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天気に左右される時

雨が降っている。
できるだけ苦しくならない方法を永遠に探しているんだけれど、気がつくと毎日は大体お昼すぎになって、ああ、今日も私の世界の時間を半分は無駄にしてしまったかぁ、などと考えたりする。


なんと驚くかと思うんですが、「月夜にふたり、鈍行で。」なんと気がついたら9ヶ月ぶりにの投稿になるのだ。びっくり!私たちもびっくり!

ちょうど去年、2021年の夏頃から、ゆりと私の生活スタイルがなん
とな〜く変わって、お互いにどこかバタバタと忙しくなって(それでも全然、会ってはいた)記事投稿をしてないのに気が付いたのは10月くらいだった気がする。恐ろしい。

それってどうなの、ちゃんとしてくださいよ、と思われそうなものだけど。
でも、それでいいのだ。誰かに強制されて続けていたわけではないし、元々「自分たちが伸び伸びと、ただやりたいことを続けられる場所。大人になる前にちゃんと、自分たちの気持ちを整理できる場所」を探してこの空間を作ったわけだし。

そういう理由から、しばらくの間、特に去年はストップしていた。

しかしどういうわけか、今年に入ってから人によく会うようになり(会えるようになり)、会う人会う人に「月夜、やらないんですか…?」と聞かれることが多くなった。
え!この人も読んでいてくれたの?!みたいな人からも「やらないの?」と言われたり。あと、初めてお仕事する方にも「やらないんですか?全部読みました」などと言われて…。
そのたびに、心がフワフワして、帰り道がちょっとだけ嬉しくなったりしていた。
どうやら、ゆりも同じようなことがあったらしい。


落ち着いて文章とイラストだけをどこかに残しておけるのは、やっぱり互いの精神状態的にいいことなのかも、と2022年になってからよく、ゆりと話すようになった。Twitterもインスタももちろんいいのだけれど。そこには残せないものが私たち二人にはなんとなくだけど、ある気がしている。


疲れないように日々を過ごすのは、人それぞれきっと大変で、人それぞれ感じ方もまるで違う。だからこそ、誰かの心に優しく寄り添ったり、一緒に怒ったり、たまには違う気持ちになったり、とか。そういう、当たり前だけど実はめちゃくちゃに大事なことをやっぱり投稿したくなったのだ。

誰かに強制されずに、自分たちの心の状態を元気に保つために必要なんだな、と最近よく感じるからなのかもしれない。


苦しみや不安や痛みや、それに伴う憂鬱や落ち込みや…そういうものを自分たちで癒す術は、私たちの場合はとっても近くにあったんだね、と改めて再認識することができたのです。


今月から再開するこの記事は、以前の月2回から、月1回にしていこうと思う。
そう、月が綺麗な日に、1ヶ月の中のその日にしようと新しく決めた。
(生憎、今日の東京は曇りっぽいけど)

だれにも強制されず、無理をせずに自分たちを気持ちの良い場所へ連れて行く方法。
2つの個体として生まれ落ちた私たちが、お互いにただ、「幸せだなぁ〜」なんて思える方法。少しスピリチュアルっぽい言い方に聞こえるかもしれないけど…そういうわけじゃぁないんだよ…本当に…。


ここ最近、周りで起きているいろんな事とか。とかそういうものに疲れてしまってきているのかもしれなくって。どうしてそういうことが起きるのかなんなのか。
でも、思うところはあるし、考えていないわけではない。

ただ、瞬発的に思うことだけじゃなくて、自分の中で自分の
気持ちとか考え方とかそういうの。ちゃんと理解して整理して、ちゃんと透かして考えていきたい。



やりたいことをできる時間は、想像より短いので、でもその短さに美しさを感じて詰め込めるだけの愛や喜びや怒りや絶望や。
それから炊きたてご飯の美味しさや、曇り空の色のうつくしさや、洗濯したてのタオルの匂いや。

そういう身近なものと自分との距離、みたいなものを、やっぱりまた残しておこうと思う。







次回の記事は2022年6月14日(火)です。


次回は、一方的なことには理由がある、について、書こうと思います。


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