18歳

陽炎がアスファルトに揺れていた。
向かい側の喫茶店の窓に映る君と僕の姿。
横を向くと、下らない冗談を飛ばして一人で笑う君の指の間に挟まるマルボロ。
キスしたいな。初めて、思った。
僕はまだ18歳で、それが人生で最も美しい季節だとは、いまでも思わない。
二人とも男だったからでは、もちろんない。
二人とも、とても不細工だったからだ。

18歳のときに通っていた予備校は、新宿から中央線で10分のところにあった。
新宿からなら歩いても行ける距離。
彼は、僕に話しかけてきた、最初の友達。
そう、まるで、生まれたての赤ん坊が、最初に見たものを親だと思うように、僕は彼に恋をした。

彼には何人かの友達がいて、僕はそのグループに招かれた。
夏前に既に、受験からは落伍していた。
男だけのグループ。
日々、ドトールやミスドにたまり、下品なはなしばかりしていた。
誰も、女の子と付き合ったことはおろか、碌に喋ったこともなかった。

それでも同じように落伍していた女の子3人組に、ひとりが、強引に話しかけ、彼女たちをそのグループに招き入れた。
そして当然のように、恋愛がはじまる。
2組のカップルができた。
僕はというと、彼に夢中だった。
それに、受験勉強は隠れて、していた。
たまに机や教室の壁に、buzzcocks!とか、WIRE!とか、鉛筆で書くくらいの悪さはしていた。
そのグループはいま考えても、予備校のヒエラルキーの、頂点ではなかった。
ましてやサブカルチャークラスタでもなければ、底辺ですらなかった。
圏外。
まさに圏外として、生きていた。

その予備校では、何組かのバディがいた。
僕は、そのバディの片方とは、それなりに仲良しになった。
彼にキスしたいと思った同じ階段で、凄くイケメンで洒落たの男の子と語った。
女の子の服を着たい、と彼はいった。
君も分かってくれるよね?。
だけど、君はまず靴下からださいよねー。
そう笑う彼の前を、ロン毛の男の子が歩いてくる。
彼は、その男の子に向かって駆け寄っていく。

夏の合宿で、イケメンの彼とロン毛の男の子が二人で海辺を散歩していた。
外出禁止を破って、落ちていたフリスビーを投げ合う二人を見ていた。

イケメンの彼と話したい女の子たちが、合宿というチャンスを使って、こぞって彼の周りにいた。
その女の子たちに、僕の彼は、強引に話しかけに行き、そして、見事に彼女たちは、部屋へと帰っていった。

風の噂で、彼が合コンに行くと聞いた。
特に心動かされることもなく、後日譚までを聞いた。
彼は、はじめからすべりつづけ、ついには逆ギレして、相手の短大生たちも、一時間もたたずに帰ったこと。
それでも、僕たちのグループと仲良くなりたい女の子たちが、ある日、遊びにきた。
僕はいつもおひるごはんを食べていたベンチで、その女の子たちと合コンに参加したメンバーと、そしていつもと違う彼を見ていた。
彼は、黒いシャツを着ていた。
黒い革のピチピチのパンツを履いていた。
黒いロングコートを着ていた。
靴だけが、青や白のハイテクスニーカーだった。
あらま?とは思った。
彼は、彼女たちの周りをじっくり何周もした。
彼女たちを睨みつけながら。
怖い!彼女たちは直ぐに逃げていった。
彼女たちの背中に怒鳴った彼の言葉は、聞き取れなかった。
言葉ですらなかったのかもしれない。

その週末、彼はバイクで、一人暮らしの僕の家に遊びにきた。
直ぐに、やらせてくれ、といった。
やだよ、と断った。
しつこく、やらせてくれ、といった。
そして、奏子ちゃんのはなしをした。
奏子ちゃんだって今頃、大学生の彼とやりまくってるんだ!。
だから、やらせてくれ。
それでも、いつか諦めて、バイクで彼は帰っていった。

奏子ちゃんは、当時流行っていたパフィースタイルの、クラスメイトだった。
僕に一度だけ、話しかけてきた女の子。
エレベーター待ちの僕の服の裾を掴んだ子。
彼から、奏子ちゃんが、あのひと、面白いんだけど!といっていたのを聞いたことはある。
たったそれだけ。

秋で、11月になっていた。
春からずっと付きっ切りで、英語と小論文を教えてくれていた講師に呼び出された。
ルノアールで二人で話しましょう。
確かにその講師のおかげで、偏差値は英語だけ30も上がり、早稲田かせめて日芸が見えてきた。
現代文と英語と小論文だけで入れる学校がある、それも藝術系の学校だと、その講師が教えてくれた。

ルノアールで二人で話したのは、ただの宗教の勧誘だった。
彼が僕に伝えたのは、いまオウム真理教に入らなければ、きみはずっと一人だよ?。
それだけを一時間ほどかけて、言葉を変えて、僕に伝えた。
僕は最後まで断りつづけた。
ちょうどサリン事件から2、3年後で、小説の取材に行ったときに入信したんだ。
そう彼はいうと、卒院した大学院の論文を、オウム真理教が出版していた本とともにくれた。
一言だけ、僕は彼にいった。
修行というなら、いまのこのバッシングの真っ只中で、自分がオウム真理教の信者であること、それをカミングアウトしながら、働いていくことが、いちばんの修行じゃないですか?
彼は最後には黙って、コーヒー代を支払って別れた。

帰り道、急行電車に乗り、椅子がヒーターでとても熱くて、漏らしそうだ、と思った。
座りションベンで莫迦になるなよ?
むかし読んだ本の一行と、狂う!という単語が頭のなかで、ずっと響き、ついに、電車を降りた。
パニック発作の始まりだった。

すべての授業には出なくなった。
フロムの自由からの逃走やラカンを本屋で見つけて、予備校のある街の喫茶店で読んだ。
煙草を吸いはじめた。
マルボロをはじめて吸い、ヤニクラという現象に寝込んだ。
まだピアニシモやセーラム、細いメンソールの煙草しか吸えなかった。

ある日、かないくんというボクシングをやっているグループの仲間が、たまには飲みに行くか?と誘ってくれた。
初めてひとと二人で飲みに出かけた。
ちなみに、件の彼はずっと無視していた。
別のある日には、カッターナイフで切りつけられそうになったけれど、それでも無視した。
かないくんと、予備校近くの小さな個人経営のお好み焼き屋さんに入った。
最初にビールを瓶で、コップは2つで、とかないくんはお店の割烹着姿の女性にいった。
何にする?
お好み焼きを選ぶ段階で、僕は何を頼めばいいかすら、分からなかった。
かないくんは、おしぼりで手を拭きながら、俺は豚玉で!といった。
僕は直ぐに、僕も豚玉で!と告げた。
女将さんが困惑して、僕を見た。
かないくんがいった。
G!ちがうの!こういうときは別の種を頼んで、二人で分けるんだ!と、おしぼりで、首すじを拭きながら、教えてくれた。
僕はそのやり取りを笑って聞いてくれていた女将さんに、別の種を頼んだ。

かないくんは、何も聞かなかった。
だから、はなしを切り出し易かった。
初めてお酒をお店で呑んだ僕は直ぐに酔って、講師のことをはなした。
かないくんも僕も、その講師の授業を受けるために、横浜にニセ学生として潜り込んだ仲だ。
その講師の授業は本当に人気があった。
参加者全員に、1コマに一度は解答させ、当たり外れなしに、その生徒の意欲を盛り上げ、さらに授業全体の雰囲気をまとめる力があった。
授業の最中に、ふと話し出す雑談が、また面白かった。
かないくんは、最近の僕のはなしを聞いて、一言だけ、いった。
G、大変だったな。
その一言で、僕は救われた気がした。
一ヶ月間、ずっと誰にも言えなかったことだった。
毎晩のように、母親とはなした。
予備校のはなしはしなかった。
ただ、ひたすら子供の頃に彼女が僕にしたことをなじりつづけた。
なぜおかあさんはあのとき、ぼくの首を絞めたの?
それも、かないくんと飲んだ夜に、終わった。

その年の受験は散々だった。
二浪が決まった。
かないくんも二浪を決めた。
それぞれ別の予備校にした。
グループのほかの子たちは、それぞれに夜間などに進学を決めた。
最後に集まったのがいつかも覚えていない。

かないくんとはたまに飲んだ。
5年くらいは、たまに飲む友達だった。
僕は強欲になり、かないくんを親友だといいたくて仕方なかった。
だけれど、かないくんは僕より大人だった。
ちがうよ、G。
かないくんは、いっていた。
俺たちは親友じゃ、ないよ。
でも今日を最後に、何年も会わなくなっても、その何年後かに、昨日も会ってたみたいに、俺たちは飲めるんだよ。
かないくんはやっぱり凄いな!といまも思う。
最後に会ったときには、それも数年ぶりで、子供が生まれたことさえ知らなかったけれど。
それでも、昨日も会ってたように、二人で飲んだ。

それが僕の、18歳の頃で、人生で一番美しい季節だったとは、決しておもわない。

#小説
#エッセイ
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