しつけと言う体罰と、愛と言う名の虐待。続編
こんばんは。
病室の窓から見える空。
目の前にある山の向こうに富士山が見えるはず…
邪魔して見えない。右を覗けば箱根の山が少しだけ見える感じかなぁ。
あー窓を開けて外の空気を吸いたいmakoです。
先日、このタイトルで記事を書いた。
読んでくれたお友達から、連絡を貰った。
やはり私と同じ様に小さな棘が刺さっていた。
だから今でも、小さな棘が悪さしてチクチク痛むと…。
昭和の子には多いかもね。
私達の年代の親世代は、戦中に生まれて戦後の復興時代を子供時代を過ごして来た方々が多い事だろう。
それは私達とは違う苦労があったに違いない。
誰もが貧乏で、支えあいながら豊かになって行く日本を夢見ていたと思う。
そんな厳しい時代を生きて、少し豊かになった日本の生活。
そんな中、結婚して子供を育てる。
戦争を知らない子供達。
そう、丁度私達の世代。
豊かになって行く日本。頑張れば幸せになれる。
学校を卒業して就職して、結婚して、マイホームを持ち自家用車でドライブ。
洗濯機に冷蔵庫、テレビ。
様々な家電。
核家族化して物が売れ、経済が活発化。
そう、この豊かになって行く歴史を私達の親世代、私達は見て過ごして来た。
凄い短期間での成長の歴史。
学歴や、物質、いかに所有するかで幸せを測る。
いつしか幸せの定義は所有になっていった様に思える。
通信手段である電話。
子供の頃、島では近所のよろず屋さんにしかない電話が入れば放送でお知らせ。
祖母に手を引かれて、母との会話をしばしの時間でする。
たった50数年前の話。
どこの家にも電話があった訳ではなかった。
ダイヤル式の電話からプッシュ、10円入れて話す公衆電話からの100円も入れられる様になってテレフォンカード。
担いで持ち運びする携帯電話。🤣
どんどん小さく変化して、ショートメールが打てる様になったり、ポケベル。
折りたたみ乗せて携帯電話から、今じゃスマホ。
物凄い早さで時代は進んでいる。
そんな時代の変化を私達は生きてきた。
(少し話が脱線したけど。)
この豊かさを求めて、所有することが幸せだと教えられて来た様に思う。
家庭でも学校でも社会でも。
そこからはみ出すとレッテルを貼られ、体罰で修正される。
この体罰は幸せになる為の愛の鞭だと殴られる。
子供は親や先生の言う事さえ聞いて居れば幸せになれるんだ。と。
親にとっての子供はひとつの作品。
いかに、自分の子供を他人に自慢出来るか?
そんな時代だった。
ひとりひとりの個性は消された。
皆、同じ方向を向いて進む事が良しとする感じ。
こんな時代の中の家庭内では不調和音が鳴り響く。
もちろん学校でも。
家庭内暴力や学校での暴力。あちこちで暴力事件が多い時代だった。
家の場合、地域で少し有名な店に成長していた両親は、私に対して色々と教育をしようとした。
私の為と言い、塾、習字、絵、エレクトーン。
今思えばありがたい話だが、小学1年から学校帰りに遊ぶ事を許さない時期で苦痛でしか無かった。
唯一の救いは、大好きな絵を描く時。
それ以外は逃げ出したかった。
出来ないと殴られた。
少しでも帰りが遅いと玄関の前で正座させられて、弟の面倒を見ないと殴られお灸をされた。
歳が大きくなるにつれ、反抗するならとことん殴られた。
小学生になった弟の時間割を揃えてない。
これだけでバトミントンのラケットで血が滲み出るほど、背中が腫れ悔しさで泣いた。
これは、両親だけでなく、当時の母の妹からの虐待。
おまえがちゃんと出来る子になる為と。
早く大人になりたかった。
とにかく家から逃げ出したかった。
大人達のステイタスの為に苦しんだ幼少期。
子供の頃に抱いた違和感と矛盾。
これを、ずっとずっと我慢していた。
自分に言い訳をしながら。
きっと私の為だったからと、納得もしてない感情を押し殺し認めた振りをして来たから、体への不調がやがて顔を出す。
ここから私の不調との戦いが10数年始まった。
こんな風に今まで何度も何度も自分と向き合って来た。
この作業は本当に苦しい。
自分からさえも逃げてしまいたくなる。
あの時の悔しさ憎しみ。
これを納得するまで認め行く。
思い通りにならなかった事を認めるのは凄く悔しい。
悔しくて自分さえ誤魔化そうとする。
本当の奥底で自分の感情を味わえた時、その時から本当の人生が始まる。
本心と、自分の誤魔化しの不調和音。
いつまで続けますか?
もうやめません?
もう止めるべきです。
ベールに隠したその感情と本気で向き合ってみて。
きっと心が軽くなる。
私に1番優しいのは私自身。
私を1番愛してくれるのも私自身。
自分を愛そう。
自分を愛し許そう。
自分を愛す事が出来た時、他人を愛する事が出来る。
自愛からの慈愛。
今日もありがと💕
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