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Darklandsーわかれた2つの日本語訳

ジーザス&メリーチェイン というバンドの「Darklands」という曲が好きだ。

「死にたくて死にたくて仕方ない気持ちで夜を過ごして、でも結局死ねないまま夜が明けてしまって、一睡もしていない疲れきった目には、朝日は眩しすぎて、目に刺さるようで痛くて、どうしようもない気持ちになる…」

そんな、どん底な朝(でも、空は澄んで美しい)みたいな空気を、わたしはこの曲から感じる。どうしようもない、やり切れなさ。途方にくれるほど明るい朝の光。痛々しくて、美しい。そんなイメージを抱いてしまう。

ウィリアム・リードの気怠いボーカル、甘く美しいメロディ、感傷的なギターの音は、胸をキュッと締め付けるけれど、重たくはなくて、どこか優しい。


デビューからこのセカンドアルバムを出すまでの間、彼らは恐ろしい喧騒の中にいた。ライブでは暴動事件が絶えず、それを利用した大人に「第二のセックス・ピストルズだ」と言って売り出され、より過激になっていく暴動の中、彼らの精神は擦り切れ、アル中になったり引きこもりになったり、かなりダウナーでどん底な時期を過ごしていたそうだ。

当時のインタビューでジム・リードがこんなことを言っていた。

「僕らはどん底にいたかもしれない。でも星を見上げていたんだ。」

すごく、このアルバムを象徴する一言だなと思う。一切のことに疲れきってもう死にそうなくらいボロボロなのに、夜空に救いを見出そうとするそのピュアさ。

歌詞の中で、彼らは闇の国(Darklands)へ行きたいと繰り返す。しかし、彼らの最後の望みは、2人の対訳者によって、2つの道に分かれた。


| あそこ、か、ここ、かー2つの訳詞

わたしはこの曲の日本語訳のついたCDを二枚、持っている。
一枚はもちろんジーザス&メリーチェインの「Darklands」のアルバム。
もう一枚はプライマル・スクリームがカバーしたものが入っている「IF THEY MOVE KILL`ME」というシングルCDだ。(※ちなみにこのカバーも最高に絶品です)

しかし、この2つの日本語訳、ラストの部分がまるで反対なのだ。

英語から日本語に訳す時、どうしてもそこに記されてない言葉を補わなければ意味が通らない(もしくはものすごく読みづらい)ものになってしまう、ということはおそらくよくあることなのだろう。特に、「詩」というそもそもの情報量が少ない文章では特に。

そして、補った言葉が、訳者によって180度違うということも、起こり得るのだろう。そう、Darklandsという曲は、その歌詞のラストにおいて、2人の訳者によって、全く違う2つの解釈が生まれたのだ。

Darklandsの歌詞はこう始まる

闇の国へ行くんだ
混乱した魂をもって
美しく語るためにー

そして、2番でこう歌う

だけど なにかが僕を
闇の国のあるところへ
行かせまいとする
夢から覚めればそこは
悲鳴の飛び交う恐ろしい世界
僕が思うに天国は
あまりにも地獄に近すぎる

そうして1番2番で繰り返される

ここを出て行きたい、あそこへ行きたい

という歌詞。実際は「I want to move I want to go I want to go」と歌っている。
ここでいう「あそこ」とは「闇の国(=Darklands)」のことだろう。天国でも地獄でもない闇の国。この世の喧騒から逃れて闇の国へ行きたいのだと彼らは繰り返す。ここまでは大体同じだ。
そして歌は3番に入ってメロディー・歌詞ともに変化していく

まずはアルバム「Darklands」の日本語訳だ


暗闇へ連れてってくれ
神よ どうかお願いです
僕は病の川のほとりで
死んでしまうのじゃないだろうか
僕は死にかけている
死にかけている
がっくりと膝をつき
うなだれてー
あそこへ行って住みたい
ずっとあそこにいたい



最後の「I want to go I want to stay I want to stay」の部分。
この訳では、あそこ=闇の国(Darklands)へと行きたい、そして"そこ"に(stay)とどまりたいのだと言う。
なるほど自然な訳である。死にそうなくらいくたびれている彼らはとにかく闇の国へと行きたくて、そこへ行った暁にはもうそこから動きたくないのだと、そういう内容だ。

さてはて一方プライマルのカバーについていた訳はどうだろう?


今、死へと向かっている
僕は跪いて
祈っている
僕は行きたい、ここに居たい
僕はここに居たいんだ


そう、前者では「あそこへ行って住みたい」だったのが、後者の訳では最後、

「ここに居たい、僕はここに居たいんだ」

というのだ。

「僕は(闇の国へ)行きたい」と言っているのに、その後にやっぱり「ここに居たい」なんて言い出すなんて筋が通ってないように見える。だけどー死にたいと願うと同時に生きたいと願うようなーそうした矛盾した願いの葛藤が、彼らの中にあったのかもしれない、とも思う。

また、前者では「がっくりと膝をつき、うなだれて」だったのが「僕は跪いて祈っている」になっているのも興味深い。膝をついてうなだれるのと、跪いて祈るのでは意味合いが異なってくる。前者には諦め(もしくは無抵抗)が、後者には救いを求める姿(もしくは抵抗)が見える。

闇の国へ行って、全てを闇に包まれたなら、一切の苦しみを闇へと委ね飲み込まれることができるならーそれは楽なことなんだろう、それはそれで一つの救いなのだろう。でも"ここ"に残るということはーそうした苦しみを自分で背負わなければいけない、恐ろしい喧騒の中で。どんなに目をつむっても差し込む朝日から逃れられない、この世界で。それでも?……

なるほど前者の訳はそれまでの流れから見ればスムーズで自然だ。だけど、後者の歌詞に生まれた矛盾に、その心の葛藤のリアリティに、わたしは心を打たれてしまった。

闇の国へ行きたい、連れて行ってくれと懇願していた彼らが、それでも最後の最後にgoやmoveではなく"stay"という言葉を選んだのは、"ここ"にとどまりたい、という意思表示なのではないかと、訳者は考えたのかもしれない。


| 彼らは結局どこへ向かったのか

実際、本人がどう思って作詞したのかはわからない。
stayしたかったのがthereなのかhereなのか、当時のインタビューを漁りまくればもしかしたら答えがあるかもしれないが、どちらの可能性も残したまま聴くのもまたいい。

でも、どちらにしても彼らは「Darklands」には行かなかった(行けなかった)のだろうと思う。

このアルバムの最後の曲「About you」で、彼らはこんなことを言っている

僕にはわかる 君と僕は
どしゃ降りの雨の中で生きるんだ
雨にはどこか温かみがある
どこか温かみがある

どしゃ降りの雨に降られてきて疲弊していたはずの彼らは、最後にその雨の中に温かみを見出す。
そしてこんなことも言っている

人々は居間で死んでいくが 全能の神たるこの暗闇を必要とはしない

「全能の神たるこの暗闇(This god almighty gloom)」という単語が面白い。彼らはきっと全てを闇に変えて包みこんでくれる暗闇に救いを求めていたんだろう、だから「全能の神たる」という言葉が付いているんだろう。でもここでは、人々はそのうち死んでいくにしても、その暗闇を必要とはしないのだ、と言っている。


彼らはDarklandsへ羨望を抱きそこへ行きたいと強く願ったが、最終的には「君」と一緒にどこか温かみのある雨に降られる”ここ”にとどまったのだとわたしは思う。

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