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西日のカーテン

ソンホと初めて会ったのは中学一年生の時だった。
初めて交わした会話は今でも鮮明に覚えている。
『お前、シ○るって知ってる?』
『いや、知らん。シ○るってなに?』と僕。
『オレ、キャリア長いで』とニタァと笑い嬉しそうにソンホ。
彼の顔は今でいうイケメンでその意味を知った時に発した言葉とイケメンのギャップに少し驚いたが『面白いやつやな』と感じた。
それが彼に抱いた第一印象であった。

元々サッカーを小学校2年生から習っていた僕なので必然的にサッカー部に入部したのであるが
新入部員の顔合わせに彼もいたのである。
ソンホとは同じクラスになった事はないが
部活が一緒なのでほぼ毎日顔を合わしていた。

ソンホという名はいわゆる日本の名ではなく韓国の名で彼の本名は   『リ ソンホ』といった。
彼は在日韓国人だ。僕も在日韓国人だ。
彼と違うのは僕は通名(日本名)、彼は本名で生活していた。
在日の大半が通名を持っていた。僕の家族も通名を使用していたのでその流れで僕も通名を名乗っていた。
彼は本名の『リ ソンホ』
僕は本名ではなく通名。
彼のことを少しかっこよく感じたのを覚えている。

ある日の放課後の部活で、こんなことがあった。
二人1組で行うパス練習でたまたまソンホと組むことになった。
その練習はパスを出す時、出す相手の名を呼んでからパスを出すというものだった。
当時まだ入部したてであまり親しくなかったのでソンホには姓字の『リ』と叫んでパスを出したのである。
3回目か4回目の時、ソンホが唐突に僕のそばまで駆け寄ってきて
『なあ、頼むからリーて呼ばんといて、下の名のソンホて呼んで』と顔を赤らめて言ってきたのである。
リーリーリーリーと呼ばれることが恥ずかしかったみたいだ。
その日から僕は彼のことをソンホと呼び始めた。少し距離が縮まった気がした。

当時の僕たちは中学生、思春期真只中という事もあってとにかくエロい話で盛り上がっていた。
『2組の〇〇は胸が大きいなあ』とか『3組の〇〇はええお尻してるなあ』とかとか。
そういう話をするといつもソンホはどぎつい下ネタをぶっ込んで俺たちを少し引かせた笑
ソンホの名誉のためにそこの内容は割愛するがソンホとの思い出はいつも『エロ』がつきまとっていた。

ソンホは
サッカーの試合中、よく相手選手にキレていた。
彼はキレると顔が真っ赤になるのでグランド上で遠くにいても
切れている時はすぐにわかった。
怒声も度々聞こえていた。
『シバくぞゴラァー』
『痛いんじゃゴラァー』
時には『コロスぞゴラァー』
最初の頃は少しびっくりしたが中学最後の年ともなると慣れて何も思わなくなっていた。

そんなソンホと一度だけ殴り合いの喧嘩をしたことがある。
喧嘩の理由は他のやつに『ソンホ ムカつくわ』と言われ僕もその気になってしまいそこから彼に対しての態度が邪険になったのがきっかけである。
僕は最低だった。
あの時のことは時々思い出す。
ただただ僕が悪いなぁといつも反省して終わるのだが。。。

そんなこんなで彼との思い出は少なくもないが多くもない。
僕たち二人の関係はそんなものだ。

時が過ぎ中学を卒業して皆それぞれの違う高校に入学。

僕はといえば高校に入学し、サッカー部に入り環境が変わったせいか
正直、彼のことなど気にもしていなかった。これは彼だけではなく他の同級生の事も同じだった。

当時僕の高校は強豪校でAチーム、Bチーム、Cチームと分かれていて入部したての僕たち一年生はCチームからだった。
ある日の練習中マネージャーが僕のところに来て『監督が呼んでるぞ』と言ってきた。
周りの連中は『おおおおお!』と騒ぐ。
監督といえばもちろんAチームしか練習を見ていないので
監督に呼ばれる、すなわちAチームの練習に参加しろということである。
当然僕もその気になりAチームの練習しているグラウンドへダッシュ!
監督を見つけ声をかけた。
意気揚々と。

だが監督から発せられた言葉は最初意味のわからないことであった。
『おう来たか、お前中学で同じサッカー部のリ ソンホているだろ。 死んだらしいぞ』
監督の乾いた言葉と死と言う重い言葉に2秒間、頭が混乱した。


は?、、、

ん?、、、
、、、、、え?! ソンホ?


後でわかったことなのだが彼は中学の卒業式にも出ていなかった。
中学のサッカー部の引退も夏頃なので部活でしか会わない僕は全然知らなかった。
彼の死んだ理由を知ったのはその報告を受けた後のお通夜だった。
脳に腫瘍ができる病気だった。
高校には入学したが1日も登校できなかったらしい。

お通夜時、同級生がもちろんたくさん集まっていた。
泣き叫ぶ女子、
仲の良かったであろう同級生の顔、
無表情のやつ、

僕はといえばただただ祭壇を見つめていた。涙は出なかった。

ソンホに対して正直悲しさはあったが
その時の感情といえば同情だった。
同情が勝っていた。

人生100年の時代にたった15年で死んでいったソンホに。
高校生活を青春を謳歌できずに死んでいったソンホに。
あんなにもエロいのに女も抱かずに死んでいったソンホに。
酒を飲んで駅のホームでゲロを吐く事もできずに死んでいったソンホに。

同情したのだ。。。

これを書いたのは彼の生きた証とかそんな綺麗事を書きたいわけではない。
年を重ねるたびに気づいたことがある。
彼の死は当時、思春期の自分にとって初めて死という意味を知れた出来事だった。
それまでは漠然と死ぬのは怖いと感じていたけれど
彼の死で本当の死の意味を知った気がした。

皆、死を怖く感じるのはこの世からいなくなる事ではなく
みんなの記憶からいつかいなくなる事なのだと。

 今、私は東京で家庭を持ち、春には二人目が生まれてくる。

本当にたまにだが彼のことをふと思い出す。


#創作大賞2022

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