【怪談実話94】吸い取る男
京子さんは学生時代、学費を賄うために東京都内のスナックで働いていた。その店には、ある常連の男性客がいたそうだ。実年齢は七十代だが、シミのない艶肌、黒々とした毛髪、ぴんとした背筋、どう見ても四~五十代だった。
「その人の隣に座って接客したことがあるのですが、時間が経つにつれて、身体がどんどん軽くなっていくんですよ。頭もキリっと冴え、気分もふわりと軽くなりました。接客して十五分も経ってないぐらいです。呼吸さえ、楽に感じるほどでした」
酒が進み、彼がほろ酔いになると、不意にこんなことを言い出した。
「君さ、僕の横に座ってから、体がすごく軽くなったって感じてるでしょ」
「そうですけど……どうしてわかるんですか」
「君の悪いものが僕に流れてきて、僕の体が重くなってきてるんだよ」
冗談とも思ったが、自分の体が劇的に軽くなっているのは事実だ。
彼によれば、他人に宿る苦悩、憎悪、悲哀、怨恨、嫉妬などが彼の体に勝手に吸い込まれ、彼の体が重くなるそうだ。吸い込んだものは経時的に消散していくが、その間、動けなくなることもあるらしい。逆に吸い取られた側は、京子さんのように心身が軽快になるという。
「僕がこんな体質になった理由、教えてあげるよ」
グラスを呷った後、彼は語り出した。
「以前、僕が乗ってた飛行機が墜落してね。大勢の死者が出た事故だった。機体が墜落していく時、もうダメだ、と観念したよ。その時、機内に居るはずの自分の視界が、ぱあっと明るく開けたんだ。そしたら目の前に<神様>が見えた。僕と彼のふたりだけの空間だった。『ここは……天国ですか』って恐る恐る聞いたら、<神様>は厳しい表情でこう言うんだよ。『天国ではない。今までのお前の鬼畜の所業を鑑みると、これからは人を助けるために生きねばならない。ここで死なせられない』って。で、気が付いたら病院のベッドの上だった」
彼が“吸収体質”になったのは、それ以降だ。
「そのスナックは、経済界の重鎮が密談するために設けられたお店でした。その男性客の詳細は不明ですが、銀行や政治家と繋がりがあるようで、過去にお金絡みで悪事に手を染めていたようです。その代償として、事故時に<神様>に生かされ、他人の負の情念を吸引してその精神的・肉体的負荷を緩和し続ける使命を背負ったんでしょう」
こう、京子さんは補足してくれた。
ちなみに、このスナックはもう存在しない。
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