ヤなことそっとミュートのこと -思い出と思い入れ-
楽曲のこと、メンバーのことについて熱く語ったうえで、思い出やその魅力、今思うことなどをとりとめなくまとめようと思います。
僕がヤなことそっとミュートの存在を知ったのは、結成からおよそ半年、2017年の一月ごろのことでした。もともとロックファンで、ラブリーサマーちゃんが「ヤなことそっとミュートがいい」とつぶやいているのを見て、おもしろそうな名前だな、検索してみよう、となったのです(のちにそのラブリーサマーちゃんとツーマンライブがあり、さらに間宮さんと同じ学校という縁まであったのですから、不思議なものです)。つまり、この時点ではヤナミューがアイドルなのかバンドなのかさえ知らなかったのでした。
そうしてヒットしたのが、この動画です。
当時、ヤなことそっとミュートのライブは全編静止画動画ともに撮影OKで、ファンが撮影した動画がたくさんネットに上がっていました。そうしたファンの方々がいなければ僕が彼女らの魅力に気づくことはなかったと思うと、撮影・アップしてくださったファンの方、許可してくださった運営の方には感謝の気持ちでいっぱいです。
ライブ動画を見てすっかり惚れてしまった僕は、ちょうどアルバム「BUBBLE」のツアーでヤナミューが大阪へ来ることを知りました(当時は、大阪在住だったのです)。
初めての現場は、梅田・タワレコnu茶屋町店でした。今にして思えば、ヤナミューがライブハウス以外でライブありのリリイベを行うのは非常に貴重な機会だったわけですが(というか、このときが初)そうとは知らず、いそいそと足を運びました。
後のトークショーで、運営は「やはりインストアイベントは音が物足りない」と語っていましたが、初体験の僕として、これまで何度も体験したタワレコリリイベの中では断トツにいい音で、期待以上のライブでした。それまで、何度かアイドルイベントに行ったことはあったものの、ツーショットチェキの経験はなし。しかし、ヤナミューの特典会はチェキのみ。というわけで、僕の人生初のアイドルとのツーショットチェキは、間宮まにさんでした。
もちろんレコ発のライブにも足を運び、このころヤナミューは頻繁に大阪に来てくれていたこともあって、その際は必ずライブへ行き、まにさんとツーショットを撮る立派なヤナミューオタクに。とはいっても、ループするわけでもなく、認知もない弱オタでしたが。
カメコをするようになったのは、だいぶあとです。なにせ、ヤナミューのライブはただ聞いているだけで楽しいですから。拳を振り、声を上げ、体をぶつけるのが最高。カメラはどうしても邪魔になります。それでも、せっかくだからと何度か写真は撮りましたが、枚数はそこまで多くありませんでした。それはやはり、写真を撮ることよりライブを楽しむことを優先したからでしょう。
個人的にもっとも思い出に残るライブはなにか、と問われれば、僕は梅田クアトロでのバンドセットワンマンを挙げます。バンドセットライブはまだ東京で一回やっただけで、僕は初めてのバンドセットです。ヤナミューのサウンドは、絶対に生バンドの音が映えるにちがいありません。しかも、クアトロは音がよくステージも高く、好きな箱です。僕は、大きな期待を持ってライブハウスに足を運びました。
しかし、このときのライブは、その期待を軽々と超えるような素晴らしいものだったのです。ハイテンポなロック系の楽曲が素晴らしいのはもちろん、特に印象に残っているのが「天気雨と世界のバラード」と「am I」で、どちらも「そうか、こういう音を念頭に置いた曲だったのか!」と目を見開きました。興奮のあまり、エレベーターで一緒になった見知らぬオタクと感想を言い合い、それに遅れてエレベーターから降りてきたバンドメンバーにみんなで拍手を送りました。本当に、バンドセット二回目とは思えない、文句なしに素晴らしいライブでした。
個人的にとても印象深いのは、マスドレとのツーマンです(一度目は行けず、行ったのは南さんの生誕でした)。自分自身、もともとマスドレが大好きで、念願のツーマンでした。「ベアーズ」でヤナミューオタクたちがフロアで弾ける光景は、今思い出しても最高です。
反対に、行けずに後悔が残ったライブは、むろん、Zeppでのワンマンでしょう。当時本当に金欠で、迷いに迷って見送ってしまいました。経済的にしんどかった原因は、東京への引っ越しを控えていたこと。それも、ライブを見送った理由のひとつでもありました。東京へ引っ越せば、またいつでもライブを見ることができる。どんどん上昇していっているヤナミューであれば、Zeppすら通過点だろう。これからZeppやそれ以上の箱で見ることができる、と。
しかし、それっきり、ヤなことそっとミュートがZeppでライブをすることはありませんでした。
なぜ、ヤナミューはブレイクし切れなかったのか。レナちゃんの脱退、タニヤマさんの離脱、マスメディアでの取り上げられ方、売り出しの戦略などなど、考えられる理由はいくつかあります。
でも――あくまで個人的意見だと断った上で言いますが――その根本的理由はたったひとつだと思うんです。
それは「運」です。
だって、こんなに素晴らしいグループなんですから。素晴らしいコンセプトで、素晴らしい楽曲を、素晴らしいパフォーマンスで披露している。メンバーも運営も、一丸になって、より大きな舞台に立つために努力をしている。今でも覚えているのは、たしか赤坂ブリッツのワンマンあたりのインタビューで、メンバー個別のインタビューであったにもかからず、揃って「絶対に売れたい」「そのためにはスピード感が大事」「もっと加速してどんどん走っていく」と語っていたこと。ああ、運営もメンバーも、上へ行くために、相互に意思疎通を図り、同じ気持ちで進んでいるんだな、と感じました。こんなグループが売れないわけがない、とも。
活動していくうえで、そりゃあ、選択のミスがなかったとは思いません。しかし、誰かがどこかで手を抜いたとも思いません。となれば、売れなかった理由はもう、ほんの少しの歯車の噛み合わせ、運しかない。
売れないとしたらその理由は、運だけ。それぐらい最高のグループだった。
だってそれが、俺らのヤナミューだもの。そう思いませんか?
ヤなことそっとミュートの魅力はなにか。語りつくせぬそれを、少し語ろうと思います。
魅力の第一に、その楽曲を挙げない人はいないでしょう。90年代のオルタナロック好きであれば、絶対にその魂にぶっ刺さるサウンド。普通のアイドルグループであれば、メンバーは好きだけど音楽は別に、という人も少なからず存在するでしょう。しかし、ヤナミューに限ってそれはない。絶対にみんな、あの音が好き。でなきゃあの爆音のライブに耐えられませんものね(余談ですが、爆音と名高いヤナミューのライブ、僕は「音が大きすぎる」と思ったことは一度もありません。やっぱ、あれが適音ですよ)。
個々の曲の魅力についてはもう別稿で語りつくしたのでもう繰り返しませんが、とにかくどの曲もオルタナロック好きの心を掴むツボを外さず、かといってワンパターンということもなく。数々の楽曲派アイドルの中でも、楽曲制作のパワーという点はヤナミューが一番だと思っています。
しかし、ここで思います。「オルタナロック」を聞きたいだけなら、バンドを聞けばいいんじゃないの、と。それは道理です。ではなぜ僕らは、それでも特にヤナミューを愛したのか。
その理由として挙げたいのは、世界観、です。バンドでは味わえない世界が、ヤなことそっとミュートにはあった。
世界、と言ってしまうとふんわりしすぎているのでもう少し掘り下げると「ギャップ」という言葉になると思います。先に挙げたとおり、ロック好きの心を掴む快速ロックチューン、スピーカーから放たれる爆音、モッシュが起こるフロア。「強い」グループであることはまちがいありません。
しかし同時に「儚い」「繊細な」グループでもある。(運営の言葉を借りるなら)「思っていたよりナードな子たちが集まった」という、人見知りで陰性のメンバー。マイクの色まで統一された白一色。切なさを伝える歌詞。内向的なメンバーのツイート。
激しいライブとは好対照な、頼りない、半ば事故のようなMC。それに接するとき「ああ、これこそヤナミューだなあ」と感じます。
果たして、静と動、儚さと強さがこれほどの極端さで同居するグループが――全音楽界含めてなお――存在するのか。僕がここまでヤナミューにずぶずぶとはまりこんでしまった最大の理由は、これほど激しい音楽を表現するグループでありながら、同時に、いつ消えてしまったもおかしくないような儚さ、あやうさがあったからでした。
そういう魅力を生み出してくれたのが、メンバーであることは言うまでもありません。これもすでに別稿で書いているので繰り返しませんが、それぞれ儚さや繊細さを抱えるメンバーが、それとは好対照な激しいパフォーマンスをステージで見せる。さらには、不断の努力でもってどんどんパフォーマンスレベルを上げていく。彼女らの成長ぶりをずっと見てきた人間からすると、たとえ年齢は下でも「尊敬」という言葉しか浮かびません。ヤナミューで居続けること、上を目指すこと、パフォーマンスを高めること、新曲を覚えること、新しい挑戦をすること。決してそういうことが得意とは言えない人たちだから余計に、外からでは窺い知れない苦労があったはず。彼女らの頑張りがなければ、ここまで応援することはなかったでしょう。
運営の姿勢にも、敬意を表したい。先に書いた通り、メンバー自身が「スピード感を持って売れたい」と言葉を残したのは、運営ときちんとコミュニケーションが取れているから。コンセプト色が強いアイドルグループだと、メンバーはプロデューサーの操り人形になりがちです。しかし、ヤナミューはそうではありません。運営が、メンバーを大人として尊重しているように感じました。操り人形ではなく、自らの意思で歌い踊っていたからこその、あの熱いステージ。それは、運営のみなさんのおかげです。
慎さん、林さん、タニヤマさんは、ヤナミューの5人目、6人目、7人目のメンバーであるとさえ思っていました。素晴らしいグループを運営してくださって、ありがとうございます。
もうひとつ付け加えたいのは、ファンの雰囲気のよさ、です。フロアの楽しさ、と言い換えてもいいでしょうか。コールやモッシュは熱く、時にヤンチャに過ぎ、楽しむことに貪欲で、緩いところは緩い。みんなで「ヤなことFriday」を歌うのはとても平和で、楽しい時間でした。後悔、という意味では、常にぼっち参戦でファンの方々とほとんど交流できなかったのは心残りです。26日だけでも、同じ思いを持った人たちと余韻に浸りたいという気持ちもありますが、さて、どうなるやら。
長々と書いてきましたが、そろそろまとめに入ろうと思います。しかし、またここで、筆が動かない。
理由は簡単です。だって、書いたら、終わっちゃうじゃないですか。それが、寂しい。だから、進まない。
ヤナミューの楽曲の素晴らしさとかメンバーへの思いとかグループの魅力とかを暑苦しく語ってきましたが、それは結局、壮大な前振りだったんだな、と思います。
それだけすごいグループがなくなってしまうのが、寂しい。めちゃくちゃ寂しい。ただただ、その寂しい気持ちの大きさを表現するために、ここまでグループのすごさを語ってきたんだな、と。
僕はどこかで、ヤナミューがいつまでも続くと無邪気に信じていたように思います。メンバーの誰かが結婚しても、子供が生まれても、三十歳になっても、四十歳になっても、ヤナミューはヤナミューでいい。ずっと続くはず。
恥も外聞もなくわがままを言うなら、今だって、辞めてほしくない。辞めるのを撤回してほしい。「お疲れ様」「六年間に感謝」そんな言葉を並べたって、やっぱりそれが本音だった。
ただどこかで、いつまでも続くわけがない、という感情があった気もします。だってヤナミューは、儚いグループだから。痛みや苦しみを引き受け、傷つき、悩む人たちだから。それが限界を迎えてしまうのは、ありうること。そういう儚さや繊細さがヤナミューを愛した理由だったのですから「それはなしにして図太く続けてくれ」と要求するのはアンフェアです。
逆に言うなら、六年間も続けてくれたことのほうが奇跡だったのかもしれません。二十歳そこそこの女性にとっての六年間は、人生そのものと同じぐらいの長さだったでしょうから。
六年間も続けてくれたことで、たくさんの名曲が生まれました。たくさんの思い出もできました。散々ヤナミューの魅力を語ってきましたが、それは、それだけ忘れがたい素晴らしい思い出であった、ということでもあります。
思い出と思い入れは不可分です。「Lily」は、きれいなはずの思い出が思い入れに変わってしまう恐れを歌いました。しかしそれは、強い思い入れほど深い思い出に変わる、ということも意味するように思います。
ヤナミューへの思い入れは、忘れえぬ思い出へ変わるでしょう。それほど深い「思い入れ」ーー傷、と言い換えてもいいーーを、ヤナミューは、僕に与えてくれた。
6月26日のラストライブは、より深い刻印として、僕に思い入れを残すでしょう(今、その瞬間を想像するだけで、猛烈な寂しさを覚えました。当日はどうなることやら)。いいも悪いもなく、ただその事実のみを記して、この稿を締めます。
ヤなことそっとミュートのことを、一生忘れません。