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始業式の朝

いつもより早く家を出たら、駅に小学生がたくさんいた。自由研究が入った紙袋、こんがりと日に焼けた笑顔。今日が始業式らしい。

久しぶりの登校を、見送りに来ているお母さんがいた。ランドセルをぽんとたたいて、いってらっしゃい、と手を振っていた。

登校班らしき数人のまとまりが、ホームで電車を待っていた。電車のドアが開くと、年長者の女の子が、黄色い帽子を被った一年生を先に電車に乗るよう促した。当たり前のように。静かに感銘を受けた。
彼女が振り向き、私まで譲るべきか逡巡する。どうぞ、の意を込めてちいさく会釈すると、ぴょんと飛び乗った。電車がゆっくり動き出す。

電車のなかはいつもより活気づいていた。日焼けしたね。僕のほうが焼けたよ!がたんごとん。まもなく〇〇駅です。休み中どこ行ったの?自由研究何やったの?まもなくドアが閉まります。ぷしゅうがたんごとん。やっぱり僕のほうが焼けたよー。

夏休み明けの始業式の日が、私の人生にもあったなんて信じられない。変な恥じらいと嬉しさと、久しぶりに早起きしただるさと。ランドセルと、夏休み帳と、読書感想文。

もう、あの頃ほど夏休みの宿題は多くないらしい。時代はたしかに流れていく。電車が揺れる。

はしゃぐ彼らがまぶしい。私にもあんな頃があった。守られていた頃。守られていることに気づかないくらい、守られていた頃。

断片的に、遠い夏を思い出す。夕立、市立図書館、課題図書、スイカ、素麺、お昼の情報番組。永遠に続くような気がしていた夏。いつか思い出になってしまうことがこわくて、無性に泣きたかった夕暮れ。

いつもの駅に着き、あわてて降りる。電車が何食わぬ顔で走り去っていく。私はすこし立ち止まる。始まりはいつだって、何かの終わりと道義なのだと思う。

彼らは、いつか忘れてしまう記憶の渦中にいる。中学生になって、高校生になって、大人になったら、この日のことなんてもう思い出さないかもしれない。

それでも、この記憶がいつか彼らを守るものであってほしいと、願わずにはいられなかった。空を仰ぐと青かった。夏は終わりかけているのに、朝から30度を超えていた。私はもう大人だった。彼らに向かう場所があるように、私にも向かう場所があるのだ。


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