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どんぐりと山猫【青空ディスカッション#1】

初めましての方は初めまして、そうでない方も初めまして。藍と申します。ここでお会いできたのも何かのご縁、どうぞお見知りおきくださいませ。
さて、青空ディスカッション第1回の課題図書はタイトルの通り『どんぐりと山猫』でございます。

そもそも青空ディスカッションとは何ぞや? という方は「青空ディスカッションと云ふもの」という記事をすでに書いておりますのでそちらを先にお読みください。

■『どんぐりと山猫』あらすじ

本文はごく短いものですから、あらすじをなぞるよりも読んでしまった方が早いのではないかと思われますが、一応こういった国語の時間ごっこのお約束としまして、ごく簡単なあらすじを以下にまとめさせていただきます。

とある秋の土曜日、一郎という少年の下に怪しいはがきが届きます。差出人は山猫、内容は『明日、面倒な裁判があるため来てほしい』とのこと。
翌日、一郎は山に入り、山の動植物たちに道を尋ねながら山猫を探します。そして山の中の金色の草地で、件の怪しいはがきを書いたという奇妙な男、山猫の馬車別当に出会いました。彼とはがきについて話をしているうちに山猫が現れ、そしてどんぐりたちが集まってきて面倒な裁判が始まります。
どんぐりたちは誰が1番偉いかという議題で争っており、それぞれが自分に有利な理由で好きずきに主張するものですから、開廷から3日経っても決着がつきません。そこで一郎は山猫に「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」という法話を耳打ちし、山猫がその通りに判決を下すと、どんぐりたちは黙り込んで固まってしまいました。裁判はものの1分半で決着がついたのです。
感心した山猫から名誉判事という肩書を与えられた一郎は、謝礼として黄金のどんぐりを一升受け取り、馬車で家まで送ってもらいました。しかし家に近づくにつれてどんぐりは輝きを失い、山猫からのはがきは2度と一郎の元へ届くことはありませんでした。

参考:wikipedia「どんぐりと山猫



■議題(後付けのすがた)

今回「どんぐりと山猫」を課題図書として持ち込んだのは、第0回にも名前だけ登場したL氏でございます。ほかにも「猫の事務所」や「オツベルと象」を候補に挙げており、「銀河鉄道の夜」ではカムパネルラの行動に情緒を狂わされていることからわかるように、カムパネルラ厄介オタク宮沢賢治が大変お好きなのだそうです。
現在は持ち込み者が議長となり、議題を提示して話をするのですが、この頃はまだ議長はおろか議題という概念がございませんでした。したがって、誠に勝手ながら『話の内容的にこれは議題として差し支えないだろう』と私が判断したものをいくつかピックアップして、順に振り返っていくことにいたします。

【議題】
・馬車別当とは何者なのか
・山猫はどのような存在なのか
・どこからが夢で、実際には何が起こっていたのか



■馬車別当とは何者なのか

・そもそも"馬車別当"という役職は存在しない

さて、脇役であるにも関わらず、やたらと存在感のあるこの馬車別当なる存在。お話自体は彼がいなくとも全く問題なく成り立ちますが、風貌から言動から、何から何まで不気味な存在である彼は一体全体何者なのでしょうか。
まずは彼の役職から考えることといたしましょう。ピンポイントで馬車別当という役職は、現実には存在いたしません。別当という単語はございまして、彼が隻眼であることや馬を扱っていることからL氏曰く、

べっ‐とう〔‐タウ〕【別当】 
《元来は本官のある者が別の役を兼ねて当たる意》
1. 検非違使 (けびいし) 庁蔵人所 (くろうどどころ) など、令外 (りょうげ) の官の長官。
2. 平安時代以降、親王家摂関家などの政所 (まんどころ) の長官。
3. 鎌倉幕府政所侍所 (さむらいどころ) などの長官。
4. 僧官の一。東大寺興福寺などの大寺に置かれた長官で、一山の寺務を統轄した。のちには、熊野石清水北野などの諸社にも置かれた。
5. 盲人の官名の一検校 (けんぎょう) の下位。
6. 《院の厩 (うまや) 司の別当から転じて》馬丁

goo辞書「別当(べっとう)」より

5、6あたりの意味で使用されていると考えられます。彼は山猫に媚びへつらい、いいようにこき使われておりますし、残念ながらどう贔屓目に見ても長官の立場には見えません。位の低い盲人の馬丁と考えるのが自然でしょう。役職についてはそれらしい結論が出ましたので、論じるのはこの辺りにしておきましょう。


・成人男性の反幻想的性質

次に馬車別当の気になる点は彼が奇体とは言え人間の姿をしていることでございます。ここまで栗の木、笛ふき滝、白いきのこ、栗鼠と、口が利けない自然の存在に導かれてやってきた先で出会ったのが馬車別当。一郎を除き、このお話の中で登場する唯一の人間です。
想像してみてはいただけないでしょうか。本来ならば喋ることのできない動植物たちと会話を交わし、空も見えないような暗い森を抜けた先に広がる輝くような草地に、半纏のような変な上着を着た男性がぽつり佇んでいるさまを。

――いかがでしょう、なんだか急に現実に引き戻されたような気分にはなりませんでしたか?
次はどのような不可思議な存在に相見えるのか、それともとうとう山猫の登場か、期待に胸を膨らませた先に見つけたのが人間のような風体の男性です。なんだかちょっぴりがっかりです。
これはあくまで私一個人の考えですが、成人男性という存在は幻想から最も遠いところに位置しているのではないでしょうか。典型的な幽霊を想像した時に、まず思い浮かぶのが白いワンピース姿の長髪女性であるように。
しかし宮沢賢治はこのお話のどこかに人間の要素を加えるべきだと考えたのでしょう、ですがそのまま登場させたのでは幻想を壊しかねない。

そこで馬車別当に付け加えられた要素が奇形です。

おそらく尋常(小学校)3~4年生(8~10歳)の一郎が低いと感じるほど小柄な体躯。隻眼で、見えない方の目は白くびくびく動いていると描写され、どこか生理的な気持ち悪さを読者にも想起させます。足の曲がりようはまるで山羊の如し、足先に関してはまるでご飯を盛るヘラのようだと表現されています。これまでの賑やかで穏やかな山中の風景が、真っ黒な榧の木の森を抜けた先の馬車別当の出現によって不気味に一変するのでございます。まるでここから先は別の領域だと言わんばかりに。現に一郎少年はこの馬車別当に対してのみ、恐れや忌避の反応を見せているのです。

ところで皆さまは隻眼・一本脚は神に近い存在だというお話を聞いたことがございますでしょうか。民俗学者の柳田國男氏曰く、もともと神に捧げるべき生贄の人間が逃亡しないように、片目(と片脚)を傷つけていたものが、神格と同一視されるようになったことが原因と言われております。
海の外の神話にも片目の神格はございまして、もっとも有名なのは北欧神話の神オーディンでしょうか、彼は知恵を得るために片目をミーミルの泉に捧げたと言われております。
日本で言えば鍛冶の神、天目一箇神も隻眼でございます。こちらは順番が逆でして、タタラ場で働く人々は片目で炎を見続け、片脚でふいごを踏み続けるため、老年になると片目と片脚が不自由になってしまいます。古く日本では人間と神を同一視することがありまして、タタラ場で働く人々の姿と鍛冶の神である天目一箇神の姿は同じ、隻眼であると考えられたそうなのです。そしてこれらの神々は零落し、やがて妖怪になるのだそうです。一つ目小僧という妖怪の存在は今さら語る必要もないほどに有名でございましょう。
日本では人間・神・妖怪の境目は非常に曖昧なものでございます。菅原道真公を思い返せば、誰しもピンとくるものがあるはずです。

……少々話がそれてしまいました。話を戻しまして、馬車別当についてのお話を続けましょう。
先にも述べましたが彼は隻眼です。そして不自由という明言まではされておりませんが、しゃもじの足先をした山羊の脚はいかにも歩きづらそうでございます。
馬車別当は元々人間だったのではなかろうか、今は人間とは言い難い存在なのではないか。そのような想像がひとつ、頭に浮かぶのでございます。もしも彼と山の中で遭遇したら、人間だと認識できる自信が私にはございません。いいところで人間のなれの果て、妖怪の一種だと思うことでございましょう。


・「あのぶんしょうは、ずいぶん下手だべ」

一郎少年に届いたはがきは、山猫ではなく馬車別当が書いたと、本文中で当人の口から語られます。

かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                山ねこ 拝

青空文庫「どんぐりと山猫」より

まるで下手な字、がさがさして指につくほど質の悪い墨で書かれたはがきはご覧の通り、日本語力が非常に危ういものでございます。
次の議題でも触れますが、山猫は自身の威厳を非常に大事にしております。もしも山猫が人間の文字を扱えるのであれば、山猫本人がはがきを書いたのではないでしょうか。部下の評価が上司の評価に直結するのは、おそらく今も昔も変わらないことでございましょう。当の馬車別当ですら「あのぶんしょうは、ずいぶん下手だべ」と言っていることから、彼に召集令状を書く才がないことは明白でございます。
山猫は人間の文字を扱えず、馬車別当は下手ながらもはがきを書くことができる。この明確な役割の違いは、彼がかつて一郎少年のように学校へ通っていた人間だったからではないかと想像してしまうのです。
……それにしては大学校の5年生でもあのはがきほど上手い文章は書けないという、一郎少年の見え透いたお世辞に本気で喜んだり、山猫が吸うたばこを羨ましがって本気で泣くあたり、どうにも肉体年齢と精神年齢と頭の出来が釣り合っていないような、そんな違和を感じてしまうのでございます。

「わしは山ねこさまの馬車別当だよ。」と言いました。
 そのとき、風がどうと吹いてきて、草はいちめん波だち、別当は、急にていねいなおじぎをしました

青空文庫「どんぐりと山猫」より



■山猫はどのような存在なのか

・こんな上司は嫌だアワードin1924

黄色の陣羽織姿で満を持して現れた山猫でございますが、言動の節々にどうにも偉ぶりたいような様子が垣間見えてなりません。話すときはひげをぴんと捻って腹を突き出すのでございます。明確な描写はありませんが、腹を突き出す姿勢を取るのであれば、両手は腰の後ろで組んでふんぞり返っていることでしょう。
巻煙草を吸うときはわざと顔をしかめてから青い煙を吐き出します。断られるとわかっていて、一郎少年に巻煙草を勧めることも忘れません。「いいえ。」と当然の反応をする少年を「ふふん、まだお若いから、」と鼻で笑います。
しかしいざ裁判が始まると、一向に仲直りの兆しを見せないどんぐりたちに対しては少し心配そうに、それでも無理に威張って見せているのでございます。
いざ裁判が始まり、どんぐりたちがめいめい勝手な主張を初めて、訳が分からなくなるほど場が騒がしくなりますと、山猫は静まれ静まれと何度も叫びますがどんぐりたちは静まりません。馬車別当がひゅうぱちっと鞭を鳴らすことでようやく静まります。そしてこのやり取りを一郎少年の前で3回も繰り返して見せるのです。
もしも実際に山猫に威厳があり、山の誰しもが一目置いている存在なのであれば、判事として毎年行われるこの裁判は面倒なものにならなかったことでしょう。どんぐりたちに少しぐらい文句があろうとも、山猫様がそうおっしゃるならば……そう解決していたはずでございます。しかし現実は3日経っても同じ問答を繰り返すばかり。悲しいかな、山猫判事の問題解決能力は皆無なのでございます。彼の威厳はまるで虚仮威しでありました。


・A氏「一郎は年齢の割にだいぶ頭がいいよね」

どんぐりたちは「頭が一番尖っている」「一番丸い」「一番大きい」「一番背が高い」「押しっこが一番強い」など、自分が1番になれる条件を好き勝手に主張し、誰しも譲る様子は全く見られません。そしてどんぐりたちの主張に山猫はただ仲直りをせよと繰り返すのみでございます。
毎年判事の頭を悩ませ、今年は3日も続いているどんぐりたちの裁判ですが、一郎少年は機転を利かせてわずか1分半で片を付けるのでございます。

一郎はわらってこたえました。
「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」

青空文庫「どんぐりと山猫」より

改めてこの判決を山猫から告げられたどんぐりたちは押し黙り、固まってしまったのでございます。誰しも自分の不出来は認めたくないのは当然でございましょう。
ところでどんぐりたちはなぜ誰が1番偉いかを決めたいのでしょうか。これはあくまで私の想像ですが、どんぐりたちも山猫同様に威張り散らしたいからなのでございましょう。しかし一郎少年が提示した条件であれば、自分が1番偉いと主張したところで、馬鹿で滅茶苦茶でまるでなっていないどんぐりに威厳など生まれるはずもないことでございます。むしろ偉いと主張すればするほど、自分は情けない存在だと声高に言っているようなものでしょう。
山猫は一郎少年の提案になるほどと頷いて上記の判決を下したわけでございますが、それでも偉ぶっている彼は自分がいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないことを遠回しに認めてしまったようなものでございます。果たして本猫にはその自覚があるのでしょうか……ええ、なさそうですね。


一郎少年の判決について、当日不参加だったA氏から後日こんな感想が届きました。

一郎が「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」という発言をする事によって、最後にお礼として貰うどんぐりの厳選したのかな。

お礼としてどんぐりをもらうことを事前に知らなかったことを除けば、なるほど面白い考えでございます。もしそうだとすれば、一郎少年は頭が切れるだけではなく、悪知恵もよく働くようですね。


・なんだかんだケチ

無事に裁判が終わり、一郎少年は山猫の裁判所の名誉判事の称号を得ました。そして山猫は一郎にお礼の品の贈呈を申し出ます。一郎少年は1度遠慮をしますが、山猫がわたしのじんかくにかかわりますからと言うので押し切られてしまいます。山猫は感謝の気持ちからお礼の品を贈るのではなく、あくまで自分が人格者でいるためにお礼をするのです。みみっちいですね。
そして問題のお礼の品ですが、山猫は黄金のどんぐり一升と、塩鮭のあたまと、どっちをおすきですかと一郎少年に選ばせます。一郎少年はどんぐりを選びますが、山猫はこれに対し鮭の頭でなくてまあよかったと、ほっとしているのでございます。みみっちいことこの上ありません。
馬車別当へ口早にどんぐりを準備するように指示する山猫ですが、ここで聞き捨てならない一言が混ざります。

「どんぐりを一升早くもってこい。一升にたりなかったら、めっきのどんぐりもまぜてこい。はやく。」

青空文庫「どんぐりと山猫」より

めっきと言うのは表面処理のひとつで、表面に薄い金属の膜を被覆することを言います。金メッキで例えればわかりやすいでしょうか。金は装飾性が高いだけでなく対腐食性が高く、表面に被覆することで地金を守ることが出来ます。また金は高価で比重が重いことから、メッキで済ませることによって値段を安価にすることや軽量化にも貢献できるのでございます。
つまり山猫は、金色に塗っただけのどんぐりを混ぜてもよいと言っているのです。どこまでみみっちくなれば気が済むのでしょうか。

ところで慣用句には『鍍金が剥げる』というものがございます。

鍍金(めっき)が剝(は)・げる 
取りつくろうことができなくなって、本性が現れる。「追及されて―・げる」

goo辞書「鍍金が剥げる」より

お礼の品のやり取りのあたりから、山猫の言動がどうにもせわしなくなっております。まるで一郎少年にできるだけ早く帰ってほしいとでも言わんばかりに。
どうやら山猫に掛けられている威厳のメッキもそろそろ限界のようです。


・山猫からはがきが届かなくなったのはなぜ?

山猫の裁判所の名誉判事となった一郎少年。『これからも、葉書が行ったら、どうか来てくださいませんか。』山猫はそう言ったにも関わらず、これっきりはがきが届くことはありませんでした。
理由はいくつか考えられますが、やはり決定的なのははがきの文面についてのやり取りでしょう。

「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」
 一郎はわらって言いました。
「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいいでしょう。」
 山猫は、どうも言いようがまずかった、いかにも残念だというふうに、しばらくひげをひねったまま、下を向いていましたが、やっとあきらめて言いました。

青空文庫「どんぐりと山猫」より

明日出頭すべし』という文言はどうにも上司が部下に命令するもののように思われます、と言うよりも山猫は元よりそのもりだったのでしょう。しかしそのような浅はかな目論見は、自覚があったか定かではありませんが聡明な一郎少年にあっさり躱されます。ここで山猫はひとつ諦めがついたのでございましょう。
山猫は威厳を非常に大切にしております。しかしこの日の山猫は裁判に収集を付けることもできず、判決は一郎少年が聞いた法話の受け売り。威厳も何もあったものではございません。そんな彼が威厳を保つためにはどうすればよいのか、それは有能さを示して見せた一郎少年を部下として招き入れてしまうことです。
部下の評価が上司の評価に直結するのは、おそらく今も昔も変わらないことでございましょう。面倒な裁判を1分半で決着させた一郎少年の上司になれば威厳がますます高まるはず。山猫はそう考えたのではないでしょうか。
そもそも件のはがきはかねた一郎さま宛てで来ております。最初から名指しでございます。山猫は最初から一郎少年を名指しで利用すべく動いていたことには相違ないのでございます。

もしも一郎少年が『出頭すべし』という文言を受け入れていたら……?
再度はがきは届き、面倒な裁判の解決のために山に赴くことになったことでしょう。聡明な一郎少年は名誉判事として山猫に助言をし、そのたびに裁判は見事に解決するに違いありません。
馬車別当は山猫の部下でございます。山猫に媚びへつらい、言いようにこき使われる、山猫にとっては都合のいい存在です。彼には下につくことを断った一郎少年との対比関係が見て取れます。
山猫に媚びることなく、ある意味山猫にとっては皮肉ともとれる判決を言い渡し、山猫よりも自身が下の立場になることを認めなかった一郎少年。
……もしも一郎少年が『出頭すべし』との文言を受け入れていたら? 彼が第2の馬車別当になっていたかもしれません。一郎少年はそれを望むでしょうか。いえ、きっと望まないでしょう。



■どこからが夢で、実際には何が起こっていたのか

・境界はどこか

どんぐりと山猫に限った話ではございませんが、宮沢賢治の小説は総じて色と擬音語・擬態語の表現が特徴的です。他では見られない美しい情景描写はいっそ幻想的でもあります。
幻想的、幻想。あるいは空想。このお話は、全てではないにしろ一郎少年の空想だったのではないでしょうか。なぜなら栗の木も滝もきのこも栗鼠も、そして山猫も、人間と会話できるはずがないのですから。どんぐりが裁判など起こすはずがないのですから。黄金色に光るどんぐりなんてあるはずがないのですから。

それではどこからが空想だったのでしょうか。最初から最後まですべてと考えることもできますが、中盤のまっ黒な榧の木の森からの描写が特に別の世界への切り替わりを表現しているように感じられます。空も見えないほど葉が重なった真っ黒な榧の森は、まるでトンネルのようではございませんか。
トンネルにまつわるオカルト話は古今東西にございます。オカルト話は境界にこそ生まれやすいものでして、トンネルもまた、どこかとどこかをつなぐ境界のひとつでございます。出口が見えないトンネルは心理的にも違う世界を意識させやすいのです。
また、榧の森の小道は坂路であると描写されております。山中の坂道と言えば私は黄泉比良坂を想起してしまいますが、そちらはいささか考えすぎでしょうか。
そうして榧の森をやっとの思いで抜けた先に、明るく美しい黄金色の草地が広がっているのでございます。もしかするとこの場所は、すでにこの世のものではなかったのかもしれません。


・行きはよいよい、帰りは?

実際にどんぐりと山猫をお読みになられた方は、話が終盤に行くにつれてえらく駆け足になっていると感じられたのではないでしょうか。
山猫の元へはあれほどじっくりと時間をかけてたどり着いたのに、帰りは馬車に乗っていたとはいえ、まるで坂を転がるかの如くものの数行で家にたどり着くことになりました。そしてお礼として山猫から受け取った黄金のどんぐりは輝きを失い、あたりまえの茶色のどんぐりに変わってしまったのです。
はっと現実に引き戻される様は、まるで夢から覚めるときによく似ていると私は思うのです。

柳田國男氏の『遠野物語』の中の話のひとつ、迷い家をご存じでしょうか。訪れたものに福をもたらすという山中の幻の家のことでございます。訪れたものは家にあるものを持ち出してもよく、持ち帰るとお金持ちになれるのだそうです。
そんな遠野物語の発表は1910年。岩手県遠野地方に伝わる逸話や伝承を記した説話集です。どんぐりと山猫の発表は1924年、そして宮沢賢治は岩手県の出身です。これは本人のみぞ知ることではございますが、宮沢賢治は迷い家の伝承を知っていたのでしょうか。迷い家では無欲ゆえに富を授かった女性の成功譚と、欲をかいて富を授かれなかった男性の失敗譚が対比として描かれています。
もしも黄金のどんぐりが本物の金であったら一郎少年は大金持ちになっていたかもしれませんが、実際はただのありふれたどんぐりでございました。ある意味、山猫の部下にならず無事に帰ってこられたことこそが一番の幸運だったのかもしれません。


・一郎少年は結局何をしていたの?

ある秋のよく晴れた日曜日。一郎少年は一升ますをもって山へどんぐり拾いに出かけます。途中で山猫に遭遇し、山猫を追いかけながら東へ西へ、南へ南へと山を歩き回ってはどんぐりを拾います。様々な場所で拾うものですからどんぐりの種類はばらばらです。中には大きなものも、丸いものも、せいの高いものも、とんがったものもあったことでしょう。
どんぐりがますのほとんどを満たしたころ、山猫を追った果てに黄金色の草地へとたどり着きます。秋の温かい日差しが降り注ぐその場所で、一郎少年は思わず眠くなってしまったのかもしれません。あるいは誰かが並べて遊んだどんぐりがどこかに散らばっていたのかもしれません。それらが彼を空想の世界へと引き込みます。
はっと彼が我に返ったのは、日差しが黄金色に変わり始める日暮れ前。山の中で日暮れを迎えてしまっては大変だと、一郎少年はどんぐりをかき集めてますをいっぱいにし、それを抱えて家まで急いで帰ったのでございます。
秋の日暮れは早いものでして、日差しの色が変わり始めたかと思えばすぐに薄暗くなります。どんぐりが陽の光を弾いて黄金色に輝いていた時間は、そう長くはなかったことでしょう。

結局一郎少年が何をしていたのかと問われればどんぐり拾いです。それも山猫を追いかけながらのどんぐり拾いであれば迷子にもなることでしょう。一升=約1.8Lも拾っていればいつもとは違う所にも行きつくでしょううし、何より疲れてしまいます。温かい日差しの中で休んでいたら、いつの間にか眠ってしまっていても不思議ではありません。ましてやその場所が、普段訪れない美しい草地だったとすれば、夢と現実が少々曖昧になっても仕方のないことでしょう。



さて、ここまで取り留めもない文章を綴ってまいりましたが、本日はこの辺りで筆を置かせていただきたく思います。青空ディスカッションは好きずきに感想を話し合う会、課題図書から何かしらの教訓を読み解くことを目的としていないのでございます。
それではまた、縁があったら第2回『富嶽百景』にてお会いいたしましょう。

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