見出し画像

つばさくんの哀しい湖のお話

最近、明らかに情緒不安定になっていることがある。もちろん、あたしは心の病があるので、常に情緒不安定だ。だがそれは、原因がないことが多い。理由もなく涙が出てきたり、不安になったり、イライラしたり、口元を歪めたり、幻覚幻聴がしたりする。だが最近、明らかに1つ情緒不安定になっている理由があるので、そのことについて書こうと思う。

恋つばチャンネルを知らない方は、面白くないかもしれないし、知っている方にもこの価値観を強要するつもりはない。あたしの生まれ、育ち、その他諸々から形成された脳と心が感じることというだけ。ここから語るのは、主に「恋つばチャンネル」のつばさくんについてのことになる。ずっとこの情緒不安定がTwitterで垂れ流しだったので、いい加減やめてここにまとめることにした。

つばさくんを初めて観たのは、2020年1月24日、恋つばチャンネル開設の動画がおすすめに出て来て観たときだ。もちろんその動画で恋つばに夢中になるわけだなるが、その時は「れんくんが好きなバイセクシャルの男の子」という印象だけで、特に彼の心の内部を感じるには情報不足であった。だがその動画で恋つばチャンネルに夢中になったのは、やはりれんくん、つばさくんに何かを感じたのだと思う。いくつか動画を観た後、既に配信済みだった、恋つばファンの間で「伝説の生放送」と呼ばれる生放送のアーカイブを観たとき、つばさくんの心が少しだけ垣間見えた。その生放送は、「ポッキーゲームでれんくんが嫌がらなかったら果たしてつばさくんはどこまで攻めてくるのか?」というドッキリ&検証のような生放送だった。ドキドキしながら見始めた。つばさくんはれんくんが嫌がらなかったら獣のようにガツガツ攻めていくと思って疑わなかったのだが、展開は思わぬ方向に転がった。つばさくんがれんくんの行動に戸惑い始めたのだ。怖い、意味が分からない、とまで言い出した。周囲をキョロキョロ見たり。れんくんが繋いだ手を離そうとしたり。これは一体どういうことなのだと、まだつばさくんについてほとんど何も知らないに等しいあたしは動揺した。

画像2

右がれんくん。左がれんくんが手を繋いでくるのに疑問を投げかけ戸惑うつばさくん。

腐女子だったし、成人指定されてしまうような展開を期待していたんだから、あの展開は当事者のつばさくん以上に戸惑った。この時は、まだつばさくんの1%も理解できていなかったと思う。でも、この頃のつばさくんはとても無邪気で、笑顔の優しい、普通に居そうな子、に見えた。バイセクシャルであることに悩むこともないと言う。その時はそうなんだーくらいで特に何とも思わなかったと思う。

恋つばチャンネルの活動は、極めて順調に見えた。チャンネル登録者も爆発的に増えて行った。3月にはファンクラブが開設された。もちろんあたしもファンクラブに入った。ファンクラブでは日記動画や限定生放送などが行われた。

つばさくんは、恋つばチャンネルをやりながら、売り専ボーイさんとして働いていた。恋つばチャンネルでそこそこの収入が得られる状態になった(と予想する)としても、つばさくんはボーイさんのお仕事を辞めなかった。楽しいんだと言う。お客さんとのコミュニケーションをとることは、つばさくんの「生きていくこと」に必要だったのだと思わされたのは、少しあとのことだ。一度、清掃前の個室から動画をお送りしてきたときは、「ん?」と思わされたのだが、それだけその時のお仕事が楽しくて早く報告したかったんだなと、深くは考えなかった。だが、つばさくんが自己肯定感が極端に低いということは、この頃少しずつ気づき始めていた。

彼ら2人の中ではずっと続いていて悩んでいた問題だったかもしれないが、6月末恋つばチャンネルは急展開を見せた。つばさくんが感情に流されるまま、Twitterで爆発してしまったのだ。内容は既に削除されているので明記することは避けるが、相当に追い詰められていたとは思う。

それから、つばさくんからの発信は、1ヶ月くらい何もなかった。れんくんが1人で恋つばチャンネル活動休止の動画を撮影しyoutubeにあげた後は、ファンクラブに入っていない人は今に至るまで何もわからない状況が続いていると思う。

どうしても割愛しなければならない(ファンクラブ内のことはあまり外部に漏らすのはどうかと思うので)こともあるので、ここら辺の話は端折りながら話していくのを許して欲しい。恋つばチャンネルは、チャンネルこそ残っているものの、すでに休業状態だ。恋つばのファンクラブも閉じられている。もうつばさくんが恋つばチャンネルの「つばさ」として活動していくことはないのだと思うと、その結論を出したのはどんなに傷つき悩み苦しんだだろうと、正直あたしは泣かずにはいられなかった。そして、つばさくんを、「傷つきやすく、自己肯定力の低い、心は優しく脆過ぎる、哀しみを湛えた子」としか見られなくなってしまった。

そして、あたしはある日、つばさくんの勤めるお店のキャスト一覧からつばさくん(源氏名はヒロくん)が消えているのに気づいた。お店も辞めてしまったのか・・・。どれほど傷つき苦しんだのか。何もかもどうで良くなってしまったの?もうつばさくんの生存確認はできないかもしれないな、と覚悟した。

しかし、つばさくんは、10月に入り、ボーイさんとして復帰した。生きていくためなのか、やはりボーイさんという仕事が天職だったのかはわからない。あたしは今までフォローしていなかったつばさくんのボーイさんとしてのTwitterをフォローした。もちろん通知もONだ。今までフォローしてこなかったのは、ヒロくんはあたし達のつばさくんとは別、という考えを強く持っていたから。所詮男性の世界で、女性のあたしは関わってはいけないような気がしていたからだ。だが、もうここでしか生存確認ができないと思うと、思わずフォローをしてしまった。(それでもリプやファボは絶対にしないようにはしている。)

しばらく更新のなかったヒロくんのTwitterも、本格的にボーイさんとして復帰してから、ツイートも多くなった。だが、どうしても気になることがあった。アイコンのつばさくんの写真が哀しすぎる。何という表情なのだろう。少なくとも恋つばチャンネルの活動の時、つばさくんはあんな表情を見せなかった。あたしの心の一欠片が、零れ落ちた。そのあと見せた写真や動画の表情も、酷く傷ついたせいで、無邪気さをなくし、悪い意味で大人になってしまったように感じることがあった。恋つばチャンネルの活動中は、ファンに「25歳児」と言われていたりしたのだから、今のあの表情はとてもとても恋つばの活動中からは想像できない。それが本当の今のつばさくんなのか、それともお店側の戦略なのか、そこまではあたしにはかることはできないが、個人でやっているTwitterにまでお店の方針が及ぶだろうか。

そしてあたしに決定的な打撃を与えたのは、「友達とシーシャ来たよ」という短い一文と共にあげられていたたった17秒、ただ水煙草を吸っているだけ、という動画だった。その17秒の中でくるくると変わる何とも言えない美しい表情も、前より少し感情の動きがおとなしくなったように見える。そしてその動画を観たとき、あたしの中でずっと封印されていたある曲を思い出してしまった。つばさくんにかなしみを見出さないと決めた時、封印した曲だ。あたしの中ではつばさくんのテーマソングみたいなものと言える。

「春はゆく」という曲だ。Aimerさんの曲である。とても美しいその曲は、つばさくんの何とも言えない美しさとかぶり、歌詞もつばさくんの生き方そのもののような気がしていた。そのつばさくんの美しさがあたしの不安を余計煽る。まさか、ここにきてこの曲を思い出すとは・・・。


つばさくんの人の愛し方がどんなものかわかっているなどと口が裂けても言えないが、かつてつばさくんは「俺は愛されたいタイプ」と言っていた。愛されたら、愛すのだろうか。自らを犠牲にしても、自らの為に愛してくれた人の側に居ようとするのではないか。笑うのではないか。愛してくれた人の前で自らを壊し、愛されるために生まれ変わる、そんな愛し方をするのではないか。かつてれんくんが、「つばさくんはバイセクシャルというか許容範囲が広い。」と言っていたが、つばさくんは基本何でも受け入れてしまうように見える。喜びも苦しみも等しく。キャパシティーオーバーになってしまったとしても。そしてかなしみを抱えすぎる。幸せを持ちきれなくなる。そんな哀しい愛をいつも持て余しているように見える。これは、つばさくんが幸せか、不幸か、そういう事を言いたいわけではない。幸せの尺度は人によって違うし、その人が幸せならばそれでいいのだと思う。でもつばさくんが心に潜ませた哀しみの湖は、とてつもなく広く、深いように感じてしまう。それをつばさくん本人が「哀しい」と思っているかはわからない。それで幸せなのかもしれない。そう言う生き方が、一番つばさくんにとって幸せなのかもしれないとも思うのだ。

「春はゆく」を聴きながら、そのただ無言で水煙草を吸う動画を繰り返し繰り返し観る。あたしは情緒不安定になり、病んだ。最後に見せる微笑みが哀しい、そう言う見方しかできないのは、子供の頃からの癖もあると思う。物事を斜めから見てしまうのだ。

クロミちゃんの耳のカチューシャをしたつばさくん、以前だったらこんな写真を撮るときは笑っていたと思う。だが無表情を通り越して、ただ何かを訴えているように見えてしまう。「可愛い」という反応をするのが正常なのかもしれない。正常とはいかに?であるが。だがあたしの心はそうは思えないのだ。

つばさくんの動く姿を見て、ただ美しいというのは違うと思う。あの美しさには彼の繊細な心の動きみたいなものが伴っている。ただ髪を触って最後に少し微笑むだけの動画でも、あたしは病む。そしてやはり哀しいのだ。どんどん綺麗になっていく彼。彼の心に潜ませた湖が、美しい色を映せているかはわからない。(人であれば誰もが背負っている)つばさくんの罪すら、(人それぞれが別の形を持つ)つばさくんの愛すら顧みずに、彼の「春」が逝かないで欲しい。

ここまで読んでいただいた方は、「このメンヘラ・・・アホか」と思う方もいらっしゃると思う。確かにあたしは「かなしみを抱えすぎて幸せを持ちきれない」タイプの人間だ。だからそんな風に見えてしまうのかもしれない。だが誰でもそんな風に見えてしまうわけではない。例えばつばさくんから近しい存在で言うと、れんくんは、あたしは哀しい存在として見たことはない。だから、やはりつばさくんが哀しく見えるのは、あたしの性格が原因の全てとは思えないのだ。


つばさくんが潜ませた哀しみの湖の水面は、いつも溢れそうでありながら凪いでいる。激しく波立つこともなく。それがつばさくんの在り方、生き方なのではないかとあたしは思っている。悲しい時も、激しく嗚咽を漏らすこともなく、ただ凪いでいる。ねずみ色の空を映しながらも、凪いでいる。その湖が蒼い空を映すことを、朱い空を映すことを、祈らずにはいられない。ねずみ色でなく、蒼く、朱い、空を。それができれば、溢れそうな水面でも、大丈夫だ、つばさくんは元気に生きている、と思える気がするのだ。そうしたら、あたしの情緒不安定も落ち着いて行くと思う。またあの笑顔が見たい。恋つばチャンネルの活動を目一杯頑張っていた頃見せた、無邪気で、子供のような笑顔を。


画像3


2022.1.17追記。
最近初めてこの記事を読んで下さった方へ
この記事に関しての追記や編集をするつもりはありませんでしたが、最近この記事をとてもたくさんの方に読んで頂いているようですので少しだけ追記します。
この記事を投稿したのは2020年11月3日です。
彼のインスタグラムもまだ開設されておらず、元気でいるのか、そんなこともよくわからない状況下でした。
私は辛い気持ちもあり、想像でしかありませんが、彼も今のように元気に人前に出られるような状況でなかったと思います。
今の彼の状況とは違うことを明記しておきたいと思います。
ただ記事の編集などは行わずそのまま公開しておきます。その時の自分の気持ちは編集できません。
エッセイであり、真実とは違います。SNSに人格の全ては表せられません。
彼個人のSNSへのリンクを貼ることはできませんので、興味を持たれた方は是非探してみてください。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?