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Ep.1 低温火傷

2003年、盛夏。

「とりあえずザギン集合で」

オレンジ色に染まったアスファルトをぼんやりと眺めながら、地下の排気口から立ちのぼる生ぬるい空気を浴びている。 
化繊のキャミソールが汗で湿って背中にまとわりつく。

不快だ。

目を上げると、歩道の幅を省みずショーウインドウを覗きながら話し込むカップルがいる。
そこへ眉間にシワを寄せながら、僅かな隙を中年男性がすり抜けていく。
そのすぐ後ろには、ホームレスと思しき男が空き缶満載のリアカーを力なく引き、覚束ない足取りで歩を進めている。

異常なし。いつも通りのザギンだ。

銀座インズ1と2の間、高速道路下の歩道がいつもの待ち合わせ場所である。
「待ち合わせなんかしないで、現地集合でいいのに。」
この何度も言いかけたセリフをあえて言わずにいるのは、
”インズの中にあるHMVを一緒に冷やかしてから適当な居酒屋に入る”
というヤツのルーティンが出来上がっていると察しがついているからだ。
わがままに抵抗しても無駄である。

その日も15分ほど遅れてやってきたヤツとHMVの店内を30分ほど回遊し、インズ1の3階にあるいつものチェーン居酒屋へ流れ着いた。
(結局ここなら待ち合わせなんか…と言いかけてやめた)

ヤツとは学生時代からの、くっついたり離れたりの腐れ縁である。
互いに好意は感じるものの、付き合うまでにはいかない微妙な関係だった。
卒業してからもネットの掲示板や電話で週2~3回ほど連絡を取ってはいるが、実際に会うのは半年ぶりだ。
生ビールの中ジョッキ片手に、しばし昨今の音楽業界について意見を交換しあう。その後学生時代の仲間のこと、仕事の近況、新しいガジェットへと話は流れていき、その間お酒も食事もぐんぐん消化し、そして笑いあった。
2時間ほど経ち、互いに頬が赤くなったころ、ヤツからゆるいお伺いが始まった。

「どうなの最近?」

「どうなのって何が?」

「いやほらお前もいい歳だからさ」

「え?何?…結婚とかそういうこと?」

「まぁ、そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。」

「どっちよ。...んー今のところそういうのはいいかな。」

「そうか」

「そうだよ。そっちは?」

「あー、うー、うん。まぁアレだな。オレはお前よりひとつ上だし」

「ひとつ上なだけじゃん、むしろ精神年齢的には私のほうが上だよね。」

「まぁそうだけどさ、まぁ色々考えるわけでさ」

「え、まさか結婚でもするって言うの?笑」

「そうだな、まぁ、するな。うん、する。」

「へぇ。」

人は驚くと、言葉が瞬時に出てこない生き物である。


急に店内のBGMが大きくなった気がする。
私はBGMに合わせて身体を大げさに揺らしながら、テーブルの上のアンケートボックスにあるボールペンを取り出し、自分の小指へ顔を書いた。

固形燃料の帯を小さな笑顔の頭の上に乗せ、

「オメデト」

と、小指に言わせた。


雨が降っていたようだ。
アスファルトの水たまりがミラーボールのようにきらめいている。
地下に人がどんどん吸い込まれていく。
そんな光景をぼんやり見ながらひとり信号待ちをしている。

なぜだろう。背中がヒリヒリする。
キャミソールの後ろをバタバタさせながら家路を急ぐ。

*このお話はフィクションです

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