「俺」みたいにならない方法を伝える

前置き

昨今、「こうすればうまくいくぜ」みたいな方法論があふれるから、しくじり先生っぽく、「これをやると、少なくとも俺の人生上、確実に良くなかった」を記すことで、誰でもない誰かの役に立ってほしいと思う。

何故書いた

俺はどうやら「誰かの真剣な相談を受けて、一緒に考え、事態を好転させること」が好きらしい。趣味と言ってもいい。自称、人生コンサルだ。
だから、相談を受ける合間を縫って、知見を残すものとする。

筆者の現況

平日は朝から晩まで働き、土日は仕事を少しやり、残りは好きなことをやる。ゲームが欲しければ買う。好きな時にキャラメルマキアートを買って飲む。ネトフリを見たければ見る。

サイゼはいつでも食える。江戸前寿司もフレンチも行こうと思えば行ける。
現代日本でいうならまぁまぁ裕福かもしれないが、別に成功者でもない。
俺をこうしたのは、良くも悪くも、これから書く性質が絡んでいるのかもしれない。下記のことをやらなければ、俺以上の人生を送れる可能性が上がる。俺以上の人生を手に入れたければ、下記に記すことはやらないことだ。

逆に、俺のようになるにはどうしたらいいか、というと、そっちの方が難しい。人生に、プラスの再現性は無いと思っている。運も実力のうちというか、運が向いたときにそれを力にできるかどうか、という問題があるから。これはまた別の記事で語るとしよう。

やらん方がいいこと1:「意思決定から」逃げる

正直これが一番重要だ。
俺は人生で、二択を迫られるシーンが何回もあった。そのたび、悩みに悩み、迷いに迷い、結果、相談した人の意見を取り入れた決断を下した。
要は、「意思決定を自分でしなかった」のだ。

自分自身で決断すると、その結果の責任を自分で追わなければならない。だが、人任せに決断すると、とても楽なのだ。そのときは、それが最良の選択のように思えてしまう。

悩んでるふりをして、相談した人がそれっぽい事を言い、その後、自分で「こうする事に決めた(あの人もそうしたほうがいいつってるし)」と宣言すると、あたかも、自分で決断したかのように見える。

その後、嫌な目に会うたびに、内心「あの人がこうだって言ったからなあ」と思うことになる。失敗するたび、とても辛い思いをすることになる。
「あの人を信じる」といえば聞こえはいいが、それは信じるという言葉の悪い使い方だ。「信じる」とは、その人が正しくなさそうな場面で、ポジティブな意味合いを持って使うときこそ、良いものなのだと思う。
誰がどう見ても正しそうな意見に信じるもクソもない。

人生、正解がわかっている二択は無い。ので、選んだ結果のほうが正しかったようがんばるしかないのだ。それはどう決断しても同じだ。
だが、その決断は「本当に」自分でしたことかどうか、決めきる前に考えてほしいと思う。

一方で、誤解しないでほしいのは「いやなことから逃げる」こと自体はまったく問題ない。
「意思決定から」逃げるのが問題なのであって、「嫌なことから」逃げる事には何の問題もない。むしろ、「今の職場が嫌だからこういう職場に行きたい」など心から思うなら、それは今すぐにでもやるべきだ。

それは、嫌なことからは逃げているかもしれないが、その実「自分の人生を良くするんだ」という意思決定を果たしている、ということだ。

俺は人生で嫌なことからもいっぱい逃げ出しているが、実は、それを後悔したことは一度もない。実際、人生は好転した。逃げた事を忘れていることすらある。だが、意思決定から逃げたことは、忘れられないし、後悔することもある。
人生で、戻りたいタイミングは何個かあるが、だいたい、意思決定から逃げた直前のポイントでしかない。それはつまり後悔ということだ。

後悔しない選択とは、「その選択で生まれたどんな最悪な結果をも、喜んで受け入れられる」選択のことを言うのだ。

やらん方がいいこと2:「都合のいいショートカット」を求める

人生で、どうやら、「正しいショートカット」はあっても「都合のいいショートカット」はないらしい。

たとえばダイエット1つとっても、専門家に教わる、高いジムにいく、食生活を改善するなど、何も考えずに運動するよりはるかに早く結果を出す方法はある。

だが、飲むだけで痩せるとか、寝てるだけで痩せるとか、一日で痩せるとか、こちらの都合よく、早く結果を出す方法はないように思える。
正しいショートカットはだいたいこちらの都合が悪い。

だから、何かを早く確実に成し遂げたい、と思ったとき、ショートカットの選択肢を見た時、「都合のいいショートカット」なのか、「正しいショートカット」なのか、立ち止まって考えるといい。専門家や俺に相談してもいい。客観的に判断しよう。

まぁ端的に言うとうまい話には気を付けろということだ。本当にうまい話は他人からは回ってこない。その他人の大切な誰かや身内に回って終わる。

やらん方がいいこと3:「出来る範囲で」物事を考える

最後は、「想像を超えろ」「限界を超えろ」という意志を持つことだ。
何か問題にぶち当たった時、えてして、「出来る範囲で」解決しようとしてきた。だがそれはよくなかった。

ダメと決まり切っていることなど、だいたい無いのだ。犯罪でもない限り。そして、それが犯罪かどうかすら怪しいときもある。
だから、枠組みを外して、本質的に解決しようとするクセがあったほうがいい。

なぜこれがダメかというと、出来る範囲で済んでしまうと、成長がない。自分を拡張できないから、新たな問題に対応できるようにならない。
「できないことはやらない」じゃなくて「できないことはやってみてからマジでできないか考える」でいい。それで出来たら儲けものだ。

例えば、「こういうシステムが欲しい」と言われて、手持ちの技術で実装できそうだったとする。そのままやっても直近で問題はないが、「ほんとにそういうシステムでいいのか?」「もっとこうなんじゃねえのか?」「俺の知らない技術や実装があるのではないか?」と考えた方が、それでうまくいったときに儲けものだし、うまくいかなくても手持ちの技術で対応すればよい。それが、柔軟に対応する、ということだ。
出来る範囲でなんとかする、とは、最初に考えることではなく、最終手段、程度にとらえておくとよい。

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