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夜間非行 第7話

 ドージと名付けられた保護犬の命の灯は、日付を跨ぐ前に燃え尽きた。カヲルのたっての希望により、明日の朝まで寝ずの番までも覚悟していた矢先のことだった。

 手術台の上で丸まって、安らかな寝顔を浮かべてくれていたことだけが唯一の救いと言えた。手の施しようのないほどに焼け爛れた皮膚を見れば、獣医でなくたって虐待の痕と見抜くだろう。

 もう十分だよ、ありがとう。別れの間際、ドージがそんな感慨を抱いてくれたのかは分からない。

 カヲルは棺に見立てた段ボールを用意した。死後硬直が始まる、まだ柔らかなうちに、優しく、優しく、腕や足を内側に折り畳んだ。

 腐敗の進行が進まないよう、遺体の下には保冷剤が敷いてある。ブランケットで包んでやると、棺はどことなく揺りかごにも見える。

「ゆっくりお休み。よく頑張ったね」

 カヲルはすでに閉じている目に、そっと指で触れた。

 動物が亡くなると、鼻や肛門から排泄物や体液が出てくる。遺体が汚れるのを防ぐため、脱脂綿を詰めて、穴を塞いでおく。

「ドージくん、ちゃんと弔ってあげたい」
「ああ」

 通常、ペットを弔うのは飼主家族の役割で、獣医は関与しない。

 ペットの死を獣医に伝える義務もない。どのように弔うかは残された家族で話し合って決める。それが筋だが、喪失の悲しみに暮れ、何も手につかないこともままある。

 死が近付いたペットの飼主に、獣医はこんな説明をする。

 主な弔い方は、三つ。

 自宅で土葬。
 ペット葬儀屋で火葬。
 自治体で処理。

 弔い方にはどれも一長一短がある。

 自宅に埋葬するには、自身が所有する庭などの敷地内に埋葬しなければならない。法律違反になるため、公園や河川敷に勝手に埋めてはいけない。また賃貸物件や集合住宅に住んでいる場合、大家や住民の理解を得なければならず、土葬という選択肢は難しい。

 ペット葬儀屋に依頼すると、個別火葬と合同火葬があるが、立ち合いはできるのか、返骨はあるのかなど、業者によってまちまちだ。なかには悪質な業者もあって、複数の飼主から金だけを貰い、きちんと火葬せず、遺体を山に不法投棄した、という例もあった。

 自治体が動物の死体を処理する場合、廃棄物扱いが基本だ。一部の自治体では燃えるゴミとして指定の袋に入れ、犬猫の死体を捨ててよいところもある。他のゴミと一緒くたに、一般の燃えるゴミとして焼却されると聞けば、大抵の飼主は二の足を踏む。

「ドージくんが安らげる場所に埋めてあげたいよね」
「火葬は必要ないよな」
「うん。これ以上、火は見たくないと思う」

 生きたまま焼かれたドージは、火などまっぴら御免だろう。
 となれば、埋めるしかない。

 土葬をする場合でも、いちど火葬してから埋める場合が多いが、深く穴を掘り、なるべく遺体が早く土に還るようにしてあげればいいだろう。

 火は使わない。
 たぶん、それがいちばんの供養だ。

「で、どこに埋める?」
「林試の森は」

 カヲルが真っ先に挙げたのは、りんの森公園だった。

 モリフクロウのモリーを飼っているカヲルは、林試の森がまるで庭のような月光ステートというビンテージマンションをいたく気に入った。

 目黒本町の旧地名が月光町げっこうちょうだったそうで、神秘的な響きのある、その名を建物に冠した。学生時代は安アパートに住んでいたカヲルだが、月光ステートの存在を知るや、即決で移住した。獣医として得た給料のほとんどが家賃の支払いに消えており、忍はひそかに、こいつ、金の使い方大丈夫か、と思っている。

「却下。法律違反」
「こっそり埋めれば、だいじょうぶだよ」

 深夜、こっそり林試の森に潜り込み、さっさと穴を掘り、さっさと立ち去れば大丈夫、と言わんばかりだが、承服しがたい。

「気持ちは分かるけど、獣医の資格に傷がつく」
「しーちゃんのケチ。けっこう頭カタいよね」

 カヲルは犯罪計画の算段をしているかのような顔つきになった。

「私が死んだら、林試の森に埋めてほしい。モリーの亡骸と一緒に。藪内カヲル、モリーとともに森に眠る。どう、素敵じゃない」

「森だよ、森。森に棲めるよ、モリー! みたいなノリで、あそこに住んだんだろ。あんな家賃のクソ高いところによく住むよな」

「しーちゃん、ひょっとしてバカにしてる?」

 カヲルが、むっとした表情を浮かべた。

「いえいえ。分不相応な暮らしをしてるな、と申しているだけです。この女、たいして給料があるわけでもないのに、なぜこんな場所に住めるのだろう。ひょっとしてマッチングアプリで男を引っ掛けて、仮想通貨投資の詐欺でも働いているのか、って勘繰られるぜ」

「逆恨みだね、しーちゃん。警察にあーだこーだ突かれたから」
「警察は嫌いなものランキング同率二位だな。税務署と並んだ」
「一位は?」
「言うまでもないだろ」
「日に日に嫌いなものが増えていくね、しーちゃんは」

 非行に走る弟の面倒を見る姉のごとき言い草だが、それこそ忍の感想だ。
くれぐれも夜間非行はご容赦願いたい。

 憐れな保護犬を弔ってやりたいという気持ちは買うが、獣医師の資格に泥を塗ってまで行うべきことではない。

「じゃあ、しーちゃん家の庭は?」

 そう言うと思ったので、忍はあっさり反論した。

「犬と鷹は相性最悪だぞ。うちの庭に埋めたら、きっと安らげない」
「そうなの?」

 鷹番の鷹桐家は、誰がどう見ても鷹の地位が高い。
 そこに犬の亡骸を埋葬したとして、安らげるはずもない。

「徳川家康が鷹狩りが好きだったってのは有名な話だろ。徳川家は四代目までは鷹好きだけど、五代将軍綱吉は犬公方と呼ばれるぐらいの犬好きだ」
「綱吉って、生類憐みの令の人?」

 歴史に疎いカヲルは、きょとんとしている。

「五代将軍綱吉、六代将軍家宣、七代将軍家継、そして最後の将軍の慶喜。徳川十五代将軍のうち、四人が鷹狩りをしなかった将軍で、八代将軍吉宗は鷹好きが高じて鷹将軍と呼ばれたぐらいの人物だ。四代目までは鷹の時代、五代から七代目までが犬の時代、八代目で鷹が復権する。綱吉が将軍職に就くと鷹狩りが下火になり、鷹役人も冷遇された。江戸時代は鷹の時代と犬の時代にきっぱりと分かれるんだ」

 鷹狩りは、鷹を狩るのではなく、鷹を使って獲物を狩る。
 獲物となるのは、鶴や白鳥、雉などの野鳥、兎などの小動物。
 これらを勢子せこが見つけて、追い立てる。
 犬を使って、獲物を探す場合もある。
 発見され、追い詰められた獲物は走るか、飛び立つかする。
 そこへ鷹を放ち、狙った獲物を捕獲させる。鷹を訓練して調教し、捕獲能力の高い鷹へと育て上げる専門家を鷹匠という。

 諸説あるが、目黒区鷹番の地名は、狩りに携わる役人(人)が住んだ土地であるから、と言われている。

 ――犬も朋輩ほうばい鷹も朋輩ほうばい

 そういった格言も残されている。

 鷹狩りで犬と鷹は違った待遇を受けるが、同じ主人に仕える同僚である。役目や地位が違っても、同じ主人に仕えれば同僚であることに変わりはないことのたとえである。

 しかし、わざわざ格言にもなるということは、裏返せば、犬と鷹は同僚であっても仲良くはできないもの、とも受け取れる。

 江戸時代の役人にしてみれば、将軍が犬好きか鷹好きかで出世を左右されるのだから、双方が仲良くできようはずもない。

「林試の森がダメなら、しーちゃん家の庭に埋めたらいいかって思っただけなのに、江戸時代の鷹と犬の遺恨を持ち出されてもなあ。しーちゃん、ちょっと考え過ぎだよ」

 カヲルはすっかり呆れ顔だった。

「そうやって考え過ぎるから国試に落ちるんだよ、ってか」
「そこまでは言ってない」

 カヲルがふるふると首を振った。

「相場の格言にもあるんだよな。人の行く裏に道あり花の山って」
「どういうこと?」
「相場で儲けたいなら、他人と逆の行動を取らなければいけないってこと」

 忍が簡潔に説明すると、カヲルはなんとなく得心したらしい。

「しーちゃんがふつうの受験生が選ばない選択肢に飛びついちゃう理由がよく分かったよ。国試って、他の受験生が選びそうな選択肢を選ぶっていう不文律があるじゃない。しーちゃんは群れる多数派が大嫌いだもんね。多数派に与するぐらいなら名誉ある孤立を選ぶでしょう」

「うっせえな。今は国試の話はしてねえだろ」

 ドージを埋葬する話題が、いつの間にやら獣医師国家試験の話題にすり替わっていた。個を貴ぶ相場師としての習性が合格を妨げているというのは、言われずとも分かっている。

 答えはこっちだと分かっていても、いざマークを塗るときは違う箇所を塗り潰している。どうしても多数派から外れてしまう。

 鷹は群れない。
 犬は群れる。

 そういう血なのだから、宿命だと思って諦めている。

「しーちゃん家はダメかあ。じゃあ、どうしようかな」

 カヲルが腕組みをして、小難しい顔をした。

「ドージを埋めるなら、もっと相応しい場所があるだろ」
「どこ?」
「八王子」

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