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新卒入社した会社を10ヶ月で辞めた

四年制大学を卒業したのち、新卒でIT系ベンチャー企業に入社した。

約10ヶ月ほど働く中で感じたことや辞めたきっかけ、辞めるまでのプロセスを書いてみようと思う。

自分は何がしたいのか、何ができるのか、悩めるモラトリアム人間の人生。

普通の「就活」ではない就活

・勉強した分野以外の経験がしたかった

まず、私は大学で教育関係の勉強をしており学生時代に教育現場で働いていたこともあった。

「学校の先生など教育現場の人は外の世界を知らずズレている」と言われることがあるが、私が教育現場で見た「先生」たちにはこういった方が多かった。(もちろん素敵な方々も見た)

教員の方々は世間の感覚や変化のスピードとは全く異なる感覚の中で生きている。学校とは何て閉鎖的な空間なんだろう。そんなことを思っていた。

一部を見て全部を知った気になった私は「教育業界以外を経験したい!いわゆる『普通の会社員』ってどんなのだろう」と、教育とは全く異なる分野の会社で働いてみることを決意した。

・オファー型(逆求人型)就活

私は何に対してもちょっと斜に構えるところがある。

何十社にも送る履歴書、SPIの勉強、自分を”良い人材”に見せるための面接練習、コピペかと思うリクルートスーツ姿の就活生....こんな「普通の就活」なんて私はしない。そう考えていた。

そんな性格ゆえに逆求人型の就活サイトを使って就職先を決めた。

履歴書に書くような内容をサイト上にアップしておくと、それを見た企業側から仕事のオファーが来るというものだ。

その中から実際に数社へ行ってみて、働いている人たちの印象が一番良かった会社への就職を決めた。仕事内容の分野は何でもよかった。

会社員時代の葛藤

・ある日感じた「仕事が楽しくない」気持ち

いざ働き始めてみると、やはり面接で感じたように働いている人たちの雰囲気が良かった。スピード感と責任感を持って仕事している人が多かった。

なんだこいつと思う人ももちろんいたが、「ありえないけどこんな考え方の人もいるのか...まあいろんな人がいるわ」といったん受け止める能力を獲得できた。

ただ3,4ヶ月目に突入した頃、仕事内容に全くときめかない自分に気付き始めた。

何でも始めてみればそれなりにやりがいを見つけていけるだろうと思っていたが、その感覚は全くなかった。

そもそも「やりがい」が自分にとって大切なものだと気付いていなかった。「やりがい」など感じなくても自分は仕事をしていけると、この時はまだ思っていた。

・体に出る不調、揺らぐメンタル

ある時から通勤中に必ず頭痛を感じるようになった。

会社に近づけば近づくほど頭痛は顕著になっていき、会社に着けばそれを振り払うかのように仕事をした。

会社のトイレで突然涙が出てきてしまったり、帰り道に泣きながら友達に電話したこともあった。

ちなみに私の職場は比較的ホワイトで健全な会社だったため、当時は「こんなホワイトな環境で人もいい。私が弱いだけ。新卒入社で何も上手くできない状態だから辛いだけだ。私が頑張ればいい」と考えていた。

今思えばストレスを感じる点なんて人ぞれぞれだし、私にとっては「興味ない仕事(教育分野以外の仕事)をする」ということがものすごいストレスだったのだ。(この時もそんな自分には全く気付いていなかった)

そして今の会社で何も成し遂げないままに転職する、という考えは逃げだと感じていた。

・一度は人事に説得された私

メンタルが明らかに崩れてきた矢先、新卒社員と人事が1対1で話す機会が設けられた。

規模が小さめの会社で社内の人間は全員把握できるくらいだったため、人事の方は細かい話まで理解してくれた。

「教育業界への転職も考えているがそれは逃げだとも思っている」と彼に正直に伝えたところ、彼は逃げずにもう少しここで仕事を続けるといい、今踏ん張れば後で結果もついてきて気持ちが楽になる、と私を励ました。

そこで一度持ち直した私は、「逃げの転職」はいったん考えず目の前の仕事を頑張ろうと改めて決意した。

(今思えば人事としては、まだ何もできないが高い給料をもらっているだけで価値を生み出していない私に辞められては困るため、一旦は引き留めて当然なのだろうが...。)

辞める決断をした瞬間

・教育系のセミナーに参加

 その後も色々と悩みつつも仕事を続け4ヶ月程たった頃、たまたま興味のある教育系セミナーを見つけた。

特定の幼児向け教育メソッドを研究している方の研究報告会のようなもので、元々興味のあるものだったため参加してみた。

その場にいた教育現場で働く人たちを見てうらやましいと感じた。

そして何よりも会社員として働く中では感じられなかった躍動を感じた。

IT系企業の会社員としての自分に薄々疑問は感じていたが、それは逃げである、少なくとも1~2年は働かなくてはダメだ、と自分で自分を縛っていることにも何となく気付いた。

・友人に話しはじめて自分の思いを再確認

私は周囲の意見をとても気にしていた。

「一度就職したら2年くらいは働いてみないと何も得られない」

「仕事がつらいのは当たり前、何かを成し遂げてから次に行くべき」

「つらいときに転職するなんてそれは逃げ」

一般的に言われる意見を真に受けていた。

しかし胸の内を友人に打ち明けた際に、周囲ではなく自分の意見はどうなのかと問われた。

その時にやっと「やってみたい仕事がある。今の仕事を辞めて今すぐにでもその道に進みたい」という自分の本音を見つけることができた。

他人からどう思われるかという判断軸を取っ払って考えることができた、初めての経験だったかもしれない。

思えば中高生の頃から漠然とやってみたいと思っていた仕事が保育や幼児教育の分野だった。

ただ、私はそれなりに勉強が出来たため、周囲からも「いい大学に行けるなら行ったほうがいい。今の時点で保育にしぼらなくてもいいじゃないか」とプレッシャーをかけられていた。(彼らは応援しているつもりだったと思う)

「いい大学」に入り、周りの人たちが「いい仕事」に就いていくのを見つつ、「保育士は給料が安い・ブラックだ」という世間一般の意見に流されるうちに自分の「やりたいこと」を見失っていたように思う。

辞めるプロセス

いざ会社を辞めようと決意して一番最初に話したのが直属の上司だった。

彼は非常に仕事ができる上に教えるのも上手で、仕事の相談も仕事以外の話も気軽にできる理想的な上司だった。

「少し話したいので時間を設けてほしい」と連絡を送るとすぐに応じてくれた。会社を辞めて保育士を目指そうと思うと伝えていくらか話し合った。

色々言われはしたが、結果的に彼は私の決定を受け止めて(というか私の人生にそこまで興味がなかっただけだと思う)さらに上の上司に話を通してくれた。

ベンチャーあるあるかもしれないが私のいた会社は人の入れ替わりが多く、同期でもすでに数名の退職者が出ていたため私の場合もスムーズだった。

特に引き留められることもなくトントン拍子で退職日を決めたり、手続きや引継ぎ業務等を始めたりした。

引継ぎ業務といっても大した量ではなく、また退職前の有給消化といっても大した日数は残っていなかったため、退職2週間くらい前はただ暇でデスクに座るために出社していたようなものだった。

何もしなくても時間は過ぎ、送別会もやってもらい、有休消化に入った。

ちょうど年末だったからか皆仕事納めに向けて浮足立っており、さらりと別れた。

やってみると「退職って簡単だな」と思った。


時系列としては以下のような感じだった。

・約2カ月前:一番近い上司に相談

・1カ月半前:さらに上の上司に話す

・1カ月前:引継ぎ業務

・2週間前:暇。送別会(暇すぎて自分で会場手配をした)

・1週間前:有休消化→そのままいなくなる


まとめ:退職してよかった

退職してから既に1年以上たっているが、心から思う。退職してよかった。


「仕事がつらくて逃げるように辞めた」

「他にやりたいことがあるから辞めた」

退職する前は前者の「逃げの退職」を肯定的に考えられなかったが、今はもうどんな理由だろうと辞めたきゃ辞めればいいと思う。

自分自身が納得して決断したことなら、自分自身を肯定できるなら、もう何でも。


どんな決断をしてもそれに対して反対意見を持つ人は必ずいる。

事実、退職後に一度面接を受けに行ったところの人から「1年未満で辞めたの?何事も続かないタイプなんだね」と言われたことがあった。

言われた直後は悲しくなったが今はただ「ちょっと高圧的なおっさんだったな」と思うだけだ。

そうやって流せるのは自分の決断に満足しているからである。退職してよかった、と本当に思えているからだ。


これから先も関わっていきたいと思う人と自分自身を大切にして、外野の意見はほどほどに聞き流していきたい。

それでも事あるごとに悩むモラトリアムな人生は続いていくのだろうけれど。

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