の蠍座)であり、その目が赤く光るアンタレス星です。
サルタヒコは、出雲においては佐太大神です。
ですから、ヤマタノオロチは佐太大神の荒御魂でもあります。
このように、天つ神だったスサノオは、本来の国つ神に取って代わったことになります。
ですから、ヤマタノオロチ退治は、大国主(大己貴命)の国譲りに先立つ、国譲りの元型の物語だとも言えます。
その一方で、スサノオは国つ神(大国主、大己貴命ら)の祖となっただけではなく、天では荒御魂であり、出雲では和御魂(をもたらす存在)というあり方は、大和朝廷に敵対して怨霊となる国つ神の元型とも言えなくありません。
この本来の「国つ神性」を持つヤマタノオロチと、スサノオの中に移植された「国つ神性」へのシンパシー、そして、「荒ぶる神」への潜在的シンパシーは、この後の二神の変容につながります。
中世神話のスサノオ、八岐大蛇
中世には、記紀神話とは異なる様々なスサノオやヤマタノオロチの物語が作られました。
これらには、国つ神の復権という側面があると思います。
まず、中世では、スサノオは、出雲大社の祭神であると考えられることが多くなりました。
出雲国造家の上申書では、スサノオは出雲に流された悪神ではなく、オロチと呉国の兇徒を退治して平安をもたらした英雄的軍神です。
そして、日本の守護神であり主宰神だったのですが、アマテラスの子孫に譲ったのだ、と主張されています。
これは、スサノオの国つ神という性質が強化されたということでしょう。
また、スサノオは、京都の祇園社(今の八坂神社)の祭神にもなりました。
祇園社の神は、疫病神であり、祀られるとその消除神となる神です。
もともと祇園社の祭神は、半島の武塔天神と考えられることが多くありました。
卜部兼文は、「釈日本紀」で、これがスサノオであると主張しました。
また、吉田神道の吉田兼倶は、この神がまた、仏教で言う牛頭天王であると主張しました。
さらに彼は、スサノオが、摩多羅神、赤山明神、新羅明神といった密教系の神々とも同体であると主張しました。
これらは、疫病神、障碍神という側面を持つ守護神です。
ですから、スサノオは「祟る神」としての側面も強めたのだと言えます。
ちなみに、「古今和歌集序聞三流抄」では、スサノオは、方位の凶神である金神であるとされます。
これも「祟る神」です。
ヤマタノオロチも、単なる悪役ではない存在となりました。
「平家物語」では、壇ノ浦の戦いで、安徳天皇が海に沈んだことが有名です。
この時、草薙の剣も共に海に失われたとされます。
実は、この安徳天皇は、草薙の剣を取り返すために、安徳天皇に化けたヤマタノオロチだったと語られます。
ヤマタノオロチは仏教が言う竜王であり、剣を取り戻し、竜宮に戻ったのだと。
竜宮は煩悩の苦界の象徴であるので、ヤマタノオロチが善神とされたのではありませんが、悲劇の中に復讐を見る物語なので、ヤマタノオロチへのシンパシーがあります。
神器(レガシー)は主権を意味するので、それを取り戻すことは、国つ神の復権を意味します。
また、草薙の剣は、アマテラスが高天原から伊吹山に落としたもので、これをヤマタノオロチが入手したとする物語も生まれました。
ヤマタノオロチは、スサノオに剣を奪われたものの、出雲から伊吹山に戻って、奪われた剣をヤマトタケルから取り返したのだと。
この物語でも、ヤマタノオロチは神器を取り戻すので、国つ神の復権を表現しています。
このように、中世における国つ神の復権は、律令体制の弱体化を背景にしていて、心理的には、抑圧されたものの解放でもあるでしょう。
大本教神話のスサノオ
近代においても、スサノオの新たな物語が作られました。
中でも、国家神道に対してオルタナティヴな立場だった大本教の神話において、スサノオは「救いの神」となりました。
まず、後に大本教の聖師になった出口王仁三郎に懸かった神霊は、スサノオの分霊の「小松林命」だとされていました。
そして、大本教に参加した後、教祖出口ナオのお筆先には、「鬼三郎」を名乗れと命令されました。
お筆先の考えでは、王仁三郎の役割は、世の立替えのために、まず、天の岩戸を閉める悪役なのです。
また、王仁三郎に懸かる神は、裏鬼門の「坤の金神」とされるようになりました。
つまり、王仁三郎は、「鬼」であり、「金神」であり、「スサノオ」であり、いずれも悪名の「荒ぶる神」なのです。
ですが、王仁三郎による大本神話の「霊界物語」では、出口ナオの霊統とされたアマテラスはほとんど悪神のように描かれ、自分の霊統であるスサノオが救世主的存在として描かれます。
アマテラスを軽視することは、国家神道や天皇を軽視することでもあります。
スサノオは、地上における主宰神でしたが、贖罪を負って隠退するも、復活して「艮の金神」の本体である大国常立尊が行う理想の国作りを助けます。
スサノオが、根の国に隠退するのも、高天原から追放されるのも、自分の悪行によってではなく、配下の存在の罪を肩代わりするためで、この行為はキリストの贖罪に喩えられます。
つまり、スサノオは、悪神ではなく、悪名を着せられた「贖罪の神」であり、「救いの神」なのです。
先の投稿で書いたように、大本教の「艮の金神」には、「祟り神」だけではなく、国つ神の復権、革命の神という側面がありますので、これはスサノオにも重なります。
ただ、スサノオの性質は、慈悲深い神とされ、「荒ぶる神」という性質はな希薄になっていいます。
補記 記紀以前のスサノオ
日本書紀の一書によると、スサノオは最初に「新羅」に降り、その後に出雲に渡りました。
別の一書によると、スサノオは舟を作るために自分の体の毛から杉や槙、檜を生み出し、息子のイタケルは、妹のオオヤツヒメ、ツマツヒメの二女神とともに樹の種子を広く播き、「紀伊国」に渡った、とあります。
古事記では、スサノオが最終的に住むことになる根の堅洲国は、「木国」から行くところとされます。
実際、紀ノ国には、出雲の須佐神社より古いとされる須佐神社があります。
以上のように記紀にも残っていますが、スサノオの信仰は、半島から紀ノ国に渡来して、後に出雲に至ったようです。
スサノオは、半島(金官伽耶国)から渡来した紀ノ川北岸の紀氏によって、国懸神宮で「鍛冶神」として奉斎されていました。
その後、樹木神の神格が重なり、海人たちの母子神信仰の太陽神の「御子神」と習合しました。
その後、スサノオの息子のイタケル神(五十猛神)が樹木神として分化されました。
その後、イタケル神は、海上交通の活発化にともなって、舟の神、航海神のイタテ神(伊太氐神、射楯神)に変容しました。
このスサノオと息子神の樹木神、舟神としての属性は、記紀にも残っています。
紀伊国一の宮の日前・國懸神宮のある「日前(ヒノクマ)」は、太陽が沈む西の地という意味で、太陽が昇る東の地の伊勢神宮と対になる神社でした。
もともとは国懸神社のみで母神と太陽神の御子神のスサノオ、または五十猛神を奉斎していました。
ですが、持統天皇の時に、太陽神を天照大神という女神にする改革が行われました。
そのため、日前神宮が新たに作られ、ここに御子神が習合した天照大神が祀られるようになり、国懸神宮の母神は日鏡とともに太陽神とされました。
そして、鍛冶神としてのスサノオが分離して有田郡の須佐人社に、樹木神としてのイタケルが伊太祁曾神社に移されました。
山城(京都)に居住していた秦氏は、北方ユーラシアの遊牧騎馬民族の英雄叙事詩を伝えていました。
そこで、おそらく、藤原不比等の命によって、秦氏の英雄叙事詩をもとに、記紀神話にマッチするようなスサノオの物語が作られたのです。
出雲国飯石郡や大原郡には、秦氏が居住しており、ここで本来のスサノオと同じ鍛冶神のヒノハヤヒを祀っていました。
この地域の斐伊川には砂鉄が取れたのです。
そのため、飯石郡に須佐神社が作られ、須佐の地名がつけられました。
補記 記紀の神話の天地を循環する水神スサノオ
天でアマテラスが田を運営していること、降臨する天孫のホノニニギが豊かに実った稲穂の神と考えられることから、記紀神話が「稲作」を重視していることが分かります。
このことは、毎年の新嘗祭や即位式の大嘗祭という、天皇が関わる最重要な祭儀が、稲を中心にした儀礼であることと合致します。
アマテラス神話の中心は、天の岩屋戸に籠もり、そこから出たことです。
これは、稲作神話の観点から見れば、冬季における太陽の衰退と復活を表現しています。
実は、三貴神と天孫降臨の物語は、冬から秋に至る、稲作の季節循環を表現していると解釈できます。
アマテラスが太陽、ツクヨミが月の属性を持つなら、スサノオも何らかの自然の属性を持っていると考えるべきでしょう。
稲作にとって最も重要な要素は、太陽と水です。
記紀神話のスサノオは、地上(海原)→天(高天原)→地上(出雲)→地下(根の国)と巡るので、「水」の属性を持っていると考えられます。
水は、地上や海から蒸発して天に登り、雲となって太陽を隠し、雨となって地上に降り、川となって流れ、地下に染み込みます。
つまり、スサノオは「水の天地循環」を象徴する神なのです。
スサノオに限らず、水の神という属性を持つ龍蛇神の多くは、天地を昇降する性質があります。
古事記では、スサノオが「青々とした山が枯木の山のようになるまで泣き枯らし」てから高天原に昇ります。
自然を枯らすのは、冬の乾季になって、地上から水が蒸発して失われることを表現しています。
冬は太陽の衰退期であり、雲が太陽を隠すこともあるので、スサノオがアマテラスを岩屋戸に籠もらせる悪役とされました。
一方、スサノオが地上に降りる場面は、日本書紀一書第三では、「雨降る中を落ちていく」と表現されています。
スサノオの追放・降臨は、梅雨という雨季の到来を表しています。
スサノオが出雲の斐伊川(古事記では肥河の川上、日本書紀では簸川のほとり)に降りるのは、雨が川となって流れるからです。
八岐大蛇は梅雨期に暴れる斐伊川と考えられるので、スサノオはヤマタノオロチと表裏一体の水神であると言えます。
ヤマタノオロチは稲田(クシイナダヒメ)を破壊する洪水という荒御魂であり、スサノオは稲田を潤す和御魂です。
ただ、もちろん、先に書いたように、記紀神話、特に、スサノオ神話は、多くの要素がまとめられて作られているため、そのすべてを、スサノオを水神とする稲作神話で解釈できるわけではありませんが。
スサノオが水神として天地循環するという点から、スサノオは天と地上の神話(高天原神話と出雲神話)をつなぐ「媒介役」を負うことになりました。
北方ユーラシアの英雄叙事詩の神話の主人公には、シャーマン的な性質があり、シャーマンも天地を媒介する性質を持っていたのです。
ですから、シャーマン的英雄の性質が、水神の性質に、うまく転換されました。
また、北方ユーラシアの英雄叙事詩の神話には、成人神話の側面があります。
つまり、未成熟な時点では否定的な性質の属性があり、成人以降には肯定的な性質の属性があります。
この英雄物語の否定的性質→肯定的性質という展開が、高天原での悪役→出雲での善役という展開に、うまく変換されたのです。
*参考文献
・北沢方邦「古事記の宇宙論」(平凡社新書)
・山口博「創られたスサノオ神話」(吉川弘文館)
・斎藤英喜「荒ぶるスサノヲ、七変化」(中央公論新社)
・WEBサイト「気まぐれな梟」
>大和岩雄「日本古代王権試論」(名著出版)
>谷川健一編「日本の神々」(白水社)
>西城勉「古事記と王家の系譜学」(笠間書院)
*タイトル画像は、月岡芳年『日本略史 素戔嗚尊』
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