咒械砦・合同サバト祭

<逆噴射小説大賞2020に応募したものの続きです>


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 ぎちぎちに詰まった団地の裂け目から、コウモリでできた黒い風が立ち昇る。急に世界がまぶしい。僕は窓から黄色いコンテナを引っ張り上げ、ヤク乳を一ビン飲み干した。同じヒモに洗濯の済んだランチョンマットや靴下を引っかけて、サカキのステッキを振る。ヒモは向かいの雨どいに噛み付きに行った。他の部屋でも一斉に、おんなじ朝を迎えている。

 ホットサンドを焼いてくれたサラマンダーを使い魔ケージに入れ、半袖と正装のキルトを履き、自在ホウキにまたがった。おっといけない。新聞も配達されてたはず。今日は号外、毎年必ず。なにせ学園都市咒械砦が総出で行う、『大サバト』の日なのだから!

 二階上あたりで、アトが両手を離して虫笛の練習をしている。案の定、ホウキがフラつく。僕は浮かび上がった。
「アト!幌ジュウタンにぶつかるよ」
「……おはよう、クアヒム」
「おはよ。笛吹いてたね」
「吹いてない。覚えたもん」
 僕は委員長だからクラスをよく見ているのだけど、アトがこういう嘘を言うのはわからない。

「今日だけ、宿題よりサバトに集中して。出し切って、僕らで団体優勝だ」
「私だって本気なら、かわいくて、かっこもよくて、はやくてつよく、できるもん」
「そんな最強の人いないって」
 僕らはアナツバメ校の発着場に着地して、ホウキをロッカーにしまった。


 先生が青空に板書をし、僕らは合同祭パンフに書き写した。それはこの町を鳥の目で見下ろした真四角の地図。羽ペンで陣地を塗り潰し、横にはタイムテーブルと班番号を添えた。
「念押しです。このサバトの意義は、日頃の学習・結社活動の成果を参観者様に見てもらう。第二に、咒械砦団地に八卦三乗=五百十二ある雑居ビルを点検して、町が封じる悪い蛇のファラクさんが出てこれないようにする行事です。遊ぶこと、他校と得点を競うことも大切ですが、足場が成っていてこそ。特にあの陰険なチョウチン塾の生徒たちにつられ、はめを外しすぎては……」

 メガホンががなり、市内放送が授業バルコニーに響いた。みんなして濃紺のケープレットを羽織る。
「おっと。それでは力を合わせて、頑張りましょう!」


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「もう見て結構です。ではクアヒム先輩。どいつが本物でしょうか?」
 水路沿いのジメジメとした暗がりに、三冊の魔導書が浮いている。僕たちを取り囲んで立つのは、秘密めかしたクローク姿の生徒たち。うち二人は幻術に使った画板と色鉛筆を手にしている。チョウチン塾の本陣で、僕たちはリーダー班同士、知恵比べを挑まれていた。
 あたりの窓からはひそひそ話がもれる。罠にかけたつもりでいるんだ。

「メイーン。風を使おう」
「はい。"そよ風あれば"!」
 メイーンが呼び寄せた風で、一冊だけがすんなりめくれた。チョウチン塾の一番弟子は苦虫を噛み潰したような顔をして、隣のチームメイトをどやした。
 アトが答えようとする。

「待って」
 僕はサラマンダーに頼んで口火を吐かせた。一番弟子はビックリした。
「いやいやいや、反則ですよ!本物が燃えた、ら……」
 三冊とも燃えたりしない。だと思った。ページの動きが見事すぎたもの。

「だね。反則。本物がないのも」
 僕らはそこ、水面下図書室上にペナントを結んだ。一勝目だ。


 路地裏を出ると、ゴンドラ屋台がアーチ橋をくぐっていく。へさきには常夜トーが吊り下がっていた。その不思議な光は、外からは夜のように暗く見せる。塾生が一人きりでかき混ぜている大きな寸胴鍋も、まるで得体のしれない儀式の真っ最中みたくした。でも、においからするとたぶん――
「そこゆくお坊ちゃん。かた焼きソバでも。エビがたっぷり、ワンコインですぜ」
「『お坊ちゃん』て言うのやめろ、リアコ。お腹も減ってない」
「お坊ちゃんだと思うがねえ?」

「お前こそリーダーだろ。今年で最後だし白黒つけてやりたかったのに、どうして焼きソバ屋なんか。おいしいけどさ」
「弁論試合で負けちまったのさあ。我がチョウチン塾は実力主義だから。
 ま、そのいじらしい後輩もあんたらに惨敗だし。早晩リコールされちゃうか知らねえ……おお、となると吾輩は労せず王座奪還かな。こいつはかたじけねえ」
 リアコは喜劇がかった会釈をして、揚がった麺をすくい取った。

「笑ってていいの。力を合わせなきゃ、勝てないぞ。道理だろ」
「どっこい、そう一筋縄でもない。吾輩にしたって、いつだかは先輩同輩けとばして収まったポストだしねえ。ああクアヒム、ちょいとそれ見させてくれよ」
「え?ズルっこなしだよ」
 僕は持っていたペナントを1枚リアコに貸した。裏側までじろじろ確かめている。

「……ケケ、やっぱな。返すぜ。なあクアヒムや。
 人間、勝ちばっかしにこだわってると、肝心なもんは取りこぼすのかもなあ」
「ふうん。バイバイ!急いでるんだ。君も本気になれよ」
「ああれ、気持ちいいことほざきゃがるぜ」
 リアコはまたゴンドラを漕ぎ出した。


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 次に向かったのはハキリアリ館だ。ここの校舎はしょっちゅう増改築をするし、広くて閉じ切っているから、とりあえず入ってみるしか本陣にはたどり着けない。

「私ここ苦手。ピカピカに掃除してあるのに、ときどき消毒とか生ゴミのにおいがするの」
 アトの言葉はみんなを代弁していた。白い廊下も今日は来客でごった返していて、おかげでいつもよりは怖くなかったけれど。
 通り過ぎる教室をのぞいてみるとガイド係の生徒たちが、ホルマリン漬けになった珍獣や、育てた新種のキノコについて説明している。誰もいない温室では百葉バコが、並んだ切り株の温かさや湿り気を言いつけ通りにしていた。


 女王の間には、あっさり着いた。
「チャイです。お召し上がりになって」
 落ち葉のカーペットから顔を出した人数分のキノコに、僕らは腰かけた。女王キシェラルダは、お世話係の生徒を止めて自分でお茶を注いでくれた。漢方のひきだしがずらっと並んでいる。

「封印の点検がなさりたいのでしたら、突き当たりを下って三部屋目ですわ。生徒も置いていませんので決闘も起きません」
「えっ。いいの」
「ええ、ご自由に。でもきっと叶いませんわ。
 今年度はわたくし手製のホムンキノコで守りを固めておりますの。生徒は他団体への攻めに回しました。結社活動を一時禁止し、各自で作品とチームを組ませて」

 僕のチームのシクセンが言った。
「ず、ずるくないか。しかも一人で戦えって強制してんのかよ!」
「あなたがたには同情いたしますが、人造物の使役は人数外とルールが認めてましてよ。当館内で反対意見が上がったような話も聞きません。あくまでも錬菌学が持つポテンシャルと、生徒との相利共生がみちびいた結論ですわ」
 ハキリアリ館の学年リーダー、通称女王は、在学中ずっと首席模範生であり続けねばならず、他の生徒もそのサポートや決められた係活動に専念する。キシェラルダはつんとすました顔でお茶会を打ち切った。


 裸電球がパチパチしてる。封印室へ続く廊下には、宣言通り、天井近い背丈でのっぺらぼうのホムンキノコが何体も何体も立ちはだかっていた。エリンギ。キクラゲ。ブナシメジ。これは手強い。何より、僕たちはキノコが大嫌いだった!
「どうしようね」
「どうしよう」
 かれこれ10分近くそうしていた。

「……もう!委員長のくせに食わず嫌いって」
 急にアトが飛び出した。僕もそう思うけど、それとこれとは別だ。あぶない!
「……あれ?」
 ぶにゅ、とアトははね返った。ホムンキノコたちはもじもじしてしまって、手を出してこない。入口の方から、テングザル泊のリーダー班がやってきた。

「おう、アナツバメの。先を越されたようじゃのう。見物させい」
 だけど魔法を使ったりしたはずはなかった。テングザル泊は少数民族の人たちで、元々の体を使いこなしてガチンコ勝負をしてくる。リーダーのキャプテン・ニンプクはその代表で、正直素手でも通れそうだった。

「クアヒム、ひょっとして大チャンスですよ」
 びんぞこメガネを光らせて、メイーンが僕に耳打ちした。
「どうして?」
「おや、有名じゃ?キシェラルダさん、ニンプクさんに憧れてるんですよ。魔法で作ったものには人柄が出ちゃうんです」

 アトがメイーンをぶった。
「バカ。ダメだよそんな勝手なうわさ!」
「あっつ~、だって本当なのに……もにょもにょ」
 アトはへなへなのかまいたちを連発して、弱ったホムンキノコをなぎ倒して行く。ニンプクは素直に感心していて気が引けたけど、勝ちは勝ちだ。もらっちゃおっと。


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 チャイムが昼休みを知らせた。僕らはアナツバメ校の本陣、駅前デッキへ戻った。ガード下の鉄骨に四人並んで止まって、この団地で一番の見晴らしの中でお昼にした。

 黒い列車が、ちょうど縄ばしごを輪っかにしたようなのにタイヤを手繰り寄せられて、頭上を行き交う。あれは無限キドウ。機関士さんが思うまんまにレールが繰り出されて引っ張るから、どんな方向にも進めるんだ。
 改札からは参観者の人たちがひっきりなしだ。それは僕みたいな寮暮らしの子供に会いに来たお父さんお母さん、OBやお祭りの観光客。中には、卒業する僕らをスカウトしにやって来た一流の魔術師の人も混じっているかも。

 交代した班はへとへとだ。ホムンキノコたちとテングザル泊のスポーツ特待チームがかわりばんこに攻めてきたんだって。
「後半戦は僕たちの番だ。この調子で、守り切ろう」
 メイーンは後ろ、ドラムセット席に。シクセンは左でサックスを。僕は右でトランペットを。アトは前でベルリラを立てて、ばちを握った。僕らが本陣でするのは、集客対決だ!


 まず挑んで来たのはヤマアラシ堂の開発結社だった。僕はルールを伝えた。
「そっちは、駅の北西口でパフォーマンスしてね。僕たちの北東口とはすぐに合流するから、イーブンのはずだよ」
「わかった。お互い悔いのないよう頑張ろう。天使のみ針が差すままに……」
 ヤマアラシ堂の人たちは、大げさでやさしい。彼らの繊細な所に踏み込まなけりゃ。鉄でできた女の子が、首には『FREE HUG』とさげ、六つの足をガショガショ言わせて付いてった。

 合図があって、僕たちは演奏を始めた。アトが時々走りぎみになったけど、自分でわかってるから平気だった。授業ではクラス全員で合わせてるんだから、慣れっこだ。お客さんも10人以上は集められた。
 途中、北西口の側から悲鳴が上がった。すごく気が散った。

 結社長はすがすがしい顔をしていた。
「いやあ完敗だよ。ふ。なぜだろうな。異教徒をいじめる道具をハリ治療のカプセルに生まれ変わらせた、発明だと思ったのに……。俗世の方々にはこの子のしかけがよほどショッキングだったか……」
 後半さわやかじゃなくなっていったけど、僕らは聞こえないふりをした。とにかく、ぐっと握手。


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 次来たチョウチン塾生は、演奏中にドブネズミを三匹も走らせてきた。幻術で描いたんだからパフォーマンスの内だ。僕たちはステップを踏んで逃げ回った。パフォーマンスの内だ!おかげでむしろウケがよかったけど、ドッと疲れた。嫌がらせにかけてはあいつらが優勝で間違いない。


 テングザル泊のバドミントンチームは、選手一人に応援チアが三人だ。シクセンがちょっとにらんだ。でも、一対一でやるスポーツをどうするつもりなんだろう。
 うちの下級生にあんず飴をおごって、向こうのギャラリーにいてもらった。駅から出てきた参観者の人を捕まえて、野良試合にしてしまうらしい。そうか、お客さんを巻き込めば。しかも誰ともラリーをこぼさなかったとか。やるな。
 お客さんを数えたら、僕らが14。相手は15!下級生の子には、集計までいて、とお願いしたから、責めちゃいけない。でも悔しかった。

 そこへテングザル泊の顧問の先生が通りがかって、ガットのとこで選手をこづいた。
「こら。冷やしといたレモンの砂糖漬け、お前だろ。何個食った」
「押忍……。三個っす」
「嘘こけぇ、二パックは行ったろが。ツラ赤ぇぞ」
 チアの一人が一緒に謝った。
「ごめんなさい、あたし勧めました」
「ふんっとにたるんどる……。ま、ハレの日だし初犯だ、大目に見てやろ。しばらくベンチで糖分抜いてこい。
 すまん、アナツバメ校の皆さん。不祥事があったんで、さっきのは無効試合にしてくれ」

「僕らはありがたいです……。けど、砂糖がダメって、ずいぶん厳しいんですね」
「ああ、そこは俺たち、体質でよ。酔って身のほど以上の力が出せちまうから、いざって時の為に砂糖断ちしてんだな。これらも根っからのワルじゃないんで、頼むよ、な」

 バドチームと顧問は歩いていった。
 ふう、ラッキーなのかな。チアは声を張るからこっちも張り合うしかないし、評判通り強敵だぞ。
「あいつらちやほやされてるけど、おやつも買えないんだな……」
 シクセンは複雑そうにそんなことをもらした。


 その調子で何十組かとやり合った。アトやメイーンがたまに道具を取り落とすと、僕のソロパートということにして、目立つようにぶかぶかとトランペットを吹いた。息切れしてきたら、一人がバトンに持ち替えて、風を操って音を大きくしたりもした。そうこうする内にようやく三時を回って、陣取り合戦は終わった。
 僕たちは大時計の裏側へもぐり込んで、魔法陣の点検をした。水、火、金、木、土。文字かすれ、ラクガキなし。大きな二重丸は切れ切れだったから、はけで繋いだ。そして僕たちの校章入りの、ペナントを結んだ。できることは全部やったぞ。


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「いよいよ。咒械砦団地、全体に結ばれた点検済ペナントを数えていき、結果発表へと移ります。各学園の代表班は、スケルトンホテル屋上の放送席前へお越し下さい」
 アナウンス通りの場所では、張りめぐらされたヒモが、各学園のペナントを、洗濯物っぽくはためかせている。


「5位。ヤマアラシ堂、50棟」
 拍手。
「4位。チョウチン塾、77棟」
 拍手と歓声。
「3位。ハキリアリ館、93棟」
 拍手と歓声とドラムロール、動悸。
「2位と1位の発表です。アナツバメ校、175棟。テングザル泊、117棟。よって優勝は、アナツバメ校の皆さんです!」

「……やったあー!!!」
 僕たちは万歳をしてとびはねた。

「解説のバハニタ結社長、どう思われますか?」
「ええやはり、主力であるリーダー班が他学園の本陣を真っ先に狙い、しかも勝利…………本陣を取ると30棟分で、その後の点検はまだ頼りない下級生班を頼るのも……もちろん団結が掴んだ…………」

「優勝したアナツバメ校を代表し、リーダーのクアヒム君に、雄山羊の剥製と秘術が贈られます」
 表彰式のBGMが流れ始め、僕は朝礼台へ進み出た。運営グループの偉い人が粘土板を読み終わったら、僕は雄山羊の首をもらって、チームで記念撮影をする段取りだ。僕は言葉を待った。言葉を待った。いつになったら読み上げ始めるんだろう。思い切って目線を上げたら、大人は折り重なって倒れていた。

 偉いおじさんのマイクスタンドを、バグパイプを抱えた大人が奪っている。平気で立っているのはその人だけだ。そいつは追い打ちをするようにバグパイプを吹いた。各学園の先生たちが耳を押さえて震え、少しも動かなくなった。僕らには何も聞こえなかったけど、町中に響いたんだろう。なんだか物騒だぞ。


 そいつはフード下にマイクを差し込んで言った。
「あー、うん。君たち。私と組織はファラクが欲しい。今鳴らした楽器は、慣れると脳波に干渉できるんだ。聴かせてあげたいのは山々だが、君たち生徒はうじゃうじゃと多すぎてね。避難してくれて構わないから、邪魔をしないとだけ約束してくれたまえ。
 それからアナツバメ校の君。よく頑張ったね。大助かりだよ」

 僕はドキッとした。クロークを脱いだそいつは、声は若かったのにひげもじゃのお爺さんだ。あれは……チョウチン塾の塾長じゃないのか!?発表を見に詰めかけていた生徒たちがざわめく。
 みんなに見られた顔の上に、雄山羊の剥製をすっぽりとかぶる。あれは優勝校が一年間保管しておく祭具だ。粘土板を早口で読み、文化ボウチョウで胸に刻印した。それらは新しい術の基礎を授ける儀式で、今年度優勝校の年長に、つまり僕たちに用意されたものだった!

「魔力が満ち満ちてくる。ふうむ。"たゆたう蓮華よ"」

 腰ほどの高さに、青く光るハスの花が咲いた。塾長はその上であぐらのポーズを取る。台座となった花が、そいつを空へと運び上げていく。僕はホウキを取っていた。

「卑怯だぞ。待て!」
「思い上がるなと言ったろう!」
 雄山羊頭が怒鳴りつけて、続けざまに楽器のバッグを左脇で圧し潰した。大勢でいっせいに吹いてる感じの調べが、空気をかげろうのようにゆらめかせた。僕はとんでもない耳鳴りがして、飛ぶ方法がわからなくなった。みんなが言うには、8の字に飛んで白テントへ猛ダッシュしたらしい。

 ハキリアリ館の保健係が、倒れた大人たちを介抱していくけど、どんな薬を持ち出してもすぐには正気が戻らなさそうだった。僕たちはなんとなく、チョウチン塾生を問い詰めるムードになっていた。
 どずん。どずん。あちこちで、嫌な音が繰り返す。


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「おおん?なんじゃい」
 テングザル泊の道場で、キャプテン・ニンプクは首を捻った。目に入る汗を拭いても、やっぱり、壁から半透明がかった何かのしっぽが突き出していたから。
「おいサルども、稽古やめい。これ殴ってみんかい」
「押忍!」

 生徒の一人が正拳を突き込んだ。
「押忍?押……!」
 ちょっとして、道場入り口までふっ飛んだ。しっぽの方は微動だにしていない。型を通して流し込んだはずの胆力が、そっくりはね返ってきたのだ。

「ウキャキャ。なんじゃやるのお。二位表彰サボるが吉か。どれ、いっちょうワシとも立ち合っとくれい」
 ニンプクはマネージャー全員からハイビスカスの花束を奪い、次々に蜜を吸った。みるみる赤ら顔になり、上半身のジャージをはだけて、腰の丹田周りに巻き直した。どっしりとした胴体に沿って、うぶ毛がオレンジ色にざわめいていく。千鳥足で進み出る。

「うぃ~っく。暴れっ、から、離れとるんじゃぞ」
「押忍……」「押忍」「ガチ押忍」
 何発か雑な蹴りを入れた所で、いきなりしっぽは竹のようにしなり、溜めた反動をまとめて返してきた。ニンプクは壁にめり込んで、場外に放り出された。


 とげとげしい蛇のしっぽが、階下の水面から生えている。ニンプクはバショウの葉であおいで滞空し、それか壁面を蹴ってのらりくらりとかわしつつ、火花を散らして渡り合った。蛇のしっぽは捕まえようと荒ぶる。
「キャプテン、カッコイー!」「押忍!」「キャプテン押忍!」
 生徒たちは壁の穴からやんややんやと騒ぐ。

「キャッキャ。こりゃあかんわい。とっときくれや。サンキュ」
 ヒョウタンをキャッチし、あおる。中身は温めた黒蜜だ。
「かーっ、キクのお。んでこのお客さんじゃが、ヤマアラシのの耳にも入れちょれよ。ワシと互角じゃけえ」
 ニンプクの体捌きはものすごく濁ったものになり、それでいて決定打を食らわなかった。染みついた演武をただなぞっていくだけみたいに。そしてしっぽ伝いに天高く上がったかと思うと、鋭い飛びげりの杵となって流れ落ちた。伸び切っていたしっぽがぺしゃんこになり、衝撃波がびりびりと団地を鳴らす。水柱が立った。

 うろこははげ落ち、しおれたようになった。ニンプクは四階にぶら下がり、手をひさしにした。
「む、うっく。ワレ、肩すかしかいのう?」
 そこに影がかかる。

「イヤー!キャプテン、上!」
 見上げると、鎌首もたげた大蛇と目が合った。ニンプクはひと呑みにされた。


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 あぐら座りのまま、雄山羊は団地をゆく。天地を指差した手の、左右を入れ替える。するとビルも上下逆位置に引っくり返り、地脈の底から呼び覚まされた大蛇ファラクが、背骨一個分ずつ伸びていく。水中へ引き止めようとする太いしめ縄が、ぷつりとちぎれ飛ぶ。じわじわと、その長い体に重さや影がプラスされてきた。


 出動要請を受けたヤマアラシ堂の生徒たちが、列を組んで広がる。各自、ブリキのバケツかぶとや、ポリマー製のビート板を重ね張りした大盾を持参して。戦えない生徒や、気絶した大人をさりげなくかばっていく。あいつら従騎士団は、保安が受け持ちだ。でも不審者があんまり大きくて禍々しかったものだから、気圧されてもいた。

 何十棟にも這い渡り、チロチロと舌を出して無邪気に見下ろすファラク。従騎士長ワメロはそちらを、レイピアで指し示した。震える十字だった。
「なんで、なんで、なんで俺の代なんだ?意味不すぎる。着信切って寝てたらよかった。……ふぅーっ、……よし。
 こわがるな、お前たちもだ。げにおそろしきは天使ひとり。さきだつものは針ひとつ。訓練と一緒!かくにぃんよおおい!」
「「「兜よし!盾よし!武器よし!」」」
「……聞こえたか!蛇よ。ヤマアラシが相手だ!」
 ヤマアラシ堂は正々堂々かかって行った。僕はなんだか悔しくなった。僕たちアナツバメ校が一位になったはずなのに。

 ファラクは固いうろこで、モーニングスターの一撃や、連弩の休みない援護射撃をはじいてしまう。谷底のような口で、どんな強い人も丸呑みにしてしまう。だって、大人たちが敵わなかったから封印されたんだ。頑張ってどうにかなる話じゃない。


 やりかけの表彰式場では、どうにかするため、各学園が入り混じって学級会になった。こんな時こそ一致団結しよう、みんなはその呼びかけに応えてくれた。
「チョウチン塾のやつら、いつかしでかすと思ってたなあ」
「あそこの先生たち、みんな外のシソー団体から送り込まれてるんだって」
「勉強のフリして、センノーされてんだ」

「師を悪く言うな。犯人はアナツバメ校だぞ」
 チョウチン塾の現・一番弟子が食ってかかって、大ブーイングになった。かわいそうになってきたけど、彼らが悪いことをしたんだし、いくら聞いてもだんまりだから、とことん言ってやった方がいい。先生もよく、チョウチン塾の人たちを信用するなって言ってたし。


 ハキリアリ館のキシェラルダが口をはさむ。眉間を盛り上がらせて。
「皆さま、重症者が治療中ですのをお忘れなきよう。大声で仲違いするだけならいっそ口を慎んで下さいな。で、続きはお聞かせ願えて?当然自信がおありでしょう」

「……避難したリアコ先輩に聞いたけど、口止めされてたんだ。アナツバメ校の点検済ペナントには、一匹ずつシミが入っていると!どう考えても、号令一つで魔法陣をおしゃかにする為だろ。ファラクを復活させたくて、そんな仕込みが必要だった!そして我がチョウチン塾はこうもシャレにならんフザけ方はしないぞ!」

「そんな……」
 たまらずシクセンが、余ったペナントの縫い糸をほどいた。ぼとりと平たい虫が落ちて、わさわさと逃げていった。長い触角で、かじれる文字がないか探してる。みんながそっちをじいっと見た。二つ。三つ。四つ。何枚ひらいても虫が出てきた。僕たちのサバト準備を手伝おうと、先生が徹夜で用意してくれたんだ。

 シクセンはおっかなびっくり口に出した。
「なあ、あのやばい人が引っくり返していってるのって。今日、俺らの学園が点検してきたビルじゃ……」
 僕は怒る。
「なんだよ!シクセンまで。全然デタラメだし、デタラメに決まってるじゃん。だって、先生がそんな…………わかんないけど、団結を疑ったらいいことないよ。たぶんこれは、リアコが僕らをだましてて」

 メイーンが冷静にツッコんだ。
「いや。ときどき身内を信じすぎですよ。委員長は」


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 ヤマアラシ堂調査結社のペンデュラムが、ピンと伸び切った。寝かされていた僕たちの担任の先生から、術が検出されたのだ。秘蔵の破魔のクリームが先生に塗られたら、うんうん唸るチョウチン塾長のおじいさんの姿へと戻った。どうやらあの笛で操られて、自分自身に幻術をコーティングさせられてたらしい。じゃあ、顔を隠して悪さをし続けているあの人の正体は……!
 みんな今度はこっちへ詰め寄って来る。
「口では団結って、本性じゃこんなことを企んでたのかよ。ゲンメツしちゃった」
「フェアプレーのかけらもないやつらだな!」
「優勝もなにかの計算ミスね。それかズルっこだわさ」

「えっと。うんっと。団結しようよ、今は」

「また言ってら、こいつ!」
「誰が聞くもんか!」
「へらへらすんな!ええかっこしいの仕切りたがり!」

 ダメだ。ちっとも聞き入れてくれない。言われる側になったら、絶対こんなことにやっきになってる場合じゃないって思った。でも、いけないのは先生で、僕も同じで。僕は……じゃあ僕が張り切ってやっていたことって、なんだったんだろう。


「やめてよう!」
 アトが泣きじゃくりながら叫んだ。顔がくちゃくちゃで、マジ泣きだ。みんな口をパクパクさせて見守るしかなくなった。
「先生が悪いの、ぜんぶ、ぜんぶ!私たちなんにも聞かされてないもん。
 私は先生のこと、ちょっぴり嫌いだったよ!だから、だいじょぶだけど。クアヒムは先生が大好きだから、団結を一番にがんばってきたから、困ってるんだよ。やめてあげて」

 ただのおしくらまんじゅうになっちゃった話し合いから、チームのみんなが、僕を一人にしてくれた。後ろから、クラスのケープレットをぐいと引っ張られたり、汚い言葉がたくさん飛んできた。


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 黒装束たちが避難している、サロンのテラスに降りる。この騒ぎの中で、歴史書の山を読み漁っていた。
「リアコ。相談があるんだけど」
「相談ね。お坊っちゃん、偉大な吾輩からの忠告が思い出せるかい」
 リアコは本を見っぱなしで言ってた。たぶんもう知ってる。
「……『勝ちばかり狙ってると、大切なものを落っことす』」
「違う違ぁう。『おねしょマン、百億年ウジウジしてな』っつったんだよ!あ、おバカさんには難しかったかなあ!?
 手伝ってぇ~ん、てお願いしてみ。できまちゅかあ?もっとも、ご無理はしなさんな。チョウチン塾がこうむってきた濡れ衣なんて雨あられ。比べてあんたら徳が高いから、当面しょんぼりしとくだけで、どいつもなあなあに許すだろうさ。日陰のピラニアどもにうっかり言質の一つでも取られたら事だぜ、な?」

 ウザすぎて、どっちが悪かったか忘れそう。僕はぺこりと頭を下げて言った。
「だね。ごめんなさいが先だった。教わった正しさを僕は信じてきたけど、今日は自分の失敗をひとになすり付けちゃってたみたい。悪かったよ。
 できたら、僕たちの学園を助けてほしい。ファラクが封印された時のやり方を知ってる?勉強家の君なら」

「……不名誉ながらこの吾輩の頭脳にもない。だから調べた。
 要は三つ。手始めに、昼でも夜でもなく、内でも外でもない……、つまり夕方の今のうちに、ちゃっちゃと市境上におびき寄せる。そうして加護を引っぺがしてやればいい。奴さん自分ルールで威張りちらしてるだけのビビりだ。お次が、弱らせた体のツボを、内側から突いて眠らせる」
「他の学園にもお願いしてこなきゃだね」
「そこまではチョロそうだろ?だが、ああ、仕上げの三つ目……。これが一等難儀でさあ」
「なんだって。……どんななの?」
「上空から、特大の魔法陣を描き直すんだと!まったく困った。この町に満足に空が飛べる連中なんていたっけねえ?」
 けたけたけた……と、リアコは魔法使い然とした笑いを笑った。

「ちぇ。なんでもないじゃん。君ってば、ヘソ曲がりばっか!」
「争ってる暇かよ?学習しねえなあ」

 クアヒムが別の避難場所へ飛び立つのを、フードに隠れた目が追いかける。
「飛べたら飛んでんだよ。二つ返事なのはあんたらだけさ」
 誰にも聞こえないように。


 トランシーバーで指示を飛ばすワメロの元へ、長くレースになった白衣のすそをお世話係に持たせながら、キシェラルダが近付いてく。
「ヤマアラシ堂さま。苦しいかと存じますが、状況を。ホムンキノコと調合に秀でた生徒を連れて参りました。加勢できますわ」
「……俺は情けない」
「とは?」
 ワメロは立てたアンテナを前にひざまずき、重苦しく祈った。
「俺は弱い。ファラクが怖い。天使は我々を見守っていて下さる、けれど無敵になどしてくれない。俺が救助へ出した団員が食われ、毒に倒れていくのを見せつけられてなお、俺は一歩下がって指揮を取っていないとならない。最善だ。ニンプクが食われたなら、俺ではとても歯が立たん」
「あの、お待ちになって。ニンプクさまが?」
「ああ。……むっ、もしもし?ほう。ほうほう。アナツバメ校のやつから伝言だ」
 ワメロはファラクの封印のやり方について共有した。

「では、ファラクめの中へはわたくしが。何としてもニンプクさまをお助けに参りませんと」
 お世話係と、働き係と、とにかく全員があわただしく女王を止めた。彼女のテキパキとした命令がなけりゃ、ハキリアリ館はバラバラになっちゃう。従騎士長ワメロもうなずいた。
「待て。君では危険だ。まだわからないか、あいつの恐ろしさが」
「ふふん。策ならございますわ。ここに吐かせ薬が出来上がってましてよ」
「やつは怖い。君が行くぐらいなら、俺が行こう」
 ワメロは薬とトランシーバーをすり換え、ファラクの気を引きに走った。

「ご、ご覧になって!?なんですの、あのかた!きぃいいいーっ!」
 キシェラルダはじだんだを踏んでハンカチを噛んだ。


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 リアコにもらったアドバイスのおかげで、ファラクの封印は進んだ。町の南はじ、ヤシの木が植わった、テングザル泊の空中サッカー場。全面フェンス張りのそこを罠にして、僕らは頭を抜けなくさせた。バレー用のポールを何本もはめて開かせた口に、ワメロが飛び込んでしばらくすると、ファラクはくたりと眠りに落ちた。
 みんなは無言のガッツポーズ。あとは魔法陣を書き直すだけだ。隣の校舎への渡り廊下で、僕たちアナツバメ校もそうっと楽器を置いて、ホウキを握ろうとした、その時だった。

「これは。まさか君たちごときにファラクの再封印が務まるつもりとはな」
 誰もが声の主を見上げた。雄山羊頭はさっそくバグパイプを吹き鳴らしている。音はなくても、運指でわかる。曲目は、前に僕も習った……『いちばの蛇使い』!
 ファラクの寝ぼけまなこがカッと開いた!のそおりと体を波打たせたあと、のたうち回ってフェンスやつっかえ棒をへしゃげさせた。自由になった牙で、シャーシャーと威嚇する。恐怖に固まった生徒を、また手当たり次第に飲み込み始めた。バタ足が口の中へ消えていく!
 雄山羊の顔は悪魔みたいにひきつった。
「はははは……悪あがきなどするからだ!おしおきをしてやれファラク!二度と逆らわせるんじゃない!」
 先生は連弩の矢とクリケット球をひらりひらりとかわし、大きく息継ぎをする!


「そこまでだぞ!先生!」


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 僕たちアナツバメ校ウィンドバンドは姿を現し、校歌『アナツバメの騎行』を勇ましく演奏した。先生が来るのは予想がついてた。別の歌でかき消すんだ!ファラクは目覚ましの音楽を失って、ぐらつき始めた。しめた!


 先生は演奏をやめた。楽器のない右肩側にかけていた黒い杖を水平に構えて、僕たち教え子をおそうじするみたいに撃った。合奏はぱたっとやんで、まだ指揮バトンを上げている僕ひとりが置きざりになった。僕たちはてっきりそれを、何かのオモチャかと思っていた。
「先生がしゃべっている時は静かにすること。この杖は『ジドウ歩槍』と呼ばれる、魔術の及ばない地平が生んだ力の形です。たいへん勉強になりましたね。
 ……クアヒム君。私に気付いたのですね?なぜです」


「先生がこそこそファラクを召喚してたのは、すっかりおみとおしで」
「質問の意味を捉えなさい。なぜ先生のしたいことがわかって、協力してくれないのですか?私が不注意で外したと思っているのなら――」
 たたたんとスネアドラムみたいな音が、もう一回。杖の先っちょが火を吹き、金色の文字がびゅうとほおをかすめた。もろに当たった子は、そこから体中にお経の染みが広がって、透けて、居なくなっていく。先生は保護色のベストをさぐり、杖の下の巻き物をすげ替えた。

「――無責任なフィクションに毒されすぎと言えます。現実のチャンスをよく見なさい。私は君に期待をかけている。君も私の作戦をいちずにやり遂げた。合格だ。組織は君を歓迎し、ファラクは完全復活させたのち、この上ない味方となる。
 君たちの結束力なら、先生の故郷へ来ても第一線の戦士になれます。あそこにはこの杖を前に心のゆとりを持てる子供もいなければ、足場もないのに風を乗りこなせる大人もいない。邪魔をしてくるお調子者はいるでしょうが、結局は私たちを押し上げるスケープゴートだ……どこかの低俗な学園よろしく。
 招待してあげます。一番になった君たちが、ここ以上に輝ける空へ」

 耳を傾けて聞いてるうちに、町の何もかもが静まり返っていく思いがした。
 先生の語り口だけが、低い太陽に照らされて、じりじりじりじりと燃えている。
 僕はそれに親近感を感じた。誰だ。僕にそっくりだった。
「僕が先頭になるんだ」
「そうです」
「……代わってよ、先生」
「……あきれました」


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「"つむじ風は来たれ"!」
「向こう見ずはいただけませんね!」
 金字が届くよりひとあし早く、みんなの楽譜が、僕と雄山羊を結んだ直線をぶった切った。裏からでも、びたびたと張り付いたお経が譜面をきんきらきんに汚していくのがわかる。あの黒い杖が目を引くけど、やっぱりこれは、文字をよそへ書き移す魔法。だったら紙でも防げるぞ!
 楽譜が落ち切る頃には、僕はホウキに乗っていちもくさん。山羊の先生もファラクが大切で、僕のことは無視した。消されたバンドメンバーがくやしいけど、逃げた子や、救助を手伝ってるチームメイトは、まだ頑張ってる。委員長の僕が折れた時が、みんなの負けだ。


 ヤマアラシ堂、聖防災倉庫に、一人ぼっちの生徒。吐かせ薬を自分の為に使ったワメロは、大蛇の封印をあきらめ、とぼとぼと母校の門をくぐってきた。毒は傷口を水はけよくして、寒気が、それにガチガチと歯が鳴っている。
「げにおそろしきは天使ひとり。さきだつものは針ひとつ。いずれも、我らと、ともにあり……」
 イバラをさげた優しげな天使像の前で、とうとうワメロは、おそれでいっぱいになりながら立ちすくんだ。


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 ホウキと競技用のゴーグルを持って発着場へ来た僕に、アトは近付いてきた。
「クアヒム。宿題のお手伝い、毎日してくれてごめんね」
「いいよ、こんな時に」
「違うの。あのね、本当はできてたの。でっかいトンボが来ちゃって、気持ち悪くて、黙ってたの」
 アトは思いっきり虫笛をぶん回した。めちゃくちゃでかいトンボが、どこからともなく滑空してきてアトの腕にしがみ付いた。二人してぎょっとした。
「わ、すっごいじゃん。男子みんなうらやましすぎて引くよ、それ」
「ないしょね。かわいくなくて、かっこよくもないし。すごいのっていつも、クアヒムの方だよ」
「むずがゆいな。ありがと」
「ないしょね」

 アナツバメ校にいる全校生徒に追い風をもらって、僕は飛び上がった。こんなに体が軽いのは初めてだ。宙を逃げる台座へ、ぐんぐんと迫っていく!


 待ち構える雄山羊がピシャリと言った。
「好きなだけ『がんばりましょう』をさしあげますよ、クアヒム君。私の計画の唯一のキズは、あなたたちの結束力を買いかぶったことのようだ」
 降りかかる声に、僕は今さら鼻がツンとなった。やっぱり先生なんだ。
「……違うよ!いい顔をしておいて、こき使い方ばかり考えてるのは!団結も、勝敗のゆくえも、それじゃ空っぽだよ!」

 雄山羊の黒い杖が、最後の巻き物の中身を吐き出す。僕と並んで飛び出してきた紙飛行機が、お経の金字にぶつかって行っては打ち消した。どんなもんだ。このまま追い回して、ファラクに構う余裕はあげないぞ!

 先生は巻き物をひざの上に広げる。
「知った風な……。私がどれだけ組織に尽くしてきたか。ここに馴染むためにどれだけ心を砕き、技を鍛え、知を尊び!足りぬあなたたちの為に、物も場もあてがい、残るしこりの少ないシナリオまでも組み上げてきたか!到底推し量れまい!
 素晴らしく台無しです。全てが。自分本位なあなたのせいでね!」
 甘かった。お説教の声がみるみるうちに金字の陀羅尼に変わり、まっさらな巻き物を埋めていく。先生はそれを杖にはめ直し、容赦なく僕を撃ち落としにかかった。急カーブしたけどよけきれず、はじき飛ばされた。地平線が、ぐるぐる回ってる。

 テングザル泊の応援団が、四人がかりで僕をキャッチした。
「惜しかったっす!ファイッ押忍!」
 撃たれた左肩が透け出した僕に、エールを送る。まだ時間がある。僕はもう一度飛んだ。


 また一棟、雄山羊がビルを引っくり返した。その一区画向こうでは。
 レイピアがコンクリートの床に回路図を刻み、
「守護天使様、守護天使様、お出で下さい!」
 生体電気の全部をしぼり、巨大な天使像が稼働した。開かれた倉庫のルーフを、飛べないそれはまたいで越える。天使はワメロが歩いた血のあとをずんずん逆戻りし、追い詰められた人々をひょいひょいとつまみ上げていく。その迷いのない足取りが、動かした本人の心に焼き付いた。


 室外機が、ダクトが、貯水タンクが、擬宝珠が、ガスメーターが、緑のカーテンが、アドバルーンが、螺旋エスカレーターが、素焼きの赤い屋根が、ぴっちり並ぶ雨戸が、ステッカーまみれのアーケード天井が、出し物をアピールしたベニヤ板が、目医者と靴屋とコンビニの袖看板が、ふぞろいなビルの山と谷が、僕たちのすぐそばを流れてゆく。そびえ立つ給水塔にお互いが隠れたのを見計らって、僕は回り込むように加速した。
「誰だって間違えることがあるんだ!気付いたら止めたげなくっちゃ!先生が言ったんでしょ!」
「神話に立ち向かえと教えた覚えはありませんよ!」
 雄山羊頭の先生はかまどを吹くしぐさで、膨らんだほおの中の金字をじかに吹き付けた。難しくて読めない字が、ひどい通り雨みたいにバラ撒かれる。逃げ場がない!

 何かにしゅっと包まれる。低反発な触り心地の、イバラが僕をからめ取って運び、すぐに放してくれた。給水塔と同じ背たけの天使像が、間近でほほえみかけている。僕はありがとうと手を振って、またハスの花を追った。
 途中、低空飛行して、倉庫の怪我人のことをヤマアラシ堂に伝えた。上からじゃないと気付けない。ひじまで透けて来た左手を、僕はホウキから離した。


 日が紫ににじんだ中、ファラクのしっぽに寄生したキノコが、無限大の魔力を吸って育っては腐り、芽生え続ける。キシェラルダは、二学園をまとめ上げて封印をこなすので大いそがし。魔法ビンのチャイは切らしたけれど、やりごたえも感じた。毒の味を覚えさせたあのトウチュウカソウは、ファラクを仕留め切れるほどではない。でも一度はツボを突き、バグパイプの援護もない今なら、暴れさせないだけで十分。
 アナツバメ校が町の上空に描いた立体魔法陣の進みは、すでに90%。大勢は決まった。あとは……

「あの方さえいらっしゃらなければ、でしたわね」
 青い花にあぐらした雄山羊頭がまた乗り込んで来たことを、キシェラルダはトランシーバーで連絡した。

 クアヒムに突進されるのを覚悟して、雄山羊はファラクを奪い返しに来た。バグパイプの音のない音がこだまする。あらかじめ風をまとっていたアナツバメ校生徒たちも、ペンライトで書く線をフラつかせたり、お手本の魔法陣早見盤を落っことした。先生はジグザグにクアヒムを振り回し、何人かを撃ち落とすと、今度は笛で蛇を焚きつけた。

 ファラクが体全体をくねらせただけで、大きな川があふれた時のように、ビルの積み木はガラガラと崩れ、それで解かれた封印の分が、ますますファラクを強めてゆく!これでもまだ短いファラクと、山羊が向かってるのは、町の外だ!

 守護天使がイバラを投げつけた。その顔は激怒に染まっていた!イバラは石の固さに立ち戻って、うろこの合間にトゲを食い込ませた。魔の音楽を聞かなかった従騎士団員たちが、天使にならってモーニングスターをぶつけた。テングザル泊の力持ちたちが、続々と綱引きに加わった!ファラクは止まった。雄山羊は毛むくじゃらの顔をしかめる。片手運転のクアヒムが、たなびく巻き物のヒモをくわえ取る!


 山羊が、胸がふくらむぐらいの息をバグパイプに吹き込むと、ファラクは守護天使のイバラを脱皮で振りほどいた。蛇の瞳がぎゅるりと変形し、山羊になった。
「なるほど反省する気はないと。手加減もむなしかった。さようならをしましょうかクアヒム君!物分かりのいいあなたで居続けてほしかったものです!」
 山羊がしっぺ形の左手で切ると、同じ角度でファラクが襲いかかる。逃げ道は金字の雨がふさいでいた。蛇の大あごはクアヒムを直撃し、すり抜けた。
「なっっ……!?」
 先生は言葉をなくした。

「ザーコ。観察がなってねえ」
 町のどこかで、リアコが言った。


 先生とシンクロしていたファラクも、空中で固まった。お腹が湧いたお湯みたくぼこぼこと盛り上がっていく。
「どっせい!」
 うろこに覆われた体を、消化液でぬめるニンプクが拳ごと突き破って出た。僕はお腹を押さえた先生の背中を目がけて、ナナメに急降下した。

 暴れるホウキをぎゅっと挟む。基本のキが、空気の壁を切り裂いていく。
「ああああああああああああ!!」
「く……こ…………の……!!」
 先生はあぐらを崩し、体をよじって逃れようとした。
「せーの!」
 後ろからチームメイトの声がして、向かい風が三方向から先生を押し固めた。

 表彰式場は、大柄なホムンキノコたちが勢ぞろいで埋め尽くしている。僕らはそこへ流れ落ちて、ワンバウンドした。夕焼けに胞子が飛び散った。


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 門限破りの後夜祭が終わった。団地は夜のカーテンに包まれて、コウモリよけのネオンライトも今夜ばかりは出る幕じゃない。飛べる人も、飛べない人も、飛びたい人も、飛びたくない人も、みんなが屋上に出て、かぼちゃのランタンを夜空に放した。
「ハッピーサバト」
「ハッピーサバト」
 すれ違った誰かに言った。


 目をこらすとホムンキノコたちが、ボロボロになったビルを一所懸命に建て直している。ハキリアリ館の薬はすんごくて、後夜祭までにはバグパイプで意識を奪われた人たちを全て回復させた。
 ケガをみていた勢いで、キシェラルダはニンプクに思いを伝えた。ニンプクはどんと来いでOKした。けど、色んな人ともう純異性交遊中だったので、キシェラルダのプライド的にアウトになった。子供ですよねえ、二人とも。アトはメイーンをぶった。

 ヤマアラシ堂の開発結社は、神聖な天使像を勝手に改造していた罰として全員20分間はりつけにされた。フォークダンスに囲まれながら、熱~いお灸もすえられていた。知ってて動かしたワメロは、出血多量で本当に死んじゃうところだったのと、色んな人の命の恩人なので、おとがめなしになった。

 何千ものランタンのあいだを飛ぶと、まるで星の海だった。サバトは元は、大昔に絶好調のファラクが起こした大災害を、悲しんで始めたお祭りだったんだとか。優勝したのが僕たちだから空を流れてくけど、チョウチン塾が勝ってたら、ランタンは下の水路に浮かんでた。お礼を言いに来た僕に、リアコは得意のうんちくを披露した。あとの学園は覚えてないの?とたずねたら、
「さあてなあ。おおかたキノコで光らせたり、力技で投げたり、うやうやしく祈り始めたりだろうさ。全体知るよしもない、たまにはやつらに勝ってもらわないことには!
 負かした脇役どもの事なんてうっちゃっといて、真っ正直に喜んどきなよ、ヒーローさん。ハッピーサバト!」

 リアコはヤなやつだ。町じゅうを引っくり返そうとなんてしない、楽しそうな、ヤなやつだ。


 先生が黒い杖から飛ばしていたお経は、当たった人を魔法使いから見えなくする魔法だった。消えた子たちと、あと僕は、透明にはなったけどちゃんとそこにいたから、みんなに治してもらえた。先生の言い分だと、組織の為に大事に育てた戦士だから、やたらに減らしたくなかったんだって。
 ……その担任の先生はセイジ犯として、小人の人たちが編んだ縄でぐるぐる巻きになって、咒械砦団地の外へ連れてかれた。別れ際、いつも遠慮がちな副担の先生をはげまして、後の迷惑をおわびした。僕は、今までありがとうございました、と言った。みんなも真似した。先生はしばらく黙っていてから、言われた人の気持ちを考えた発言をしましょう、みんなを率先する立場の人は特に、としかった。


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 ブランケットにくるまって、天井を見る。起きたら振替休日だ。今日の分の学級日誌は、色々書けすぎて困っちゃうな。


 トトトン。僕の部屋の、歩く人用の戸が鳴った。開けてみる。
「こんばんわ。あっ、ハッピーサバト」
「ハッピーサバト。君は僕の誇りだ、クアヒム」

「……来てたの。父さん」
 漫画みたいにつばの広い帽子を取って、父さんは顔を見せた。
「そりゃあ来るさ。テレビを見て飛んで来たよ。あ、もちろんクアヒムみたいに飛べはしないぞ。なんせ父さんは魔法はからっきしだったんだ。
 食べる?もらってくれなきゃ、イタズラしちゃうぞ!」
 お菓子袋を背負ってる。


「ハミガキしちゃった。明日ね」
「ハハー」
 サラマンダーが、新顔の人間を見つけて、ぼっ、と火を吐いた。


・おわり・



<資料集>

〇各グループ
アナツバメ校:自由飛行、虫や禽獣の使役:委員長クアヒム:主人公
 音楽道徳:路上ライブ:無限軌道駅:品行方正、ピュア正義感、花形の空中
 アト シクセン メイーン
チョウチン塾:ゴンドラ、カンテラ、幻術:一番弟子リアコ:マルフォイ
 人文美術:幻術クイズ:図書室前:陰険、貪欲、湿っぽい水中
ハキリアリ館:錬金薬学、枝切り鋏、住環境・昇降の最適化:女王様キシェラルダ
 自然家庭:おばけ屋敷脱出:屋内:学術肌、統率分担、黙々と勤勉
テングザル泊:芭蕉扇と体術、丹田、花を吸う:キャプテン・ニンプク:チャラ男
 書道保健:早食い○○:運動庭園:朴訥で大人しい、健康、川べりを飛び交う
ヤマアラシ堂:僧兵団、モーニングスター、連弩:従騎士長ワメロ:レイピア使い
 技術宗教::工房:応戦的、臆病さと信仰、作ってもらった巣穴を警備

担任の先生:バグパイプで操作、両手が空いた飛行、お説教アサルトライフル
 テロ組織:ファラクの完全復活を画策、チョウチン塾を陥れる、少年兵の育成

〇魔法の工業製品
 魔法ビン(容れたものに保存の魔法がかかる)、文化ボウチョウ(紋章を刻んだ相手に魔法を授ける)、自在ホウキ(穂先が自在に回転することで揚力推力を得る)、尋常ショウ(外にある普通の小学校)、無限キドウ(進みたい方向に出て車体を引っ張るレール)、常夜トー(回りを夜にする光)、百葉バコ(入れた材料の発酵を促進・熱量観測)、ジドウ歩槍(中国語のアサルトライフル)

〇イメージ設定
 ジ●ブリ(子供目線のワンダー、技術の活躍をキラキラに描く) ハ●リーポッター(現代ヨーロッパ魔法学園もの、組織ごとの学生色) 九●龍城(ギチギチでワチャワチャのビル群と見え隠れする伝統アジア) 魔法の工業製品(『魔法瓶』など、実在するが名前が仰々しい感じのする工業製品名を完全な魔法のアイテムにして登場させる) 児●童文学(単純明快さを心がけてみる) ポ●ケモン剣●盾(よく見ると色々あるけど受け取らなくても楽しめる) 現代ミリタリをちょっとだけ出す(苦手意識を克服)
※ジ●ブリは結構見てるけどハ●リポタとポ●ケモンはにわか

〇意識して書いた訳じゃないけど出てそうな最近食べたもの
 チ●ャージマン研!(ちょっとあやうい勧善懲悪の少年) ダ●ンジョン飯(古典を古典のまま掘り下げる、異なる主張や物語を持つパーティ同士の交錯) i●ndivisible(多民族臭と仲良くなりきれない仲の良さ) ソ●ードワールドTRPG(ファンタジー題材全般の源泉) ス●ズメバチの黄色(小動物の組織アイコン・ヤング・中華・庇護者の背信)

〇ジオマンシー ※ググった情報をかいつまんで正解ということにしているので、この記事以外では参考にしないで下さい
 ・ ・ 群集〇
 ・ ・ 
 ・ ・ 集団との依存関係、知らせ
 ・ ・ 

  ・  道〇
  ・  
  ・  孤独と行動、旅行や積極性
  ・  

 ・ ・ 結びつき〇
  ・  
  ・  互助、再会、何かの選択肢
 ・ ・ 

  ・  牢屋〇
 ・ ・ 
 ・ ・ 禁止、閉塞、状況の甘受
  ・  

 ・ ・ 大きな幸運〇
 ・ ・ 
  ・  成功、お祝い、至福
  ・  

  ・  小さな幸運〇
  ・  
 ・ ・ 援助、ひとまずの順風
 ・ ・ 

 ・ ・ 獲得〇
  ・  
 ・ ・ 繁栄、利益、拡張と慢心
  ・  

  ・  損失〇
 ・ ・ 
  ・  困窮、損害、愛の破綻や病気
 ・ ・ 

  ・  歓喜〇
 ・ ・ 
 ・ ・ 健康、向上、安寧や調和
 ・ ・ 

 ・ ・ 悲哀〇
 ・ ・ 
 ・ ・ 屈辱、悪化、不意の失望
  ・  

  ・  少女〇
 ・ ・ 
  ・  感受性、清潔、育成と気まぐれ
  ・  

  ・  少年〇
  ・  
 ・ ・ 征服心、闘争、有り余るエネルギー
  ・  

 ・ ・ 白〇
 ・ ・ 
  ・  忍耐、深慮、節度やバランス感覚
 ・ ・ 

 ・ ・ 赤〇
  ・  
 ・ ・ 激情、非行、見直しへの警告
 ・ ・ 

 ・ ・ 竜の頭〇
  ・  
  ・  始まり、無垢な新生、覚醒
  ・  

  ・  竜の尾〇
  ・  
  ・  終わり、悪い顛末、リセットの必要
 ・ ・ 

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