昨日と今日の、他愛ないかもしれない話
①「キムタク」に一票
毎月恒例の脱毛に行っている時に、となりの施術室から漏れ聞こえた話。
「愛知県知事選挙、行きました?」
どちらかといえば野太い、30~40代の女性の声が聞こえた。
サロンのお姉さんが曖昧な返事をすると、女性はなりふり構わず話を続ける。
「選挙行ったんだけどね、誰にもなってほしい人なんていないから、あたし、『木村拓哉』って書いて投票したの」
なんとなく盗み聞きをしていた私は、タオルの下で思わず目を丸くした。
白票や無効票にも意味はあって、投票に行かないよりはましなことは知っていたけど、こんな堂々と話せる人いるんだ、と。
さらに興味深かったのは、話相手であるお姉さんの反応だ。
やけに曖昧な返事をするなと思っていたら、どうやら「愛知県知事選挙」の存在すら知らなかったそうなのだ。
前提から揃っていない曖昧な会話を盗み聞くのは、神様にでもなった気分で面白かった。
②だいたいその時代
これは、歯医者でとなりの治療ブースから聞こえてきたはなし。
(私、盗み聞きすぎ)
私がリクライニングチェアで先生を待っている時に、となりから麻酔の効きやすさについて患者と歯科衛生士さんが話している声が聞こえた。
「過去に手術を受けたことはありますか?」と衛生士さん。
「ええ、確か、22とか24とかの若い頃だったと思うんですけど」とおばさんっぽい声が答える。
聞こえた会話はこれだけ。(笑)
でも、生理前で感受性の閾値がおかしくなっている私を深く考え込ませるには十分な一言で。
私には、24歳になった自分なんて全く想像がつかない。
たぶん、今の内定先で働いて、たぶん、仕事が軌道に乗ってきて、たぶん、現地の交友関係も広がってきて、みたいな、漠然とした予測はあるけど、圧倒的に、未知だ。
でもそれは観測地点が22歳現在であるからであって、きっと40歳から観測すれば22歳も24歳も大して変わらない「若い頃」になってしまうんだな~と。
年々一年の体感時間は短くなっていくというけれど、それでもその感覚に抗ってきたいなと思う。
③90度のお辞儀
マツパ帰りの運転中、横断歩道の手前で小学生たちが渡れるタイミングをうかがっていた。自動車学校で習った通り、私はきちんと横断歩道の前で停車し、彼女らが横断するのを待った。
重たいランドセルを揺さぶりながら、少し駆け足で横断する子どもたち。
横断歩道をきちんとわたり切ったのを確認して、発車しようとアクセルを踏みかけたその時。横断歩道の最後の白線を飛び越えたところで、2人の女の子がくるりと踵を返したのだ。
何があったのかと一瞬とまどいながらそちらを見ると、彼女たちはこちらに向かってきれいなお辞儀をした。その角度、しっかり90度。私たちが普段するような、首をすくめるだけのお辞儀とは違う。
交通指導が行き届いているのだなあ、と感心すると同時に、自分はこの時代のまっすぐな心をどこで落っことしたのだろうと悲しくなった。
④卒業しても、遊びにおいでね
これまた運転している時の話。丁度、小学生たちが下校する時間帯だった。
私が交差点の赤信号で停止しているとき、交差している道路に幼稚園のバスが沢山の園児たちを乗せて通過した。
ぼんやりバスの中を見ていると、先生と思しき人物が私と反対側の方を向いて大きく手を振っている。
何に手を振っているんだろう。空に飛行機でも飛んでる?特徴的な建物でもある?きっと一緒に乗っている園児に対するパフォーマンスだよな…?
色々思考を巡らせているうちに、あっけなくバスは私の目の前から消えてしまった。
すると、信号のさらに先。さっきまで先生が手を振っていた向こうの方角にで、ひとりの男子小学生がこれでもかというほど手をぶんぶん振り回していた。なるほど、彼はこの幼稚園出身の卒業生か、とその時気付いた。
私は小学校を卒業するときも、中学校を卒業するときも、送り出す側の先生たちに「寂しかったら、いつでも帰っておいでね」と言われた。しかし、本当に帰ってみると案外先生たちは冷たくて、ああこれが社交辞令か、と幼いながらに思った記憶がある。
こういう先生もいるんだな、いい幼稚園だな、と思った。
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