「当たり前」を「当たり前」じゃないと、気づく日。
2021年12月。
いつにも増して、「いのち」を考える時間が多かった。
例えば、20数名が亡くなられた、大阪のクリニックでの放火事件。
例えば、太平洋戦争開戦から80年の節目の年。
*
例えば、とあるオンラインイベント。
産婦人科勤務の看護師さんの話を聞く機会があった。
無事に、健康に生まれてくるいのちもあれば、
お腹の中で終わってしまういのちも。
いのちの奇跡をたくさん、目の前で見てきた。
そんな彼女が不登校のお子様を抱え悩んでいた時期、その小さな小さな命たちが教えてくれたこと。
それは、
「元気に生まれて、元気に育つことは、当たり前じゃない。」
みんなと同じように毎日学校にいけなくたって、そこに生きててさえしてくれていれば、それでいい。
みんなと同じように学校に行くのが「当たり前」、でなくてもいい。
*
神様は
「いのち」が生まれるときや、失くなるとき、
「いのち」が脅かされるときや、儚いとき。
そんな劇的な方法でしか、
「当たり前」が「当たり前」じゃないことをわたしたちに教えてくれない。
多くの人にとって、そんな劇的な場面が頻繁に起こるはずもない。
(頻繁に起こったら、もはや劇的でも何でもない)
安全であるとか、平和であるとかも、
日本にいれば「当たり前」。
だからこそ、
「当たり前」に気づき、
「当たり前」じゃないことを意識させる日が年に数回ある。
きっとクリスマスも、そのひとつ。
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