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魔が差して青春18きっぷで旅立った話。

バンドのライブを追いかけて昔住んでいた街に来た。せっかくだから友人と遊ぶ約束をしていたがダメになり予定が空いた。そのままふとどこかへ行きたいと思った。このまま帰りたくない。
12月の駅には青春18きっぷのポスターが貼ってある。ついつい発売日を見てしまうが、社会人になってから使うタイミングがない。今からならどこまで行けるかを逆算し、窓口に向かってから電車に飛び乗った。
そんな無茶な行動をして、ああ、私は昨日悲しかったのかと気がついた。この電車はこのまま北へ向かう。

昨日は別の友人とご飯を食べていて、驚く出来事があった。
私は好きなバンドのライブを見たあとで、それがどれだけ素敵だったかを力説していた。昔バイトしていた場所で好きなバンドの演奏を聴く、感慨深く最高の時間だった。その話を散々したあとに、彼は思いもしなかったことをした。いや、思いもしない、というのは私が誤魔化していただけで、彼はそういう人だと薄々知っていた。でもきっと勘違いで、そこは良識のある人だろう、と見ないふりをしてした。したままでいたかった。だから本当は心の底ではそこまで驚いていなかった。
その瞬間思ったのは、最高の余韻に浸っているのになんでこのタイミングで?というただ自分のことだけだった。

平日夕方の電車に乗っていると、周りは高校生だらけだ。東京とは違う素朴な制服姿を懐かしく眺めつつ、穏やかな揺れに身を任せている。昨日のセトリを聞いていると、ステージ照明やボーカルの伸びのある声、ベースの動き、ドラムのスティック捌きが蘇るが、同時に彼のことも思い出してしまう。このまま聞いていると曲の印象も上書きされそうなのでイヤホンを外した。古い車両だからギィギィ軋む音が響く。山に向かう路線だから速度が遅いのか。緩く軋む音に集中する。

この線路のようにどこまでも昨日は平行線だった。彼は誰かに優しくしたくて、そして優しくされたかった。どこか偽善的とも言える。優しくしている自分のための優しさ。確かにこれまでたくさん優しくしてもらっていた。それを拒否せず享受してしまった私が悪かったのだろうか。優しさは返さないといけないとは思うが、その返し方は選びたい。求める形と渡したい形がどこまでも合わなかった。

あの瞬間はただただ無だった。傷ついたとも悲しいとも特に思わず。でも今日になり黒いモヤが私を包んでいくような気がしていた。ライブの興奮まで上書きされていく。それは嫌だ。私はこのモヤをどこかに置き去りにして帰らなければならない。本当は帰ってやりたいことは沢山あるけれど、そこは目を瞑ろう。

雪国の電車は暖房が効いている。足元からガンガン暖かい風が車内に広がっていく。友人に渡せなかったクッキーが入っていることを思い出して、床に置いた鞄を膝に乗せた。次に会えるのはいつになるか分からない。帰ったら食べてしまおう。暖房がきいていても、駅に止まる度に外の空気が入ってくる。日が落ち、山に入り、空気の温度がどんどん下がっている。人も減った。私以外にまだ誰か乗っているのだろうか。人の声がいつの間にかしなくなった。それでも電車は北へ向かう。

誰かが言っていた。記憶喪失になった人は無意識で北へ向かう、と。不思議と南には向かわないらしい。確かに真っ直ぐ東京へ戻る路線の途中下車でも良かったのだが、そっちには気が向かなかった。北上一択。ざっと検索した時に気になる神社があった。昔行って好きだと思った神社とそこまで離れていないはず。明日はそこへ行こう。ざっと計画を立てつつ、スマホで宿を探す。便利な時代になったものだ。

どこに行くかではなく、旅に出ること自体が私には必要なんだ。正直どこでもいい。「どこか」であれば。来週からの私のために、一泊置くための一泊だけの小休止旅行。電車で街から離れるほど、昨日から遠ざかる。そろそろ県境が近づいてきた。長いトンネルに入り、スマホも圏外になっている。

いつの間にか隣にスーツケースを持った品の良い女性が座っていた。マダムとかご婦人という言葉が似合いそうで、素敵なブーツを履いている。しまった、私はスニーカーで来てしまった。トンネルを抜けたら雪が積もっていた。どうしたものか。

こんなことも思いつかないくらいの行き当たりばったり。きっと魔が差した、と言うやつなのだ。この旅行と見せかけた逃避も、昨日の彼も。まだ目的地には着かない。どんどん雪深くなってきた。まぁ、何とかなるさ。旅に出る時はいつもそんな感じだ。車内では誰も立っていないから、つり革が全て規則正しく揺れている。窓から綺麗に丸い月が見えた。きっと外は月の光みたいに凛とした寒さになっているだろう。昨日は車から二人で月を見た。本当は昨日が満月だったはずだが、今日の方が綺麗だ。

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