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思い出話エクストラ⑤ Zeppのさらにその先へ

吉澤悠華の五年間

 吉澤悠華さんが、活動歴ですでに2020年に卒業したオリジナルメンバー三人を抜いている、と気づいたときは驚きました。しかし、冷静に考えればそうなんですよね。十五歳で加入して、沖口さん以外誰一人越えなかった二十歳の壁を越えたのですから。
 個人的な話で申し訳ありませんが、去年の定期公演で、こんなことがありました。

 いやもうしどろもどろになるしかなく、というお笑いエピソードなのですが(それなのになぜかそこそこ伸びた)。
 それはさておき。じゃあ自分は実際、なぜあのころの吉澤さんに惹かれ、その後に吉澤推しにならなかったのか、ということを考えたんですよ。
 6人時代のマジカル・パンチラインは、小山リーナという圧倒的エースがいて、清水ひまわりがそれに負けない存在感を持っていて、歌が上手いMCできる個人仕事も多いという浅野杏奈がいて、という個性派集団でした。彼女らの存在は、とても華やかだった。
 少なくとも初期、吉澤さんは、先輩たちの影に隠れながらも「あれ、この子もめちゃくちゃ美少女じゃない?」枠でした。
 しかし彼女はそこで、少しずつ個性を伸ばしていきます。苦手だった歌もダンスも、少しずつ上手くなっていきます。「清楚キャラ」というよそ行きの顔を脱ぎ捨て、変顔も辞さないはっちゃけキャラとして立場を築き、ファンを増やしていきます。
 そんな彼女の健気な頑張りに心惹かれて、僕はちょくちょく特典会で彼女のところに行っていました。
 そうして迎えた三人の卒業で、彼女は子供のように号泣します。ファンは思っていました。マジパンの次世代のエースは吉澤悠華だろう、と。しかし同時に、甘えん坊で泣き虫、末っ子気質の彼女がその重責に耐えられるだろうか、と不安にも思っていました。
 それを鮮やかに払しょくしたのが、横浜ベイホールでの新体制ファーストワンマンでした。自身でデザインしたオーロラホワイトの衣装でセンターに立ち、堂々と「今日がまだ蒼くても」の落ちサビを歌う姿は、どこからどう見ても人気アイドルグループのエースそのもの、でした。
 すごいぞ、はるるん。あの場にいたすべてのマジファンが、そう思ったことでしょう。
 その後も彼女は、グループのエースとして、センターとして、マジパンを引っ張っていってくれます。一人だけ年長である沖口さんをいじることで、上と下を繋ぐ潤滑油の役割も果たしてくれました。忙しい中、それからもグループの衣装のすべてをデザインしました。正直に書きますが、前体制の衣装は、表向きには言わなくてもファンの間で賛否両論が起こることもありました。しかし、マジファン同士の表に出ない会話ですら、吉澤さんの衣装を否定する声はありません。どれもとても可愛いし、一人一人の個性に合わせて丁寧に作りこんであることが分かるからです。さすが、天才デザイナー。ワイドナショーに十回以上も出演したり、プリクラ「ベピウ」のメインモデルを務めたりと、個人仕事も頑張っています。
 大学生になって、ときどき彼女は「レポートが大変だ」とこぼしています。毎週のようにイベントがあるアイドル活動と学業の両立は、本当に大変なのでしょう。ましてそこに、衣装デザインまで加わるのですから。こちらが気軽に「大変だね」と口にする何倍も大変であるにちがいありません。
 しかしそれでも彼女は、彼女らしい天才的に可愛らしい笑顔で、ステージの真ん中でスポットライトを浴びます。
 マジパンのワンマンライブを見た浅野杏奈さんが、吉澤さんに「もっとはるからしく暴れてもいいのに」と感想を口にしました。それに対し吉澤さんは「私なりに考えてるんだ」と答えました。
 本当にその通りなんだと思います。新メンバーとして、年少組として、好き勝手に暴れることができた6人時代とはちがう。エースとしてグループを引っ張り、先輩として年少組を暴れさせてやり、沖口さんが孤立しないよう気を配り、アイドルとして自分が可愛らしく目立つこともちゃんと忘れない。
 自覚と責任。ふわふわとした見た目に反し、彼女の中には今、それが太く育っているのです。アイドル歴は五年。しかし、まだ弱冠二十歳。それは本当に、すごいことです。
 アイドルの推し方は、人それぞれいろいろあるでしょう。僕の場合、どこか頼りない、危ういところがある人を推しがちです。(そんなのは自意識過剰であると分かったうえで)自分がこの子を支えてあげなきゃ、と。
 先輩たちの影でこつこつ頑張る吉澤さんは、助けてあげたい、と思う存在でした。しかし、今の吉澤さんは、堂々と自立した立派なエースです。
 支えてあげないといけない存在から、自覚と責任を持って、自立した存在になった。僕が吉澤推しにならなかったのは、それだけ彼女が成長した、ということの証明になるのではないでしょうか(いやそんな理屈はいいから推せ、という本人からの苦情は受け付けます)(一推しじゃないけど大好きでリスペクトしてるよ、はるるん)。

沖口優奈の八年間

 今回、改めてマジパンの歴史の続きを書くために過去の記事を読み返していて、ふと気づいたことがあります。
 マジパンって、歴代で泣き虫キャラを引き継いでいるんだな、と。
 第四章の泣き虫キャラは、もちろん宇佐美さんです。第三章は、吉澤さん。第四章からは滅多に涙を見せなくなりましたが、加入当時はしょっちゅう泣いていました。で、超絶無敵のようなオーラを持つ佐藤麗奈も、実はアイドリング!!!時代は末っ子ポジションで、泣き虫だったんですよね。先輩の卒業でボロボロ泣き、体重を計られる番組のドッキリで(ひどい企画ですね苦笑)泣き。しかし彼女もまた、マジパン結成以降は滅多に涙を見せなくなりました。
 では、マジパン結成初期(第一章)の泣き虫は誰だったのか。意外に思われるかもしれませんが、最年長の沖口さんでした。

 この動画は、メジャーデビューCDリリース前日のイベントの模様です。翌日のデビューイベントでは五人全員泣くんですが(笑)この日は唯一、沖口さんだけが涙。グッズとして発売することが告知されたタオルで清水さんに涙を拭ってもらい、会場からは失笑が起こっています。
 ただ、このシーンから伝わってくるのは、沖口さんのアイドルへの強い思いです。
 小見出しのタイトルを「沖口優奈の八年間」としましたが、それは正確ではないかもしれません。なぜなら彼女が初めてアイドルを志したのは13歳のとき、今から13年前のことだからです。アイドリング!!!五期生オーディションで最終候補に残り、候補生としてTDCホールのステージに立ちながら、落選しました。


 ネットを漁っていたら、そのときの動画を発見しました! 沖口さん本人はめっちゃ嫌がるだろうけど! みんな、いじるんじゃないぞ!

 それから五年、大阪で普通の女の子として毎日を送りながら、それでもアイドルへの夢を諦めきれず、これが最後のチャンス、という気持ちでマジパンのオーディションを受け、見事合格します。デビューミニアルバム初回限定盤に収録されたDVDにて、デビュー曲のデモを聞いたとき「初めて自分の曲がもらえた」という感動でもまた、彼女は涙を流していました。
 しかし、彼女のアイドルとしての人生が、大阪で思い描いていたほどキラキラと楽しいものだったかといえば、そうとは言えません。
 率直に言って、彼女の歌とダンスは、歴代9人のメンバー加入時で比べて「ダントツで下手くそ」でした。音程はとれない、声量は頼りない、リズムに乗れない、ステップは踏めない。できないがゆえに、自信なさげに、不安そうにパフォーマンスをしていました。今の彼女の姿からは、想像できないですよね? 本当に、そう思います。それだけ、めちゃくちゃに頑張ったということなのです。
 また、ここまで記してきたように、マジパンの歴史は波乱万丈なものでした。何度も心折れかけ、何度も諦めかけてきたでしょう。しかしそれでも彼女はくじけず、唯一のオリジナルメンバーとして「マジカル・パンチライン」というバトンを、8年間繋いできてくれました。
 佐藤麗奈卒業後はリーダーを引き継ぎ、第四章からはプロデューサーも兼任するようになりました。その負担の重さを心配する気持ちもありましたが、彼女は立派にプロデューサーを務めたのです。現役のプレイヤーなのでメンバーの気持ちが分かる、経験が長いので大人のスタッフの気持ちも分かる、元アイドルファンでファンとも距離が近いのでファンの気持ちも分かる。全てを分かって、誠実にグループを運営してくれる彼女は、アイドルプロデューサーとして唯一無二であるとさえ言っていいでしょう。
 また、第四章ではプレイヤーとしてもより進化しました。一番の変化は、被写体としての成長です。先日、久々にマジパン現場に来たカメコが言っていました。
「沖口さんが撮りやすくなってる!」
 と。まったく同意。以前は、動きは可愛いんですが、静止画になると事故画率が一番高かったのです。それが、第四章からはとても撮りやすくなりました。
 歌の成長も特筆すべき点でしょう。いや、歌唱力自体は第三章から高くなっていたのですが、目立つパートを引き受けることはありませんでした。しかし第四章からは「プロデューサーになったからといって後ろに引っ込むつもりはない!」と言わんばかりに、ソロパートが増えたのです。
 そのうちのひとつが「名もなきヒーロー」の落ちサビです。マジパンでの沖口優奈曲と言えばなにか。多くの人が「名もなきヒーロー」を挙げるでしょう。
 普通の自分でも、胸に覚悟ひとつ貫けば、ヒーローになれる。それこそ「沖口優奈」なのではないでしょうか。そうして貫き通した「俺たちのヒーロー」こそ、沖口優奈なのではないでしょうか。
 一度はアイドルファン卒業を宣言した自分が、なぜ戻ってきたのか。その理由はひとえに「沖口さんが頑張っているから」です。
 (こういう言い方はおこがましいと分かったうえで)僕にとって沖口さんは、アイドルというより、苦闘の8年間を共に戦ってきた「戦友」です。戦友が歯を食いしばって戦っているのを、見捨てることはできません。
 沖口さんがアイドルで居続ける限り、マジカル・パンチラインの応援をやめません。

マジカル・パンチラインの三年間

 最後に、第四章のマジカル・パンチラインの総括を簡単にして、連載の(いったんの)締めとしましょう。
 第四章のマジカル・パンチラインは、いったいどんな変化があったのか。大きく言って、次の三点ではないかなと個人的には考えています。
 一つ目は、コンセプトの明確化です。第一章は魔法設定がありましたが、生煮えで、メンバー自身もそれに戸惑っていました。第二章、第三章でそこからの脱却が図られたものの、はっきりコンセプトが掲げられることはありませんでした。
 「キラハピ」というコンセプトは、はじめ(火曜The Nightで矢口真里さんにイジられたように)「ざっくりしているなあ」という印象でした。まさかそれで三年間を駆け抜けるとは思っていなかった。しかし、今となってはいいコンセプトだったと感じています。とにかく世界を明るくハッピーにしたい。最高の笑顔を届ける。そういうコンセプトがあったからこそ、メンバー自身もブレることなく向上していくことができたのではないでしょうか。
 二つ目は、パフォーマンスの向上です。第十七話のファーストワンマンにて僕は「どこへ出しても恥ずかしくない」と書きました。しかしそれは裏を返せば、他と比べて見劣りはしないが格別優れているわけではない、という意味でもありました。ただ、そこからマジパンは(一人一人の項で触れた通り)少しずつパフォーマンスを向上させていきます。レッスンをして、ちゃんと上達していけるアイドルは、意外と多くありません。その点、意外とマジパンはスポ根チームでもあります。
 それが結果として結実した象徴のひとつが、コミコンでしょう。あのライブは「恥ずかしくない」どころではありませんでした。「どこへ出しても恥ずかしくない」から「どんな人でも魅了できる」への成長が、この三年間での大きな変化でしょう。
 最後に挙げたいのは、ファンとの距離感の変化です。初めてファンクラブイベントが開催されたのは、2019年秋のことでした。メンバーとバーベキューができる、と喜んだものの、メンバーは順に各テーブルを回ってくるだけ。相手はアイドルですから仕方がないことですが、物足りなさも覚えていました。
 しかし、最近のバスツアーやボウリングイベントはどうでしょう? 本当に、メンバーと一緒に遊んでいるような距離感です。SNSでも、いいねはもちろんのこと、唐突にリプが来ることさえあります。特典会の待ち時間等でも、メンバーから気軽に話しかけてくれます。
 変な行動をするファンがいたらどうしようとか、あの人だけ贔屓されていると文句を言うファンがいるかもしれないとか、そういう警戒をするのは当然です。しかしそこから「あ、これは大丈夫そうだな」と、距離がどんどん縮まっていきました。その要因が、マジファンたちの「鉄壁の治安のよさ」であることは言うまでもありません。運営から、メンバーからのファンへの信頼の証、と言ってもいい。その気持ちは、とてもありがたい。
 メジャー事務所所属のアイドルであるにも関わらず、これだけの距離の近さは、破格なことです。そうあることではない。これからも大事にしていきたい関係です。

 思えばマジカル・パンチラインは、メンバー、スタッフ、ファンまで含めた「チーム」という意識がとても強いグループであると個人的に感じています(でなければ、ファンが新規ファンにCDや冊子を配ったりしないでしょう)。
 自分自身の満足のためにファンでいる、というのは大前提。でもそれと同じくらい、メンバーの幸せを、グループの夢が叶うことを祈っている。同じ夢を見る同志として、マジパンがいつか、Zeppどころではない大きな舞台に立つと期待している。
 もちろん、これを今読んでいるあなたも「チーム・マジパン」の一員です。老いも若きも、古参も新規もお久しぶりの人も、男も女も、肩を組んでともに進みましょう。
 Zeppの、さらにその先へ。

 いつか、次の大きな節目――十周年とか、武道館ライブとか――で、この連載の続きを書くつもりですので、どうぞお楽しみに。

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