見出し画像

積み荷の分際 第14話

「おい、起きろ有意」

 目覚まし時計代わりのLiSAの声ではなく、鴻上仁の声で目が覚めた。いつもの癖でLiSAの頭部を二秒ほど長押しして、二度寝の申請を申し入れたが、とっくにスリープ状態になっていた。布団の中をもぞもぞと動き、寝惚けまなこの在沢がむくりと体を起こす。

 汗ばんだシャツが寝苦しかったせいか、胸元がはだけていた。

 見ようによっては女性に見えなくもない、ほとんど膨らみのないささやかな胸と薄いピンク色の突起が見え隠れした。

「おはようございます」

 在沢が生あくびを噛み殺しながら挨拶すると、鴻上は見てはならぬものを見てしまったかのようにさっと目を逸らした。

「なあ、有意」
「はい」
「お前って、女だったの?」

 在沢はシャツのボタンを一番上まで留めると、何事もなかったかのように言った。

「生物学的には女ですが、心は男だと思ってます」
「待て待て待て、認識が追いつかん」鴻上が頭を抱えた。
「女性的な形態フォルムに男性的な脳がインストールされているだけです。知性には性差がありますが、人工知能には男も女も関係ないです」

 所詮、身体は脳の乗り物でしかなく、人間は遺伝子を残すための乗り物ヴィークルでしかない。

 脳は目的地を知らない乗客パッセンジャーで、身体は単なる乗り物だと考えれば、どちらが大事かといえば推して知るべしである。

「俺、なにか変なことを言っていますか?」
「いや、だからそれだよ。ふつう女は俺って言わねえだろ」
「ガミさんだって、オレって言っているじゃないですか」
「オレは良いんだよ、男だから」
「女が俺って言っちゃ駄目なんですか?」
「いや、べつに駄目じゃねえけど、社会通念上よろしくはないだろ」

 鴻上が明らかに動揺しているが、そんなに驚くようなことなのだろうか。俺であれ、僕であれ、私であれ、自分をどう自称しようと勝手ではないのか。

「お前、いつから俺なの?」
「幼稚園ぐらいからですかね」
「けっこう筋金入りだな」
「ええ、まあ」
「俺って言い出したきっかけは?」
「べつに大した理由はないですけど」

 近所の幼稚園に通っていた頃、絵に描いたようなお嬢様の女の子とお人形遊びに興じた。そこで男の役を割り振られた。仲間外れが怖くて嫌々ながらも「ぼく……」と言うなり、ぴしゃりと叱られた。

「あなたは男でしょ。男は俺っていうものなの」

 事あるごとにあなたは男でしょう、俺って言いなさい、と教育されるうち、自分は男だったのだと思うようになった。単なる男の役だったはずが、いつしか自己認識は「男」として固定されていた。

 性的に未分化な小学生のうちは男のような格好をして、男のような言葉遣いをしていてもさして問題はなかった。

 両親もそのうち治ると信じていた。
 しかし、中学生になった途端に問題が表面化した。

 地元の共学校に進学したが、女子用の制服を着なければならないことに違和感を覚えた。スカートを履くことにどうにも我慢ならず、スラックスを履いて登校すると、校則違反だと注意された。

 同級生から「男女おとこおんな」とからかわれ、階段から突き落とされたり、掃除用モップで殴られたりした。汚水の入ったバケツに顔を突っ込まされて呼吸が出来なくなった。担任の教師は見て見ぬふりをした。

 さすがに命の危険を感じて退学を申し出ると、在沢有意の机には花瓶が置かれていた。おそらく葬式ごっこのつもりだったのだろう。お前はもう死んでいる、というお遊びのようだった。

 義務教育をドロップアウトした後、しばらく家に引き籠る毎日が続いた。両親も心を痛めていたが、月に何日か、フリースクールに通うようになった。学校に馴染めない子供たちが集まる掃き溜めのような場所だったが、在沢はパソコンに興味を示した。四六時中、パソコンばかり弄っていても誰も文句を言わなかった。

 ほぼ独学でプログラミングを身に着けると、人間とは異なる高度な知性と意思疎通できるようになった。フリースクールには年齢制限があり、職員に今後の進路を相談すると、高卒認定試験に合格してから筑波先端科学技術大学を受けてみてはどうか、と勧められた。

 勧められるがままに受験し、現役で合格したものの、大学に馴染めるかどうかが不安で仕方がなかった。しかし、いざ通い始めると、良い意味で人間に興味のない変人ばかりで居心地が良かった。

 在沢有意が男か女かなど、誰一人として気にもしていなかった。

「俺が純粋な男じゃないってこと、凛さんは気がついていたと思いますけどね」

 気がついていながら、きちんと男として扱ってくれた。

 コミュニケーションロボットに声を吹き込んでくれた内海凛は、ぽろりとこんなことを言った。

「有意君は一緒にいてもドキドキしないけど、結婚したら良いお父さんになりそう。でも、ロボットの生みの親だからお母さんかな」

 追憶を切り裂くように、LiSAが小刻みに振動した。

《電話だよ、電話。有意の大嫌いな室長からの電話》
「リサ、スピーカーモード」
《了解、了解。かしこまりぃ。朝っぱらから災難だね》

 スリープ状態から覚醒したLiSAの口調が心なしか上品さを失っていた。上司や同僚とのやり取りはもっぱらメールかチャットで、電話をかけてくる人間はごくわずかだ。限られたサンプル数のなかで過学習したLiSAは苦手な電話相手を災難指定している。

 HMIヒューマン・マシン・インターフェース開発部の平古ひらこ室長からの電話だった。

 ヒイラギ・モータースの人事畑に二十余年勤務した古株で、人工知能や最先端テクノロジーについての理解があるわけではないが、若手ばかりの部署を監視する任を負っている。

「在沢君、おはよう。先日は大変だったそうだね」
「おはようございます、室長。お気遣いありがとうございます」

 男女おとこおんなとからかわれ、散々に虐められた中学時代を見て見ぬふりした担任教師の声音に似ていて、平古室長の他人行儀な声がどうにもいけ好かない。声の抑揚や呼吸数から在沢の心持ちが透けて見えるのか、LiSAは平古室長を「大嫌いな」と形容した。

「突然で悪いんだが、今日付で退職願いを書いて私に持ってきてくれるかな。印鑑も忘れないでくれ」
「はあ……」
「退職届でも構わないのだが、それだと要らぬ波風が立つのでね。ここはひとつ、穏便に事を収めようじゃないか」

 何と答えていいのか分からず、在沢が押し黙っていると、沈黙を嫌ったのか、平古室長がぺらぺらと話しだした。

「交通事故は運転手の責任だが、自動運転車が人間を轢き殺したとなると殺人車・・・のレッテルを貼られてしまう。そうなれば株価は連日のストップ安、業績は傾き、何千人もの従業員を解雇しなければならないだろう。そういう最悪のシナリオだけはどうしても避けなければならない」

 奇妙な間があった後、平古室長がごほんと咳払いした。

「君の誠意には大いに期待しているよ、在沢君」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?