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フリーメイソンの思想と歴史

本稿が扱うのは、フリーメイソンの思想と簡単な歴史についてです。
思想と関わる部分で、伝承や儀礼、紋章についても簡単に紹介します。

フリーメイソンの思想の本質は、理性を重視する啓蒙主義であり、決して神秘主義ではないと考えています。

そのため、フリーメイソンの思想の紹介に際しては、神秘主義思想との関係、対比についても少し触れます。

歴史については、その全般ではなく、フリーメイソンの思想を語る上での基礎知識として参考とすべき部分をピックアップして紹介します。

かなり長い投稿になります。
「メイソンリーの起源」以降が歴史になります。


*フリーメイソンリーに関する陰謀論や、イルミナティと関わる陰謀論については、別の投稿で扱います。



フリーメイソンとは


最初に、フリーメイソン(メンバーを指す言葉、以下「メイソン」と表記)、フリーメイソンリー(組織を指す言葉、以下「メイソンリー」と表記)について、概略的にまとめます。

メイソンリーは、中世イギリスの石工組織に由来し、世界的に展開している半秘密結社(秘密のある結社)です。

その基本的な性格は、「友愛団体」、つまり、社交・親睦クラブです。
生活の相互扶助の側面も持ち、慈善、研究、教育を行う組織もあります。

ちなみに、現在のイングランドのユナイテッド・グランド・ロッジのホームページには、「慈善団体」と記されています。

社交クラブですから、本当は「思想」というより、「信条」とか「理念」、「参加条件」という言葉をタイトルにすべきかもしれません。

近代初期のメイソンリーは、主に知識人と貴族がメンバーで、キリスト教徒がカトリックとプロテスタントの違いや、階級の違いを越えて付き合える場として発展してきました。

メイソンリーは、多数のグランド・ロッジと、その傘下の多数のロッジから成ります。

グランド・ロッジ同士の関係は、相互承認によって交流するゆるやかな連合体となります。
ですが、思想の違いなどによって、相互承認がなされないことがあり、その場合は互いに交流がなく、異なるグループが形成されます。

ですから、メイソンリーは全体が中央集権的な体制で統括されているわけではありません。

メイソンリーは、大きく正統派(正規派)と非正統派に分けることができます。

・正統派 :神への信仰を前提する 、政治と宗教の論議を禁止する
・非正統派:神への信仰を前提しない、政治と宗教の議論を禁止しない

正統派(正規派)は、イギリスのグランド・ロッジの系譜を継ぐメイソンリーで、女性のメンバーを認めないという特徴もあります。
一方、非正統派には多種のグループが存在しますが、有名なのは、フランスのグラントリアン(大東社)の系統です。

正統派は宗教・政治的議論を禁止していますが、これは「ロッジ内」での禁止という意味であり、実際には、会合の前後や、会合室以外のホール内では、議論は可能です。
この禁止事項が生まれた本意は、争いを避けるためでしょう。

メイソンには、「見習い(徒弟)」、「職人」、「親方(棟梁)」という基本的な3位階が存在します。
これに加えて、付加的な、多種のシステムによる、上位位階が存在し、上位ロッジを構成します。

3位階で構成される下位ロッジは「青ロッジ」、上位位階で構成される組織は「赤ロッジ」と呼ばれます。


メイソンリーの思想


メイソンリーの基本理念は、「寛容」、「平等」、「自由」、そして、「博愛(友愛)」、「慈善(慰安)」、「真理」などです。

ちなみに、現在のイングランドのユナイテッド・グランド・ロッジのホームページには、「誠実」、「友情」、「尊敬」、「慈善」の4つが記されています。

「寛容」というのは、メイソンリーが宗教・宗派や身分を越えた交流の場ということから来るものであり、「真理」は相対的なものであるという含意があります。
これは、カトリックやプロテスタントが、自身を絶対的な真理とすることと対立するので、キリスト教教会から批判される(異端視、破門、悪魔視される)理由にもなりました。

メイソンリーの思想の本質は、理性を重視する啓蒙主義です。
この点も、キリスト教教会と対立し、批判される理由です。
旧約聖書では、人間に理性(知恵)を与えて堕落させたのは神ではなく蛇です。

正統派のメイソンリーは、神の信仰を前提としています。
同時に、これは霊魂不滅を信じることも伴います。
これらは道徳の根拠となるものでもあり、メイソンリーは道徳を重視します。

ちなみに、日本のグランド・ロッジのホームページには、フリーメイソンリーとは、「比喩で覆われ、象徴で表される、一つの独特な道徳体系」と記されています。

ですが、メイソンリーの神は、理神論の神、つまり、神を人格神としてではなく、宇宙の創造者・創造原理と捉えます。

メイソンリーの憲章では、神を「宇宙の偉大なる建築士」と表現しています。
また、メインソリーの宗教観について、「あらゆる人が同意できる宗教」と表現され、「善良にして誠実な人、あるいは名誉を重んじる正直な人となれるような宗教であれば、区別するために用いられる宗旨や宗派の名称がどのようなものであれ構わない」と書かれています。

これらは、神の啓蒙主義的な捉え方であると同時に、カトリックでもプロテスタントでも受け入れられる条件を満たすものとして考えられたものでしょう。

メイソンリーでは、神への信仰は、キリスト教には限定されません。
ですが、神は単数で表現されているので、一神教が前提されています。

とは言っても、初期のメンバーはキリスト教徒ばかりで、例えば、ユダヤ人は参加できませんでした。


このようにメイソンリーの思想は総体として啓蒙主義的なものですが、大陸系の非主流派の間では、神秘主義的傾向の高いロッジが流行したことがありました。
これについては、最後に紹介します。


メイソンリーの紋章


メイソンリーの紋章とされるのは、「コンパス」と「直角定規」、そして、アルファベットの「G」です。

「コンパス」と「直角定規」は、「3つの大いなる光」とまとめられているものの2つで、残りの一つは、「聖典」です。

「コンパス」は「自制心」などを象徴し、「直角定規」は「公正」などを象徴し、両方で3大理念(兄弟愛、慰安、真理)を表現するとも言われます。

「G」は、「神(God)」、「幾何学(Geometry)」を象徴すると言われています。

ドル紙幣にも描かれている合衆国の国璽の「ピラミッドの中の目」が、メイソンリーの紋章であるとの誤解がありますが、これはまったくの間違いです。
これは、メイソンリーと無関係に1782年に作られた図案で、それ以前にメイソンリーで使われたことはありません。

「ピラミッドの中の目」は、「万物を見通す目」+「光輝三角形」+「切頭ピラミッド」で構成されています。

「万物を見通す目」は、神の摂理などの象徴で、旧約聖書が根拠で、中世キリスト教美術に頻繁に登場します。
「光輝三角形」は、キリスト教の三位一体の象徴です。
「切頭ピラミッド」は、一般に、段階的成長を目指す努力を象徴します。

1884年に、ハーバード大学の美術史の教授チャールズ・エリオット・ノートンが、「ピラミッドの中の目」の図案について、「メイソンの陳腐な紋章にしか見えない」という感想を書いたことがきっかけになって、これがメイソンの紋章であるとの誤解が、特に陰謀論界隈で広がりました。


メイソンリーの入門儀礼


メイソンリーは、各位階(すべての位階でとは限りませんが)に昇進する際に、入門儀礼(参入儀礼)を受けます。

その中心となる内容は、道徳規範などを言葉で伝える「説示」、「訓諭」、「教理問答」と、象徴的・演劇的な行動で伝える「床上作業」と呼ばれるものです。
他に、秘密を守る「責務誓約」、握手法や合言葉を伝える「信任寄託」なども行われます。

象徴的で演劇的な儀式は、一見、神秘的なもののように見えます。
ですが、その本質は、道徳や教訓を、寓意的に伝承に込めて伝えるものです。
ですから、そこには、神秘主義思想を反映した要素はほとんどありません。
神秘的に見えるものは、趣味的、娯楽的な要素として捉えるべきものです。


近代メイソンが生まれて間もない1730年に、マーティン・クレアという人物が、「メイソンリー解剖」という書籍を出版して、現代のメイソンリーは通俗化しているが、その中には古代の知的遺産が埋もれているはずだという主張をしました。
出版当時の彼は、メイソンではありませんでしたが。

これをきっかけとして、メイソンの中からも、改めて、古代神学や、古代密儀、ルネサンス=薔薇十字思想などの神秘主義思想を研究し、それらをメイソンリーと結びつけようとする者が生まれました。
ですが、ごく一部を除き、メイソンリーの思想や儀礼が、これら神秘主義思想を取り入れたものとは思えません。

メイソンリーの儀礼には、「死と再生」の象徴が見られます。
目隠しをしたり、首に巻いた絞首刑用ロープを取ったり、暗い部屋に入ったり、「衝撃」と呼ばれる象徴的な試練を受けたり、などです。

ですが、「死と再生」のテーマは、有史以前の部族文化の成人式からずっと存在する、入門儀礼の基本的要素であって、これだけでは神秘主義であるとは言えません。

古代の秘儀宗教(密儀宗教)では、「死と再生」のテーマは、霊魂の奥にある神性の教義が核となっています。
ですが、メイソンリーにはそういった教義はありません。

例えば、メイソンだったモーツァルトの「魔笛」は、メイソン的オペラの傑作として知られています。
この曲は、主人公たちが、夜の女神を避けてザラストロのイシス=オシリス秘儀を受けます。
ですが、実は、夜の女神に象徴されているのは古い秘儀宗教であり、ザラストロのイシス=オシリス秘儀に象徴されるのがメイソンリーの参入儀礼です。
そして、後者によって「啓蒙」の光を受け入れるというテーマになっています。

*秘儀宗教については下記を参照ください。

また、ゴールデン・ドーンのような本格的な魔術結社が行う入門儀礼や位階は、カバラの生命の樹のような根本的な象徴体系に基づいて構成されています。
そして、各位階では、瞑想や魔術的実践に関わる各種の精神技術の基礎訓練やその習得が必要とされますし、入門儀礼でも魔術的実践を伴って行われます。
ですが、メイソンリーにはそういった教義も実践もありません。

*ゴールデン・ドーンについては下記を参照ください。


メイソンリーのヒラム・アビフ伝承


メイソンリーの根本となる起源伝承は、古代ユダヤのソロモン神殿の建設に関わる「ヒラム・アビフ伝承」と呼ばれるものです。
これは、近代フリーメイソンが生まれたすぐ後の1738年に、ジェイムズ・アンダーソン(下記参照)によって作られました。

ヒラム・アビフはソロモン神殿を建設した棟梁で、秘密の言葉や合図、符丁を決めた。
3人の見習いあるいは職人が、昇進するための秘密の言葉を教えてくれとヒラムに頼んだが、断られたため、ヒラムを殺害し、裏山に埋めて、その上にアカシアの枝を立てた。
だが、捜索者が偶然、アカシカの枝をつかむと簡単に抜けてしまったので、ヒラムの遺体は発見された。
ヒラムの遺体が発見された時、抱き起こそうとして指をつかむと、指の皮膚が剥け切れてしまった。
犯人の三人は処罰され、ヒラムは神殿内に埋葬された。
この埋葬時、仲間たちは、潔白を示す白い手袋と白いエプロン姿で埋葬を行った。

ヒラム・アビフという名前の人物は、旧約聖書に登場しますが、その人物像は違っていて、このような物語も語られません。

この伝承の元ネタには、次のようなノアの伝承があります。
ですが、他にも、古代エジプトのカビリ秘儀やイシス=オシリス秘儀、薔薇十字団のクリスチャン・ローゼンクロイツ伝説も考えられます。

ノアの3人の子供がノアの墓をあばいて神の秘密を知ろうとした。
彼らは、何も発見できなかった場合は、そこで最初に見たもの、聞いた言葉を神の秘密にしようと決めた。
3人がノアの指を引っ張ったろうとしてこれをつかみ切ってしまった。

後にメイソンリーでは、「親方」位階の合言葉について、

ヒラムの死体を発見した仲間は、秘密の言葉を知ろうとしたが、見つからなかったため、最初に聞いた言葉を、秘密の合言葉にした

という伝承が生まれました。

「親方」への昇進時に知らされる秘密の言葉は、国によっても違いますが、「マク・ベナク」とか「マハビン」だと言われています。
これは、失われた神の言葉の代わりの「仮の言葉」とされます。
その意味は不明ですが、「我が部屋の中」という意味だという説もあります。

その後、上位位階と結び付けられるようにして、このソロモン神殿建設物語の前日譚、後日譚、スピンオフなどが作られました。

例えば、ヨーク儀礼の最高位階のロイヤル・アーチでは、取り戻された真実なる神の言葉(神の御名)が明かされます。


ちなみに、神秘主義者のルドルフ・シュタイナーは、「ヒラム・アビフ伝承」を神秘主義的に解釈しています。

彼によれば、この伝承は第5根幹人種(現代の人間)の秘密を象徴しています。
そして、メイソンの使命は、理性的な「カインの末裔」であるにも関わらず、第5根幹人種の進化の最後の仕上げに必要な、直観的認識の秘密を保持することです。
ヒラムの「秘密の言葉」とは、直接創造する力を持った言葉なのです。

ですが、彼の見解は、彼の世界観における一つのピースとして受け取るべきものだと思います。


上位位階の儀礼


上位位階には多数の種類がありますが、最も有名なものは、ヨーク・ライトスコティッシュ・ライト(古代公認スコットランド儀礼)です。

メイソンリーにおける儀礼は、「リチュアル(ritual)」ではなく「ライト(rite)」と表現されます。


「ヨーク・ライト」は、イングランドの古代派グランド・ロッジに由来するとされるもので、18Cの半ばから末に生まれ、基本3位階に、9-11の付加位階で構成されています。

ただ、これは「ロイヤル・アーチ・メイソンリー(深奥位階)」、「地下洞メイソンリー(秘処位階)」、「テンプル騎士団(騎士位階)」の3つの上位ロッジの連合体で、「ヨーク・ライト」とまとめて呼ぶのはアメリカのみです。

ヨーク・ライトでは、ソロモン神殿の崩壊と再建、合言葉の喪失と取り戻し、バビロン捕囚経緯と前日譚、テンプル騎士団とエジプト密儀に起源を求めるテーマなどの伝承が新たに作られ、各位階に結び付けらました。

「ロイヤル・アーチ・メイソンリー」の最上位のロイヤル・アーチ位階では、上記したように、失われた真の合言葉(神の御名)が明かされます。

現在のイギリスの正統派のメイソンリーでも、4位階の「ロイヤル・アーチ」を付加的位階としています。


「スコティッシュ・ライト」は、18C中頃にフランスで生まれた「完全儀礼」の25位階(基本3位階を含む)に8位階を追加して北米で生まれ、現在、2つのアメリカの最高評議会が管理しています。
ただ、最上位の33位階は名誉位階です。

1850年に、南方評議会で、アルバート・パイクが、3日間の簡単な講義によって32位階を授与されたのですが、その内容が空虚で無価値に感じました。
そのため、彼が中心となる儀典改訂委員会が作られ、研究を行い、全面的に改訂して、その内容を豊かなものにしました。

各位階は、ヒラム伝承、エノク伝承、ソロモン伝承、テンプル騎士団、十字軍伝承、プロイセン騎士団伝承、モーゼ伝承、古代エジプト伝承などの伝承や、外典、旧約聖書、初期キリスト教にまつわるテーマ、そして、自由、友愛、均衡、忠誠などの理念や哲理と結び付けられています。

伝承の内容は、ヒラム・アビブの殺人犯の拘束と処罰、新しい棟梁の抜擢、ソロモン神殿の地下に隠されていた財宝の発見、バビロニア帰還後のソロモン神殿を再建、イエスの出現と愛の法にしたがった合言葉の再構成、十字軍時代の騎士団を経たメイソンリーへの継承などです。

パイクは、1871年に「古代公認スコットランド儀礼の寓意と教理」を出版していますが、これは古代神学を対象にした書で、エリファス・レヴィの影響も指摘されています。

ですが、古代神智学がスコティッシュ・ライトの儀礼に体現されているわけではないと書いています。
つまり、パイクは、神秘主義思想を知っていたけれど、スコティッシュ・ライトにそれは反映させていないということでしょう。

各位階の伝承を見ても分かるように、各位階は神秘主義の象徴体系の思想に基づくものではありません。

ちなみに、アメリカにおいては、合同親睦集会で、10位階ほどの入門儀礼を一挙に行うのが通例だそうです。


超多位階の儀礼


以上の広く普及した2つの上位位階の儀礼とは対照的に、エジプト趣味などを取り入れて、19C初頭に誕生して一時的にのみ流行した、90を越える超多位階儀礼があります。

イタリア発の90位階のミスライム・ライトと、フランス発でその後に生まれた97位階のメンフィス東方ライトです。

これらは、神秘主義思想を反映したものであると言われることがあります。
ですが、実際には、前者は、内容をほとんど伴わない金儲けのための儀礼だったと言われています。

後者は、前者との差別化のために、伝承や参入儀礼がしっかり作られました。
その伝承は、キリスト教に改宗したオリエントの賢人が伝えた古代の密儀の叡智が、テンプル騎士団経由でメイソンリーに継承された、というものです。

位階名には、「イシス」、「ヘルメス」、「オルフェウス」、「サモトラケ」、「ミトラス」、「マゴス」、「ヴェーダ」、「神智学」、「ヘリオピリス」といった言葉が使われていて、多数の古代密儀の影響を感じさせるものになっています。

ですが、この儀礼に神秘主義的な本質があったかどうかは疑わしいと思います。

ちなみに、この両儀礼は、その後、統合されて、33位階に再編成された、アンシェント・プリミティヴ・ライト(古代始原儀礼)になりました。


メイソンリーの起源


以下、メイソンの歴史についてまとめます。

イギリスでは、ゴシック建築が生まれた12Cから石工団体が存在し、14Cには「フリーメイソン」と呼ばれるようになりました。
この名前は、おそらく「自由な石工」という「石工」の美称です。

メイソンリーのロッジは、地方自治体が許可を与えるギルドではなく、古代国王より与えられたと自称する特権に頼っていました。

その起源については不明なのですが、ゴシック様式を発明したのはフランスの石工団体「コンパニュナージュ」なので、それが輸入されたことが直接的な起源と推測されます。

初期のロッジが持っていた発生起源譚は、アブラハムがユークリッドに教えた科学を継承している、といったとりとめのない伝承でした。

後に、旧約聖書のソロモン神殿を起源とする伝承が作られました。
また、それを継承した十字軍の騎士団(聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団)を第二の起源とする伝説や、逆に、エジプトにまで起源を遡らせる伝承が作られました。

ですが、これらを事実として捉えるべき証拠はありません。


思弁的フリーメイソンと薔薇十字啓蒙主義


16C頃には、ゴシック様式の衰退とともにメイソンリーの力も衰退しました。

ところが、17C頃には、石工ではない一般人の加入が増えていきました。
そして、一般人だけのロッジである「聖ヨハネ・ロッジ」も生まれました。

これら一般人のメイソンは「象徴的メイソン」、あるいは、「思弁(思索)的メイソン」、「受容的メイソン」などと呼ばれ、従来の石工のメイソンは「実践的メイソン」と呼ばれるようになりました。

もともと石工は、カトリックやプロテスタントといった宗派を越えたつきあいが必要なので、メイソンリーは中立的な「逃げ場」となっていたのですが、社会や科学の変化に伴い、情報収集の必要性を感じて入会する人が増えたのかもしれません。

17Cのイギリスには、ルネサンスに端を発する薔薇十字啓蒙運動(旧来のキリスト教的秩序に対抗する知的改革思想)が伝わり、メイソンリーをこの運動を守る騎士団のように考えて利用する人たちも生まれました。

*薔薇十字啓蒙運動については下記を参照ください。

ルネサンス由来の薔薇十字思想は、科学と神秘主義が融合した思想であり、古代神学に興味を持っていました。
そして、建築、特に神殿は、科学的知識と宗教的な真理を象徴的に組み込んだ、興味深い対象と考えられていました。
ですから、この叡智を継承していると考えられる石工の団体に興味が持たれたのでしょう。

17C中頃には、世界最初の大学博物館であるアシュモレアン博物館でも知られるイライアス・アシュモールを中心に、多数の知識人がメイソンリーに加入しました。
そして、これがニュートンも会長を務めた王立学会(ロイヤル・ソサイエティ)につながりました。
実際、王立学会のメンバーの多くがメイソンでもありました。

フランシス・ベーコンが1627年に発表したユートピア小説「ニュー・アトランティス」は、薔薇十字思想を表現したものでしたが、メイソンリーの伝承のネタ本のような小説になりました。

この小説は、理想社会アトランティスを描いており、赤い十字のあるターバンを巻いたマスターが集う「ソロモンの家」では、近代科学の研究と、失われた古代の神の言葉を見つける作業を行っています。
そして、テンプル騎士団が持ち帰ったソロモン神殿の宝が、ここにあります。

後に作られるメイソンリーの伝承の、ソロモン神殿、神の言葉、テンプル騎士団といった要素が揃っています。


近代フリーメイソン


1717年、ロンドンの4つのロッジの協議の結果、初のグランド・ロッジが開設されました。
これ以降のメイソンは、「近代フリーメイソン」と呼ばれます。

そして、1723年に、ジェイムズ・アンダーソンによって「フリーメイソン憲章」が作られました。
彼は、グランド・ロッジの創設には関わった人物ではありません。

この憲章には、上記したように、神の信仰と道徳律に従うべきことが記されています。
これは、無神論と自由思想を否定するということです。

また、神を「宇宙の偉大なる建築士」と表現し、メイソンの思想について「あらゆる人が同意できる宗教」とも表現されています。

そして、宗教や政治の議論の禁止とともに、「いかなる陰謀にも加担してはならない」とも記されています。

1738年の改訂版では、「ノアの裔族」という言葉が使われるようになりましたが、これは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教に分岐する前の根源宗教を含意したものでしょう。

また、1815年の改訂版では、神への信仰に関して、「至高の存在への尊崇」とより明確に表現されるようになりました。


1723年に最初の憲章が作られた翌年からは、毎年のように暴露本が発売されました。

すでにそのような時代であり、フリーメイソンの秘密性といったものは実質的にほとんどなかったのではないでしょうか。


フランス・グラントリアン


フランスでは、1720年代からパリを中心に思弁メイソンのロッジができ始めました。

フランスのメイソンには、イギリスから亡命してきたジャコバイト派(イングランドの名誉革命に対する反革命勢力)が多かったのですが、イギリスのロッジとの関係もあって、1729年には、彼らはフランスのロッジから追放されました。

ですが、追放されたジャコバイト派の動向は、上位位階制度の誕生につながりました。

1737年に、スコットランド系のアンドリュー・マイケル・ラムジーが、メイソンリーの十字軍起源を主張しました。
十字軍(聖ヨハネ騎士団)が、ソロモン王の書いた秘密の書の一部を発見し、スコットランドのメイソンリーがそれを継承しているというものです。

1740年頃からは、「完全儀礼」と呼ばれる14位階の上位位階制度が広まりました。

上位位階制度が広まったのは、新位階の授与によって儲かること、そして、他のロッジに対して優位に立てることが理由でしょう。

1772年には、従来のグランド・ロッジが2つに分裂し、終身マスター制の反対と、合議制を主張する「フランス・グラントリアン(フランス大東社)」が主流派となりました。


メイソンがフランス革命を導いたということがよく言われます。
実際に、革命期に活躍した人物には多くのメイソンがいましたし、メイソンの理念が影響を与えたこともあったでしょう。

ですが、メイソンリーが組織として動いたわけではなく、個々のメイソンが自分の立場から動いたのです。

ちなみに、グラントリアンのグランドマスターだったルイ・フィリップ2世(シャルトル公)は、革命側だったのですが、処刑台に送られています。

フランス革命のスローガンである「自由、平等、博愛」はメイソンの理念からきているということが言われますが、これが基本理念として初めて記されたのは、革命後の1848年の改訂憲章です。

*メイソンやイルミナティとフランス革命の関係については、別稿で扱います。


1877年には、グラントリアンは、「至高の存在への尊崇」という信仰義務規定を撤廃して無神論を受け入れることにしました。
そのため、イギリスをはじめとした正統派のロッジは、グラントリアンに対する承認を撤回しました。


また、グラントリアンは、政治、宗教の議論の禁止も撤廃しました。
他にも、グラントリアンには、女性やアフリカ系の入会を認めるといった特徴があります。

このグラントリアンの系列のロッジは、ベルギー・グラントリアンなど、大陸の他国へも広がりました。


大陸の神秘主義系ロッジ


フランスを中心に大陸のメイソンリーでは、18C半ば以降、一時的な現象ではありましたが、非主流派の神秘主義系のメイソンリーの分派が流行しました。

当時、これらの神秘主義は「イリュミニズム」と呼ばれることもありました。
誤解されることがありますが、これらは、ゴリゴリの啓蒙主義の結社「バヴァリア・イルミナティ」とは無関係であるどころか、敵対的関係にありました。

その一つは、マルティニズム(マルティネジズム)系の結社です。
1750年頃、マルティネス・ド・パスカリが「選ばれた祭司たち(エリュ・コーエン)の神殿」というロッジを設立しました。
このロッジは、降神術を行っていました。

彼の影響を受けて、一時これに参加していたサン・マルタンは、「知られざる哲学者」の名前で、啓蒙主義の宗教批判に反駁する書「誤謬と真理」などの著作を発表し、メイソンの間ではその著作がブームになりました。

*マルティニズムについては下記を参照ください。


また、元ベネディクト会のアントワーヌ・ジョゼフ・ペルネティは、スウェデンボルグの影響を受けて、彼とその弟子達が、各国でメイソン系のロッジ、サークルなどを作りました。

ペルネティは、1767年にロンドンでロッジ「啓明された神智学者たち(イルミネイテッド・セオソフィスツ)」を、1783年にフランスのアヴィニョンで研究サークル「アヴィニョン・イルミネ」を結成しました。
また、彼の弟子たちも、1778年にはフランスのモンペリエで「真のメイソンのアカデミー」を、1787年にベルリンで「アヴィニョン・イルミネ協会」を結成しました。

*スウェデンボルグについては下記を参照ください。


*主要参考書

・「フリーメイソン大百科」有澤玲(彩図社)
・「入門フリーメイスン全史」片桐三郎(文芸社)
・「フリーメイソン完全ガイド」S・ブレント・モリス(楽工社)
・「フリーメイソン」荒俣宏(角川ONEテーマ21)
・「フリーメイソン」リュック・ヌフォンテーヌ(創文社)
・「フリーメイソンと錬金術」吉村正和(人文書院)
・「神殿伝説と黄金伝説」ルドルフ・シュタイナー(国書刊行会)



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