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共同体を語ることは保守的なのか?

妹の死に関して、ボクが、現代日本における「共同体」に話に論が飛躍したところで、ちょうどボクがよく読ませていただいている、野本響子さんが「共同体」について執筆されました。

さらに、それを受けて、これまた毎回興味深く読ませていただいている、中国在住の華村さんが、執筆されました。

野本さんの記事も、華村さんの記事も、有料マガジンなのですが、興味ある方は、是非読んで欲しいです。
先日のボクの妹の話とは切り離して、ぼんやり考える「共同体」のお話しについて少しばかり書かせていただきます。。。

親友とケンカしてしまいました・・・

まぁ、先日のボクの妹の話とは切り離して、ボクが書かせていただいた通り、

「個人の尊重」、「多様性」が叫ばれる昨今であるからこそ、それと同じくらい、個人を受け入れる「共同体」の存在は、重要になってくるんじゃないかと思う。

という話なのです。。。で、現代社会における「共同体」の最小単位とは何か?という話になると、「家族」という話になってきてしまったのです。

では、「家族」の形とは何?と言われた時に、現代社会において、「家族」と言っても、昔ながらの「家族」だけが家族の形じゃないことは、ボクも頭ではわかっています。

それに、その「家族」をどのような形で持つかどうか、それは全く、その人の自由です。
それも頭ではわかっています。

ところが・・・いやぁ、実は、先日、せっかく久しぶりに飲み交わした親友と、ケンカになってしまいました。。。お互いお酒も入っていた・・・ということは、何の言い訳にもなりません・・・ごめんなさい。
結果として、友人に対して、非常に無責任、支離滅裂とも取れる極論をぶつけてしまった。。。
既婚者であり、子供もいるボクが、その日本的、伝統的な、「家族」価値観を元に、「家族を持て!」と、友人にマウントを取るような発言になってしまった。
落ち着いて、きちんと話すべきところだったのに、結果として相手を傷つけることになり、本当に申し訳ない。

友人からしてみると、パンクでアナーキーなロマンティック兄弟、

アヴァンギャルドなムーニー劇場主宰が、

いつの間にやら、日本の村社会、老害、保守的なムーニーになっていたのか!!??

「伝統的村社会」「保守的」であることの善悪は別として、その時の友人との会話を思い返すと、友人がボクに対して失望し、ボクが友人に、「家族を持て!」と、語ったときに、攻撃性を感じさせたことも、もっともであると思います。。。

しかし、野本さんの記事に書かれていましたが、

今も経済合理性を解くインフルエンサーには「家族なんて持つな」と言う方、多いです。
そんな社会で子育てに愚痴を言う人は、「じゃあ産まなければいいのに。自己責任でしょ」と責められるわけです。

野本響子さん「人は自分のためだけに生きて幸せになれるのか」より

「経済合理性」から考えると、「家族」なんて持たない方がよいという結論になるというのは、改めて言われてみると、衝撃的な事実でした。。。

共同体である「家族」を語ることが、どうしてこんなに難しい社会になってしまったのでしょう・・・。

「共同体」と「家族」についての話は、ボクが社会人になって、会社で、嫌というほど刷り込まれてきた「結婚観」も含めて、また改めて書いていきたいと思います。

本日はこの辺で・・・。


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