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自己憐憫がうざい? 相手からすると、その相手(虐待者)がうざったいのかもしれません。モラルハラスメント加害者の特徴の1つは、憐憫を悪くいうところです。

モラルハラスメント加害者は、他人の感情に口出しをして相手の感情を傷つけようとする場合があります。そんな加害者の得意技が、「誹謗中傷(主観的名誉・名誉感情の侵害」。自分に対し思いやりを向けたり、心の深い傷を自覚した人が自己憐憫を感じることは普通です。そこを攻撃する加害者もいます。

自己憐憫の感情を感じている人にわざわざ近寄って、「自己憐憫うざい」と相手を見下したり、傷つけたり、誹謗中傷したりする人もいますが、それは、もしかしたら、相手からすると、一方的に近寄ってきている相手のことをうざったい(邪魔な感じ)と思っているかもしれません。

自己憐憫の感情が必ずしもマイナスに繋がるとは限らないのですが、現時点では多くの人が「自己憐憫はマイナスに繋がるだけ」と思い込んでしまっています。勿論、自己憐憫にも良い面もあるし、プラスに繋げることも出来るのに…。

結果どうなるか(どうするのか)、マイナスかプラスか、それはその人次第なのに自己憐憫を悪いものだと思い込んでいるので、その思い込みだけではバランスが悪いので、自己憐憫の良いところを知っておくと良いと思います。


自己憐憫の感情を感じている人からすると、それを否定する人は虐待者に見えることもあります。この記事のタイトルに書いたように、自己憐憫を感じることが出来ない人は虐待者の可能性があると思います。

自己憐憫がうざい? 相手からすると、その相手(虐待者)がうざったいのかもしれません。

虐待者は、当然、自分のことも虐待しています。気づいていなくても、無自覚で虐待しています。その虐待の中には心理的な虐待、そして心理的な虐待の中には無視も含まれます。つまり、誰でも感じることがある自分の自己憐憫の感情を無視している人は、自分を心理的に虐待している可能性があるのです。それが強ければ強いほど自分には向き合えませんから、虐待者ほど、「本当の自分なんてない!」と反抗したくなるのです。

当然ですよね。心の奥底では自分が自分を虐待していることを、自分が一番よくわかっているのですから、本当の自分を知るわけにはいかないのです。自分を可哀想と思うわけにはいかないのです。無自覚で自分を虐待し、自虐に慣れ親しんでいる人間は、憐憫の感情を自分に向けるわけにはいかないので、自己憐憫を感じている人を見るだけで心がザワザワして、相手が間違っていると結論づけておかないと落ち着かなくなるのです。

自分を大切にするようになれば、自分の感情を認めることが出来るようになりますから自己憐憫の感情も自然と感じれます。なので他人の自己憐憫に対して口出しする必要はありませんし、他人の自己憐憫が嫌だと感じるなら、自分が離れれば良いだけなのですから。わざわざ近寄って、誹謗中傷したり、見下したりする必要はありません。

自己憐憫うざい! と他人に過剰に口出しをしたい人は、1度、虐待者である自分と本気で向き合ったほうが良いと思います。

憐憫に関して、2つの格言をご紹介します。

「皮肉」と「憐憫」とは、ふたりのよい助言者である。
前者は微笑みながら人生を愛すべきものにし、
後者は涙を浮かべて人生を神聖なものにする。
「断片」から引用

アナトール・フランス(フランスの詩人・小説家・批評家)の言葉
憐憫はあらゆる道徳律者の基準である。
「道徳の基準」から引用

アルトゥル・ショーペンハウアー(ドイツの哲学者)の言葉

「憐憫」は、涙により、心を綺麗にし、フランスの詩人が言ったように人生を神聖なもの(良いもの)にしてくれます。そして、ドイツの哲学者が言ったように、憐憫は良い意味での「道徳の基準」になり得るのです。自己憐憫を感じ、そして、他人に対して憐憫の感情を感じれるようになるからこそ、良い意味での「道徳(モラル)」に繋がるのです。

ですので、自己憐憫を感じたこともなく、他の人に憐憫の感情を感じたこともない人が、良い意味での「道徳(モラル)」を知らないので、「道徳(モラル)」を「嫌がらせ(ハラスメント)」の道具にしてしまうのです。

そう、「道徳(モラル)」を使った「嫌がらせ(ハラスメント)」、、、「モラルハラスメント」です。モラルハラスメント加害者の特徴の1つは、憐憫を悪くいうところです。

下記の本が、自己憐憫を感じている人への勇気づけとなり、やる気に繋がったら良いなと思います。


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