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運転怖い その5 パニック発症

運転怖いと思った決定的な出来事について。(やっと本題w)もう10年近くたつかなあ。子どもたち3人を乗せ、実家へ帰省したその帰り道。新しい高速道路ができて、すぐの頃だった。(この道路のおかげで、約1時間、帰省時間が短縮されるようになったんだけど)長年渋滞箇所だったところが解消され(別の所が混むようになったけど)行きは快調にドライブできた。そもそも、この出来事にぶつかるまでは、ヒヤッとしたことは多々あったけど、運転自体が怖いと思ったことはなかったんだけど・・・。

時は真夏。暑い時間帯を涼しい車の中で過ごす方がいいと思って午後1時ごろ実家を出た。子どもたちは後ろの席に横並びさせ、助手席は荷物置場w高速道路に乗り、県境のトンネルに入るまでは行き同様、快調だった。雲はあったものの、天気は晴れ。しかも猛暑日。読み通り、暑い時間に涼しい車の中、この時間に出て良かった~と思っていた矢先。

山を越え、トンネルを抜けた瞬間、そこは雪国・・・ではなく豪雨だった。一瞬何が起こったのかわからなかった。確かにトンネル途中から路面が濡れてはいた。・・・抜けた途端、豪雨。文字通り、バケツをひっくり返したような雨。前が見えない。ワイパーが全く役に立たない。プラス、目の前で雷光が何度も走る・・・。雨の音に交じって、雷鳴が轟く。元々雷も怖いので(夜中に雷鳴が響くと怖くて寝られない)目の前にフラッシュが走るたびにブレーキを踏んでしまった。「見えない!止まりたい!もうこれ以上運転無理!どうしたらいい?助けて!」恐怖感が次々来た。でもここで私が止まったら、間違いなく追突事故、そうなったら、乗っている子どもたちはどうなる?!・・・まだ冷静な自分もいたのが救い。恐怖と使命感のせめぎ合い。とにかく前に走るしかない・・・アクセルを踏み続けた。そんな豪雨だったが、子どもたちはみな爆睡で、私一人見えない恐怖と闘い続けること30分(くらいだったと思う)

少し雨がおさまってきて、周りの景色が目に入りだした。そしてSAの看板が・・・。いったん休憩しようとそこに入ったが、考えること皆同じだったんだろう、PAは満車。仕方がないので、そのまま最寄りのICまで行き一般道に降りた。その付近も道路は濡れていて、自宅方向には黒い雲がかかっていた。ああ、こっちも豪雨だったんだな・・・とぼんやり思った瞬間に、異常な程の動悸が始まった。同時に、手のしびれが起こってきた。そこから自宅までまだ30分はかかる。「30分位、頑張れる。頑張れ私!」と自分を励ましながら運転を続けたけれど、おさまるどころか、今度は手足が硬直してきて、腹痛と嘔気が・・・。

もうあかん・・・。左手にあったお店の駐車場に車を止め、子どもたちに「ちょっと体調が悪くなったから休憩ね」と声をかけ、お店のトイレに駆け込んだ。用を済ましても、動悸は全然おさまらない。何とか気を紛らわすために実父母に電話をかけてもみた。母は過呼吸じゃないの?ビニール袋を吸ったり吐いたりしたら?とアドバイスをくれた。言われた通りやってみたが、余り変わらなかった(が、気持ちは有難く受け取った)

お店の横は一般の民家でお店と駐車場が一続きになっていた。私が這う這うの体で車を止めたのは、そのおうちの玄関の真ん前な感じだったが、動かす気力もなく、運転席側の扉を開け、私はうずくまるように座り込んでいた。その民家の方が偶然なのか(最初は不審者と思われたんだろうな・・・w)そんな私を見て声をかけてくださった。更には暑かったから・・・熱中症やろうか?と言い、冷たいお茶まで持ってきてくださった( ;∀;)人の優しさが身に沁みまくる。この時、次男(ほぼ2歳)は昼寝から起きて絶好調。家に着いたのかと勘違いし、チャイルドシートを自分で外し、車から降りようとしているのを長女(10歳)に止めてもらってた。

しかし、体調は戻らず、結局は当時婚姻関係にあった方に迎えに来てもらうことになった。さっきの家の方にお礼を告げ、とりあえず自宅に帰れてほっとした。動悸はその日の夜中頃まで続いた。その後も、ずっと車の運転はしているが、高速道路だけはそれ以来、避けている。高速道路だけ・・・ではないな、ちょっとこの辺り、別でまとめようと思う。

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