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ゲーテ「メルヒェン」とシュタイナーの解釈

ゲーテの「メルヒェン(緑の蛇と百合姫のメルヒェン)」は、ゲーテの「ドイツ避難民閑談集」(1795年)の最後の物語です。
「ドイツ避難民閑談集」は、物語の中で多数の物語が語られる枠物語という形式の物語です。

「メルヒェン」は、非常に謎に満ちた物語です。
ゲーテ自身は、「わたしの黙示録である」とか、「100通りの解釈ができる」と語りましたが、それ以上の具体的な解釈については語りませんでした。
また、物語中では「物語は解釈してはいけません」とも語られます。

そのため、「メルヒェン」はゲーテ作品の最大の謎とされることもあります。

本稿では、「メルヒェン」のあらすじと、最後にルドルフ・シュタイナーの解釈について紹介します。
複雑な物語なので、あらすじでもかなりの量となり、完全にネタバレとなります。


物語の概要


物語の筋を一言で言えば、河の両岸に分かれていた若者と百合姫の二人が、緑の蛇や老人の活躍で、両岸の間で再建された聖堂で結婚し、両岸の世界を結びつけるという物語です。

この物語は、人間の心の諸機能を登場人物に象徴し、スピリチュアルな成長の過程を表現しています。

物語の主な舞台は河の両岸ですので、分かりやすく物語の始まりの岸をA岸、もう一方をB岸と書きます。
A岸には、百合姫の庭があり、B岸には、緑の蛇や若者などがいて、埋もれた聖堂がありました。
シュタイナーの解釈では、A岸は超感覚世界、B岸は感覚世界です。

主要な登場人物は、以下の通りです。

<物語の最初にA岸にいた人物>
・渡し守
・二人の鬼火
・百合姫(王妃)
・その3人の侍女

<物語の最初にB岸にいた人物>
・緑の蛇
・老夫婦
・若者(王、A岸から来た者)
・金・銀・銅・合金でできた4人の王の像
・巨人


あらすじ


以下に、あらすじを紹介します。

A岸で

豪雨で自らが増した大河の畔の小屋に「渡し守(老人)」がいました。
「2つの鬼火(若い男たち)」が向こう岸(B岸)に渡して欲しいと言いました。
途中、舟の中で、鬼火達は無作法に騒いでいました。


B岸で

向こう岸(B岸)に着くと、鬼火たちは代金として「金貨」を舟に落としました。
渡し守は、河は金貨が嫌いなので、土から出来る作物しか受け取らないと言いました。
そして、キャベツ、アザミ、玉ねぎ3つずつを要求し、鬼火は近い内に渡すと約束しました
渡し守は、金貨を高い岩の裂け目に落としました。

この裂け目の中には美しい「緑の蛇(おばさん)」がいて、これらの金貨を飲み込みました。
すると、蛇の体は透明になって光り輝きました。
そして、金貨を投げた人を探しに出かけました。

蛇が湿地に着くと、鬼火たちが飛び跳ねていました。
二人に金貨を投げた人について聞くと、笑って体を揺さぶってたくさんの金貨を落としました。
蛇はこれを飲み込んで光が増しました。
一方、鬼火たちは痩せて小さくなりました。

鬼火たちは、蛇に美しい「百合姫」の住んでいる場所を尋ねると、蛇は向こう岸(A岸)だと答えました。
そして、蛇は、渡し守はこちら岸(B岸)へは渡すが、向こう岸(A岸)へは渡さないので、夕方に「巨人」の影に乗って渡れば良いと助言しました。
巨人は自分の体では何もできないが、影は何でもできると。

蛇は以前に、岩窟の中のドームで人間が作った何かを発見していましたが、今は自分の光で照らして見ることができると思って見に行きました。
すると、それは「金でできた王の像」と「銀でできた王の座像」、「青銅でできた王の座像」、3種の金属のまだらで出来ていて円柱にもたれて立っている「第4の王の像」でした。

そこに「老人」が入ってきて王たちと会話をしました。
老人は3つの秘密を知っていて、第4の秘密が分かれば王たちに教えると言いました。
すると、蛇は自分が第4の秘密を知っていると言い、老人にささやきました。
老人は、「時が来たのだ!」と叫びました。

老人が持つランプは、石を金に変え、植物を銀に変え、動物の死骸を宝石に変え、金属を無に変える力を持っていました。
ただ、他の光があると、ただ光を放つだけですが、生物を元気づけました。

老人の小屋には「老人の妻(老婆)」が一人いましたが、そこに鬼火たちがやって来て、壁の金を舐め尽くして、金貨を飛び散らしました。
妻は鬼火たちの代わりに、渡し守にキャベツ、アザミ、玉ねぎを3つずつを渡すことを約束しました。
ですが、二人が飼っている「モップス犬」が金貨を食べて死んでしまいました。

老人は、モップス犬をランプで美しい「縞瑪瑙」に変えました。
そして、妻に、昼頃に蛇に頼んで向こう岸(A岸)に渡してもらい、百合姫に縞瑪瑙を渡すと、彼女が触れてそれを犬に戻してくれるので、忠実なお供になるだろう、と言いました。
そして、百合姫に、「悲しんではいけません、救いはもう近づいています、最大の不幸を最大の幸福と見なすことができるようになります、もう時期が到来したのですから」と伝えるようにと。

ですが、老婆は、巨人に道を遮られて、キャベツ、アザミ、玉ねぎを一つずつあげてしまいました。
渡し守は作物が足りないことを怒り、借りを返すように、老婆の手を河に浸けて誓わせると、その手は真っ黒になりました。

老婆は、渡し守の舟から降りたった素晴らしい容姿の「若い男」を見つけました。
彼も百合姫のところに行くと言いました。
この若者は、百合姫の目はすべての生き物から力を奪う、私は王冠をなくし、無一文になったと、言いました。


A岸で

蛇は毎日、真昼に橋に変身するのですが、そうとは知らず、老婆と若者はこの橋を使って向こう岸(A岸)に渡りました。
二人以外にも、百合姫のところに行く仲間(鬼火と蛇?)がいました。

美しい「百合姫」は彼女の庭で竪琴に合わせて歌っていました。
百合姫は老婆に、生命を奪ってしまう自分の不幸について語りました。
突然現れた「大鷹」に驚いて、百合姫が可愛がっていた「カナリヤ」が、彼女に触れて死んでしまったと。
そして、「どうして河の畔にお堂が立たないのか、どうして橋がかけられないのか」と歌いました。

老婆は、もう時が到来していると言い、縞瑪瑙になった犬を渡しました。
百合姫は、犬を生き返らせて、二人はじゃれ合いました。

そして、百合姫は、カナリヤを老人のところへ持っていってランプで美しいトパーズに変えてもらうように頼みました。

そこに若者が大鷹を手の上に乗せて到着しました。
百合姫は、大鷹はカナリヤを死に追いやったと、若者に文句を言いました。
ですが、若者は、「あなたに触れて死ぬものなら、わたしはあなたによって殺されよう」と言って突進し、命を失ってしまいました。
先にやって来ていた蛇は、若者の死体の回りに輪を描いて尾を噛み、守るようにして静かになりました。

また、百合姫の3人の侍女たち(少女たち)が現れて、ヴェール、竪琴、鏡を百合姫に持ってきました。
蛇は、「日が暮れてしまわないうちに、誰かランプを持っている人を連れてきてください」と言いました。
老婆は手が悪くなっていると訴えていましたが、蛇はそれを忘れるように言いました。

すると、ランプの精霊と大鷹の案内によって、ランプを持った老人が河面を滑って来ました。
老人は、「皆が一緒に力を合わせれば役に立つことができるので、もう少し待ちましょう」、と言いました

太陽が沈み、老婆が鬼火たちを連れてきました。
真夜中になると、老人は、「太陽の最初の光が刺したら、鏡を使って眠った侍女達を照らして目覚めさせるよう」と言いました。


B岸で

一行は、蛇が変身した「壮麗な弓形の橋」がかかっているのを見つけて、もとの岸(B岸)に戻りました。

老人の助言で、百合姫は左手で蛇、右手で若者の死体に触れると、若者とカナリヤが命を吹き返しました。
ですが、魂は戻っていませんでした。

橋になっていた蛇は、無数の宝石に分解してしまったので、老人と老婆はカゴの中に拾い集め、河の中に振い落しました。

老人はランプを持って、若者と百合姫、鬼火たちを案内して、岩の中に入って行きました。
真鍮の門を鬼火たちが焼き切って一行がその先に入ると、王の像たちがありました。
皆はそれに額づきました。

合金の王が、「私が世の中を支配する」と言うと、老人は「いずれ明らかになるでしょう、その時が到来したからです」、と言い返しました。
これを聞いて、百合姫は老人に接吻をし、老婆と若者も抱き合いました。
すると、聖堂が動き出しました。


両岸の中間(河の畔)で

老人は百合姫に、私達は今、河の下に来ているのです、と言いました。
聖堂が崩れ始め、渡し守の小屋が上からかぶさってきました。
ランプの力で小屋は銀に変わり、形が変わり、聖堂の中に小さな寺院、あるいは祭壇が出来上がりました。

若者は階段を昇り、老人と渡し守が彼を助けました。
老人は手が悪化する老婆に、河の水を浴びるように言いました。

朝日が昇ってくると、老人が「この地上を支配するものは3つある、智と、光と、力である」と言いました。
これに合わせて、3人の王が立ち上がりました。
ですが、合金の王は倒れてしまいました。
鬼火たちが彼の金の筋目を舐め尽くしてしまったからです。

若者は青銅の王の方へ進み、青銅製の剣を腰にさすと、王は「剣は左手に、右手は空けておくように」と言いました。
銀の王の方へ進むと、銀の王は彼の笏を若者に差し出し、「羊を飼うように」と言いました。
金の王のところへ行くと、槲の冠をかぶせて、「最高のものを認識せよ」と言いました。

若者は階段を降りて百合姫のもとに行き、「父祖の国は、より確実に世界を支配していた第4の力、愛の力を忘れていたのだ」と言って、ヴェールをつけていない姫を抱擁しました。

門の向こうには、「立派な橋」が見え、すでに幾千の人々が行き来していました。
老人は、蛇の亡骸の宝石が橋の基柱となったのです、この橋によって両岸は繁栄するようになります」、と言いました。

百合姫の4人の侍女が門から入ってきたと思えましが、一番美しい4人目は、若返った老婆でした。
そして、老人も若返っていました。

その時、巨人が水浴しようとよろめきながら橋を渡ってきたため、橋の上は混乱になりました。
ですが、巨人は寺院の入口の前庭に座り込んで、淡紅色に輝き石の巨大な柱像と化してしまいました。
そして、その影によって時刻がわかるようになりました。

鏡をくわえた大鷹が、祭壇の上に立っている人々に太陽の光を投げかけました。
王(若者)と王妃(百合姫)と従者達(老夫婦、侍女)の姿が浮かび上がり、民衆はひれ伏しました。
一行は祭壇の内側に降りて姿を消しました。
鬼火たちが空から金貨を降らせると、民衆は我先に拾いましたが、やがて帰路につきました。

今日に至るまで、橋は通行人で混み合い、聖堂は参拝人を世界一多く集めています。


シュタイナー解釈をもとに


ゲーテの研究家でもあり、神秘主義者、そして、教育の分野でも有名なルドルフ・シュタイナーの解釈をもとに、「メルヒェン」が表現するものを分かりやすく解説してみます。

シュタイナーは、「ドイツ避難民閑談集」の物語に表現されたテーマは、感覚的世界を超えた不思議や、超感覚的世界に由来する道徳的な物語であると言います。

そして、その最後の物語となる「メルヒェン」は、結論として、人間の魂の発達のあり方を表現したものです。

最初に、超感覚的なものを自分と異質なものと感じる段階があり、次に、感覚的世界における生を極限にまで昇り詰める段階があり、最後に、自分を超感覚的な世界に浸透させて両世界を一つにする段階に至ります。

また、「メルヒェン」を、単なる抽象的な概念のアレゴリーの物語ではなく、生きた超感覚的観照(霊的ヴィジョン)の物語であると言います。

まず、河の両岸ですが、百合姫、渡し守、鬼火がいたA岸を、シュタイナーは超感覚的(霊的・英知的)世界とします。
それに対して、緑の蛇、老夫婦、巨人がいて、聖堂があったB岸は、感覚的(物質的・日常的)世界です。

物語として分かりやすくするならば、A岸は天上世界、B岸は地上世界になりますが、これを河の両岸としているところが面白い点です。
ちなみに、仏教が悟りの世界を彼岸、煩悩の世界を此岸と表現することと似ています。

百合姫は、超感覚的な存在を象徴し、シュタイナーは、「自由の王国の体現者」とも表現します。
準備ができていない者が彼女に触れると、生命を失います。

シュタイナーはこれについて、ゲーテの『散文格言集』から「我々に自分自身を支配する力を与えることなしに、我々の霊を解放するものは、すべて有害である」という言葉を引用しています。

ですが、百合姫は縞瑪瑙の犬を生き返らせたように、条件が整えば、生命を与えることができます。

若者は、物語の登場時にはA岸から渡ってきた(王ではなくなった)ところでしたが、物語の起点ではB岸にいます。

若者は、物語の格となる人物であり、彼が堕落して地点から物語は始まります。
シュタイナーの言葉では、若者は「理想状態を目指す」人間の姿です。

老人は、ユング的には老賢者の元型に当たる存在であり、魂の全体性を知る無意識の智恵です。
老人のランプについて、シュタイナーは、人の内面にあるものを照らすと言います。

老人が言う3つの秘密は、3人の王に対応し、これは人間(若者)が獲得すべき能力です。
物語の中では、「智恵」、「光」、「力」ですが、シュタイナーは、銀の王を「感情」や「美」、銅の王を「意志」とも表現しています。

そして、まだらな合金の王を、この3つの能力の不統一な状態とします。
それとは逆に、剣・笏・冠を得て王となった若者は、3つの能力の統一を象徴します。

 登場人物 象徴
・金の王 :智
・銀の王 :光・感情・美
・銅の王 :力・意志
・合金の王:3つが統一されていない状態
・若者=王:3つが統一された状態
・緑の蛇 :自己犠牲
・百合姫 :愛

金の王が「智恵」を象徴するので、鬼火の金貨も「智恵」を現します。
鬼火はA岸(超感覚的世界)からやってきた存在なので、この「智恵」は「抽象的な智恵」ですが、鬼火の性質は未熟なものとして描かれます。

渡り守はこの金貨(抽象的な智恵)を受け取らず、受け取るのは、大地から収穫した農作物です。
シュタイナーは、渡し守は、無意識の内に超感覚的な領域から感覚的な領域へ運ぶ力だと言います。
そして、この力に近づくことは、感覚世界に対しての負債(強制力)となり、作物に象徴される自分で作り出した「経験的な智恵」でつぐなうことで自由になるのです。

そして、老人の妻については、知覚力、表象力、歴史的な記憶を表現し、彼女が作物を渡せずに手を黒くしたのは、それらがまだ現実的な諸力とは結びついていない状態なのです。

ですが、物語の主役とも言える緑の蛇は、金貨(智恵)を得ることで、物語が動き出します。
「抽象的な智恵」も必要です。

そして、緑の蛇が「第4の謎」を知っているとして老人にそれをささやいた時、老人は「時が到来した」と言いました。
つまり、このことが、物語の最重要ポイント(転換点)となります。

物語では、若者が「第4の力」を「愛」であると言い、百合姫をその象徴のように扱っています。
ですが、シュタイナーは、これを蛇の問題として「自己犠牲」と表現します。

シュタイナーは、老人は「第4の謎」も知っていたが、教えることはできず、蛇自身が自分で理解するのを、待たなければならなかったと言います。

つまり、蛇は、自己犠牲という成長によって2つの世界を結びつける力であり、超感覚的な「智恵」は、現実世界の経験の中で、自己犠牲として使わなければいけないのです。

そのため、百合姫に触れて死んだ若者は、百合姫を媒介として、自己犠牲の至った蛇によって生命を吹き返します。

巨人は、意識的な理性が薄れる朝夕だけに、超感覚的世界に渡ることができます。
シュタイナーは、巨人をミクロコスモスとしての人間であり、表象能力や記憶を表現すると言います。
巨人ではなくその「影」が渡るというのは、感覚そのもののではなく、その記憶された表象ということでしょう。

逆に、蛇は、意識的な理性が最も働く昼に、一時的に超感覚的世界への橋になります。
シュタイナーは、この能力を、芸術的な創造的想像力の作用であると言います。
若者が王となった時には、蛇は恒常的な橋となります。


*参考書

・『メールヒェン 「百合姫と緑の蛇のメールヒェン」に開示されたゲーテの精神』I・W・V・ゲーテ、Rシュタイナー(人智学出版社)
・『メルヒェン』ゲーテ(あすなろ書房)



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