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【実話怪談29】おんなのひと

男性会社員の孝弘さんは、十年ほど前、仲の良い数組の家族と一緒に関東地方のキャンプ場に行楽に出かけて、そのコテージに宿泊した。
翌朝。コテージで孝弘さんは出発のための荷造りに追われていた。

「おんなのひとが、いるよぅ」
外にいた、ある家族の小学校低学年の男児の声が耳に届く。自分たち以外の宿泊客がいても不思議ではないし、手が離せなかったので孝弘さんは悪いと思いつつ無視した。

「おんなのひとが、おちたぁ」
しばらくして、さっきより大きな声が飛んできた。
コテージ近くには、高さ数メートルの崖がある。「落ちる」とすれば、おそらくそこだ。人が落下すれば、無傷では済まないだろう。確認のため、孝弘さんは急いでコテージを出た。やはり男児の視線は崖を向いている。彼は崖まで走っていき、崖の下をそっと覗いてみた。

「誰もいなかったですよ。ホッとした反面、忙しいのに嘘に付き合わされてムカつきました。で、コテージに戻ろうとしたんですが」
崖先から踵を返した時。自分から少し離れた崖に近い地面に、模様のようなものが浮き出ているのに気付いた。それに近づくと、彼は息を呑んだ。

模様じゃない。絵だ。

土の表面に、細い線で描画された絵が存在している。絵を構成する線は、地面に水を垂らして作られたようだ。
描かれていたのは、髷(まげ)を結った着物の女性。頭部から、顔面の目、鼻、口、無地の着物、帯、帯締め、衿、袖、袖口から出る手、袂、足袋、草履まで、全身像がはっきりと視認できる。

「若い雰囲気の顔つきで、物憂げでしたね。立ち姿じゃなくて、地面に倒れ込んでいる絵面でした。全長は百五十センチぐらいだったから、等身大じゃないかな」
その絵は、作られてから時間が経ったものではなく、形成直後と思われた。絵を形づくっている水分が、まだ乾いていなかったからだ。

「前日からずっと雨は降ってません。仮に一時的に雨粒が落ちたとしても、そんな絵になるはずないし。女性を見たっていう男の子が、水を使って地面に描いたとも思えません。今にも動き出しそうなほどリアルで、生々しかったですね」

孝弘さんは他の家族を現場に呼び寄せ、その不可思議な絵を皆で囲んでしばらく眺めていたという。カメラに収める者もいた。
その場の空気につられて彼もその絵を携帯で撮影したが、その後に気味悪く感じるようになったため画像データを消去したそうだ。

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