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第二巻~オオカミ少年と伝説の秘宝~ ③-4-1



    
 
 それから七日後の昼すぎ。
 海賊船『女神の翼』号は順調に航海をし、ゼーガント諸島をのぞむ海域に出た。
そして、ランたちは急な崖が続く海岸線に注ぎ込む滝の裏に隠された、古代の遺跡へと辿り着いたのである。
「すっげ――……」
 晴れた空の下、甲板に立ったランは目の前の滝を見上げた。
 海賊船のゆうに二倍はあると思われる幅の滝は、まるで水の壁のようだった。
「こんなとこ、初めて見たわ」
《滝は滝でも、霧の魔女と出逢った滝とはまるで違うな》
 それから海賊船は錨を降ろした。四艘の小舟に二十人が分乗し、滝の裏側へと進む。残りは海賊船で待機だ。
 ランとアージュは、マーレとアルヒェとジッドとガレオスの舟に乗せられた。四艘の小舟の先頭を切ったジッドの舵で、舟は滝と崖の間に回り込む。
 滝の裏側はまるで洞窟だった。一行はたいまつを掲げ、その明かりで遺跡の入り口を目指す。
 やがて舟の底が水底にあたり、ランたちは舟を降りた。
 水を跳ね上げて足を突っ込んだ先は、驚いたことに階段だった。
「えっ、階段?」
 すると、アルヒェが笑った。
「こんなところに階段? ってびっくりするよね。僕は、ここは神殿の入り口じゃないかと思ってるんだ」
 たいまつを持ったジッドが先を行き、ランたちもそれに続く。
 そうして、ゆるやかな階段を上り切った先には――大きな両開きの扉が待ちかまえていた。
「いよいよだな――」
 扉を見上げ、ガレオスがうなずく。
 その扉には、様々な彫刻が施されていた。人や動物を象ったものもあれば、文字らしきものも見える。アルヒェが前に進み出て、扉の文字を指先でなぞった。
「見て――この扉の紋章や文字からすると、古代アーキスタのものらしいんだ。つまり、アーキスタとゼーガント諸島は同じ民族が住んでいた可能性が高いんだよ」
 と、うれしそうに言われても、ランやアージュには専門的なことはさっぱりわからない。
「――で、なんて書いてあるかわかってるの?」
 アージュが訊くと、
 
「ああ、一ヶ所だけ。『神聖なる場所を侵す者には死を与えん』」
 
 物騒な内容をさらりと言って、アルヒェは微笑んだ。
「死……って、ここに入ったら、死ぬかもしれないってこと?」
 ランがびっくりして声を上げると、ガレオスがぽんぽんとランの頭を叩いた。
「な? すっげーお宝が隠されていそうな気がするだろ?」
 さすがは海賊。『死』という言葉を恐れることはないらしい。
「いちいちびっくりしてたら、遺跡の調査なんてできやしないよ」
 考古学者のアルヒェも違う意味で肝がすわっているようだ。
「どうしても、ここの鍵が開かなくてね。オード、頼むよ」
《遺跡の調査となれば致し方ない》
 海賊のためというのはごめんだが……と暗に含んだ言い方をして、オードはランに鍵穴に自分を挿すように指示した。
 ランは念のため鍵穴にフッと息を吹きかけ、ほこりを払うと、
「行くよ――」
 オードをそっと差し入れた。
 そうして、ゆっくりと回し、ガキ――キン……と少し嫌な音がしたあと、扉が開いた。
「さすがは魔法の鍵だ」
 ガレオスがひゅっと口笛を吹いた。
 両開きの扉を一枚三人がかりで開けると、カビくさい臭いがムッと鼻をついた。長い間、誰も立ち入らなかった証拠だ。
 先が真っ暗で何も見えないが、この奥には未知なる世界が広がっているのだ。
「いよいよ、ここのお宝を頂く時が来た! 野郎ども、続け!」
「お――っ!」
 ガレオスが剣を掲げて叫び、ジッドやゲネルをはじめとする海賊たちが雄叫びをあげる。
「どんなお宝が眠っているのかしらね」
「うん、楽しみだね〜」
 アージュとランも遅れないように海賊たちのあとに続いた。
 
           


 
 入口のそばに見張りをふたり残し、一行は奥へと進んだ。
 扉の奥は通路になっており、壁画が描かれていた。
「……すごいっ、これはざっと見たところ物語になっているよ」
アルヒェひとりが感嘆の声をもらした。
 ランも左右をきょろきょろと見たが、暗い上に色が褪せていてよくわからなかった。が、眺めているうちに、赤ん坊が生まれ、子どもへと成長していく過程だとわかった。
「古代神の誕生か、それとも古代王朝の王の誕生場面か……うーん、実に興味深い」
 しかし、壁画などに興味のない海賊たちは、奥へ奥へとずんずん進んでいく。
「でもさ、なんでこんな真っ暗なところに絵が描いてあるワケ?」
 ランが誰にともなくつぶやく。たいまつがなければ、本当になにも見えないだろう。
 すると、アルヒェがうれしそうにささやいた。
「ラン、君は学者の才能があるかもしれないな。そういう小さな疑問を出発点として、研究というのは進めていくものなんだよ」
「へー、そうなんだあ」
 ほめられて、てれて頭をかくランに、
「地図も読めない、こんなお気楽単純バカが学者なんてムリムリ」
「あら、ランは海賊になるのよ? ね?」
 アージュとマーレが同時に声を上げ――視線をバチバチと戦わせると、ツンと顔をそらした。
 壁画の絵が青年になったところで、戦いの場面が多くなった。
 そうして、壁画がぷっつりと途絶え、ただの真っ暗な空間が広がった。
「天井がかなり高いらしいな……」
 ジッドとゲネルが、上の方の空間を撫でるようにたいまつの炎を掲げて動かす。
 すると大人の背丈ほどもある高さの位置に、きらりと光るものがあった。
「おい、あそこになにかはまっているぞ!」
 ゲネルがもう一度、たいまつを寄せ、それを確認する。
「緑色の……?」
 それは緑色の鉱石でできた円形のものだった。なにやら模様が彫り込まれている。
「おい、こっちにもあるぞ」
 若い海賊の声に、ジッドが駆け寄り、それを照らす。
 闇に目が慣れてきた一行は、それが等間隔に壁に埋め込まれているものだとわかった。
 緑色の円石板が五つ並んだあと、今度は赤い円石板が現れた。
「緑の次に赤ってことは……」
 ガレオスのつぶやきを、アルヒェが引き継ぐ。
「緑蘭月と赤蘭月を現しているのかもしれませんね」
 ランの横でアージュが息をつめた。赤蘭月と聞いて、身構えたのだ。
《万一のことがあってはいけない。アージュ、目をつぶりたまえ》
 オードが他の者に聞こえないようにささやき、「オレにつかまって」とランがアージュの手をとって、ぎゅっと握った。
 ジッドが赤い円石板を照らしながら、進んでいく。
「船長、この赤蘭月なんですがね、だんだん大きくなっているような気がするんですが」
 赤蘭月は魔の月だ。魔物を呼ぶ、血の色の月。
 今は暦の上では青蘭月だが――この空間では今、赤蘭月が下を歩いていく者を照らしているのだ。
 一行の間に、沈黙が落ちた。嫌な予感が一気に広がる。
 そうして、ランたちは唐突に広場のような空間の前に出た。
「ここは――!?」
 天井には、ひときわ大きな赤い円石板がはまっている。
「なあんだ、なにもねえじゃねーか」
 ジッドのつぶやきに皆がホッとした――直後。
 
 ブオォォ――――ンッ!
 
 と空を切って、いきなり左上方から大きな鎌が襲ってきたのだ!


 間一髪、ジッドは鼻先すれすれでそれをかわし、飛び退いた。
 巨大な鎌は左から右へ、右から左へと、振り子のように刃を移動させている。
先の方は暗くてよく見えないが、それはいくつもあるようだ。一枚目を避けて安心しても、二枚目でざっくりとやられるだろう。
「赤蘭月に血の雨を降らせようって寸法か……」
 おもしれーじゃねーか、とガレオスがニヤリと笑った。
 しかし、ついてきた海賊の大半はすでにこの仕掛けを見て、怯えていた。
「せ、船長、まさか先へ行こうってんじゃ……」
「じょ、冗談っスよね、へへへ」
「ちびりそうなヤツは来なくていいぜ。ただし、あとで簀巻きにして海に放り込んでやるがな」
「ひ、ひえ〜っ」
「あ、おいっ、待てって!」
 何人かの海賊が泡を食って逃げ出し、ガレオス、ジッド、ゲネル、マーレを含む九人の海賊が残った。アルヒェはやはり肝がすわっているのか、涼しい顔で立っている。
「……ったく」
 ガレオスは舌打ちした。ふと、ランと目が合い、彼はニカっと笑った。
「みっともないとこ見せちまったな、小僧」
「あ〜、海賊って、もっと勇敢かと思ってました」
《いや、海賊だからというのではなく、あれを見れば逃げて当然だ》
 つまり、この場に残った人間はただ者ではないということだ。
「どうしたの? アージュは具合でも悪いの?」
 ランにつかまったままうつむいているアージュを見て、マーレが少し嫌味な感じで言うと、オードがとっさに言い訳を口にした。
《アージュはその……赤蘭月になると体調を崩す体質で……これは本物ではないが万が一を考えて目をつぶっているのだ》
「ほお、意外な弱点だな。お嬢ちゃん、帰ってもいいんだぜ?」
 ガレオスの言葉に、アージュはキッと顔を上げた。
 
「ううん、先へ行くわ。このぐらいでお宝をあきらめてたまるもんですか!」
 
「ハッハッハッ、その意気だ! お嬢ちゃん。さて……」
 ガレオスは言葉を切って、アルヒェを見た。
「おい、学者先生、止め方わかったか?」
「どういう仕掛けかはわかりませんが……勘で言っていいですか?」
「おう、なんだ?」
「たいまつを消して下さい」
「たいまつを!? これ消しちまったら、なんにも見えなくなるじゃねーか!」
 怒鳴ったのはゲネルだ。しかし、誰もがそう思うのは当たり前だ。陽の光のまったく入ってこない洞窟のような地下神殿の中で、火を消したら――あたりは闇に包まれる。
「まあ、待てよ、ゲネル。学者先生の話を聞こうじゃねーか」
 ガレオスはパイプを取り出して、余裕の表情で火をつけた。たいまつを消すなら、今のうちに吸っておこうというつもりなのだろう。
 これを見て、オードは先日のアルヒェの話を思い出した。ガレオスがアルヒェを信頼しているのは本当だったのだ。
「で――どうなんでえ?」
「天井に赤い円石板があります。あれが赤蘭月だとしたら、あの光をなくせばいいんです」
 アルヒェの考えはこうだった。
 たいまつを消せば、光源を失った円石板は赤い光を降り注ぐことはできない。
仕掛けはわからないが、光がなければ、鎌の動きは止まるだろう。あたりは闇に包まれるが……鎌が襲ってくるよりはマシだ。
 これを聞き、ガレオスは煙をうまそうに吐くと、パイプの火を消した。
「なるほどな……大胆な賭けだ」
「普通の人間なら、先ほど逃げた者たちと同じように簡単にあきらめるでしょうしね。明かりを消すことを思いついても、闇の中を進んでいく勇気がある者は……ほとんどいないでしょう」
「よし! ジッド、ゲネル、たいまつを消せ、と言いたいところだが……」
 ガレオスは残った手下を見て、その中からふたりを選ぶと、ジッドとゲネルからたいまつを受け取らせた。
「これを持って、さっきの緑蘭月の通路で待機してろ。帰り道に必要だからな」
「ういっす!」
 手下ふたりはたいまつを持って駆け戻っていった。
 彼らがいなくなると、あたりは闇に包まれた。鎌がブォンブォンと唸る音が不気味に響く。
「これで止まらなければ……また出直すしかねーな」
 暗闇の中、ジッドの舌打ちが聞こえた。
 
 ――どのくらいの時間が経ったのだろうか。
 鎌の唸りが静まったあとも、一行はじっと息を飲んで、完全に動きが止まるのを待った。
 ガレオスが剣を抜き、切っ先を闇に突き出して、一枚目の鎌を軽く叩いた。
「よし、止まったみたいだな。行くぞ」
 一行は闇の中、匍匐前進の要領で腹這いになり、壁際を進むことにした。動きが止まったとはいえ、ちょっとした身体のぐらつきで鎌の刃でやられたら、たまったものではないからだ。壁には鎌が広間いっぱいに振れることができるように、大きな切れ込みが入っていた。なので、壁際ぎりぎりまで大鎌の刃は迫っているのだ。
《呆れるほど、念のいった作りだな》
「それだけ、この先に守りたいものがあるのよ」
 赤い円石板が光を放たなくなった今、アージュはいつもの余裕を取り戻している。
「それにしても、よくわかったね~~。アルヒェって頭いいんだ」
 ランの呑気な声に、前を這っていくアルヒェが笑いながら答える。
「こういうときはね、仕掛けを作る側の気持ちになればいいんだよ。作った人は仕掛けの出来を確かめるし、点検もしただろうし、作ったあとは家に帰っただろうからね」
「なるほど~~、おもしろいね、考古学って!」
《ラン……アルヒェのひらめきは考古学とは関係ないと思うが……》
「ハッハッハ、まったくおカタイなあ、オードは。ひらめきも考古学には大事なんだって」
《そ、そうか、そう言われると……》
 話が微妙にズレている気がしないではないが、オードは一応、納得した。
 しばらくして、一行は赤蘭月の広間からの脱出に成功した。
 次は予想した通り、先ほどの緑蘭月の通路と同じような空間で、壁には青い円石板がはめ込まれていた。たいまつもないのに、なぜ見えたのかというと、青い円石板が独自に淡い光を放っていたからである。
 その青い円石板が七つ続いたところで、今度は紫色の円石板が現れるかと思いきや――再び、真っ暗な空間に出た。
「石板は? どこにも見あたらねえぞ」
 ゲネルの声が聞こえた。が、誰がどこにいるのか、まったくもってわからない状況だ。
 すると、闇の中に小さな赤い光がぽつんと現れた。
「ジッド、ろうそく持ってるか?」
「へ、へい、船長」
 その直後、小さいが、ろうそくの火が灯った。ガレオスがうまそうにパイプを吸い、煙をくゆらせている。
「あれ? さっき消したんじゃ……」
 ランが目を丸くすると、ガレオスはニヤリと笑った。
「ちゃんと火種を残しておいたのさ。俺様は知能派の海賊なんでね」
「なるほど〜、カッコイイ!」
「小僧、おめえはさっきから感心してばっかだな」
 ゲネルがからからと笑う。
 それから、ジッドにひとり一本ずつろうそくをもらって火をつけた。
 すると、壁際にまたもや壁画が描かれているのがわかった。
「これはさっきの続きですね」
 今度は盛大な祭りの場面のようだった。たくさんのごちそうが並び、人々が歌い踊っている様が描かれている。
「戦いに勝ったってこと?」
 アージュがつぶやくと、少し先を見ていたマーレが「こっちを見て」とみんなを招いた。
「これ、結婚式みたい」
 王冠をかぶった青年が花のかんむりをはめた女性の手を取っている場面があった。まわりの人々がひざまずき、顔を上げ、手を伸ばしている様はふたりを祝福しているように見える。
「古代アーキスタ王朝の王子が勇敢な若者に成長し、戦いに赴き、平定した国の姫を娶った……そんなところでしょうか」
 アルヒェが今までの流れを思い出してこうまとめると、アージュがぼそっと言った。
「それって、敵の王子に嫁いだってこと? イヤな話ね」
「政略結婚なんて、どんな時代にもある。珍しいことじゃない」
 アルヒェが答えると、「そうだな」と何人かの海賊たちがうなずいた。
《イヤな話だ……》
 オードがランにしか聞こえないような小さな声でつぶやいた。
(そういや、フィアルーシェさまの結婚って……どうなったんだろう?)
 隣国のデリアンに嫁がされそうになっていた、グランザックの王女さま。王女さまはオードを想っているのだ。だから、その結婚話は白紙に戻っているといいが――。
 ろうそくを灯した一行は、壁画の間を抜け、再び暗い通路に入った。
 予想通り、壁には紫蘭月を模した紫の円石板がはめ込まれている。そして、それが四枚続いたあとは――。
「みんな、火を消せ」
 ガレオスの指示で、ランたちはろうそくの火を吹き消した。
 例によって、先ほどと似たような広間があることを予想し、立ち止まる。
「さて、どんな仕掛けが出てくるかな」
 おもしろそうなガレオスの声が聞こえた直後、
カツン……
と、なにかが床に転がるような音がした。
ガレオスが金貨を一枚、広間に投げ込んだのだ。
 一行は息を飲んで、なにが起きるかを待った。
 カツン……二枚目の金貨が放られ、ふたたび沈黙が訪れる。
 随分、長いことじっとしていたが――なにかが起きる気配はない。
「さっきとは様子が違うみてえだな」
 ガレオスがパイプをくわえ、ろうそくに火をつけた。
 広間の奥に目をこらしていたマーレが、悲鳴を飲み込むように小さく叫んだ。
「誰かいるみたい」
「え……っ」
 緊迫した空気が走った。こんな真っ暗闇の中に潜んでいるとしたら――それは魔物に違いないと誰もが瞬時に思ったのだ。
「ちょっと待って――」
 アルヒェが進み出て、ふところからなにやら取り出した。それは小さな鏡だった。
「誰か剣を貸して下さい」
 手下のひとりから剣を借りると、アルヒェは紐を取り出し、剣の先に鏡をくくりつけた。そうして、それをそっと広間に差し入れる。
 剣の先を動かして中の様子をさっと探ると、アルヒェは鏡を外して、今度はろうそくを取り付けた。火をつけ、再び同じことをする。
 灯りを入れても、広間に変化はなかった。
「学者先生、なにがあったんだい?」
「鎧です。矢をつがえた鎧が壁一面に立っています」
「なあんだ……」
 マーレがホッと胸をなで下ろした。誰かいると思ったのは、鎧だったのだ。
「ったく、ただの鎧かよ。んじゃ、船長、おいらが先に入ってみまさあ」
 手下のひとりが自分のろうそくに火をつけ、ずかずかと広間に入り込んだ――とたん。
 ひゅっん! と音がしたかと思うと、
「うぎゃっあ!」
 一本の矢が先に入った手下の右腕に刺さっていた。
「馬鹿野郎! 早く戻れ!」
 手下は転がるように通路に向かったが、転んでしまった。
矢が飛んでくる中、ゲネルとジッドが慌てて手下の足をつかみ、こちらに引っ張り込む。


「やっぱり仕掛けがありやがったか」
 ガレオスがチッと舌打ちする。
「また腹這いで進みゃあいいんじゃねえっスかね?」
 ゲネルが手下の矢を抜き、手当てをしながら言った。
「ううん、そんな単純なものじゃないみたいよ」
 アージュが広間の床をにらみすえながら、アルヒェを振り返った。
「見てよ、床の色がいちいち違うのよ、ここ」
 怪我をした手下が落としたろうそくが消えずに、広間の床に転がっている。
 そのわずかな灯りが照らす中、確かに彼女の言うとおり、床の色がそれぞれ違って見えた。
「赤、紫、黄色、黒、……青、緑、白?」
 同じように中を覗き込んだランがそれぞれの色を見てつぶやく。
「それって、月の色と同じじゃない」
 マーレが言い、アルヒェが「あっ」と声を上げた。
「なんとなくわかってきました。ここは灯りをつけないと通れないんですよ」
「どういうことだい? 学者先生」
「きっと、踏んではいけない色があるんです。もしくは、それを踏まないと安全に向こうに行けない色が」
「で――それはいったいどれなんだよ」
 ゲネルがイライラしたように言う。
「少し待って下さい、考えますから」
 そう答えて、アルヒェは顎に手を当て、しばらく黙り込んでしまった。
きっとまた、作る側の立場を想像して、いろいろと考えをめぐらせているに違いない。
 その間に、ランたちはそれぞれのろうそくに火を灯していく。
「おい、おめえ、さっき踏んだ色覚えてるか?」
 手当を終えたジッドが、怪我をした手下に訊いたが、彼は「わかんねえっス」と首を振った。
「紫蘭月は魔の月だから……紫色の床さえ踏まなきゃいいんじゃない?」
「逆も考えられるわよ、紫色の床を踏めば安全かもね」
 マーレの言葉に反発するように、アージュが口を開く。
 マーレは眉をキッと吊り上げた。
「魔の月以外、黄色、緑、青、白の床は全部大丈夫かもしれないわ」
「でも、こういう考え方もありかもよ? 黄色、緑、赤、青、紫、白、黒って、一年の月の巡り方と同じように踏んでいくとか!」
 ふたりの少女の舌戦が続く横で、ランがびびりつつ、ため息をついた。
「なんか、ふたりとも怖いんだけど……」
《誰のせいかわかってないようだな》
「え? これって誰かのせいなの? 女の子って気が合わないと、こういうもんなんだと思ってたよ。クルリ村にいたときもさー、しょっちゅうケンカしてる子たちがいてさ」
《……もういい。ところで私からもひとつ意見を言ってもいいか?》
 オードが声を張り上げ、アルヒェが振り向いた。
「なんだい?」
《紫蘭月の次は白蘭月だ。鎧の広間を抜ければ、次はまたおそらく白い円石板が続く通路に出るだろう。だから、白を踏めば安全なのではないか?》
「なるほど、一理あるね」
 アルヒェはうなずき、ガレオスに向き直った。
「白い床を踏んでいきましょう。まずは僕が試してみますよ」
「待て。学者先生に先陣切らせるなんざ、海賊の名がすたるってもんよ。俺様が行く」
 すると、とたんに反対の声が海賊たちの間から上がった。
「船長を先に行かせるなんてとんでもない!」
「おれが先に行きまっさ!」
「いや、おいらが!」
 海賊たちは我先にとこぞって前に出る。が、いくら待っても誰が先に行くか決まらない。「自分が先に」と口では言いながら、譲り合っているからだ。これでは埒があかない。
 ついに業を煮やしたアージュがランを肘でこづいた。
「あんたが行きなさいよ」
「え? なんでオレが?」
 アージュはランをにらみながら、誰にも聞こえないように声を潜めた。
「あんたは呪われた血を持つ者だから、ちょっとやそっとじゃ死なないわよ。それに身が軽いし、万が一、違う床石を踏んでも避けまくれるでしょ?」
「え――っ」
 ランは口を尖らせたが、そんなことにはお構いなく――アージュはランの背中を思いっきり広間の方に押しだした!
「うわっ、ちょっと!」
 とたんに、ひゅんっひゅんっと、矢が立て続けに飛んでくる。
「うわわ、うわうわうわっ」
 ランはとっさに矢を避け、瞬時に白い床石を見つけ、そこに飛び乗った。
 すると、矢をつがえていた鎧の動きがぴたりと止まった。
「うわ――、あれ、鎧のくせに動いてたのかよ」
 やはり、魔法か呪術がかけられているらしい。まったくとんでもない遺跡だ。
《私の勘が当たったようだな》
 ランの首にかかっているオードが、少し得意そうに言った。
「ラン! 大丈夫!?」
 マーレが心配そうに声をかけてから、アージュをにらみつけた。
「信じられないっ、ランが死んだらどうするつもりだったの!?」
「別に死ななかったんだから、いいじゃない。じゃ、お先に」
 アージュは白い床石を選んで、とんとんとんと器用に渡っていく。
「あ、待ってよ、アージュ!」
 追い抜かれたランはアージュを追って、白い石を飛んでいった。
「ガキに出し抜かれるとはな」
 ガレオスが手下たちをひとにらみし、あとに続く。
 そうして全員が無事に渡り終え、一行はまた暗い通路へと入ったのだった。
 
 予想通り、次は白い円石板が続く通路だった。
「ここを抜ければ、この次はいよいよ黒蘭月の間か……」
 誰に言うともなく、アルヒェがつぶやく。
 昼も夜も、暗闇に支配される黒蘭月は魔の月の中でも、最も恐れられているのだ。
 何かとんでもない罠が待ちかまえていそうな予感に、重苦しい雰囲気が一行の間に漂う。
「灯りを消せ」
 ガレオスの指示に、みんなは一斉にろうそくの火を吹き消した。
 すると、あたりは真っ暗になった。
「学者先生、どうする? なにも見えないぜ」
「一応、また金貨を投げてもらえます?」
 直後、ガレオスが金貨を投げた。
が、また、カツン――……という音が聞こえるかと思ったが、いくら待っても音は聞こえなかった。
「じゃ、もう一度」
 しかし、音はしない。
「床がないんでしょうか?」
「仕方ねえ、灯りをつけるか」
 ガレオスは再びパイプの火種から、ろうそくに火をつけた。が、小さな灯りでは、よくわからない。
 ――そのとき。ずるり、と床がこすれるような音が聞こえた。
「なにかいるのか?」
 ジッドがろうそくの火を前方にかざす。
 と、闇の中に赤い光がいくつも灯った。
「ま、魔物!?」
 それは巨大な蛇のような虫のような生き物だった。
ぬめぬめとした皮膚に、蛇のように長い胴体。
虫の触手のような足が何本も脇から生えており、頭にはまるで髪飾りのようにいくつもの赤い目が並んでいる。
先ほどガレオスが投げた二枚の金貨が、胴体にはりついていた。だから、音がしなかったのだ。
「ちっ、魔物か! なんのひねりもねえな!」
 ガレオスがつまらなそうに舌打ちし、剣を抜いた。
「野郎ども! 存分に暴れていいぞ!」
「お――っ!」
 海賊たちは一斉に剣を抜いた。ワケのわからない罠や仕掛けより、魔物のほうがわかりやすくていいらしい。
「ゲネルはガキどもを連れて、学者先生と先へ行け!」
「おうっ!」
 ゲネルはマーレとアージュを抱え、先頭に立ったアルヒェを追って走り出した。ランも遅れないようにあとに続く。
 が、そう簡単には、この広間は抜け出せなかった。
 ガレオスたちが戦っている魔物の他にも、まだいたのだ。
 蜘蛛に似た魔物が牙を剥き、ランたちの前に立ちはだかったのである。
 ろうそくの灯りの中でも、その魔物の赤い目と白い牙は色鮮やかにランたちの目に映った。
「くそっ!」
 ゲネルがマーレとアージュを降ろし、剣を構える。
アージュもスカートをたくしあげ、右の太股に巻いた革ベルトに常に仕込んである短剣を引き抜いた。
「ガキは引っ込んでろ!」
「冗談! あたしも戦うわよ!」
「なら、わたしも!」
 女海賊を目指しているマーレも負けじと、短剣を取り出した。マーレもしっかり武器を持っていたのだ。
「オレだけ、なにも持ってないよお」
 ランが情けない声を出すと、アルヒェが「じゃ、あげるよ」とひょいっと短剣を放って寄越した。
「アルヒェも持ってたの!?」
「当たり前だよ。遺跡調査はなにが起こるかわからないからね」
 言いながら、アルヒェはなにやら取り出した。ピンセットだ。
「それ、全然強そうじゃないんだけど……」
「こんなものでも、魔物の目や足を突いたりすることはできるよ」
 蜘蛛の魔物は大きな足を振り回し、ゲネルに向かって、ずんっと降ろした。
ゲネルは間一髪、飛び退いてかわす。あの鋭い足先なら、人間の身体を貫くことぐらい簡単だろう。
《ラン、避けろ!》
 オードの声にランとアルヒェは左右に飛んだ。ふたりがいたところに、ねっとりした液が飛び散る。蜘蛛の魔物が毒を吐いたのだ。
「ふー、危なかった」
 ランは息をつき、短剣を構え直した。
「みんな、足を狙え! ヤツの動きを封じるんだ!」
 ゲネルが叫び、蜘蛛の足めがけて剣を一閃させる。マーレとアージュもそれぞれにいちばん近い足に短剣を突き立てようと機会をうかがい、そのまわりを飛び回っている。
「足は鋭いし、毒を吐くし、見た目は悪いし……どうやれば倒せるかな」
 アルヒェが観察するように蜘蛛の魔物を見据え、ピンセットを構える。
《目をやればいいんじゃないか? 人間でも生き物でも目をやられれば動きは鈍る》
「なるほど、じゃ」
 アルヒェはそう言うが早いか、ピンセットを魔物の右目に向かって投げ放った。
 が、見事、当たったものの、ピンセットは弾かれてしまった。
「ピンセットじゃダメでしたか」
 人ごとのようにつぶやいて、アルヒェが次なる武器を取り出した。定規だ。
「それ、もっと弱そうだよ」
 ランが呆れたように言って、走り出した。振り下ろされた蜘蛛の足をタイミング良く踏みつけ、跳躍し、頭の上に飛び乗る。
「気持ち悪いけど、えーい!」
 次の瞬間、左の目に短剣を突き立てる。
 
 ――ギグォォォォォ――ッ!
 
 魔物はくぐもった咆哮を上げ、のたうち回った。
ねとねとした毒をあたり構わず吐き散らす。
「うわ――っ」
「ちょっと、ラン! なにやってんのよ!」
 下は大騒ぎだ。
めちゃくちゃに振り回される何本もの足と毒液から逃れようと、アージュたちが逃げ回っている。
 
《ラン、頭だ! 頭を突け! どんな生き物でも頭をやられればおしまいだ!》
 
「それを早く言ってよ!」
 ランは「うえ〜、気持ち悪りぃ」と思いながら、魔物の目から短剣を抜き取り、脳天に突き立てた。
 


 ――ギグォォォォォ――……、グォォォォ――ッ……!
 
 蜘蛛の魔物は二度苦しげな咆哮を上げ、ドッと床に倒れた。
「やった……」
 ランは短剣を抜き、魔物の頭から飛び降りた。
 とたん、ゲネルとマーレに、わっと囲まれた。
「よくやった、小僧! たいしたもんだ!」
「ラン、カッコよかったわ!」
「えへへー」
 ランは頭をかいて、照れ笑いを浮かべた。
「こっちも倒したか」
 見れば、ガレオスたちが剣を腰におさめながら、こちらに向かってくるところだった。ろうそくの光の向こうに、倒れた魔物が見える。
《お手柄だったな、ラン》
「いやあ、本当に君は身軽でいいね。それに勇気もある」
 オードとアルヒェが口々に褒めそやす。
「いやあ、それほどでも」
 お調子者のランはまんざらでもないように鼻の頭をかいた。すると、
「痛てっ」
 頭をぽかりとやられた。アージュだ。
「調子に乗るんじゃないわよ。まだ先があるんだから、油断しないの」
「お嬢ちゃんも厳しいね」
 ガレオスがヒュッと口笛を吹き、一行は黒蘭月の間をあとにしたのだった。

(第三話・4-2へ続く…)

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