歯磨き禅師のお言葉

私は以前、「英単語なんか覚えたくない。どうせ明日になったらすぐ忘れるんだから。もう勉強なんかしたくない」とうそぶいた少年に、こう言ったことがあるんです。それならば、今日からすぐに歯磨きをするのもやめなさい。だって明日になればどうせすぐにまた物を食べて汚れるんだから、と。

不安になったとき、辛いときには、心を掃き清めることですよ。いわば歯磨きですな。歯磨きと掃除は、これ同じことですから。古来から、禅の修行においては掃除は大事なものとされています。かの道元禅師も、中国に学びにいったとき、寺の掃除係の老人と話したことで悟ったと言われています。帰国したとき、何を悟ったのかと問われた道元禅師は、こう答えました。顔には、目が横に並び、鼻は縦についていますと。

また、心が不安だ不安だという弟子に対して、不安などない、あるというのならその不安とやらをここに取り出して見せてみよ、見せてみよと迫った禅僧の話などもよく知られております。

心を掃き清めること。掃除をすること。大事なのは、そのように手を動かすことです。つまり歯磨きですな。歯磨きをしましょう。もちろん、これは比喩、メタファーであって歯磨きでなくてもかまいません。私は何も歯磨きだけにこだわっているわけではありません。手を動かすことですよ。手を動かし、足を動かすこと。場を清め、目の前にある物事を片付けましょう。それが心を掃き清めるということでございます。そしてそれ以外に、目の前の現実を動かしていく方法はないのですからね。心をこめ、丁寧に手を動かしてください。目の前のことでよいのです。そうすれば、物事が見えてくる。おのずから物事の見え方も変わってくるでしょう。それが、掃除ということなのですな。


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