分かり合う事は出来るのか?
気付いたら、暑過ぎる夏からあっという間に涼しくなり、いまはもう冬の支度をはじめている。
営みは45年目を迎える。
人生ってのは存外、あっという間だ。
儚くてもろい。
だから美しい。
介助の仕事に就いて、初めて利用者さんと泊まりがけで旅行をした。
写真は間近で見た富士山!。
久しぶりの旅行だった。
対人支援をしていると、たまに自分ではびっくりするような事を言われたりする。
(これはいまの会社の話しではない)
前提として、ひとはひとと分かり合える、
あるいは例えば、人生には意味があり、
例えばひとは生きる上で目標があり、
そこに向かって努力すべきだ、というような。
簡単に結論の出る話しではないとは思う。
ちょうど旅行中に、親友の子供が誕生日だったから、旅先からSwitchのソフトを贈った。
届いたら初めて見るソフトに(配信だと味気ないよな、と思って)興奮してたよ、とラインが来た。
親友夫婦と遊ぶと子育ての話しになるし、
彼らとは少なくともディスカッションができる。
僕の子供時代の話しになる。
アル中だった祖父、女性とギャンブルが好きな父、ノイローゼだった母、いまでは名前があるだろう障害を持った妹。
ダブルバインドの話しをこの前はした。
母が僕に暴力をふるう。
そのあとに泣きながら愛してる、と抱きしめられる。
両親は親戚などの家で笑顔で話す帰りの車内で、さっきまで一瞬に過ごしていた親戚の悪口をひたすら言い募る。
すると僕は、そのどちらの表情を信じれば良いかわからなくなり、混乱する。
いずれ彼は生活が破綻していくだろう(彼というのは僕です。文学的に書いてみたw浅い書き方w)。
いまの仕事をはじめた時には、30代半ばまでずっと不安定だった自分が、子供たち(最初は放課後等デイサービスのような場所で働いていた)の成長とともに、僕も成長しているって言うわかりやすい物語りを、先輩や上司から言われて、むず痒かったし、いまならそのような話しはしないだろう。
ひとは成長し、成熟していく、という物語りも、いまは距離を置きたい。
少なくとも成長しなければならない、とは思わない。
自分はともかく、対人支援の場合には。
同時に前にいた法人の理事長が呟いた、
利用者の成長にお前たちスタッフがついていけてないんだ、と言う言葉はたぶんこの仕事を
しながら、ずっと考えていく事になるだろう。
話しを少し戻すと、
ひとは目標を持ってそこに努力すべきだ、
と言う言葉は、前提として目標を持てる、
努力する環境にあるひとにしか機能しないと僕は思う。
いまはもうそう言うような考え方は、僕はしない。
いまの僕には目標があり、努力できる環境にあるけれど、
たぶん20代で鬱を発症し、寛解する30代半ばまでなら、その日のごはんを食べるのすらできない状態にいた(身体が動かなかったし、お金もなかった)。
寝たきりの日々。
外が怖くて、アルコールで誤魔化して、
煙草を買いに行くのが精一杯だった。
あるいは、ひとはひとと分かり合う事ができる、と言う文言もいまだに好きではない。
僕は自分さえよくわからない。
自分で自分をどう思うかと、ひとによって自分がどう見えているか、だけでなく、
むしろ、ひとはひとと分かり合える事はないけれど、
それでも分かりたい、分かろうとするその様を、大切だと思っている。
とりわけひとと関わる仕事ならなおさら、
社会で自明とされている事にも、少し距離を置いている。
それはその自明とされている事が、自分のバイアスを通して見ているだけかも知れない、
あるいは本当に当たり前だとは思えない事かも知れない、と言う疑問。
決して相対主義などの話しではない。
小学生の頃から学校に行けなかった僕には、
社会ってなんだろうね、といまも思う。
社会参加ってなんだろう?と仕事をしながら考える。
特に福祉の社会参加についてならなおさら。
それはずっと考えている。
結論はまだない。
ただ、ふと問われる。
人生の最後の時に、自分が自分に言ってやりたい事を。
それもポジティブな言葉で。
ならば、生きたね、と。
きみの生きてきた過程が、まだ出会ってもいない誰かの希望になれば、それほど嬉しい事はないよ、と。
それは決してたくさんのひとの希望ではない。
だけれど、たった一人にでも、たった一瞬でも、少しだけポジティブな感情を誰かに残せたら、
それはきっととても幸福な人生だよ、と。
ふと寝付けない深夜に思った事。
乱文、すみません。
読んでくださってありがとうございます。
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