妹は何と闘って死んだのか
何か書こうと、ずっと頭を整理しながらも・・・いやぁ、やり切れんなぁ。どうにも、やるせない。
ボクの嫁様の妹が亡くなりました。
37歳でした。。。
正確には「義妹」ですが、ここでは「妹」と書かせていただきます。
何しろ、ボクは一人っ子で、兄弟姉妹がいたことが無かったので・・・
嫁様と結婚して、ボクにも妹ができて、本当に嬉しかった。。。
体調を崩してはいたのですが、まさか、まさか・・・でした。
足元に、ボールが転がってきて、たまたまその1個を拾ったら、それが「死」のボールだった・・・。
まさか「死ぬ」とは、周囲のだれも予測していなかった・・・。
・・・しかし、後から考えてみると、ずっと前からそこに「死」という運命は定められていたようにも思えます。
勝手な想像ですが、本人は、なんとなくわかっていたようにも思います。
立っていた小さな木が枯れるように、音もなく、静かに死はそこにやってきました。
教育者として
亡くなる直前まで、小学校で教員をしていました。
結果として、妹の死因は、単純に因果関係があるわけではありませんが、遠因として、その根源には、多忙を極める仕事上のストレスがあったことは明らかでした。
「教育現場は想像以上に激務で疲弊している」という言葉で語ることもできるのかもしれませんが、恐らくその言葉だけを持って、踏み込んで教育問題を大々的に語るのは、本人の意向ではないのかと思います。
職場では、仲間にも恵まれていましたし、大きな問題があったわけでもなかったようでした。
でも、事実として、妹は、とても、とても、疲れていました。
何故、何故、何故・・・。
日本の教育については、たくさんの問題点が指摘され、長年にわたり文部科学省の学習指導要領は変革され続け、政治家、官僚、研究者、専門家から、現場の教員、PTAから一介の保護者に至るまで、古今東西、多くの議論が続いています。
日本の、いや、世界の教育が、今、大きな変革期にあると思います。
ボクが、このnoteでよく読ませていただいている、野本響子さんは、ご自身の子供の教育を考え、マレーシアに移住した視点から、日本の教育について問題点を指摘していらっしゃいますし、非常に共感することも多いです。
しかし、遅々として教育の変革が進まない日本の状況・・・。
おそらく、大きな変革をするためには、最初は様々な失敗も伴うことでしょう。
しかし、実際に今、日本に産まれ、そして正に今、育っていく、子供たちの成長は、そんな社会の変化を待ってはくれないのです。
しかし、「そんな、日本の教育改革なんか待っていられない」と、すぐにでも海外に出て、子供を海外の学校に通わせることができるのは、ほんの一握りだけでしょう。。。
ボクは、全く平々凡々とした市井の会社員ですが、その視点から語ることこそ、この、ボクのnoteの価値でもありますので、ここであえて申し上げるとすると・・・
子供を持ったボクらの多くは、様々な状況に不如意で儘ならない思いを抱きながらも、日本の学校に通わせざるを得ないわけです。
そんなボクらは、戦後何十年も文部省、文部科学省の教育指針に向き合いながら、同時に、四六時中子供と向き合っている現場の教員のみなさまと共に、あなたの子供が通う、その教育現場に、如何に教育の変革をもたらせていくか、当事者として、できることから、取り組んでいくしかないのです。
そこで働く妹は、ボクにとっての大切な足掛かりであり、子供も小学校に入学し、これから共に考えていきたかったのに・・・残念でなりません。。。
いやいや、死んだ妹の意志を、残った僕らがより強く引き継いでいくことこそ、ボクらができることだと思います。
「寅さん」になり切れなかった悔恨
とはいえ、死ぬまで続けることはないですよ・・・。
このnoteを昔から読んでいただいている方はご存じの通り、ボクは、新卒から働いた、大手インフラメディア会社の営業職としてのストレスに潰されかけて、退職した。
その後、短期間ではあったが、地元の小さな看板屋での理不尽な業務に耐えられず、そこもさっさと辞めた。
無職期間もあったし、長年勤めた大手インフラメディアから比較すれば、年収も下がったが、嫁様の多大な助けもあり、子供も抱えながら、今は、何とか安定した状態になっている。
そんな経歴を辿ったボクが近くにいながら、ある意味真面目に生きた妹に、ある意味、「辛いときには、逃げてもいいんだよ!」と、もっと言えばよかったんだ。。。
「男はつらいよ」の寅さんのように、家族の中で異端の変なおじさんになっても良いから、もっともっと妹に、おせっかいしておけばよかった。。。
年末に、ボクは、「女の子に対する関係性の構築」に全人生を注いできたと言いながら・・・
結局は、ボクは、逃げ腰、及び腰な、腑抜け野郎ですよ・・・。
何やってんだ、、、ムーニー!!
悔恨の、大きな大きな、十字架を背負って、ボクは生きるしかない・・・。
オーケストラの中で
地元のアマチュアオーケストラのオーボエ奏者でした。
過去に「ローカルオーケストラの魅力」という形で書きましたが、
妹の交響楽団は、非常に質が高く、コンサートに行くたびに、本当に幸せな気持ちになりました。
オーケストラを家族揃って気軽に聴きに行って、その後みんなでご飯を食べたりする、そんな団らんの時も失われてしまいました。。。
ボクにとって、音楽の原点ともいえる、クラシック音楽を、より身近にしてくれる、大切な妹でした。。。
ベートーヴェンの交響曲第七番を「ベト7」と略しながら、無邪気に話をしていた姿。。。
しばらくの間、寂しいかもしれないけれど、ボクはこれからもクラシック音楽を聴き続けます。
大げさに申し上げますが、時代を超えたクラシック音楽を演奏している妹の心が、その音楽に溶け込むことで、妹の心も時代を超えて存在し続けるように感じるから。。。
家族じゃけぇ
嫁様と結婚して、妹がいた9年間、ボクは本当に嬉しかったよ。
家族になったから、逆に家族を失う喪失感を感じることにもなってしまったのだけれど、でも、家族でいてくれてありがとうと、もう伝わらないけれども、どこまでも感謝を伝えたい。
いや、「家族」と言っても、別に昔ながらの「家族」だけが家族の形じゃないことも、わかります。
しかし、「個人の尊重」、「多様性」が叫ばれる昨今ではあるけれども、現代の自由主義社会における「個人主義」は、決して完全なものではないとも思う。
その「個人」を補完する形で、過去の日本では、共同体としての村落社会、その後の高度経済成長期には、終身雇用、年功序列の会社が、その役割を担ってきて、もちろんそこに近代的「個人自由主義」と相容れない大きな問題があって、恐らく1990年代以降は、その問題を排除する方向に社会は急激に、大きく進んできたんだけれども、もう一度申し上げると、決してその「個人自由主義」は、完全なものではないんだよね。
「個人の尊重」、「多様性」が叫ばれる昨今であるからこそ、それと同じくらい、個人を受け入れる「共同体」の存在は、重要になってくるんじゃないかと思う。
同性婚の早急な法制化であったり、養子縁組制度の整備であったり、保育、教育から、介護福祉の問題も含めて・・・
いや、極端な話、ヤクザじゃない形の「兄弟仁義」に則る家族の在り方だって、もっと検討してもよいかもしれないですよ。
「個人を尊重」するからこそ、「共同体の在り方」も本気で考えないと・・・。
少し論が飛躍したけれど・・・。
みんな、生きましょう!
ボクも、妹の分も生きますよ!
考えながら、笑いながら、決して無理をしないように。
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