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第三巻~オオカミ少年と国境の騎士団~ ②

 
 第二話「水の都と夏祭りとそれぞれの過去」
 
 
     
 
 青蘭月も半ばを過ぎ――ランたちはセルデスタの王都、水の都と謳われるディスターナに到着した。
 レンガ造りの街の中を縦横無尽に水路が走り、日の光に水面がキラキラ反射している。
そこにはアーチ型の橋がいくつも架けられ、それぞれの国の民族衣装をまとった人たちが楽しそうにしゃべりながら歩いていた。
「とってもにぎやかな街だね、ここ」
「ディスターナは今日から夏祭りなんだ。だから、各地から人が集まって来てるんだよ」
 瞳を輝かせるランにアルヒェが説明する。
「この祭りの起源は古く、かつては漁や船遊びが盛んになる夏場に、水の事故が起きないように神様に祈りを捧げたことからはじまっているんだ」
《ほう、さすがにアルヒェは物知りだな》
 オードがランの胸で感心した声を上げたが、
「あ、あれ、おいしそう!」
 ランはまったく聞いていなかった。
 小さな店が軒を連ねる一角を指さし、瞳をきらきらさせている。
 どうやら、串刺しにした肉のかたまりに、たくさんの香辛料をかけて焼いたものらしい。
 頭に白いタオルを巻いたおじさんが、汗をかきながら「うちのはとびきりおいしいよ~~」と客寄せしている。
「なんの肉かな? オレ、森でウサギをつかまえて、よくあんなふうにして食べたけど」
「ああ、あれは羊よ」
 アージュが答え、「そんなに珍しいもんじゃないでしょ」と付け加える。
「そう言えば、あんた、客船の中でも食事のたびに感動しまくってたわよね? いったい、今までなに食べて生きてきたのよ」
「なにって、森とか川で採れるものだよ。川魚とか。秋になるとキノコ狩りもやるよ。そういやオレ、いつだったかワライダケ食べちゃってさ~~、三日三晩笑い続けたときは本気で死ぬかと思ったよ」
「ふーん、きっとそのせいで、あんたの頭の中身はお気楽極楽になっちゃったのね」
「ねえねえ、それって、ほめてんの?」
「けなしてんの」
「ええっ!」
「ええっ、じゃないわよ」
「でもさー、お気楽って、いいことなんじゃないの? オレ、クルリ村にいたとき、よく、明るくっていい子だねー、って言われてさ、これでも村の人気者だったんだよ」
「あっそー。それはよかったわね」
「ちょっと、アージュ、なんでそんなに冷たい言い方するんだよ~~」
「うるさい」
「痛てっ」
「えーと、君たち? それで、この祭りの歴史についてなんだけど……」
 まったく、話を聞いていないふたりを前に、アルヒェがひきつり笑いを浮かべる。
 オードも「いつものことだ」と苦笑しつつ、
《――すまない、アルヒェ。せっかくの講義なのに》
 と、申し訳なさそうにあやまったのだった。
 
 
 きれいなガラス玉のネックレス。
 細かな刺繍をほどこされたハンカチーフ。
 甘い匂いを漂わせる果物に、見たこともない異国の料理。
 街にはたくさんの店が並んでいた。
 今日から、ディスターナの夏祭り。
 祭りにはたくさんの催しがあるらしいと聞いたランたちは、それぞれの得意分野で賞品や賞金を勝ち取って、旅の費用に充てることに決めた。
 セルチやディスターナに来る途中の村々で得た金は底をつきかけていたし、アルヒェは相変わらず、指輪や宝飾品を売ろうとしないからだ。
 が、腹が減ってはなんとやら。
「おっちゃん、これひとつ!」
 ランはほかほかと湯気をあげている蒸しまんじゅうをひとつ買うと、さっそく食いついた。
「う……うまひっ! 肉汁が口のなはにじゅわーってひみだしてふるっ!」
「ちょっと、汚いわね! 口に物を入れたまましゃべらないでよ!」
そう言ってパッと飛び退くアージュの手には、砂糖がたっぷりまぶされた揚げ菓子が握られている。


 やはり、買い食いは楽しい。
《路銀が残り少ないというのに、大丈夫なのか?》
 まわりの人に聞こえないように、ぼそっと指摘したオードに、
「いいじゃん、ちょっとぐらい。どーせ、あとでいっぱい賞金稼ぐんだから」
 と、ランがお気楽に答える。
《それはそうかもしれないが、優勝できるという保証はどこにも……》
 すると、倹約思考が強いはずのアージュも、
「競技はたくさんあるんだから、どれかひとつぐらい、優勝できるでしょ」
 と、笑い飛ばし、揚げ菓子をほおばる。
 にぎやかで楽しい祭りのムードにすっかり流されているふたりに、
《いや、だから……》
 さらに反論しようとしたオードは、
「んー、このスティックにまぶしてあるナッツはアーキスタ産だね。やっぱり、ナッツはアーキスタのに限るなあ」
 と故郷の味にうれしそうなアルヒェを見て、ため息をついた。
《……もういい、みんな好きにしたまえ》
 
 とりあえずお腹も満たされたところで、いよいよ賞金稼ぎに繰り出そうということになった。
 街の大きな広場にある観光案内所で街の地図と競技の予定表が記されたパンフレットを受け取り、ランたちは作戦会議をすることにしたのだが。
「この街、広いね~~」
「競技もたくさんあって、いったいどれから狙えばいいか、わからないわ」
「とりあえず、この広場から、近いところに行ってみるかい?」
 地図に記されたこのディスターナの街は、雫のようなかたちの島が張り出し、三方を海に囲まれていた。その小さな島を無数に走る水路は、他国からの敵の侵入を防ぐため、入り組んだ作りになっているらしい。
しかし、別名『海に浮かぶ人魚の涙』とも呼ばれているディスターナの名前の由来は、悲しい恋の物語から来ているようだ。
「村娘ディスターナは、漁に出たまま行方不明になった恋人を心配して、毎日、海岸に出ては無事に帰ってくるように祈りを捧げていた。恋人を想う涙がやがて島となって――……へえ、だから、この街はディスターナっていうのか、ひとつ勉強になった」
《悲しい話だな》
「うん、こんなに、にぎやかな街なのにね~~」
「伝説なんて、テキトーなもんよ。涙が島になるわけないじゃない」
 ランたちがそんなふうに話しながら広場から出て路地を歩いていくと、また別の広場に出た。
「ん? あれはなんだろう?」
 アルヒェが立ち止まり、前を指さした。
 広場の中心に、建物の二階に届くぐらいの木の棒が、五本、突っ立っている。
 その前で客引きらしき男が、手にしたベルを景気よく鳴らしながら叫んでいた。
「さあさあ、木登り競争のはじまりだ! 我こそはと思う勇者よ、集え!」
「木登り競争か~~。オレ、行ってこようかな」
《ランは木登りが得意だからな。もしかしたら一等になれるかもしれん》
 興味津々のランに、オードが励ますように言う。
「優勝したら、超豪華な賞品を手にできるぞ! さあさあさあ!」
「超豪華な賞品!」 
 それがなにかはわからないが、そう言われると胸が高鳴る。
「よーし、ラン、絶対優勝しなさいよ!」
 アージュがバンッとランの背中を叩いた。
「うん! まかせとけ!」
 
ヨーイ、ドン! 
の合図とともに木の棒に登り、その先端にある旗を手にした者の勝ち。
 そんな簡単な説明のあと、ランは真ん中の棒の前で、太鼓を持った男が合図を出すのを今か今かと待っていた。
 ランの左右にふたりずついる挑戦者たちも、みんな一様に緊張した顔をしている。
 どうやら、この中でいちばん年下なのがランのようだ。他に、ひとつふたつ年上の少年と、二十代から三十代くらいまでの四人がいる。
「おーい、ケイス、がんばれよ!」
「あなた、しっかり!」
 棒の周りにはいつのまにか人垣ができていた。挑戦者の友だちや家族と思われる人々が、口々に声援を送っている。
「おおっ、だんだん盛り上がってきたぞ〜」
 なんだかランの気分も高揚してくる。
《がんばれ、ラン》
「うん!」
 と、腕まくりしたとき、
 
「ラン! あんた優勝しないと、あとで飛び蹴り食らわすわよ!」
 
 応援とも脅しともつかない言葉が、ランに向かって飛んできた。
 どっと笑いが巻き起こる。
 見れば、アージュが人垣から一歩踏み込んで、高々と手を振り挙げてみせたところだった。
(な、なんかオレ、恥ずかしーっ!)
「おお、嬢ちゃんは威勢がいいなぁ」
「気に入ったぞ、ささ、これでも食え!」
 酒瓶片手に、すでにできあがっている老人ふたりが、アージュに木の実の入った袋を差し出す。
「まあ、ありがとう。親切なおじいちゃん」
 にっこりと天使のように微笑んで、アージュが木の実をもらう。
「アージュがオレにあんな顔したことって、ないよな……」
《身内には厳しいのだよ、アージュは》
「ははは~~」
 オードのひとことにランがひきつった笑いを浮かべたとき、
「よーい、ドン!」
と太鼓が打ち鳴らされた。競技開始の合図だ。
「いけぇ! がんばれ!」
「あわてるな、落ち着いて登れ〜!」
 広場に集まった人々が、太い棒を見上げて叫ぶ。
「よっ、とっ、はっ!」
 木登りは、もともと山育ちのランには簡単なもの。
あっというまに、するすると半分くらいまで登ってしまった。
 ほかの挑戦者たちは、と左右を見ると、まだ下のほうでもたついていたり、少し登ってはずるずると落ちるのを繰り返していたりする。
(な~んだ、みんな遅いじゃん。海育ちだと、木に登ったりして遊ばないのかな。これってば、もしかしなくても、オレの楽勝?)
《油断するな、ラン。となりが追いついてきているぞ》
 となりはランより少し年上らしい少年だ。
「ぬおおおっ」
と、土色の髪を振り乱し、必死の形相で登ってくる。
「へー、やるじゃん」
《感心してる場合じゃないぞ》
 となりの少年はランと目が合うと、にやっと不敵な笑みを返してきた。
「追いつかれてたまるかーっ」
 急に負けん気を刺激されたランは、必死になって手足を動かしはじめた。
 しかし、焦れば焦るほど手がすべる。
上へ行けば行くほど木の棒は細くなっていくのだ。
《落ち着け、ラン》
「う、うん」
 となりの少年もそろそろ疲れてきているらしく、ハァハァとあえぐ息が聞こえてくる。
(もうすぐ、もうすぐだ……)
 手を伸ばせば、三角形の赤い旗にどうにか届く。が、思い切り腕を伸ばしたとき、ぐらりと身体が揺れた。
「う、うわぁっ?」
 手を離したために体重が支えきれなくなり、のけぞってしまったのだ。
ランは今、足だけで棒につかまっている不安定な状態になってしまった。
 はるか下から「わっ」とか「危ない!」という悲鳴が湧き起こる。
 
「わわわわわわわわわー――っ!」
 
「もう、しっかりしなさいよ!」
 アージュの怒鳴り声とともに、ランの背中になにかがビシッとぶつかった。
「わわっ?」
 驚いたランが弾かれたように棒にしがみつく。
 見るとアージュが、さっき老人からもらった木の実を手に腕を振り上げていた。
《アージュの狙いは恐ろしいほど正確だな》
「だ、だね~~」
「ほら、さっさと旗を取りなさいよ!」
 次々と下から木の実が飛んでくる。
 
「ぎゃーっ、痛い! 取る! 取ります! 取るってば!」
 
 ランは悲鳴を上げながら棒の先端についた三角形の旗を取り、アージュによく見えるよう、バタバタと振ってみせた。
なんだか降参の白旗のようで、ものすごく情けない。
 
「なんと、一位は金色の髪の少年です!」
 
 どうやらランとトップを争っていた少年も、ふたりのやりとりにあっけにとられ、勝負を忘れてしまったらしい。
「ふう、どうにか勝てたみたい……」
 棒に抱きついたまま、ため息をひとつ。
 勝負とは別のところで、疲れてしまったランだった。
 
 一位の賞品は『どんなカナヅチも大丈夫!』な浮き輪だった。
 この浮き輪は客船などに積んである救命用のと同じ材質でできたものだが、誰が描いたか知らないが妙に芸術的なタッチのひまわりが描かれていた。
おそらく賞品にするにあたって、「それらしく」した結果なのだろうが――。
「木登り競争の賞品が、どうして浮き輪なのかな?」
「そうよ、それに全っ然、豪華じゃないじゃない!」
 アルヒェの疑問にアージュも顔を真っ赤にして怒る。
「豪華賞品がもらえるって言うから、あたし、一生懸命応援したのに!」
「応援って……。あんな乱暴な応援ならいらないよ」
 もらったひまわりの花柄の浮き輪を腰の位置で支えながら、ランがつぶやく。
「なんですって?」
 ぽかっ。
 そして、またオードが、
《浮き輪でよかったじゃないか。カナヅチのアージュにはぴったりだと思うが?》
 と余計なひとことを言い、
「うるさいっ」
 ぽかっ。
「痛っ、だから、なんでオレが~~」
 二回連続げんこつを食らったランが涙目で、頭をさする。
「さあて、と。それじゃ、次はなにを見ようか」
 アルヒェがパンフレットを見ながら、ほがらかに提案する。
彼はこの半月、『アージュがランの頭を叩くの図』を何度も見てきたので、もう慣れっこなのだ。
「となりの広場で『天使の歌声コンテスト』っていうのがあるらしいよ。せっかくだから、見てく?」
《天使の歌声コンテスト? ならば、アージュにぴったりではないか》
 スンミ村への川下りの際、歌声で人を惑わす霧の魔女に対抗したとき、アージュはそれはそれは愛らしい声で歌い、ランの意識を引き戻したことがあるのだ。
「アージュって歌が得意なんだ」
 意外な一面を見た、という感じでアルヒェが言うと、アージュの頬がなぜか赤くなった。
「そ、そうよ、悪い?」
「いや、悪くないよ。じゃあ、さっそく行ってみよう。アージュの歌を僕も聞きたいしね」
 アルヒェが地図を見ながら、先頭に立って歩き出す。
 そうして、一行が次の広場に出ると、すでにそこにはたくさんの人が集まっていた。
 広場の中央には、特設の舞台が設けられている。
 アージュはさっそく出場の手続きを済ませ、順番を待つ列に並んだ。
 ランとアルヒェは舞台を囲む、長イスを並べただけの観客席の後ろのほうに席を取った。前のほうはすでにいっぱいだったのだ。
「アージュの歌、楽しみだな」
《ああ、アルヒェ。期待していい》
「うん、歌だけは『女の子』って感じだから~~」
 やがて、コンテストの開始が告げられ、舞台の上に六人の少女が上がった。どの少女もかわいらしい白い花を髪に飾られている。
アージュは自己紹介のときに「友達が出ろって、うるさいから」と言って、恥ずかしそうにしおらしく立っていた。
「おい、左から二番目の赤い髪の子、かわいくないか?」
「おお、なんだかおしとやかで、世間ズレしてないって言うか」
「ははは、おまえら、美人コンテストじゃないんだからよぉ」
 ランの右隣、友達同士らしい青年たちがアージュを指さし、あれこれと騒いでいる。
(アージュの本性を知ったら、幻滅すると思うんだけどなあ)
 ランは「ははは……」とひきつった笑いを浮かべた。
 そうこうするうち、歌声コンテストがはじまった。
 みんな、少女らしい可憐な歌声を披露し、たくさんの拍手をもらっている。
中にはステージに花束を投げるお客もいて、徐々にコンテストは盛り上がっていった。
「最後はアージュの番だね」
 アルヒェがどこか緊張した顔でつぶやく。
 アージュはステージの真ん中でスカートをつまんで、優雅に一礼すると、胸の前で両手を組んで歌いだした。
 


  ♪ ファーレスティーネ ファーレスティーネ
    うつくしい花よ 赤く気高く 誇らしく
 
  ♪ ファーレスティーネ ファーレスティーネ
    故郷の花よ うるわしく いとおしい
    愛する人に想いを込めて そっと口づけを与えん
 
「へえ……。これはこれは。ひょっとしたら優勝するかもしれないなぁ」
 アルヒェが感心したように聞き惚れている。
《うむ。やはり、アージュの歌声は素晴らしい》
「そうだね。こうしてると、まともな女の子に見えるよ」
 舞台の上で歌っているアージュは、しおらしく愛らしい少女に見える。
普段から、こうだったらいいのになあ、とランが思っていると、舞台の上に花が次々と投げ入れられていくのが目に入った。
今まで歌った女の子より、すごい数の花だ。
「花の数で勝敗が決まるんだよね、これは期待できるな」
《花があれば、私も投げたいが》
 しかし、鍵であるオードには無理な話だ。
「えっと……花、花」
 ランはあたりをきょろきょろと見回した。
誰かが落とした花束とかないかなーと思ったのだが、そんなもの都合よく落ちているわけがない。
「花、花、花~っ」
 ふと、ランは自分の足下に置いた『それ』に気がついた。
本物ではないけれど、『それ』だって立派な花だ。
「でぇいっ!」
 気合いもろとも、舞台に向かって投げる。
 そして、宙を飛んだひまわりの花柄の浮き輪は、瞳を潤ませ、愛らしく歌っていたアージュの頭から、輪投げの輪のようにスッポリ落ちた。
 
「…………」
 
 ――ぱったり途切れる、アージュの歌声。
 しーんとなった客席に、徐々にざわめきがあふれ出した。
「な、なに?」
「どうして浮き輪が飛んでくるの?」
《い、今のはまずいのではないか、ラン?》
 オードがつぶやいたとたん。
 
「あ、あたしは輪投げの棒か〜っ!」
 
 舞台の上で立ちつくしていたアージュが大声を上げた。
 肩を怒らせ、浮き輪を腰につけたまま、ずんずんと客席のほうに歩いてくる。
 
「ラン! 浮き輪を投げつけてくるなんて、どういう嫌がらせなの!?」
 
 アージュは浮き輪を外すと、後方に投げ飛ばした。
 それを拾った小さな男の子の「わーい、浮き輪だー。これで泳げるね」と喜んだ声が、さらにアージュのこめかみをひきつらせた。
「ご、ごめん、アージュ! オ、オレはそんなつもりじゃ……っ!」
 次の瞬間、どすっ! とアージュが膝蹴りをランの腰にお見舞いした。
「じゃあ、どんなつもりなのよぉぉぉ」
 アージュの瞳は吊り上がり、口元はひきつっている。
 さっきまでアージュのことを「かわいい」とほめそやしていた青年たちは、その迫力に長イスから転げ落ちていた。
 
 結局、アージュは騒ぎのせいで優勝を逃してしまった。
結果は選外。途中でコンテストを放棄したということで、参加賞すらもらえなかった。
「痛い……」
 いつものごとく頭をポカリとやられたランは、アージュのとなりで頭を押さえていた。
「なにが痛い、よ! まったく、もう少しで豪華賞品が手に入ったのに!」
 優勝賞品は海に面した窓から見える夕景が自慢の、この街で有名な高級宿の招待券だった。
 なので、「一泊分、浮かせられたのに! しかも、高級な宿だったのに~~」と、アージュの怒りはなかなか収まらなかった。
「ふぇーん……オレだって、別に悪気があったわけじゃ……」
「フン!」
「アージュ、そのくらいで許してあげてよ。ランは花束の代わりに、花の絵のついた浮き輪を投げただけなんだから」
《私からもあやまる。すまない、ラン。私が花を投げたいと言ったばかりに》
 アルヒェとオードのとりなしに、いつまでも怒っているのは大人げないと思ったアージュは組んだ腕をほどき、パンフレットを持つアルヒェを見た。
「で、次はどうする? こうなったら、なにかひとつでもいいから優勝しないと、今日の夕飯すら、食べられなくなるわよ」
「えーと……」
 アルヒェがパンフレットを開き、目を泳がせる。
「素潜り競争」
「却下」
「それじゃ、遠泳」
「無理」
「ボート漕ぎ」
「……――」
 アルヒェが言うたびにアージュの表情が険しくなっていく。
どれもこれも、カナヅチのアージュには不向きなものばかりだ。
「他にないの?」
「えーっと……」
「ちょっと見せて」
 アージュはアルヒェの手からパンフレットを奪い取り、自分で探しはじめた。
「――よし。これにする」
 アージュが指さしたのは、剣術大会と書かれた項目だった。
《剣術か》
「確かに君の腕前はすごいよね」
「うんうん」
 ゼーガント諸島の遺跡での骸骨剣士との戦いぶりを見ていたランとアルヒェがそろってうなずく。
《しかし、いくら強いとはいえ、女の子の君が参加するのは――危ないかもしれない》
「大丈夫、大丈夫。元王立騎士隊のあんたの分まで、戦ってみせるから」
《そうか、ならばお手並み拝見といこう》
 ――というわけで、ランたちは広場から広場をつなぐ細い路地を抜け、水路にかけられた橋をいくつか渡り、剣術大会が行われる広場までやってきた。
 案の定、受付にいる男に「お嬢ちゃんみたいな子どもは無理だ」とか「ケガしても知らんぞ」と言われ、追い払われかけたのだが。
 
「これでも、そんなこと言うの?」
 
 とアージュが太ももの皮ベルトに仕込んである短剣をサッと取り出し、ドスッと机に突き立てると、受付の男は青ざめた顔でこくこくとうなずいた。
なぜなら男が机に置いた手の、指と指のわずかな間に短剣が刺さっていたからだ。
「す、すぐに手続きを!」
「よろしく~~」
 アージュがにっこり笑って、短剣を抜き、元の場所に収める。
「アージュはすごい女の子なんだね」
 とアルヒェが目を丸くすると、アージュは少し顔を赤らめた。
「そ、そんなにすごくないわよ」
 それを少し離れたところで見ていたランは小首をかしげた。
「なんか変なんだよなー」
《なにが?》
「いつもなら、『ふふん、そうでしょ』って、いばるような気がするんだけど」
《ランや私が相手ならそうなのだろうな》
「アルヒェはやっぱり大人だから?」
《いや、そういうワケではないだろうが……》
 オードは答えつつ、内心で苦笑する。
ランに乙女心を説いても無駄なのはわかっているからだ。
(かくいう私も……人のことはあまり言えないのだが)
 オードはふと、故国グランザックの王女・フィアルーシェのことを思い出した。
 自分はただの護衛官に過ぎないから――と、かたくなに、自分の気持ちからも王女の気持ちからも目をそらしていた。
 しかし、紫蘭月の最後の夜に魔物に襲われ、鍵の姿となってから、どうして彼女のそばにいるときに素直な気持ちを伝えられなかったのだろうと悔やむばかりで――。
 アージュの心に灯ったあたたかな気持ちが、本当に恋と呼べるものなのか、まだわからないが。アルヒェを意識していることは間違いない。
 そうこうしているうちに、剣術大会の開始時間となった。
 剣術大会は勝ち抜き戦で、三回勝てば決勝戦に進めるルールだ。
 参加者は木剣を渡され、地面に描かれた四角い枠の中で勝負をするのである。
 勝ち判定は三つ。腰から上を木剣で触れられたら負け。また、枠の中から出ても負けだし、相手に武器を落とされても負けだ。
 一回戦。アージュの相手は背の高い、若い男だった。
「おいおい。こんな子どもに勝っても自慢になんてならないよ」
 アージュを見るなりバカにしてきた男だったが、その数秒後には後悔するハメになっていた。
 
カキーン!
 
アージュの胴を狙い、低めに構えた剣を、あっという間に人垣のむこうへ飛ばされてしまったからだ。
 目にもとまらない、アージュの華麗な剣技だった。
「やっぱ、すごいなあ! アージュは」
「ああ、素晴らしい剣さばきだね」
《うむ。これなら優勝できるかもしれないな》
 別の試合が何度か行われたあと、アージュの二回戦がはじまった。
 次の相手はひげ面で、でっぷり太った男だった。
間断のない猛攻に、アージュは剣を受けるだけで精一杯。どんどん枠の隅に追い詰められて、もうあとがなくなってしまった。
「むむっ、これはいけないぞ」
「アージュ、がんばれ!」
 アルヒェとランが叫んだ瞬間、アージュはサッと身をかがめると、男の股をくぐり抜けた。
 そして、反対側に素早く抜けて、男の首に木剣でちょんと触れる。
「勝負ありね」
 アージュは得意げに片目をつぶってみせた。
 おおーと沸く観客の間で、ランたちもうれしくて飛び上がった。
「すげーっ、かっこいい!」
「アージュの身のこなしはたいしたものだね」
《アージュはきっと、名のある師匠に教わったのに違いない。これは、素人が独学で覚えるレベルをはるかに超えている》
 やがて、三戦目も軽々と勝って、残るは最後の決勝戦となった。
 ここまで来ると、アージュを応援しようとする人々も出てくる。
「赤い髪の姉ちゃん、がんばれ!」
「ここまでよくやった!」
「残るはあとひとりだぞ!」
 声援に押されてアージュが枠の中に入ると、右目に黒い眼帯をしたハゲ頭の男が現れた。
どこからどう見ても悪役といった風貌で、場所が場所なら山賊と言ってもとおりそうだ。
「お嬢ちゃん、やめるなら今だぞ。あとで泣いても許してやらんからな」
「はん! なに言ってんのよ。あたしはね、海賊とだって戦ったことがあるんだから!」
「正確には骸骨剣士だよね」
「あと、大きな魔物も」
《いや、今はそんなことはどうでもいいのでは……》
 ランとアルヒェの言葉にオードがツッコミを入れていると。
「どりゃ――――っ」
 身長差のあるにらみ合いのあと、仕掛けたのは男のほうだった。
 襲ってきた木剣をアージュが受ける。
が、その力があまりに強かったのと、男が卑怯にも足払いをかけてきたため、アージュは背中から倒れてしまった。
「きゃっ!」
 地面に倒れたアージュを狙い、男が剣を突き立ててくる。それを、転がりながらなんとか避けるアージュ。逃げるのに精一杯で反撃なんてできやしない。
「ひ、卑怯よ、あんた!」
「ふん、本当の戦いだったら、そんな甘いこと言ってられないぜ。おじょーちゃん」
 完全にバカにしたようなその言葉に、
 
「卑怯者に、説教される覚えはないわよーっ!」
 
 と、アージュがキレた。そして、
「てぇーいっ!」
 木剣を高々と振り上げて跳躍し、男の頭を狙ったのだが。
《ダメだ、当たらない!》
 オードの指摘通り、男は頭の前に剣を掲げて防御した。
 が――アージュは中で身体をひねると、男の脇腹に飛び蹴りを食らわせた!
 
 どすっ!
 
 思いも寄らない一撃に、男は真っ青な顔になって地面に膝をついてしまった。
「うわあ、痛そう……」
 思わず口に手をあて、同情をこめてランが言う。
《これは、反則ではないのか?》
 冷静なオードがぽつりと言ったが、
「大会規則では、木剣以外の武器の使用と第三者の手助けのみが反則になっているから、これはアリだよ」
 と、アルヒェがパンフレットを見ながら解説した。
 アージュがうずくまった男の頭を剣でぽかりと叩いて、決勝戦はおしまい。
 木剣を高く掲げてみせると、大会会場に観客たちの大きな歓声があふれた。
「やったあ!」
「すごいよ、アージュ!」
 ランとアルヒェは互いの両手をぱちんと叩きあって喜んだ。
《いまいち華麗な勝利ではないが……》
 オードがひとり苦い声で感想を漏らす。
 が、華麗であろうがなかろうが優勝には違いない。
「すげー、かっこいいよ、ねえちゃん!」
「よっ、世界一!」
 アージュは得意満面な笑顔で、観客の声援に応えた。
 
「応援ありがとう! 優勝よ、優勝!」
 
 いったいどんな豪華な賞品が待っているのか。
(高級宿か高級食堂の無料券がいいわね〜)
 タダで、しかも高級なものなら大歓迎だ。
 アージュはにまにまと笑みを浮かべ、すぐに行われた表彰式に臨んだのだが。
 なぜか、お待ちかねの賞品は兜だった。
「兜って……。鎧兜の兜よね?」
 鉄でできているらしい、スイカほどの大きさの兜。
目の部分は上げ下げできるようになっていて、とても機能的なのだが。
「兜だけもらっても仕方がないじゃないの!」
 表彰台のアージュの叫びに、大会の実行委員のおじさんが薄い頭をかきながら説明してくれた。
「いやいや。実はですね、去年の賞品は小手、一昨年は肩当てでして。毎年集めれば、いつのまにか立派な全身鎧になるわけです」
「ちょ……っ、なによ、それ! 豪華賞品って言うから、あたし、てっきり高級食堂のお食事券とか、そういうものだと思ってたのに!」
 アージュは地団駄を踏んで悔しがる。
「でも、この兜、かっこいいじゃん」
 やりとりを聞いていたランが表彰台の下でそう言うと。
「あ、そ。じゃ、あげるわよ、こんなもん!」
「うわぷっ?」
 いきなり兜をかぶせられ、ばしっと頭をひっぱたかれたのだった。
 
 剣術大会のあと、ランたちは地図を頼りに武器屋に向かった。
兜だけ持っていても仕方ないし、しかも重いし邪魔なのでさっさと売ることにしたのだ。
 そうして、荷物を減らすつもりで行った武器屋だったのだが、意外なことに兜は高く売れ、アージュはたちまちご機嫌になった。
「さっすが豪華賞品! 売って正解だったわね」
「うん、よかった、よかった」
《これで当分、旅費は心配いらないな》
「オレ、おいしいもん食べたーい」
 懐があったかくなったランたちは気分よく歩く。
「ねえねえ、アルヒェはなんか参加しないの?」
「んーと……僕は君たちと違って、得意なものって特にないから」
 ランは木登り競争、アージュが歌声コンテストや剣術大会に参加したのに、アルヒェはただ見ていただけ。
《ひとつぐらいあるのではないか?》
「そうよ、なんかやってみなさいよ」
「僕は、みんなが活躍しているのを見ているだけで楽しいんだよ」
 にこにこ笑いながら、アルヒェは「僕はいいよ」と首を振る。
「ねぇ、アルヒェ」
 ランが改めて声をかけようとすると、いつのまにか、となりにいたはずのアルヒェの姿が消えていた。
「あれ?」
 振り返ると、アルヒェは露店の骨董屋の前で、腕を組んで突っ立っている。
「アルヒェ?」
「もしかして、金目のものでも見つけたの?」
 ランとアージュはアルヒェに近づいてみた。
「どうしたの、アルヒェ?」
「ん? いや、このブローチなんだけどね」
 アルヒェは女の人の横顔が彫りつけてある、薄いブルーのブローチをランたちに差し出してみせる。
「へぇ、きれいじゃないの」
「うん、なんだか高そうだね」
「どうだい、にいちゃん。これは二百年前の宝石職人が作った貴重なものだ。安くしとくよ」
 三人でわいわいやっていると、脈ありと思ったのか、店主が声をかけてきた。
ところがアルヒェは、その店主にブローチをぽいっと放ったのだ。
「いりません。こんなものに払う金はない」
「な……っ?」
 見る見るうちに、店主の顔が怒りで真っ赤になる。
 状況のわからないランとアージュは、目をぱちくりさせるばかりだ。
「こ、こいつ、人の店の商品にケチつけやがって!」


「ニセモノにお金を払いたくないと言っただけです。あ、それとも、あなた、これがニセモノだと知らずに仕入れたんですか?」
 淡々とアルヒェは言って、男の手から、再度、ブローチをつまみ上げてみせた。
「いいですか? まず、この女性の髪型ですが、百年前に東方のエルン王宮で流行ったリノリア巻きだと思われます。つまり、二百年前のブローチのモチーフに使われるはずがない。それにこのブローチ、材質はトテ貝ですよね? この貝は最近になって、ブローチや家具の象眼に使われるようになったものなんです」
「つまり、真っ赤なニセモノってわけね」
 アージュがあきれたように肩をすくめる。
「なんだかよくわかんないけど、アルヒェがすごいのはわかったよ」
 ランも感心したように、うんうんとうなずいた。
「ううう……」
 もう一度ブローチを投げ返された男は、恥ずかしさと悔しさでなにも言えずにいる。
《骨董の目利き大会なるものがあれば、アルヒェが優勝間違いないのにな》
「そうだね……そんなもの、ないだろうけど」
 オードのつぶやきに、ランはとほほな気持ちでうなずいたのだった。
 
    
 
 そんなふうにして、祭りの期間は過ぎていった。
 ハンカチの早縫い競争でアージュが指に針を刺したり、木の実割り競争でランが惜しくも優勝を逃したり。
その他、早食い競争や、的になったリンゴを弓矢で射落とす競技や、爪先に載せた小さな鈴を落とさないように運ぶ競技などなど――ランたちはいつのまにか、賞金や賞品をもらうことよりも、イベントそのものに参加するのが楽しくなっていた。
 青蘭月五十七日。ディスターナに滞在して十五日。
 そろそろアーキスタに向かわなきゃ、とは思うのだが、せっかくのお祭りだから、と自分たちに言い訳をして留まっているのだ。
「ねえ、あっちのほうでなんかやってるみたい。にぎやかな音楽が聞こえてくるよ!」
 楽しそうな笛の音に誘われて、ランが走り出す。
 ちょっとした広場の真ん中には、旅芸人らしき人々が、きらびやかな衣装をまとって人々に芸を見せていた。
 ナイフ投げに火の輪くぐり、玉乗りをする道化師に、クマにお手をさせる猛獣使いなどなど。
 アルヒェもアージュも芸を楽しんでいたが、ランはどこか浮かない顔をしていた。
 もしや、この中に旅芸人の父親がいるのでは……? と思ってしまったからだ。
 故郷のクルリ村の人々は、小麦色の肌に黒髪、黒い瞳を持っていた。
なのに、自分は金色の髪に青い瞳。肌だって日焼けしなければ白い。
(たぶん、オレの父親も、オレとそっくりの髪や肌の色をしているはず……)
 そう思うと、芸人たちの芸を見るより、ひとりひとりの顔をじっと見つめてしまう。
 だが、ランが探すような人はいなかった。
「おもしろかったね。そろそろ行こうか?」
 アルヒェにうながされて、ランはふと我に返る。
 見れば、小さなサルがカゴを持ち、芸人と一緒に見物料を集めている最中だった。いつのまにか、演し物は終わってしまったのだ。
 アージュも満足げに、硬貨をカゴに入れている。
「次はどうしようか?」
「えーと、旅芸人って、この一座以外にもいるんだよね? オレ、もっといろいろ見たいなあ」
 アルヒェの問いに、ランはとっさに返事を返した。
「ふーん? ずいぶん旅芸人の芸が気に入ったのね。いいわ、もっと見てみましょうよ」
 さして疑問も持たず、アージュが先頭をきって歩き出した。
 そして四人は街の広場や辻などで、手品や曲芸を楽しんだ。
 しかし、ランだけは芸人の顔を食い入るように見ているだけ。
 それに最初に気づいたのは、胸に下がったオードだった。
 
《……ラン。君は、さっきから全然楽しんでいないんじゃないのか?》
「え……? そ、そうかな?」
《いつもの君らしくない。なにかあったのか?》
 ひと休みしようと腰掛けた噴水の縁で、オードが心配そうに訊いてきた。
アージュとアルヒェは「のどが渇いた」と言って、果物の汁を搾ったジュースの露店に行っている。
 ランは一瞬迷ったが、オードにすべてを打ち明けることにした。
「実はオレ、父親の顔って見たことないんだよね……」
 その父親は旅芸人で、ルートリアという国の人間らしいということを話すと、オードはなるほど、とつぶやいた。
《だから、あんなに熱心に旅芸人のことを見ていたのか》
「ま、運が良ければ会えるかな、くらいなんだけどね~~」
《そうか》
「……うーん、なーんか複雑なんだよね。会いたいような、会いたくないような……」
《でも、気になるのだろう》
「うん……」
 ランはうなずいた。今は夏だから、クルリ村を出るときにじっちゃんから渡された、父親のものだという青いマントは皮袋の底にしまってある。
(父親かあ……)
 これと言った思い入れはないけれど、できれば会ってみたい人。
《話してくれてありがとう、ラン》
「ううん。オレのほうこそ、心配させちゃったみたいで、ごめん」
 オードはなにも答えなかったが、静かに微笑んでいるような雰囲気が伝わってきた。
 そうこうするうちに、にぎやかにふたりが帰ってきた。
「ん~、レモンジュースもおいしいけど、アルヒェのイチゴもおいしそうね。ひとくちちょーだい!」
「ああっ、僕のジュース〜!」
「……ごっくん! おいしいわね、これ」
「あの、半分くらいなくなっちゃったんだけど……」
「もう、男ならうだうだ言わない!」
「――なんか、いつものアージュだね」
 ランは笑って立ち上がった。
(あれはアージュなりの甘え方なのだろうな)
 と思いつつ、オードはランの胸元で微笑んだ。
 
 なんだかんだで祭りを楽しんだランたちは、最後に占い師に自分たちのことを占ってもらうことにした。
 これからどんな旅になるのか、興味があったからだ。
 占い師の小さなテントの中に入ると、お香の香りがふわりとランの鼻先をくすぐった。
「なんか、いかにもって感じねー」
 アージュがきょろきょろとあたりを見ながらつぶやくと、
「ようこそ、客人」
 奥から、落ち着いた声が響いた。
 頭からすっぽりベールをかぶり、だらりとした服を着た年齢不詳の女が、水晶玉の載ったテーブルの後ろに座っている。
「さて、いったいなにを占ってほしいのかい? 見たところ、まだ若いようだが、なにか悩みごとでもあるのかね?」
「若くて悪かったわね。これでも一応、悩みくらいあるわよ」
 占い師のもったいぶった言い方がしゃくにさわったのか、アージュがふんと鼻を鳴らす。
 と、ランがいきなり声をあげた。
 
「ああっ、忘れてた! 今、思い出したんだけど、オレ、今日が誕生日だったんだ。アージュと同じ、十二歳になったんだよ」
 
 初めてアージュに会ったとき、「あんたより年上なんだから、言うことを聞きなさいよ」といばられたが、今日からは同い年でいることができる。
 だが、アージュの答えはそっけなかった。
「なんだ、そんなことでいちいち騒がないでよ」
「そんなことって……。もうちょっと祝ってくれてもいいような気が……」
「わあ、十二歳かぁ、おめでとう、ラン!」
 アルヒェがパチパチと手を叩いてくれた。
 すると、アージュが「まあ、とりあえず、おめでとう」と取ってつけたように言った。
「ねえねえ、もしかして、アージュの誕生日って、もう過ぎちゃったの?」
「へ? そんなこと、あんたには関係ないでしょ」
「やっぱ、そうなんだ~~。せっかく追いついたと思ったのに、いつだったの?」
「言いたくない」
「ええーっ」
「まあまあ、ラン、押さえて。レディに年の話は振るものじゃないよ」
「え〜、コホン。それで、最初に占ってほしいのは誰かね?」
 しびれを切らした占い師が声をかけてきた。
「あ、オレオレ!」
 ランが即座に手をあげると、
「それでは、汝が身につけている品を私の手に」
 占い師が手を差し出す。
「身につけてるもの?」
「そうじゃ。その鍵でいいじゃろう、ほれ」
 くいくい、と占い師が手のひらに載せるようにと指先を曲げる。
 ちょっと迷ったが、ランは、
(オードも占ってもらえるかも)
 と思い、革紐に通した古びた鍵――オードを渡した。
「――では」
 占い師はコホンと咳払いすると、オードを両手で包み込み、口の中でごにょごにょと呪文のようなものを唱えはじめた。
 ややあってから、三人をゆっくり見渡し、占い師は眉をひそめて、こう言った。
「あんたたちの身に、不吉なことが……」
「あ、それはよくわかってるから」
 占い師の、低く威厳のある声をランの横に座ったアージュがひとことで切って捨てた。
 言われるまでもなく、アルヒェ以外は魔物に襲われた呪われた血を持つ身。これ以上、不吉なことなどあるわけがない。
「そうじゃなくて、捜しものが見つかるかどうか知りたいんだけど」
 白蘭月の白い丘に咲く白い蘭の朝露で身を清めれば、もとの身体に戻れる――。
 果たしてそれを手に入れることができるのかどうなのかが、いちばんの問題だ。ランは旅が楽しくて、ついつい忘れてしまうこともあるけれど。
 占い師は、またごにょごにょと呪文を唱えると、
 
「困難極まるが、目的のものはいつか見つかるであろう」
 
 と、おごそかに言った。
「なんつーか、要領を得ない答えだね」
 ランはちょっとがっかりしたが、横にいるアージュなどは「ま、占いだからこんなもんよね」とつぶやいている。
 なんだかバカらしくなってしまったランは、
「オレ、もういいや」
 ひと足早くテントから退散することにした。
「あ、僕も一緒に出るよ。なんだか、ここに焚かれてるお香が合わないみたいで……」
 くしゅん、とくしゃみをしながら、アルヒェもランのあとについて出る。
「なによ、もう。あたしはちゃんと料金分占ってもらうわよ」
 ひとり取り残されてしまったアージュが唇をとがらせ、占い師に向き直る。
「さて、あんたはなにを占いたいのじゃ」
「その鍵が、大切な人のもとに帰れるかどうか」
 アージュはまだ占い師の手に下がっているオードを顎で示した。
(アージュ……)
 涙は流せないが、オードはアージュの心遣いに思わず泣きそうな気持ちになった。
アージュはオードとフィアルーシェ王女のことを気にかけてくれていたのだ。そのことがうれしくて、オードは胸が熱くなった。
「では、占ってしんぜよう」
 占い師は慇懃にうなずくと、ごにょごにょごにょと呪文を唱え始めた。
「……――」
「……――で?」
「…………――――」
「…………――――ちょっと、どうなのよ?」
「うーむ……」
「もしかして、なんにもわからないの?」
「……いや、その逆じゃ。この鍵は鍵であって鍵にあらず。鍵なのに人の姿になったり、人の姿になったと思ったら鍵になったり……きっと、この鍵の持ち主の怨念が染みついているのであろう」
(怨念とは失礼な)
 とオードは思ったが、声を出さずに我慢した。
 きっと占い師は、オードの記憶を見たのだろう。
 占いとはいえ、なかなか侮れないな。
 とアージュとオードが同時に思ったそのとき、占い師がじっとアージュの顔を見つめ、意外なことを言い出した。
 
「あんた、実は高貴な家の生まれだね? 血が呼んでおる。一度帰ったほうがいい」
 


「え?」
 たちまち、アージュの顔が青ざめる。
「ちょ、ちょっと! いったいなにを言ってるのか、あたしには……」
「ごまかさなくていい。私の霊感がはっきりそう告げているのでね。第一、ここにはあんたと
私しかいない」
 ――だが。
 その会話を、オードは占い師の手の中で聞いていた。
 
(やはり、アージュには隠された過去があるんだ……)
 
 それは、オードがアージュの剣技を見たときから思っていたことだ。
思い返せば、客船での食事も上流階級の人間さながらに作法を知っていたし。
「もういいわ。これ以上、占ってもらいたいこともないし」
 アージュは怒ったようにオードをひったくると、テントの外へ駆け出していった。
《……アージュ》
「あんたは黙ってて」
《……――》
 アージュの手に強く握りしめられながら、オードは思う。
 彼女自身が言い出すまでは、このことは黙っていよう、と。
 それは、ランの父親についても同じだ。
 自分だけに打ち明けてくれたことを、簡単にしゃべってはいけない。
(いつか、それぞれが胸の奥に隠していたことを、打ち明けられる日が来るだろう)
 そう――。
 自分たちは、仲間なのだから。
 
 夏祭りの最後の日。
 ランたちはディスターナをあとにした。
 ディスターナから船を使ってアーキスタへ行く方法もあるのだが、もう海はイヤだとアージュは言うし、路銀もそんなに余裕があるわけではないので、山越えすることになったのだ。
「ホント、ディスターナは楽しかったな~~。また来たいなあ」
 頭の後ろで手を組んで、ランは空を見上げる。
 海賊船から放り出されたときはどうなることかと思ったが、この南の大陸に来てから、海釣りをしたり、夏祭りに参加したり、楽しいことでいっぱいだった。
 次の目的地は、セルデスタとアーキスタとの国境の町ディンガ。
(どんな町かなあ。また、楽しいところだといいなあ)
 ランたちが向かう道の山の向こうには、背の高い入道雲が気持ちよさそうにそびえていた。

(3巻・第三話につづく…)

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