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青空ディスカッションと云ふもの【青空ディスカッション#0】

■ごあいさつ

初めましての方は初めまして、そうでない方も初めまして。藍と申します。ここでお会いできたのも何かのご縁、どうぞお見知りおきくださいませ。
さて、まずは当方の自己紹介と参りたいところではございますが、先んじて私のnoteではどんな話題を取り扱っていくのか、そもそも記事のタイトルにもある『青空ディスカッション』について取り上げた方が流れがよろしいかと思われますので、私については一旦後回しとさせていただき、早速本題に移らせていただきたく思います。



■『青空ディスカッション』とは何ぞや?

・発生に至るまでのちょっとした経緯

ことの始まりは2022年の初夏。いつものように数人のフォロワーと管を巻き、時には煽り合いながら麻雀を打っていた、とある夜のお話でございます。

フォロワー某氏「青空文庫にある短編小説をみんなで読んでさ、ディスカッションみたいなのをしたいんだよね」

いかんせん数か月前の出来事ゆえ記憶は定かではございませんが、おそらくこのような旨の発言がきっかけだったかと思われます。面白そういいんじゃないの。そのような反応がちらほらとあり、かくいう私もその中の1人でございました。
さて、古くから"善は急げ"と申します。その後は早うございました。あれよあれよという間にDiscordに専用チャンネルが建てられまして10本に及ぼうかという課題図書が集まり、厳正なる抽選の結果、記念すべき第1回のお題が決定となりました。この間、わずか数日にございます。オタクの行動力の高さにはやはり目を見張るものがございますね。
数日後のとある水曜日の晩、まずは私とL氏の2人でざっくばらんに感想を語り合う会が開かれました。各回の詳細は別の記事にまとめさせていただくこととしまして、この日の課題図書が宮沢賢治氏の『どんぐりと山猫』であったことのみ、ここでは触れさせていただくことにいたします。
その後も2週間ほどのインターバルを挟みつつ、私とL氏2人の感想交流会が開かれました。第2回は太宰治氏の『富岳百景』と続き、第3回の山川方夫氏の『夏の葬列』にてN氏が加わった頃までは、まだまだ"ディスカッション"とは言い難い、ただの井戸端会議に過ぎない有様でございました。
転機が訪れたのは第4回、新たにA氏を加えて中島敦氏の『山月記』を課題図書とした時の出来事にございました。


・"議長"制度の爆誕

今までは課題図書に対して議題の提示こそあれど、特に進行役がいるというわけでもなく、それぞれが好き勝手にお喋りをするという形式を取っておりました。それに対して軽く納得したり反論したり深掘りしたりをしていたわけですね。少々話題は行ったり来たりしがちでしたが、人数が少なかったためにこれでも成立していたわけでございます。
しかしさすがに3人を超えると、所謂 声のでかい人 の発言力ばかりがまかり通ることになってしまいます。誰かと発言タイミングが被ると言葉を引っ込めてしまいがちな優しいオタクは永遠に発言できず、これでは議論になりやしません。
この問題に対して新規参入したA氏、大変えらかったのです。自ら議長を買って出て、ディスカッションを取り仕切る進行役となりました。議長に絶対的な発言力を持たせることによって、混沌としていた場に秩序を生んだわけでございます。
結果としましては議論は大いに盛り上がり、今までにない濃密な回となりました。惜しむらくは第4回のログが残っていないことにございます。議題自体は専用チャンネルに残っているのですが、議論内容は各々の朧げな記憶の中にのみ存在しております。いつか当時の参加者の記憶を掘り起こして何かしらの記事にまとめることが出来ればと思っておりますが、これ以上本筋から外れてしまいますのでいったん軌道修正をしたく思います。


・現在の青空ディスカッション

この記事を書いております2022年10月現在、ありがたいことに青空ディスカッションは新たな面子を迎えつつ、一定の参加人数を維持して開催が続いております。
流れは第4回からほぼ変わっておらず、

  1. 設定された課題図書に対して、議長が3つ程度の議題を提示する。

  2. 1~2週間後に開催日を決め、それまでに各々のペースで読み込む。

  3. 開催日にはオンライン通話サービス『Discord』と、オンラインセッションツール『CCFOLIA』をなぜか使って2~3時間程度のディスカッションを行う。

  4. 議長が提示した議題に対して、順に意見を述べる。時には質問や反論が挟まることもあり、これのせいで議論時間は大体想定よりも伸びる。

  5. 議長が何かよろしいことを言って締め、次回の課題図書を決定する。

という運びになっております。
ちなみに議長は当該の課題図書を持ち込んだ人物が担当することになっておりまして、次回の課題図書は公正にサイコロを振って決めております。CCFOLIAの存在でお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、私含め参加者はみなTRPGプレイヤーなのでございます。



■ふと思い出したnoteの存在

・なんとなく録っていたログ

TRPGプレイヤーの性と言いましょうか、こういったものはなんとなく記録を残してしまいたくなってしまいます。
ある時から私は、参加者の許可を得てディスカッションの様子を動画で残すことにいたしました。オンラインストレージサーバー『One Drive』を用いて参加者皆で共有しておりますが、果たしてどこに需要があるかについては甚だ疑問が残ります。
こうして特に振り返ることもないログがじわじわと溜まっていきました。そのくせもう1度振り返りたい回、所謂神回(そういうものは意外とこのような辺鄙なところにも発生するようなのでございます)のログは残っていないのです。この時ばかりは自身の愚かさを呪いました。
そしてつい先日、はたと思い出したのでございます。noteというサービスの存在を。そう、登録だけしてほったらかしにしていた今この場所でございます。
有意義か否かはさておき、いい年した大人たちが小中学校の教科書にも載るような名作を真面目に読んで本気で議論を交わしているのです。これは外野から見れば中々にトンチキで愉快な光景にございました。しかもその音声ログは丸ごと残っている。これは―― 何かに使える。閃いたのでございます。
そういうわけで私は重い尻をPC用のチェアに乗せ、平日の真昼間からこうしてキーボードをカチャカチャ言わせているのでございます。
なお議論の際には、個人で書かれている読書感想ブログを参考にすることもございます。これがなかなかどうして面白いのです。そりゃねぇぜと思うこともありますし、ははぁなるほどと赤べこのごとく頷くこともございます。
ならばHDDとオンラインストレージの容量を圧迫していくだけのログを、何か別のものに変換してみようではありませんか。そういうわけで、そういった読書感想ブログの真似事を始めてみようと思ったのでございます。


・ディスカッションの意義

さて、"価値観"という言葉がございます。

価値観(かちかん、英: sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方。ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。

wikipediaより

私の好きな言葉に『20歳を過ぎたら性格は変えられないが、価値観は増やすことが出来る』というものがございます。申し訳ございませんが出典は忘れてしまいました。
当方アラサーにつき、生まれてこの方『短気は損気』と言われ続けてきたこの性格の矯正はすでに諦めております。というよりも現在うつ病の治療中ですので正直なところ性格矯正云々どころではございません。
ですが価値観ならば。価値観ならば増やすことが可能にございます。それは解像度に似ていると誰かが言いました。増えれば増えるほど、今まで見もしなかった角度で世の中を見ることが出来るのでございます。
元より同好の士が集まった会ではありますので多少の偏りには目を瞑りまして、それでも多様性が叫ばれる世の中、適当に人妖を集めてもそれなりの価値観・視点がございます。自分が考えてもみなかった角度からの意見には思わず膝を打たずにはいられないものです。
今後書いていく予定の記事がそんなものになればいいなぁと、希望的観測とちょっとした期待を抱きつつ、脱マンネリを目指したのが今日というわけなのでした。

……さて、ここまで書いてまいりまして、文章量が想定よりも少々長くなってしまいました。この後に筆者の自己紹介をと考えておりましたが、それは一旦次回に持ち越しまして、本記事は一旦締めとさせていただきたく思います。
取り急ぎ『青空ディスカッション』とは何ぞやという本記事のタイトルについては説明することが出来たように思われますので、目的達成と言う事でお茶を濁すことにいたします。

それではまた、縁があったらお会いいたしましょう。

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