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バヴァリア・イルミナティの思想と陰謀論

本稿が扱うのは、イルミナティ(バヴァリア・イルミナティ)の思想と歴史、イルミナティに関する陰謀論とその反証についてです。

イルミナティの思想の本質を簡単に述べると、フリーメイソンリー(以下、組織を指す場合は「メイソンリー」、人物を指す場合は「メイソン」と表記)同様に、理性を重視する啓蒙主義ですが、メイソンリーよりはるかにゴリゴリの啓蒙主義です。

それゆえにキリスト教や旧体制側から敵視されましたが、神秘主義でも、悪魔主義でもありません。

ただ、イルミナティがメイソンリーと異なる点は、はっきりと政治的な目的を持っていた点です。

本稿が扱うイルミナティに関する陰謀論は、主にその起源となったもの(フランス革命黒幕説)で、最近のものは扱いません。
陰謀論は、その起源となったものが反証されていても、引用、孫引きされて、より劣化した議論が行われるようになることが多いのが現状です。

「魔女」を生み出したのは魔女裁判でしたが、「イルミナティ=メイソンリー陰謀論」を生み出した最初のきっかけは、異端審問だったことも説明します。


*本稿は、国際金融資本家や欧州貴族といった世界支配層の陰謀の有無や、彼らの中に悪魔主義者がいるかどうかをテーマとするものではありません。
また、「イルミナティ」を名乗るすべての組織を扱うものではありません。

*「陰謀論」という言葉は、一般に、それが虚偽であるという意味を含んで使われますし、本稿で扱うものも、ほとんど虚偽と思われるものです。
ですが、「陰謀論」と呼ばれるものの中には、事実と合理的推論によってなされる告発もあります。
まともな陰謀告発のためにも、デマ的陰謀論をそれと知る必要があります。



イルミナティの設立


イルミナティは、1776年にドイツのバヴァリア(現バイエルン)で、アダム・ヴァイスハウプトによって設立されました。

ヴァイスハウプトは、哲学を学んだ後、リベラルな領主の方針で改革されたイゴルシュタット大学の法学部教会法の正教授となりました。

この大学はイエズス会が運営していたのですが、1773年に、教皇の名においてイエズス会に解散命令が下されたこともあって、彼はイエズス会が独占していた教会法講座の座を入手しました。

彼が作った結社の設立時の名称は「完全主義」でしたが、1778年に「バヴァリア・イルミナティ」に変更されました。

当時、フランス人のアントワーヌ・ジョゼフ・ペルネティという人物が発端になって、各国に「イルミネ」という名を冠した神秘主義系の組織がありました。
そのため、ヴァイスハウプトは、「バヴァリア」という言葉を付加したのでしょう。

ちなみに、「バヴァリア・イルミナティ」結成後も、これと無関係な「イルミナティ(イルミネ)」という名を冠する神秘主義的の組織が複数、作られています。


「イルミナティ」という言葉は、「啓明されたもの」という意味で、一般に「啓明結社」と訳されます。

英語で言えば、「エンライトメント」が「啓蒙」を意味しますが、当時、「イルミネイション」も同じ意味で使われることがありました。
ですが、「イルミネイション」は、宗教的、神秘主義的ニュアンスを持つ場合もあり、「啓明」や「照明」などと訳されます。

ヴァイスハウプトは、ゴリゴリの啓蒙主義者なので、「イルミナティ」は、理性主義的な「啓蒙」の意味であると考えて間違いがありません。

ヴァイスハウプトは、著作「秘密結社イルミナティ入会講座初級編」で、一章を使って、ピタゴラス、プラトン、新プラトン主義、グノーシス主義、カバラ、錬金術、さらには、メイソンなどの神秘主義思想の世界観をはっきりと否定しています。

また、実際に、イルミナティは神秘主義系のメイソンとも争いました。

陰謀論では、「イルミナティ」の名は「ルシファー(光をもたらす者)」から来ているという根拠が確認できない説があります。
もし仮にそうだとしても、「ルシファー」は悪魔ではなく、啓蒙主義の理性の象徴でしょう。


イルミナティの理念は、1782年に発表されたヴァイスハウプトの「新たに採用される監督啓明士に告ぐ」で明らかにされています。

ヴァイスハウプトの思想は、神を「理性」に替えるものであり、宗教、君主、国家が不要となる社会を目指すものです。

ヴァイスハウプトは、道徳による統治は、君主や市民社会によるよりも、秘密結社がサポートすることで最もよく実現できると考えました。

そして、イルミナティの目的は、結社員を社会の諸組織に進出させ、啓蒙主義を推進することでした。

ヴァイスハウプトは、古代ギリシャの政治体制を理想としており、メンバー名にはギリシャの英雄名を使いました。
そして、創設メンバー5人は、古代アテネの最高評議会であるアレイオパギテスの名を名乗っていました。

当初、イルミナティは、主に学生を勧誘対象にしていました。
一般人を対象に広げてからも、ユダヤ人や女性、修道士、他の秘密結社のメンバーなどは排除し、キリスト教徒が積極的に採用されました。


イルミナティの拡大


イルミナティの組織拡大が思うように進まなかったため、1777年、ヴァイスハウプトはメイソンリーに加入して、メイソンリーを利用することを画策しました。
そして、イルミナティをメイソンリーの上位組織にしようと考えていたようです。

1779年には、プロイセンのグランド・ロッジからメイソンリーのロッジを開くことを許可され、「善き評議会のテオドール」という名のロッジを開設し、やがて、グランド・ロッジからの独立も果たしました。

そして、1780年、ヴァイスハウプトは、最上位位階のメイソンであり、啓蒙主義の代表的人物であるアドルフ・クニッゲ男爵のイルミナティへの勧誘に成功しました。

クニッゲは、著作家、詩人、外交官でもあった有能な人物で、「厳格戒律派
」に属するメイソンでした。
厳格戒律派というのは、当時ドイツの主流派で、テンプル騎士団起源説を採用し、未知の上位者という架空の存在や、独自の7位階のシステムを持っていました。

1950年代から、大陸では、上位位階と各種起源伝承が多数生まれると同時に、神秘主義を奉じるロッジが生まれて、メイソンリーは混乱した状態になっていました。
これに対して、厳格戒律派は、反神秘主義の立場に立っていました。

クニッゲも、反神秘主義的な立場からメイソンリーを変えることを考えていようで、同じ反神秘主義のヴァイスハウプトと協力できると考えたのでしょう。

1970年代からは、フランスの厳格戒律派の指導者が中心になって、会議によってこの混乱をとりまとめる動きが始まりました。
イルミナティも、この会議に代表者を送って厳格戒律派の立場で主張し、また、クニッゲは、この会議を利用してイルミナティへの勧誘を行っていました。

クニッゲは、ブラウンシュヴァイク公をはじめ、多数のメイソンのメンバーをイルミナティに加入させました。
また、9位階からなる儀礼や位階制度の整備にも尽くしました。

1783年には、ゲーテ、ヘルダーなども参加し、イルミナティに属するロッジは7つにまで増えました。
1784年には、メンバーは650人にまで達しました。

イルミナティがメイソンに一定の影響を与えたことは事実です。
ですが、ほとんどのメンバーは、イルミナティに属してはいても、流行りの新しい儀礼に参加したという程度だったようです。


イルミナティの消滅


ヴァイスハウプトは、グランド・ロッジの連合体を提案し、ドイツのメイソンリー全体にイルミナティを拡大しようと画策したようです。

ですが、イルミナティが拡大するに従って、プロイセンの黄金薔薇十字団がイルミナティの反宗教性、政治性をメイソンリー内で批判し、その影響を押し留めようとしました。

また、ヴァイスハウプトが儀礼や位階を勝手に変えたため、クニッゲと喧嘩となり、1784年にクニッゲが脱退し、イルミナティは衰退へと向かいました。

同年、保守的な領主のカール・テオドールが、イルミナティだけではなく、メイソンリーも含め、非公認結社のすべてを禁止しました。
イルミナティの内部文書は警察に押収・出版され、その反キリスト教、反社会的な革命的思想が批判されました。


ヴァイスハウプトがイルミナティの指揮をとれなくなって以降、その後を継いだのは、出版業者でモンテーニュの翻訳者としても知られるヨハン・ヨアヒム・クリストファー・ボーデだったと推測されています。
ゲーテ、ヘルダー、ワイマール公カール・アウゲストなどを入会させていたのも彼でした。

ボーデは、パリの有力なメイソンのサヴァレット・ド・ランジュを取り込むことにも成功しました。

ランジュは、ロッジ「結合せる友(Les Amis Reunis)」と、メイソンリーの研究組織「フィラレート派」を主宰していた人物で、上記したメイソンリーの混乱を収めようとする会議を開いていました。

1787年に企画した2回目の会議では、会議に先立って、メイソンリーの起源に関する報告書の提出を義務付けました。

ボーデは、これに報告書を提出して、1750年からイエズス会がメイソンに潜入し、カトリック化の工作を行っている、神秘主義の流行は彼らによって仕掛けられた罠である、と主張しました。
つまり、イルミナティはイエズス会陰謀論を主張したのです。

この会議の後、ボーデはランジュを取り込むことに成功し、フィラレート派をイルミナティに一体化することに成功しました。


ですが、同年には、バヴァリアで、イルミナティの会員を募集した者は処刑するとの布告がなされ、少なくとも表面上は消滅に向かいました。

バヴァリアから脱出したヴァイスハウプトは、リベラルなザクセン=ゴータ=アルテンベルク家のエルンスト2世の保護を受けて、この地で執筆活動を行いました。


イルミナティ陰謀論の起源


以下、イルミナティ陰謀論について紹介しますが、先に、下記の投稿の「陰謀論のキリスト教的背景」のパラグラフをお読みいただくと、理解の助けになると思います。

簡単に書けば、キリスト教の聖職者やローマ法王が、メイソンやイルミナティの陰謀論の拡大に大きな役割を果たしてきました。
そのため、陰謀論は、キリスト教の排他的な世界観の影響を受けていることが多く、バカげたことに、
啓蒙主義=神秘主義=悪魔主義=共産主義=ユダヤ人
というように、「反キリスト」をキーワードに、すべてが等式で結ばれてしまいがちです。

イルミナティ=メイソンリー陰謀論は、フランス革命の黒幕探しから始まりました。

しばらくして、ユダヤ人がその尖兵とされ、次に、ユダヤ人は黒幕に昇格し、さらにその後には、イルミナティは古代から現代まで存在する血脈になり、さらには、爬虫類宇宙人が真の黒幕とされるようになりました。


イルミナティ陰謀論の最初のきっかけは、山師として有名になったメイソンのカリオストロことジュゼッペ・バルサーモでした。

彼は、イタリアで異端審問にかけられた時に、自分がメイソンリーとイルミナティの最高幹部であり、イルミナティはテンプル騎士団の末裔である、そして、ヨーロッパと北米に2万の支部があり、莫大な工作金を献納している、などと証言したとされます。

ですが、これは悪名高き異端審問所による捏造を強要された可能性が高いものです。
異端審問は一方的なもので、弁護側には発言権はなく、拷問も使われ、公正な裁判とはかけ離れたものだったことが知られています。

カリオストロは、マルタ騎士団、テンプル騎士団、聖地十字軍という3つの騎士団の称号を持っていたとされるイタリア人です。
彼は、フランスでペルネティの「アヴィニョン・イルミネ」の集会に熱心に参加していたことからも分かるように、神秘主義的な志向を持っていた人物のようです。
そして、イシス=オシリス秘儀をもとにした「エジプト儀礼」を行う「エジプト・メイソンリー」という分派を作って、降霊術(降神術)なども行っていました。

その一方で、彼は、クニッゲを介して厳格戒律派、バヴァリア・イルミナィとも友好関係を持っていました。
この当たりの事情はよく分かりませんが、厳格戒律派がテンプル騎士団起源説をとっていたのが、つながりだったのかもしれません。

いずれにせよ、彼は、君主制擁護派とその反対派、神秘主義派とその反対派の両方と接触していたことになります。


カリオストロは、1785年の、マリー・アントワネットの評判を下げることになった首飾り詐欺事件で、主犯として告発され、フランス国外退去命令を受けました。
彼は無罪とされたのですが、この事件によって、彼の信頼は決定的に失墜しました。

そして、1788年に発表された「剥ぎ取られた仮面」という匿名の冊子では、カリオストロは反君主制の陰謀家として告発されました。

イタリアに戻ったカリオストロは、カトリック的メイソンリーとしてエジプト儀礼をローマ法王に認めてもらおうと、ツテを使って要望書を提出しました。
ですが、当然ながら黙殺されました。
信念がなければ、このようなバカげた危険なことはできないのではないでしょうか。

そして、1789年には、異端の疑いで逮捕され、1791年まで審問が行われました。
カリオストロは、11ヶ月に及ぶ過酷な審問と拷問に屈し、死ぬまで幽閉されることになりました。

異端審問所は、無理矢理にも、イルミナティとのつながりを立証して政治問題化しようとしたと推測されます。

1791年には、カリオストロの異端審問での、カリオストロ=イルミナティ=メイソンリー=陰謀組織という主張が、匿名のパンフレット「ジュゼッペ・バルサーモの生涯」としてパリや諸国で発売されました。

また、同年に出版された、ジャック・フランツ・ルフラン神父による「物見高い人たちのために剥がされたヴェール」は、イルミナティ=メイソンリー=テンプル騎士団が、フランス革命の黒幕論であり、そのことは幹部だけが知っている、と主張しました。

そして、オーストラリアの大学教授レオポルト・アーロイス・ホフマンが、イルミナティのボーデがフランス革命前半期に活躍したミラボーを幹部に引き込んだ、という明確な証拠のない説によって、陰謀論に肉付けをしました。

当時のイルミナティ=メイソンリー陰謀論は、キリスト教の狂信的権力と魔女狩り的空気が生み出したもののようです。


イルミナティ陰謀論の拡大


その後、イルミナティ陰謀論を有名にしたのは、元メイソンのジョン・ロビンソンと、イエズス会のアベ・バリュエルの著作です。
前者はメイソンリー陰謀論をかわす必要から、後者はイエズス会陰謀論をかわす必要から、執筆しました。


ロビンソンは、エジンバラ大学の自然哲学教授となったスコットランド人で、エジンバラ哲学教会の会員であり、エジンバラ王立協会の初代書記長であり、メイソンでもあった人物でした。

彼は、1798年に「フリーメイソン、イルミナティ、ならびに主要結社の秘密会合において実行されたヨーロッパの全宗教、全政府に対する陰謀の証拠」を出版しました。

彼は、イルミナティの政府没収公開資料を見て、メイソンリー内にイルミナティの政治的陰謀があることを発見し、修道士のアレクサンダー・ホーンからも情報を得ながら、正統派のメイソンを擁護するためにこの告発を行いました。

彼はこの著で、イルミナティが古代ギリシャの無神論的共同体の復活を目的としていると批判しています。
この認識は間違いではないでしょう。

そして、イルミナティが、テンプル騎士団を継承する、フランスの非正統派メイソンリーのグラントリアンに影響を与えたと主張しました。


一方、バリュエルは、当時、イエズス会も陰謀組織という疑惑を受けていたため、その嫌疑をイルミナティに向けるために告発を行いました。
その際に、ロビンソンの著作も参考にしました。

彼は、秘密保持の義務を負わずに不本意ながらマスター・メイソンに入門したとも主張していますが、彼はパリのメイソンリーに関する記述で、基本的な間違いを多く犯しています。

彼は、ヴォルテール、ルソーら啓蒙主義を批判しながら、フランス革命は、テンプル騎士団の残党、メイソンリー、イルミナティ、薔薇十字団の陰謀によって導かれたのであり、ジャコバン派がその実行部隊だと主張しました。

彼は、メイソンリーのパリのロッジ「ヌフ・スール(九姉妹、ナイン・シスターズ)」が、反君主制のロッジであると主張しました。
ですが、実際は、マリー・アントワネットの支持者もここに属していましたし、貴族のロッジだと攻撃されることもありました。
一般に、「ヌフ・スール」は、文化振興に寄与したロッジとして知られていて、ヴォルテールもここに参加していました。

また、彼は何人もの人物を「ヌフ・スール」のメンバーだったと主張していますが、それらはメイソンリーのリストに掲載されていない人物であったり、それを否定する証言があったりするため、これは非常に疑わしいものです。


ロビソンもバリュエルも、イルミナティとフランスのメイソンリーの決定的なつながりを、ボーデが1788-1789年にパリのロッジの「コンラット・ソシアル」を訪れたことを根拠にしました。

ですが、ロビソンもバリュエルも、ロッジの名前など、事実関係を間違えていました。

ロビンソンは、複数の人物がこのロッジに属していると主張しましたが、その証拠はなく、否定的な証言しかありません。
また、このロッジは、ルイ16世を立憲君主として支持するよう他のロッジに呼びかける書簡を出しており、彼らの説と矛盾します。

確かに、上記したように、ボーデは1787年にパリに行って、「結合せる友」のランジュをイルミナティに引き込むことに成功しました。

ですが、ボーデやランジュらの主眼は、メイソンリー内の反神秘主義運動であり、彼らがジャコバン派とつながっていて、フランス革命の黒幕になったというのは、証拠がなく、疑わしいものです。

ランジュの「結合せる友」のメンバーの多くは、旧体制下の高い地位にありましたし、ランジュは国王ルイ 16 世に対する裁判の際に死刑反対の側に立っていました。

また、ロビソンもバリュエルも、リヨンとストラスブールにあったマルティニストの「イルミネ」を、バヴァリア・イルミナティと混同して結びつけていました。
マルティニズムというのは、当時、大きな影響力を持った神秘主義系の思想潮流であり、そのロッジはバヴァリア・イルミナティとは敵対的な関係にありました。

*マルティニズムについては、下記を参照ください。


イルミナティが君主制を否定する政治的な革命を目標としていたことは事実でしょう。

ですが、フランス革命のバックボーンには啓蒙主義の大きな潮流があり、イルミナティもメイソンリーもその中にあった一つの組織です。
そのメンバーにはもともと啓蒙主義の思想傾向があったはずです。

上記のことから、イルミナティをフランス革命の黒幕の主体とする議論には無理があるのではないでしょうか。


イルミナティ陰謀論の復活


イルミナティ陰謀論がフランス革命の黒幕というだけなら、現在に至るまでイルミナティ陰謀論が広まり続けることはなかったでしょう。

ですが、1921年、イギリスのネスタ・ヘレン・ウェブスターが、「世界革命とイルミナティ」を出版して、イルミナティ陰謀論を復活させました。

彼女は、イルミナティは古代から存在し、ロシア革命を経て、現在まで活動していると主張しました。

そして、イルミナティ=大陸メイソンリー=国際金融資本家=ユダヤ人=イエズス会=共産主義=神秘主義という、総合的な陰謀論を展開しました。

上記したように、バヴァリア・イルミナティは明確に反神秘主義だったのですが、彼女の中では、イルミナティ=イルミニズム(神秘主義)となりました。

彼女は、バヴァリア・イルミナティとはまったく別の「イルミナティ」を創造したわけです。

この後も、イルミナティ陰謀論は、UFOや宇宙人と結び付けられて、劣化を重ねていきます。


*イルミナティに関する陰謀論の中には、某国際金融資本家がヴァイスハウプトを支援して結社を作らせたとか、国際金融資本家がイルミナティを通してメイソンリーを乗っ取ったとか、イルミナティが陰謀を教義としているユダヤ教某派と提携した、といった説があります。
ですが、私が、信頼できるソースを確認できない、具体的な告発を見つけていない、告発の原著で読んでおらずその信頼性が分からない、それに対する反証が見つからない、などの理由で、取り上げません。


*主要参考書

・「イルミナティの知られざる真実」有澤玲(徳間書店)
・「フリーメイソン」荒俣宏(角川ONEテーマ21)
・「世界の陰謀論を読み解く」辻隆太郎(講談社現代新書)
・「秘密結社イルミナティ入会講座初級編」(KKベストセラーズ)
・「フリーメイソン封印の世界史(原題は「Cagliostro」)」フィリップ・ブリュネ(徳間書店)
・WEB記事「フランス革命とバイエルン・イルミナティ
・英語版WIKIPEDIAの項目:Illuminati
・WEB記事「J.J.Chr. ボーデのパリ旅行 一フランス革命前夜のーエピソードー」(斎藤太郎)

*タイトル画像は、イルミナティのシンボル、ミネルヴァのふくろう



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