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フリーメイソンリー陰謀論とキリスト教、銀行家

本稿が扱うのは、フリーメイソンリー(組織を表す場合には以下「メイソンリー」、人物を表す場合には以下「メイソン」と表記)に関する陰謀論とその反証についてです。

まず、陰謀論を理解する前提として、そのキリスト教的背景について書きます。

次に、メイソンリー陰謀論の全般についてではなく、まず、主にメイソンリーがルシファーを信仰しているとする陰謀論の起源となった2つの捏造を扱います。

陰謀論は、その起源となったものが反証されていても、引用、孫引きされて、劣化した議論が行われることが多いのが実情です。

最後に、メイソンリーが、フランス革命やアメリカ建国の黒幕である、あるいは、メイソンリーが大銀行家の影響下にあるとする説があるので、革命とメイソンリーと銀行家の関係についても扱います。


*イルミナティが関わる、イルミナティ=メイソンリー陰謀論については、下記を参照ください。

*本稿は、国際金融資本家や欧州貴族といった世界支配層の陰謀の有無や、彼らの中に悪魔主義者がいるかどうかをテーマとするものではありません。

*「陰謀論」という言葉は、一般に、それが虚偽であるという意味を含んで使われますし、本稿で扱うものも、ほとんど虚偽と思われるものです。
ですが、「陰謀論」と呼ばれるものの中には、事実と合理的推論によってなされる陰謀の告発もあります。
まともな陰謀告発のためにも、デマ的陰謀論をそれと知る必要があります。

*フリーメイソンの思想と歴史については、下記を参照してください。



陰謀論のキリスト教的背景


本題に入る前に、陰謀論の前提となるキリスト教的背景、キリスト教と啓蒙主義や神秘主義、悪魔主義、終末論、ユダヤ人との関係について書きます。

実際、下記にも述べるように、キリスト教の聖職者やローマ法王が、メイソンリーやイルミナティの陰謀論の拡大に大きな役割を果たしてきました。

そのため、陰謀論には、その論者がキリスト教徒でなくても、知らず知らずのうちにその排他的な世界観の影響を受けていることが多いと思えます。

先に簡単に述べれば、妄想的な陰謀論では、バカげたことにも、
啓蒙主義=神秘主義=悪魔主義=共産主義=ユダヤ人
というように、「反キリスト」をキーワードに、すべてが等式で結ばれてしまいがちです。

*陰謀告発のすべてが間違っているということではなく、このような宗教的なバイアスがかかりがちだということです。


まず、一般的に、キリスト教は、異教の神を悪魔と見なす傾向が強くあります。
どのような宗教にもそのような傾向がありますが、キリスト教は特にこの排他性が強い宗教です。

例えば、魔女宗(ウィッカ)は、神話時代からのヨーロッパ土着の伝統宗教でしたが、キリスト教は、魔女宗が信仰する豊穣の有角神などを悪魔だと、そして、魔女宗を悪魔主義と見做しました。

また、旧約聖書では、バビロニア人やカナン人がユダヤ人の敵であったため、キリスト教や陰謀論では、彼らの神を悪魔とすることが多くあります。

例えば、カナン人の主神バアルは、旧約聖書では人身供犠を求める偶像神などとして批判の対象であり、キリスト教では悪魔とされました。

また、陰謀論には、バビロニア王ニムロドの宗教をサタンの宗教であるとして、メイソンリーを含めて、その末裔を陰謀の主体とする説があります。


堕天使として有名なルシファーも、もともとはカナン(周辺)の「明けの明星」の神(ヘレル、もしくは、シャヘル)だったとする説があります。

「ルシファー」という言葉は、ラテン語旧約のイザヤ書に出てきますが、バビロニア王を「明けの明星」として形容表現したものです。

ラテン語の「ルシファー」は、「光をもたらす者」という意味の言葉で、明けの明星、あるいはその神を表現する訳語として使われました。

明けの明星は太陽が昇ると取って代わられるので、その神は「堕天」という属性を持つこともありました。
そのため、キリスト教では、ルシファー=堕天使=悪魔サタンとされました。

陰謀論の中には、メイソンリーやイルミナティがルシファーを信仰する悪魔崇拝組織であると主張するものありますが、下記や別稿で述べるようにデマです。

*メイソンの中にルシファーを信仰する者がいない、と言っているのではありません。


ルシファーは、神に逆らったものの、「自由意志」の象徴として評価される場合もありました。

特に、「理性」を重視する啓蒙主義の時代になると、ルシファーは理性を与える「啓蒙」の象徴として評価されることも多くなりました。

「啓蒙」という言葉は、その英語が「enlightenment」であるように、「理性」の「光をともす」という意味があって、「ルシファー」の語の意味と重なります。

ですが、旧約聖書では、人間に知恵(理性)を与えて堕落させたのは蛇であり、キリスト教にとっては悪魔的存在です。

18世紀の啓蒙主義は、何よりも理性を重視するため、信仰を重視する教会と対立する傾向が生まれました。

メイソンリーやイルミナティは、理性を重視する啓蒙主義の影響が濃い思想を持っていたため、教会から敵視され、悪魔視されることになりました。

また、初期キリスト教の異端であるグノーシス主義の中には、人間に知恵を与えた蛇を善の側の存在として評価する派がありました。
そのため、陰謀論には、グノーシス主義全体を悪魔主義と見なすものがあります。

ブラヴァツキー夫人の近代神智学も、ルシファーを人間に受肉した意識原理と見なして評価するので、これも悪魔主義と見做すものがあります。


キリスト教は、異教や異端だけではなく、キリスト教内の敵対勢力が互いを悪魔と見なして陰謀論を展開することもあります。
カトリック(バチカン)陰謀論、イエズス会陰謀論、プロテスタント陰謀論などです。
カトリック陰謀論は、カナン陰謀論という形を取ることもあります。

*これらの教会、組織に腐敗がない、告発すべきものがない、と言っているのではありません。


また、キリスト教は、神秘主義を嫌う傾向の強い宗教です。
教会は、キリスト教徒であっても、神秘主義的傾向を持つ者の多くの派、個人を、異端として、場合によっては悪魔主義と見なしてきました。

神秘主義思想は、「信仰」を重視する教会や、「理性」を重視する啓蒙主義と異なり、「直観」を重視します。
旧約の物語で言えば、「知恵の樹」の実ではなく、「生命の樹」の実を食べることを目指します。
ですから、一般にこの三者は、相容れない思想なのです。

道徳に関してもこの三者の主張は異なります。
キリスト教にとっては、道徳は教義に基づいて教会が定める禁欲的なものですが、啓蒙主義者にとっては、主体的に理性で判断すべきもの、神秘主義者にとっては、社会制度や慣習ではなく内的直観に基づいて自然な自由を尊重するものです。 

キリスト教徒や陰謀論者の多くは、神秘主義と悪魔主義や黒魔術、心霊主義の違いもつかずに、これらを一緒にして批判する傾向があります。
特に神秘主義と悪魔主義にはほとんど接点がありません。


また、キリスト教の終末論によれば、終末には反キリストの邪悪な勢力がはびこることになります。

特に、アメリカで大きな勢力を持つ福音主義ファンダメンタリストたちにとっては、世界が堕落することが、救いの前提となります。
彼らにとっては、現代的な世俗生活も、堕落したものです。

悪魔主義の邪悪な団体がはびこることは、聖書が預言していることであり、聖書が正しいことの証明とされます。

そのため、陰謀論が望まれる傾向があります。

*ちなみに、福音派はキリスト教シオニズム(親イスラエル派)の基盤でもあり、国際金融資本家が彼らを支援したことも知られています。
陰謀論をめぐる状況は単純ではありません。


また、キリスト教徒にとって、ユダヤ人は、イエスを殺した呪われた民族です。

そして、マルコ福音書でイエスがエルサレムで神殿から為替商を追い出したことから、キリスト教は金融業に否定的で、金利も認めませんでした。
そのため、ヨーロッパのユダヤ人には金融業に携わる者が多く出て、後に国際金融資本家に成長して大きな力を得る者も生まれました。

そのため、ユダヤ人全体やユダヤ教全体を対象とした陰謀論が生まれてきました。
タルムードやカバラの思想を曲解して根拠とすることも、しばしば行われます。
あきらかな捏造や無理解であっても、それらは引用され、孫引きされて拡散されていきます。

ユダヤ陰謀論は、メイソンリー、イルミナティの陰謀論と一体化する傾向があります。
ユダヤ陰謀論がカナン陰謀論という形を取ることもあります。

また、ユダヤ教には、陰謀を教義とするような特殊な一派(具体名は伏せさせてください)があります。
この派は、自ら悪を行うことが救済につながる、他の宗教に改宗してその中に潜み、内部崩壊させるといった教義を持ちます。
そのため、正統派ユダヤ教の聖職者(具体名は伏せさせてください)からも陰謀告発の対象となりまし、様々な意味でユダヤ陰謀論に影響を与えた可能性があります。


フリーメイソンリー陰謀論の起源


最古の反メイソン文献として知られているのは、近代メイソンが誕生する以前の1698年に、ロンドンで、ウィンターと名乗る人物によってまかれたビラ、「すべての敬虔なる人たちへ」です。
その主張は、メイソンリーは悪魔的な反キリストであるというものです。

また、ローマ・カトリックは、1738年に、法王のクレメンス12世が、メイソンリー破門宣告を出し、その秘密性が悪事の証拠だと述べました。
カトリックにとっては、メイソンリーが各宗教・宗派を平等に扱うことは、当然、許せません。

ちなみに、法王たちによる反メイソン宣告は、その後も続きました。
1884年のレオ13世は、メイソンリーを「サタンの王国」と表現しました。
最近でも、1983年に、バチカンがメイソンの破門が撤回されていないこと表明しました。


また、1791年には、著者不明のパンフレット「ジュゼッペ・バルサーモの生涯」や、ジャック・フランツ・ルフラン神父による「物見高い人たちのために剥がされたヴェール」によって、イルミナティ=メイソンリーがフランス革命の黒幕であるという主張がなされました。

これ以降、イルミナティ=メイソンリー陰謀論は、現在に至るまで、多数の主張がなされていますが、これらについては下記を参照ください


タクシルによるフリーメイソン=ルシファー信仰デマ


以下では、メイソンリーがルシファーを信仰しているとする説の起源となった有名な陰謀論と、その反証を紹介します。

このメイソンリー=ルシファー信仰説は、明らかなデマですが、今でもよく引用されています。
この2つは、タクシルによる捏造と、世界大戦計画を述べたパイク=マッツィーニ書簡捏造です。


フランスの自由思想家のレオ・タクシルは、メイソンリーに加入したものの、その横暴で不誠実な性格から昇進を認められませんでした。
そのため、仕返しに、以下の捏造を行ったと推測されます。

彼の主張は、メイソンリーには、「新修正パラディオン儀礼」というルシファーを崇拝する内部サークルが存在し、別稿で紹介したアルバート・パイクがその全権大司祭であるというものです。
実際には、「新修正パラディオン」という儀礼も、「全権大司祭」という役職も存在しません。

タクシルは、1887年には、メイソンを批判していた教帝レオ13世と謁見する機会を得て、彼にこのデマを信じさせることにも成功しました。

また彼は、盟友アベル・クラウン・ド・ラ・リーヴにこれを信じ込ませ、リーヴは1894年に「普遍的フリーメイソンリーに囚われている女性と子供たち」という著作で、これらを告発し、パイクによるルシファー信仰のニセの声明文が掲載されました。

タクシルは、庶民の興味を引くような物語を巧みに作りました。
「新修正パラディオン儀礼」は、ハレンチな男女混合の内部サークルなのです。
そして、ダイアナ・ヴォーンという女性が、特殊工作員としてルシファー信仰の教育をされたのですが、今はカトリックに改宗し、暗殺から逃れるために潜伏しながら、告発を行っていると。

タクシルは、彼女を連れてきて証拠を示せという圧力に耐えられなくなり、1897年に、自分の主張が嘘であると公表し、それを受けてリーヴも自分の書を撤回しました。
ダイアナ・ヴォーンというのは、タクシルの秘書の名前を使った架空の人物でした。

タクシルは、まさか自分の冗談が信じられるとは思っていなかったと弁明したようです。
確かに、彼は、パイクが毎週金曜日の午後3時にルシファーと打ち合わせていたとも主張していましたが…

ですが、タクシルの主張は、彼の書を翻訳したイギリスの著述家イーディス・スター・ミラーによって、広まりました。
タクシルは、メイソンリーがルシファー信仰を持っていると主張しただけですが、ミラーは、1933年に「オカルト諸神混淆崇拝」を発表して、メイソンリーのルシファー信仰を、イルミナティ陰謀論、ユダヤ陰謀論、神秘主義陰謀論と結びつけて展開しました。

タクシルの書籍の表紙


パイク=マッツィーニ書簡の捏造


パイク=マッツィーニ書簡は、イルミナティの棟梁とされるイタリア人ジョゼッペ・マッツィーニとパイクとの往復書簡とされるものです。
誰が最初にこれを公表したのかは、分かりません。

マッツィーニは実在の人物で、彼はメイソンでしたが、イルミナティの棟梁というのは嘘でしょう。
1870年にマッツィーニが送ったとされる書簡には、スーパー儀礼を作り出して、全メイソンリーの支配を行う計画が書かれています。

1871年にパイクが送ったとされる書簡には、3度の世界大戦のはてに、世界にルシファーを受け入れさせる計画が書かれています。

これらの書簡は、大英博物館に展示されていたとされているのですが、実際には、大英博物館のリストに掲載がありません。

また、この書簡には、当時まだ存在しない「ファシスト」、「ナチス」などの言葉が使われているので、これが捏造であることには議論の余地がありません。


ちなみに、パイクは白人至上主義の組織KKKにも所属し、その儀礼を創作したというデマも流されています。
ですが、パイクは、アメリア先住民の弁護で名を馳せた弁護士であり、また、南部にいながら奴隷制を批判する立場から論陣も張った人物ですので、この批判はありえない話です。


イングランド革命とメイソンと大銀行家


メイソンによってフランス革命やアメリカ建国が行われた、あるいは、メイソンは国際金融資本家(大銀行家)によって操られている、ということが良く言われます。

以下、イギリス、フランス革命、アメリカ独立と、メイソンリー、大銀行家の関係について分かる範囲でまとめてみます。

ただし、イルミナティ=メイソンリー陰謀論のフランス革命黒幕説については下記も参照ください。


まず、最初に、17Cのイングランド革命から始めます。

清教徒革命から名誉革命に至るイングランド革命の時期は、メイソンリーでは近代メイソンが生まれる前の聖ヨハネ・ロッジの時代です。

清教徒革命を率いたクロムウェルのバックには、ヨーロッパ、特にオランダの大銀行家たちがいた可能性が指摘されています。

大銀行家たちは、資金を提供して、クロムウェルに味方する数万人の傭兵を派遣し、市民に紛れこませました。

名誉革命は、ジェイムズ2世のカトリック専制政治に不満を持つ貴族、政治家と、オランダ王家のオランダ総督だったウィレム(ウィリアム)3世が謀議して起こしたクーデターであり、新興ブルジョワジーも支持していました。
ウィレム3世の後ろにも、オランダの大銀行家たちがいた可能性が指摘されています。

ウィレム3世がイングランド王位に就いた後、イングランドの民間資本の中央銀行となるイングランド銀行が設立され、オランダの金融システムを導入したロンドンの金融街シティが建設されました。

結果として、大銀行家がイングランドの通貨発行権と信用創造権を獲得しました。
そして、国王は、国民の増税反対を受けることなく、戦費を調達することができるようになりました。

ウィレム3世と、イングランド銀行を提案したウィリアム・パターソンは、メイソンだったと言われています。
これが事実なら、メイソンが銀行家の影響下にあったのかと疑いたくなります。

ですが、反革命側のジャコバイト派にも多くのメイソンがいて、フランスに亡命したことが分かっています。

ですから、メイソンリーが組織として革命側だったとも、大銀行家側だったとも言えないでしょう。


フランス革命とメイソンと大銀行家


革命前のフランスは、金融市場が発達しておらず、フランスは財政難と不合理な税制で、国民と貴族に不満が溜まっていました。
また、新しく台頭した資本家たちは、貴族や聖職者の権力独占に不満が溜まっていました。

ルイ16世は、スイスの銀行家ネッケルを財務長官に登用し、彼はスイスの銀行家から資金を調達しました。
ですが、金遣いの荒い貴族が借金を踏み倒しかねなかったため、ネッケルは貴族の出費を公開し、市民の怒りを引き起こしました。

また、真偽は確かではありませんが、ヨーロッパの金融界に大きな影響力を持ったアイルランドのシェルバーン伯爵が、革命側のジャコバン派に資金を提供したという説もあります。
彼はメイソンだったとされます。

革命後、銀行による高利貸しが認められるようになりました。
また、スイスの銀行家が、ついでユダヤの銀行家が、政府に資金を提供して大儲けをしました。
そして、フランス銀行の設立を通して、大銀行家が通貨発行権と信用創造権を獲得しました。

革命側で活躍した人物には多くのメイソンがいましたし、メイソンリーの理念が影響を与えたこともあったでしょう。
ですが、メイソンリーには、貴族も聖職者もいましたので、反革命派も中立派もいました。

メイソンリーが組織として何らかの司令を出したわけではなく、個々のメイソンが自分の立場から動いたのです。

実際に、革命期にグランド・ロッジのグラントリアンが発した一連の声明文を見ると、その都度の政権に迎合しようとした一貫性のないものでした。

それに、フランス革命によってメイソンリーの多くの上位メンバーが処刑され、メイソンリーは大打撃を受けました。
フランス・メイソンリーのトップ(グラントリアンのグランド・マスター)だったルイ・フィリップ2世(シャルトル公)も、革命側でしたが、断頭台に送られました。

フランス革命においても、メイソンリーが革命側であったとも、大銀行家の影響下にあったとも言えないでしょう。


アメリカ建国と大銀行家とメイソン


独立前のアメリカでは、各州が独自に通貨を発行して、経済が発展していました。
ですが、イギリスがこれを禁止して、一挙にアメリカの経済は衰退しました。

アメリカ独立戦争は、イングランド銀行から独立して通貨発行権を取り戻すことが大きな目的だったのです。
ですから、合衆国憲法の第一条には、議会が通貨発行権を有することが明記されることになりました。

ですが、独立戦争のためには、戦費の調達が必要でしたので、メイソンであるベンジャミン・フランクリンがメイソンの人脈を利用して、フランスで戦費を集めました。
ですが、ヨーロッパの大銀行家たちは、両軍に戦費を融通して金儲けをしました。

ところが、独立戦争後のアメリカでは、経済の立て直しが必要だったため、イギリスの銀行家と親しかった財務長官のアレクサンダー・ハミルトンが、民間資本の中央銀行(第一アメリカ合衆国銀行)が必要であると提案しました。
フランクリンは反連邦主義者なので、中央銀行には反対していました。
当初、やはりメイソンであるジョージ・ワシントン初代大統領も、これに反対していましたが、期間限定とはいえ、ハミルトンの説得を受け入れてしまいました。

ですが、その後も、アメリカ大統領と大銀行家の間の中央銀行の通貨発行権をめぐる戦いは続きました。

例えば、第7代大統領で、やはりメイソンだったアンドリュー・ジャクソンは、中央銀行(第二アメリカ合衆国銀行)に大反対して廃止したことで有名です。
彼は、「もし国民が貨幣と銀行の仕組みの不公平さを知ったら、夜明けを待たずに革命が起きるだろう」という言葉を残しています。
そして、銀行と関係のあった2000人の政府職員を解雇しました。

このように、当時のアメリカのメイソンリーは、銀行家の影響下にあったわけではなく、むしろそれと戦ったメイソンの方が目立っているのではないでしょうか。

フランクリンやワシントンなど、アメリカの建国に寄与した多くの人物がメイソンでした。
例えば、独立宣言に署名した56人のうちのほとんどがメイソンであると言われることがあります。
ですが、はっきりと確認されているのは9人です。

また、別稿で述べたように、ドル紙幣にも描かれている合衆国の国璽の「ピラミッドの中の目」は、メイソンリーの紋章ではなく、これが作られる以前にメイソンリーで使われたことはありません。
国璽上部の「すべてを見通す目」は神の摂理の象徴で、中世キリスト教美術ではよく見られるものです。

イングランドやフランスの革命の時と同じで、メイソンには独立派もいれば、イギリス派も、中立派もいて、それぞれが個人として動きました。

そもそもアメリカのメイソンリーは、イギリスのグランド・ロッジから独立する動きをしてきておらず、独立宣言以降の政治的状況に押されてはじめて、各植民地でグランド・マスターが選ばれるようになりました。
それに、アメリカ全体を統括するジェネラル・グランド・ロッジの創設には至りませんでした。


*陰謀論の中には、国際金融資本家がある時点でメイソンリーを乗っ取ったと主張するものがあります。
彼らが、各界に大きな影響力を持っていることが事実だとすれば、メイソンリー内に影響力を持っていても不思議ではありません。
ですが、総体としてのメイソンリーは中央集権的な組織ではなく、そういった司令によって動くことはないはずです。


*主要参考書

・「フリーメイソン大百科」有澤玲(彩図社)
・「入門フリーメイスン全史」片桐三郎(文芸社)
・「フリーメイソン完全ガイド」S・ブレント・モリス(楽工社)
・「フリーメイソン」荒俣宏(角川ONEテーマ21)
・「フリーメイソン」リュック・ヌフォンテーヌ(創文社)
・「世界の陰謀論を読み解く」辻隆太郎(講談社現代新書)
・「日本人だけが知らない戦争論」苫米地英人(フォレスト出版)
・「通貨戦争」宋鴻兵(ランダムハウスジャパン)
・「ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とシナリオ」宋鴻兵(ランダムハウスジャパン)
・「お金の秘密」安西正鷹(成甲書房)



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