見出し画像

なぜ旅に出たくなるのか

ふだんは家にこもって映画を観るという行為に幸福を感じるインドア派だけれど、一年に何度か、無性に旅に出たくなる。

そもそものきっかけは、本だった。沢木耕太郎の『深夜特急』に影響されて、着の身着のまま日本を飛び出した。はじめての行き先は北欧で、氷点下の見知らぬ街をひとりでセカセカと歩き回った。

永井荷風は『あめりか物語』の冒頭で、「唯だ行かんが為めに行かんとするものこそ、真個の旅人なれ」というボードレールのことばを引用している。「目のまえに山があるから~」に似ているこのことばは、遠くはないが、しかし自分のそれとはどこかズレているような気がする。旅に明確な目的があるわけではないが、内田百閒のような「阿房旅」ともなにかがちがう。寺山修司の言う「偶然の出会い」は、たしかに旅の醍醐味には違いないが、これもビタリとあてはまるわけではない。

自分の旅への欲求、これは一体なんなのだろう。湯船に浸りながらフワリフワリと考えてみた。そうしたら、なんとなく、「家出」ということばがしっくり来るような気がした。

家出といっても、家からの脱出という意味ではなくて、無理やり言うなら、世界からの脱出というかんじ。毎日同じ人とつきあい同じ場所で生きていると、どうにも息がつまってたまらなくなる。居心地の良さを感じる反面、自分が一体どこにいるのか分からなくなってくる。その息苦しさが募るにつれて、「ここではないどこか」へ行きたい、行かなければいけない、という思いがムクムクと頭をもたげてくる。そしてある日突然に家を飛び出してみる。分厚いマスクを脱ぎ捨てて、体の芯から深呼吸をしに行く。

誰ひとりとして自分を知らない土地を歩いているときが、どうしていちばん自分でいられるような気がするのだろう。何かに追われながら、どこに向かっているのか分からない日々からの一瞬の逃避。それは自分自身を取り戻し、また元の世界で生きてゆく活力を与えてくれる。根があることの幸せを思い出させてくれる。

世界を家出して、ぼくは自分自身に会いにゆく。その夢から醒めるような感覚こそが、ぼくを旅に駆り立てるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?