HIPPO WAY!

7.

Global a Go-Go vol.2の後、しばらく僕はDJはしていなかった。

しなかったというより、する場所もなかった。誘われる仲間もいなかった。

GOODTIMES!というバンドの追っかけをし、the backhead jettyのメンバーと仲良くなっていく。その二つのバンドのライブには出会ってからは、GOODTIMES!は最初のライブから、すべて通った。

GOODTIMES!はポップなメロディーの、5人組のロックンロールバンド。彼らがライブハウスのステージに出てきて、搔き鳴らされた最初の音から、僕は夢中になった。胸を掻きむしるような、切なくて、繊細で、優しくて、だけど確かに心のど真ん中を突き刺すような強さを持った歌を持つバンド。

the backhead jettyは、スリー・ピースのモッド・バンドだった。あの頃の下北沢や新宿に、よくいるような。オーダーメイドスーツに身をまとい、リッケンバッカーを抱えて、ぶっきらぼうにがなる。僕はライブハウスで、二度、モードが変わる瞬間を見ていたことを覚えている。thee michell gun elephantがチキンゾンビーズから、さらにギヤブルーズをリリースした瞬間。radioheadがKID Aをリリースした後。それに続けとばかりに下北沢や新宿の小さなライブハウスに出てくるバンドの奏でる音が変わっていく瞬間を見ていた。the backhead jettyは中でも、当時の僕には凄く魅力的に見えた。

少なくとも、当時の僕は彼らがただのミッシェルフォロワーから抜け出して、まったく新しい音を生む可能性に満ちていると信じていた。スタイルを模倣しながら、そこを食い破る可能性を見ていた。彼らは東京ネオロッカーズと自称する、これから新しい波を作っていこうとする意志を持ったシーン…シーンといってもそれ自体は流動的で馴れ合わず、それぞれのスタイルを持ったバンドたちの、それぞれの音楽に対する信頼関係だけで繋がる場にいた。チキンマスターズ、チェインドッグス、バギーホールドジャイヴス、それにもっとたくさんのバンドたち。そして僕はthe backhead jettyのスタッフになる。スタッフとはいえ、することといえばmixiやBBSでの告知、ライブでのアンケート配り、そこに書かれているアドレスへメールでの告知、物販。もちろんボランティアだった。the backhead jettyが世界を変えると信じていた。その信仰も長くは続かなかったけれど。彼らが呼ばれたイベントで、たまにDJが入る。なんで、そこでDJするのが僕じゃないんだろう、そんな風にDJブースにいるDJさんを見ながら、少ないお客さんにアンケートを配ったり、物販あります!なんて転換中に叫んでいた。

そこに、一人の女の子がふらりと立ち寄った。彼らの大学の後輩だった。ライブをやるから来てよ、と誘われた。新宿JAM、そこから足繫く通うことになるライブハウスで彼女たちを見た。毎度在、変わった名前のスリーピースバンド。たまもの、という歌を歌っていた。雨の降る中、打ち上げにまでついていった。ボーカルでギターの女の子と、話をたくさんした。たまもの、の同じタイトルを持つ映画の話。それはその映画を観て作られたわけじゃない、と彼女はいった。でも大好きな映画だと。僕はその映画に関係している女性と知り合いで、いまおかしんじさんという監督とすれ違った話もした。リンダリンダリンダ、バンドものの青春映画の話をしたし、そのときのライブにはその映画で先輩役を演じていた枯れた声のシンガーも出ていた。僕がそのとき、一緒に呑んでいた男性に、恋人はいますか?と聞いた。彼女じゃなく、恋人っていうのが良いなあ、彼女はそう呟いた。そこから、毎度在のライブにも通い始めた。千葉アンガや水戸にまで行った。そして、GOODTIMES!というバンドのドラマーが不慮の事故で亡くなった後、動けずにいた僕は、一週間寝込んだ僕は、突然誘われた彼女たちのライブを見るために、過呼吸を起こしながら、各駅の電車で必死に昼間の下北沢へ向かった。いつも通りの30分のブッキングライブで、いつも通りの彼女たちを見て、少し落ち着いて、挨拶も早々に帰路についた。下北沢の路上で、GOODTIMES!のボーカリストと事故以来初めて、出くわした。ただ、握手をしながら、思いをつたなく二人で話した。そこから、毎度在のライブにさらに通うことになる。

ちょうどthe backhead jettyも終わっていく。GOODTIMES!が立ち止まる。ある日の毎度在のライブで、モヒカンのつなぎを着たベーシスト、派手に金髪で小っちゃくてかわいいけれどパワフルなドラマー、黒いワンピースに赤いSGを抱えてシャウトする、やっぱりスリーピースのパンクバンドを見た。いや、記憶が定かではない。いま不意に男性が後ろ向きでベースを弾いている姿が現れた。そうまだそのモヒカンのベーシストが加入する前の確か、結成2度目のライブだったかもしれない。AKAZUKIN、僕にとって、GOODTIMES!と並んで特別な思い入れのあるバンドに気付けばなっていく、バンドのライブを見た。そこからは一気だった。運命が変わる瞬間ってのはいつだって一瞬で、あっという間だ。気付かずに、だけど一気に変わっていく。

いま手元にH19年8月10日(金)と書かれたチケットがある。未使用の、だけれど時間がたちすぎて、二枚に破れたチケット。新宿JAM AKAZUKIN presents.HiGH GAIN vol.2。出演者、AKAZUKIN、Sisiter Paul、MARMALADE、秘密ロッカー、毎度在、DJとして僕の名前。その前の吉祥寺のライブで、話すようになっていた僕が、DJさせてよといった。僕からDJの売り込みをするはじめの一歩。出たい!意志が芽生えた瞬間に、彼女たちは快諾してくれた。その日の暑さを覚えている。何百枚かのCDを二つのケースに抱えて、西武新宿からJAMまで歩く。汗を拭うタオルが白かったことをやけに覚えている。DJでかけたウィルソン・ピケットのナーナナナナーというコーラスが有名な曲に反応しているフロアにいた毎度在の歌い手。ルースターズのライブ発掘音源の「俺はお前とやりたいだけ!」が「俺はあんたとやりたいだけ!」になっている曲をかけていたら、楽屋で出番を待つAKAZUKIN全員で合唱していたことを後で聞く。サブステージでは、我ヲ捨ツルの小菅さんが歌っていた。BAD ATTACKの野村がいた。その後しばらく併走することになる友達が、名前を知らずにそこにいた。秘密ロッカー!という叫びで始まるパンクバンド。まるでマッドハニーみたいなリアルグランジの、MARMALADE。Sister Paulはもう何年も前に学生時代の先輩とよく対バンしていて、たまに見ていた。そしてAKAZUKIN。安直な僕は、何より彼女たちの出すエネルギーに圧倒されていた。アンコールがあったかは忘れた。ライブの後、ずっとDJをして、そろそろひとが帰り支度をはじめるタイミングで、僕はブルーハーツのキスしてほしいをかけた。どこまでいくの 僕達今夜 このままずっと ここに居るのか はちきれそうだ とび出しそうだ 生きているのが すばらしすぎる 終わる事など あるのでしょうか

ヒロトが歌えば、一番最後にかけたAKAZUKINがうたう。なんだっていうの? NYだってほら ゴミの山じゃん そんなことばっか いってないで とりあえず いま はじめてみませんか?

 

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