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「攻殻機動隊SAC_2045」ラストの解釈

「攻殻機動隊SAC_2045」を見た人に向けた投稿です。

「攻殻機動隊SAC_2045」の結末のストーリーは、難解なだけでなく、視聴者に謎をかけているようで、その解釈が分かれています。
これについて、短く解釈、考察します。

ただし、私は「攻殻機動隊」シリーズにはそれほど思い入れがあるわけではなく、アニメの過去作は大体見ているものの、あまり覚えていません。


最終話で、草薙素子少佐がシマムラタカシのコードを抜こうとしますが、抜いたか抜かなかったか(Nを認めたか破壊したか)はっきりと分からないまま、最終場面に移ります。

少なくとも、この時点では、両方の解釈の余地を残して、視聴者に最終場面を見させています。

最終場面では、まず、江崎プリンが、公安9課に新参加(再参加でなく)してきて、プロフィルを見せます。
9課のメンバーも、初対面として接しました。

普通に考えると、これは過去の現実に反するので、ダブル・シンクの状態の誰かの夢、仮想現実(を含む世界)です。
つまり、コードを抜かなかったことになります。

その後のラストシーンは、少佐とバトーの二人のシーンであり、少佐はダブルシンクにならないので、これがバトーの夢であると推測できます。

ですが、もし、コードを抜いていたとすると、プリンの復帰に際して、9課を裏切ったというプリンの心理的問題を解決するために、プリン、または、他のメンバーの、プリンの9課での記憶を消去し、擬似記憶を持たせ、それを知っている人物がいれば、それに合わせている、という強引な解釈になります。

でも、プリンの9課での活動の記憶をすべて消して、最初からやり直す理由はあるでしょうか?

ですが、バトーには、プリンの正体に早く気づいてやれなかったという後悔がありますので、最初からやり直すという夢を見る動機があります。
つまり、少佐はコードを抜いていないという可能性が高いと思います。

その後の少佐とバトーの会話には、コードを抜いた/抜いていないを確定させる内容はありません。

ですが、ラストシーンでは、少佐が、「おそらく次に人類が特異点を迎える時、それはこの星を飛び出しはるかかなたへと広がっていくだろう。…忘れないで、私たちがこの時代に存在していたことを」とバトーに言い残します。

そして、いつものようにビルの上からダイブしますが、いつもと違って上空に飛翔して、地球を超えて、宇宙の果ての光の中に去っていきました。

この言葉と飛翔に、重い意味とインパクトを持たせるのは、
夢の中にいるバトーに対して、次の進化は現実の世界で起こるから、現実(ポスト・ヒューマンと戦ったとこと)を忘れないで欲しいと言い残した、
そして、少佐が夢の世界から現実へと離脱して行った、
という解釈です。

だから、今度会う時の合言葉が、1A84なのです。

少佐は、タカシのコードを抜かず、現実と様々な人間の夢に出入りできる存在となっているのです。

以上から、私は、コードを抜かなかったという解釈を取ります。

ちなみに、最後までコードを抜いた/抜かなかったの両方の解釈ができるようにしている場合、視聴者を一種の「ダブル・シンク」の状態にしていることになります。

ですが、コードを抜かなかったという解釈でも、少佐は、バトーの夢を非現実と知りつつそれを認めるという立場を取っていて、これは「1984」でのオリジナルな意味での「ダブル・シンク」に近いものとなります。


いずれの解釈を取るにせよ、コード1A84は、ポストヒューマンを介して、米帝の覇権と全世界の繁栄という矛盾した要求を満たすために、「ダブル・シンク」という解決法を見い出しました。

それは、「1984」の設定を継承しながら、情報書き換えの管理者を個々人へと転倒したものになりました。

「A」とは、AIからのAnswerであり、「1984」に対するAnswerでしょうか。

ですが、ここで実現されたものは、現実は変えられないという前提での仮想現実であり、各自はそれに気づくこともありません。

ですから、少佐は、ダブルシンク(N)の「次の特異点」は、現実で実現されるべきと表明したのでしょう。


ちなみに、プリンは、ダブル・シンク(N)の状態を「解脱(Nirvana)」と表現しました。
ですが、それに対して、少佐は分からないと返しました。

また、少佐はロマンチストで、現実と夢の違いの区別がほとんどなかったためにダブル・シンクの状態にならかなったと、タカシは説明しました。

「攻殻機動隊SAC_2045」は、少佐の「ノイズがないって素晴らしいわ。これが永遠に続けばいいのに」という第一話のモノローグから始まりました。

タカシの考える「摩擦のない」ダブルシンクと、少佐の言う「ノイズのない」現実は、似て非なるものです。

少佐は、現実とは別の夢を必要としていません。

ダブルシンクは、自分の夢に閉じて、その自覚もありませんが、これは解脱の反対です。

大乗的には、現象世界・言説の世界を空(夢)と知りつつ、それを仮設として認めるのが、悟りの境地であり、これは一種の「ダブル・シンク」ですが、そのことに自覚しています。


また、プリンはゴーストがなかったためにダブル・シンクにならなかったと、タカシが説明しました。

ですが、彼女がダブルシンク(N)にもならなかった本当の理由は、彼女が過去の記憶(Nostalgie)を封印し、江崎プリンとしての新たな生を、9課で働くという夢を実現して生きてきたからでしょう。

彼女もまた、現実とは異なる夢を必要としません。


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