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自分を愛しはじめるとモテる説


びっくりなことが日々起き始めています。

過去にフラれた元彼から電話があり、
私に会いにニュージーランドに遊びに来たいという。

そんな事言うの、付き合ってた頃はなかったのに!笑


最近、自分の中で”人間関係”というものが動き始めている気がするんです。
もっというと、私が人を引き寄せ始めている。


たとえば、
オークランドで仲良くなったドイツ人から、
「来週からみくのいるウェリントンに行くよ」と急に連絡があった。仕事も住む場所もあっという間に区切りをつけて、「みくが居た方が楽しいから」という理由で移動してくるみたい。行動力!

スイスに帰った友達は、今日仕事の面接なんだと不安なことを伝えると、スイスが真夜中の時間になるのにもかかわらず、「テレビ電話する?」と誘ってくれたり。


私が来る前からウェリントンに住んでいたフランスの友達は、私がこの街に住むことを本当に喜んでくれて忙しい中会おうよ!って誘ってくれたり。

ネルソンに住んでいる親友のポールは、私がウェリントンに住もうと思うと伝えた時、やっぱりちょっと寂しそうだったり。


なんだか、すごく”大切にされている”と感じるんです。最近特に。


そして面白いことに、
今の私は人生に全力で集中している真っ最中

彼氏や友達、外部の温かさをひたすら求めていた頃の自分とは違って、

自分の時間を過ごしたい

にシフトしている自分。


なんでしょう
「去るものを追いたくなる」
人間の本能なのかな


昨日寝る前にふと、こんなことを考えていました。


最近、私が私を少しずつ「いいな」と思う瞬間が増えている。
あれだけできなかった「自己愛」「自己肯定感」というものがちょっとずつちょっとずつ、出来るようになっていっているなぁと。

もしかして、それも関係しているのかも?と。

自分を少しずつ認められるようになってきているのはもちろん、ニュージーランドにいるおかげ。ここで基本的に一人で旅を旅をしていたし、どんな選択もすべて”自分”で決めなければいけないということが大きく関係していると思う。

海外滞在には、失敗や不安がつきもの。
そんな中、慰めてくれる人は物理的にも”自分”しかいない。
無理をしてでも「大丈夫、そんなこともあるよ。私ならできるよ」と信じないと、
生きていけないくらいの不安が襲ってくることも。

だから、意識的に
毎日のやりたいことをノートに書き連ねたり、
感謝したいことをメモしたり、
自分を自分で褒めてみたり、
ときには泣いたりして、
自分との会話をやってきたつもり。

そんな日々を過ごしているうちに、ちょっとずつ
成功体験が増えていって、
自分のことが前よりも好きになってきた



誰かを愛す前に自分を愛しなさい」というよくある話

心から納得できていなかったんですよね、正直。

だってわからないもん。
自分を愛す、ってどういうものなのか。


今だに、自分の出来ないことが目につくし、
誰かに「すごいね」と言われても、「そんなことない」と自分を制している厳しき自分もいる。


過去の自分は不足感に目を向けすぎて、
本当に孤独を感じてきたし、何をやっても
外部の幸せばかりが目について、
私ってなんでこんなにダメなんだろう、
と自分を責めることしかできなくなっていたなぁと。
でも今はちょっとずつ、自分に優しくなる方にシフトしていってる。

ニュージーランドで出会った人たちのおかげで、
自己愛のかたまりみたいな彼らの生き方を見て、また「みくはすごいね」と顔が真っ赤になるくらいの褒め言葉を浴び続けて、ちょっとずつ、私が私でいれることに居心地の良さを感じている。


それが最近の私。


そして気づいた。
私が私でいれることを愛おしく思いはじめると、
他人の良さに気づきやすくなる、ということ。


私の心が整っていて余裕があるからなのか、
私の良さに気づき始めると、人の良さにも敏感になるからなのか。

自分を満たしはじめると、
「あの人凄いな」「尊敬する」「可愛い」
「素敵だな」「好き!」「仲良くなりたいな」「本当にありがとう」
そういった感情が、心から、そして無理せず、
本音で出てくるように。

だから伝えちゃう、「あなたの事好き!」って。
「本当にすごいね」「尊敬するよ」って。

それが豊かな人間関係に繋がるのかなと

これも本当に不思議な話なんだけれど、
ニュージーランドに来て、私の直感力というか、
ビビっとくる何かがものすごく発達し始めた。

だからこの人凄いな、興味ある、とビビっと来た人って、本当にその国で凄い人だったりする。

あとは私と似ているところがある人だったり、
私がやりたいことをすでにやり遂げている人だったり、必要な情報を持っている人だったり。
類は友を呼ぶって本当だし、
常識では考えられないけれど不思議な世界の神様が手配して私の行き先々で出会わせてくれているのかな?と考えたりする


兎に角「素敵だなあ」と思う人って、
蓋を開けてみると本当に素敵な人なんです。

そんな人達に対して、あなたが好きですと愛を持って接する事で、
彼らや彼女らもポジティブなエネルギーを受け取ってそれを返してくれるような相乗効果が生まれるのかなぁと。


結果として、
私が私を愛し始めると、周りも私を愛してくれるようになる。

愛し愛されるという方程式が納得できるものに。

あぁ、だから「人を愛す前に自分を愛しなさい」なのね。とやっとストンと腑に落ちました。



自分が満たされていないとき、
自分が自分を責めているときって、
なんとなく他人の幸せが羨ましく思ったり、
友達や彼氏に「慰めて」と相手からの愛を求めたりしてました。

その経験もあるからこそ、

今の方が、私の心にとっても、誰かにとっても、絶対に心地がいい
とさらに学ぶことができました。


自分を愛することが良いことになる理由がもう一つ。

人生が輝き始めること

私自身を信じたり、やれるよ大丈夫だよと
自分に優しくなってあげると、
私の心は想像以上に頑張れちゃうことに気づきました。
誰のためでもない、自分のためにこれをやりたい、やってあげたい。
そんな心の自分が、自分のために夢中で楽しく動き出すんです。


そしてその状態でいるときの私は、きっとまとっているオーラも違うはず。
道ですれ違う人や偶然会った人に
「君、誰?!」みたいな反応をされることも。笑

「君、なんかおもしろいね」
「興味があるよ」

とまた新たな良い出会いを生み出してくれる。


ラグランで出会ったサーフィンに夢中な女の子たちが、本当に美しかった。
表面上の綺麗さじゃない、
何かに本気で取り組んでいて、彼女が彼女自身に夢中になっている姿が、とても美しくてキラキラしていました。
きっとオーラってそのキラキラのことを言ってるのかもしれないね。


最後に、
私は人生のほとんどを不足感で生きてきた。
何をやっても、もっともっと上手くやらないといけないという自分の不足に常に目を向けてきた人間です。

ある日友人に言われました。
「将来子供ほしい?」って。
絶対に考えられなかった。こんなに不足感まみれの人間が子に愛情を注ぐなんて絶対に無理。
そんなとき友人が、
人によるよね。不足してきたからこそ愛情を与えたいっていう人もいるしね

ハッとしました。

過去に別の友人に「彼氏からの愛情感じない」
と相談したときに言われた
だからこそ彼に愛を与えるっていうのは?
という回答と重なりました。


どうも納得できなかった。
私は私で満たされていないのに、その分 相手に愛を与えるなんて、きっと素敵なことで間違い無いように見えるけれど、私マザーテレサじゃないねん。と心の底では戸惑いがあった。


でもそれはきっと正しくて、
今はこう思います。

満たされていない自分を
(自分で満たしてから)
他人に愛を与える

間に一個足すと、腑に落ちました。


また一つの学び。
私は今、まずは自分を満たしてあげるところのフェーズに取り組んでいる。
まだまだ自分を愛すなんて完璧にできないし、他人に無償の愛を与えられるわけでもない。
けれど、私にとっては大きな一歩だなぁと。


自分を好きになって、
周りからも必要とされる。

そんな幸せなことってない。


だから、もっと自分の人生に夢中になってみようと、思いました。


自分自身に夢中な人は、きっとモテるはずです。


自分を好きになることで、
人間関係が、さらに豊かになっている気がします。

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