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富嶽百景【青空ディスカッション#2】

初めましての方は初めまして、そうでない方も初めまして。藍と申します。ここでお会いできたのも何かのご縁、どうぞお見知りおきくださいませ。
さて、青空ディスカッション第2回の課題図書は太宰治の『富嶽百景』でございます。

そもそも青空ディスカッションとは何ぞや?という方は「青空ディスカッションと云ふもの」という記事をすでに書いておりますのでそちらを先にお読みください。




■『富嶽百景』とは

・課題図書に推薦した経緯

今回の課題図書『富嶽百景』の持ち込み主は私、でございます。実は1年ほど前に同氏の著作『人間失格』を読もうとしたのですが「文体が重くて読みづらい!!!!!!!!!!」と道半ばで挫折したことがございました。『人間失格』に触れたことがある方なら、私のこの気持ちをわかっていただけるでしょうか。
『人間失格』は愛人との入水自殺にて人生を終えた太宰治の半生を綴ったものであり、同時に遺作(未完に終わった『グッド・バイ』を除く)になった小説であることは存じてはおりましたが、始終鬱屈とした雰囲気も相まって、どうしてもページをめくる手が進まなかったのでございます。
ところで太宰治の小説は、執筆時期によって大きく作風が異なります。「メロスは激怒した」という有名な冒頭から始まる『走れメロス』が国語の教科書にも掲載されているということもあり、最も身近でしょうか。この頃(30代前半)の氏を、我々は綺麗な太宰治と勝手に呼んで親しんでおります(氏を侮辱する意図は一切ございません、あらかじめご承知おきください)。
今回の課題図書である『富嶽百景』も国語の教科書に記載されており、綺麗な太宰として私は大変好んでおります。かつて昔、国語の授業で読んだこの小説を十数年の時を経て再び読んだら何を感じるのでしょうか。これこそが課題図書に推薦した理由でございました。


・時代背景

『富嶽百景』は1939年(綺麗な太宰時代)に発表されたものであり、1938年の秋から、井伏鱒二氏に招待され約3か月間を過ごした甲州御坂峠の天下茶屋での経験をもとに書かれております。形式としては短編小説ですが、内容としてはどこかエッセイに近いものがあるでしょう。
井伏から招待を受ける前年の1937年、太宰は妻の初代と心中を図っております。これは太宰が薬物中毒に陥り、心配した井伏らに武蔵野病院の精神病病棟に入院させられ、その間に妻が他の男と不貞を働いたという告白にショックを受けたことが主な原因でございます。いやいやお前の今までの女性関係も大概やぞ。
結果としてはこの心中は互いに未遂に終わりまして、彼女とは離婚することに相成りました。太宰にとってはこれで4回目の自殺未遂、またしても彼は死に損なってしまったのでございます。死ねなかったのか、死にたくなかったのか、それは本人のみぞ知ることではございますが。
離婚後、太宰は1年ほど東京は杉並のアパートで下宿生活を送っておりましたが、その間の執筆活動はほぼ進んでおりませんでした。彼の心身の状態を鑑みても無理はありません。
そんな太宰の荒廃した生活を救うことになればと、井伏は太宰を自身が執筆のために滞在している山梨県の御坂峠へと招いたのでありました。これが太宰によい影響を与えたようで、徐々に精神状態は安定していき、翌年には井伏の紹介でお見合いをした女性と婚約まで果たしているのでございます。

それにしも、太宰の体を気遣って時には半ば騙すような形で入院を勧めたり、気分を変えられるよう自分の滞在先に招待したり、終いにはお見合いまでセッティングしてくれる井伏氏、人間が出来すぎているではございませんか。


・『富嶽百景』あらすじ

短編小説とはいえ、前回の『どんぐりと山猫』と比較すると本文は随分と長いです。そして随筆として書かれている側面もあるため、起承転結がはっきりしているわけでもありません。wikipediaからあらすじを引用してもよいのですが、それではあまりに味気ないので、もう少し流れを踏まえたあらすじを以下にまとめることにいたします。

東京のアパートで荒んだ生活をし、執筆活動もままならない状態だった私(太宰)は、昭和13年の初秋に思いを新たにする覚悟でかばんひとつ提げて旅に出ました。行先は甲州御坂峠の頂上にある天下茶屋。執筆活動のため、初夏ごろより、師である井伏鱒二がそこに滞在しているのを知って訪ねたのでした。
御坂峠から見える富士山は昔から富士三景のひとつに数えられており、ここに滞在する間は毎日いやでも富士と真正面から向き合わなければなりません。あまりにおあつらえ向きの光景に、当初の私は恥ずかしさを覚えてなりませんでした。どうにも良い印象を抱くことが出来なかったのです。
御坂峠で太宰は、仕事がひと段落し茶屋を引き払う前の井伏と三ツ峠を登ったり、友人と富士を見ながら煙草をふかして管を巻いたりなどしながら、合間に執筆活動をしておりました。
私に最初の変化を与えたのは、井伏の紹介でとある女性とお見合いをしたことでしょうか。お見合いの席で太宰はどうにも相手の顔を見ることができないでおりました。しかし背後に飾ってあった富士山頂大噴火口の鳥瞰写真を「おや、富士。」という井伏の言葉につられて見上げ、それからようやく相手の顔を見ることができ、多少の困難があってもこの人と結婚したいと思ったのでした。そこに富士の写真があったことをありがたいと感じたのです。
私を慕う幾人かの青年が茶屋を訪れ、会話に花を咲かせることもあり、それは同時に青年たちを通して自分自身を見つめ返す機会にもなりました。この頃から私が富士に抱く印象は少しずつ変わっていきます。
富士が冠雪したことを得意そうに私に伝える茶屋の娘とのやりとり、茶屋の裏に月見草の種を蒔くに至った出来事、おかみさんとの何気ないやり取りに対して御坂峠へ我が家のような愛着を持つようになりました。
しかし10月の末に御坂峠へ麓の町の遊女の団体が遊びに来た頃、私の実家から結婚に際しての助力が一切ないとわかり、富士にも頼みたいような弱々しい気持ちになります。それをおずおずとお見合い相手に伝えると、母も娘も笑って受け入れました。2人の結婚は無事に決まったのです。
富士山が全容の3分の2ほど雪をかぶるようになった頃、寒さに耐えかねた私は山を下ることを決意しました。最後に甲府の安宿に一泊し、あくる朝に見えた富士山は、今までとは少し違って見えたのでした。

参考:wikipedia「富嶽百景




■太宰にとって"富士山"とは何か

こちらが今回の議題でございます。
タイトルにもあるとおり、『富嶽百景』には何度も富士山に対しての描写が出てまいります。御坂峠ではそれだけ富士山が身近なものであり、また目を逸らすことが出来ないものだったからなのでしょう。
今回は先に参加者の考えから述べさせていただくことにいたします。書き手の都合上、以降の文章がどうしても筆者寄りになってしまうことにつきましては何卒ご了承くださいませ。

L氏「全部読んで、やっぱり"推し"かなぁという結論に至りました。富士山かくあるべしと色々持論を並べて駄目出ししつつも事あるごとに『いや、やっぱ富士山いいわ』となったり、他の女が一緒に写真に入るのを嫌ったりするあたりが、自分が1番のファンだと思ってるめんどくさい取り巻きにしか見えなくて」

(筆者)「ないしは自分自身と読むわ」

N氏「あまり気にかけていなかったけど良さを見出したもの、家に昔からある古い壺みたいな」

名前だけは第0回にも登場しておりましたが、今回初チラ参加のN氏は今後登場する面子の中で唯一の理系学科に心を折られた文系学部在籍の人物です。専門はロシア語で、酔うと突然謎の言語でしゃべりだします。


・十国峠から見た富士だけは、高かつた

以降は、太宰が富士山に対してどのような印象を抱いているかを時系列順に追っていきたく思います。

富嶽百景の冒頭は、日本の高名な絵師が描いた富士山がいかに現実に即していないかを厳しく批評するところから始まります。陸軍の実測図から数字まで持ち出す始末です。太宰お前そういうところやぞお前。高名な絵師といえども、富士山を何も理解しちゃいない、変に美化しすぎているとでも言いたげでございます。
しかし、そんな太宰も十国峠から見た富士だけは「高かった。あれはよかった」と述べております。箱根の十国峠は2016年3月に国の登録記念物となり、晴れ渡った日には頂上から富士山はもちろんのこと、南アルプス、駿河湾、湘南海岸や三浦半島までを見渡すことができるそうです。
太宰が十国峠を訪れた時期は、作中では明言されておりません。しかし太宰が富士に抱いている印象から推察するに、少なくとも鬱屈としていた時期ではないだろうと予想が立ちます。もしそうであればおおよその時期は、井伏に師事して檀一雄や中原中也らと同人雑誌を創刊し、堰を切ったように執筆活動を開始した25歳(1934年)ごろの出来事でございましょうか。
富士山を見て安心感を覚えている太宰の毎日は、きっと充実していたのでしょう。


・東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい

これは太宰が28歳~29(1937~39年)頃の出来事かと思われます。この頃の太宰の身に何が起こっていたかと申し上げますと、遺書のつもりで書いたという渾身の作品集『晩年』が芥川賞の選考から外れ(ちなみに選考委員である川端康成へ、芥川賞の受賞の懇願文を送っている)、薬物中毒により借金がかさみ、薬物依存を心配した井伏に入院させられ、入院中に妻が友人と不貞を働いたことを本人から告白されるなどというSAN値直葬並みの事件が連発しております。浮気にショックを受けた太宰は、妻とカルモチン(睡眠薬)自殺を図りますが未遂となり離婚。なかなか類を見ないほどに人生の ズ ン ド コ でございます。
一命をとりとめた太宰はその後、1年ほど東京のアパートでひとり暮らしをしておりました。
想像できるでしょうか。評価されるかどうかもわからない小説を、地道に書くこと以外に一片の希望も見えない冷たい冬の明け方に、酔いの回り切った頭で小用を足しながら眺める遠い遠い富士山の白い小さな頂。左右対称ではない傾いたその姿は、太宰の目にゆっくりと沈没しかかっている軍艦のように映るのでございます。陸にあるにも関わらず、想起したのは沈みゆく軍艦です。それは紛うことなき『死』のイメージでございました。でも太宰は独りじゃ死ねないからじめじめ泣くことしかできないんだァ。


・私は、恥づかしくてならなかった

甲府市からバスに揺られて1時間、目的地である御坂峠にたどり着いた太宰がまず最初に抱いた感想は富士山に対する羞恥でした。富士三景にも数えられる御坂峠から見える富士山に対して抱いた感想が、あろうことか羞恥でございます。これはなかなかどうしてひねくれたものの見方に思えてしまいます。

あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。

青空文庫「富嶽百景」より

御坂峠から見える富士は見る人が思わず感嘆するような、非常に絵になる光景でございます。どうにも註文どほりの景色でと太宰が例えるように、富士山を描いてくれと依頼する人すべてが期待する風景といったところでございましょうか。まさしく万人が想像するニッポンのフジヤマでございます。それはそれは立派な光景なのでございましょう。しかし太宰は感動を覚えることはなく、あまつさえ好かないとまで断言いたしました。
果たして恥ずかしい姿を晒しているのは富士なのでしょうか、それとも太宰自身なのでしょうか。スランプに陥っていたこの頃の太宰は、小説家として胸を張って表へ出ることができたでしょうか。
太宰が本当に恥じているのは、立派な富士に堂々と相対することができない自分自身だったのではないかと、私には思えてならないのでございます。


・いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかった

茶屋に到着して2,3日後、仕事がひと段落した井伏と三ツ峠に登ったときの一文でございます。この日は急な濃霧で、頂上のパノラマ台からいくら眺めても富士は深い霧の底に沈んでしまっておりました。実際に富士を見ることは叶わなかったのでございます。
しかしそれを気の毒がった近くの茶店の老婆が富士の大きい写真を持ち出し、あたかもそこに富士があるように懸命に掲げて見せてくれました。それをいい富士だったと言って太宰は笑ったのでございます。何の見返りも求めない老婆の善意に、穏やかで愉快な心持になれたからこそ、そう感じることができたのではないでしょうか。そうでなければ何を滑稽なことをしているのだろうかと、冷たく一笑に付していたことでございましょう。

ところでこの日の太宰は短いドテラになんとか角帯を締め、地下足袋を履いて古い麦わら帽子をかぶるといったなんともむさくるしい、変な服装でございました。一方で同行する井伏はきちんとした登山服でございます。どうにもおかしな太宰の格好を見て「身なりなんか気にしないはうがいい」と言う井伏氏、やはり人間が出来すぎていると思わずにはいられません。でもやっぱり気にした方がいいと私は思うのです。特に清潔感は大事。


・あの富士は、ありがたかつた

この富士もまた写真でございました。しかし先の富士とは少々事情が異なります。
井伏の紹介で、甲府のはずれにある家の娘とお見合いをした時の出来事でございます。この日ばかりは流石の太宰も角帯に夏羽織と、着物をきっちり着込んでおりました。しかしいざ家に伺った太宰は、お相手の娘さんの顔を見ませんでした。
お見合いですから太宰と相手の娘さんは向き合って座っていることでしょう。そして相手を見るとき、また自分も相手に見られることになります。おかしな格好で三ツ峠を登っていた日のことはまだ記憶にも新しく、自らに自信が持てない様子が伝わってまいります。太宰は相手を意図的に見なかったのではなく、おそらく気恥ずかしさか何かが勝って見ることができなかったのでしょう。
しばらく母堂と話をしていた井伏がふと「おや、富士。」と声を上げました。太宰の背後にかけられていた額縁入りの富士山頂大噴火口の鳥瞰写真が目に留まったのです。言葉につられてまっしろい睡蓮の花のようなそれをまず見上げ、そして体を戻すときにようやく相手の娘さんの顔を見ることができたのでした。写真がなければ相手の顔を見ることもままならず、結婚の決意ができなかったかもしれないことを思えば、確かにそれはありがたい富士だったことでしょう。


・富士は、のつそり黙つて立つてゐた。偉いなあ、と思つた

この頃から富士に対する太宰の批評が徐々に軟化してきたように思われます。新田が太宰を慕って訪ねてきたのでございます。佐藤春夫の著書曰く性格破産者破綻者ではない、性格も破産するらしい)と聞き及んでいた太宰の元へ、友人らを代表し決死の勇を奮ってやってきたのでございました。率直にそう述べる新田青年に対して太宰は苦笑して見せました。そうして硝子越しに眺めた富士を見て抱いた感想が偉いよくやってるでございます。

私は、部屋の硝子戸越しに、富士を見てゐた。富士は、のつそり黙つて立つてゐた。偉いなあ、と思つた。
「いいねえ。富士は、やつぱり、いいとこあるねえ。よくやつてるなあ。」富士には、かなはないと思つた。念々と動く自分の愛憎が恥づかしく、富士は、やつぱり偉い、と思つた。よくやつてる、と思つた。

青空文庫「富嶽百景」より

青年たちとの交流の最中で富士に抱いた敬仰の念は、N氏の「あまり気にかけていなかったけど良さを見出したもの、家に昔からある古い壺みたいな」に近いでしょうか。
壺も富士も瞬時に姿を変える――良くなったり、悪くなったりすることはございません。今までよく思えなかったものに対しての考えを改めるということは、見る側の見方が何かしらのきっかけで変わったからなのでございましょう。それは見聞かもしれませんし、価値観かもしれません。当時の太宰には誇るべき何もないと、本人は思っておりました。しかし先生と呼ばれて然るべき藁一筋の苦労の自負、あるいは本人にも自覚のない何かを素直に慕ってくれる青年たちに感化されたのでございましょう。そしてそれはきっと富士が良く見えるような、良い変化だったに違いありません。
新田青年に加えて田辺青年と3人で麓の町に出かけ、酒の回った頭で神秘的に青く輝く富士に化かされたと、阿呆になったという話もございますが、誌面の都合上割愛させていただきます。あまりによい富士を前にしてしまえば、自分までいい男になったような気分になるのも無理はありません。自らを維新の志士に例えるのは、左翼活動に没頭していた過去がある太宰らしいではございませんか。


・やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ

富士の山頂に真っ白な雪が降り積もった日の朝のことでございました。例年通りであれば10月上旬ごろの出来事でございましょう。興奮で頬を真っ赤にした茶屋の娘さんからそれを知らされた太宰が富士を見ると、はっとなって御坂の富士も、ばかにできないぞと思い、「いいね。」と賞賛の言葉を口にすることができたのでございます。
富士山と言われれば、青い山肌に白い雪を頂く雄大で孤独な姿が1番に思い浮かべられるのではないでしょうか。その姿はさながら風呂屋のペンキ画で、芝居の書割で、当初の太宰が恥じたどうにも註文どほりの景色にほかなりません。どういう訳か、手のひらをくるりと返したわけでございます。
やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ」太宰はもっともらしい顔をして、そう付け足したのでございました。その後、月見草(正確にはマツヨイグサかと思われる)の種を茶店の裏に蒔いたのは、ありきたりな富士の風景に一石を投じる、一種の抵抗のようなものだったのかもしれません。あるいは、後に現れる真っ赤な罌粟の花への対抗だったのでしょうか。
それともL氏の意見ではありませんが、自分の推しの周りには月見草が咲いているべきだという厄介オタクが発動してしまったのでしょうか。

やはり、小説家は、小説を書かなければ、だめなものだ。小見出しの一文が、私にはこう聞こえてしまい、少し苦しくなってしまいます。この頃の太宰の執筆活動は、遅々として進まぬといったくるしい状態でございました。かつては楽しみであった運筆が今は苦しく、自身の表現、ひいては新しさというものに思い悩んでおりました。そうしてまた富士を見てはその姿に、やはりどこか間違ってゐる、これは違うと自問自答をしておりました。
しかし御坂峠での生活を終えた太宰の作品は明るく健康的な作風となり、『女生徒』『富嶽百景』『走れメロス』などが立て続けに発表されます。小説家として後世にも長く読み継がれる名作を執筆することができたことを踏まえれば、むしろ小説家としての気概や覚悟のようなものを感じるべき一文なのかもしれません。


・富士を見ながら、陰欝な日を送つてゐた

太宰の執筆が進まなかったのは結婚の話が頓挫してしまったことも理由のひとつでしょう。実家から資金援助が全くないことがはっきりとわかってきたのでございます。
太宰の実家は青森県は津軽の大地主、父親は貴族院議員を務めた名士で長兄は県議会議員。早い話が資産家のお坊ちゃんでございます。しかし今まで引き起こしてきた数々の問題(本家からの除籍、芸妓との自殺未遂、左翼思想への傾倒、その他諸々)からそれも当然のことやむなしと思われます。そのため、相手から縁談を断られても仕方がないと、肩が凝り固まるほど緊張しながらも、覚悟を決めてすべてを詳らかにしたのでございます。
太宰の心配をよそに、相手の反応は朗らかなものでした。「あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さへ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」母堂のその言葉に太宰がどれほど救われたかは、推し量ることもできません。帰りにバスの発着所まで送ってくれた娘さんも、太宰との会話の中で笑ってみせたのでした。

私の結婚の話も、だんだん好転していつて、或る先輩に、すべてお世話になつてしまつた。結婚式も、ほんの身内の二、三のひとにだけ立ち会つてもらつて、まづしくとも厳粛に、その先輩の宅で、していただけるやうになつて、私は人の情に、少年の如く感奮してゐた。

青空文庫「富嶽百景」より

ある先輩とは、言わずもがな井伏氏のことでございます。井伏家で式を挙げた後、東京は三鷹に転居。ここが太宰の終の棲家となりました。そして前述のとおり、この頃から作風ががらりと変わるのでございます。人の情――『走れメロス』は、まさしくそのような物語でございました。


・富士山、さやうなら、お世話になりました

11月に入り、実家のような安心感を抱くようになっていた御坂峠の茶屋の寒さは耐えがたいものとなってまいりました。富士を眺めるにも寒く、山を下りる決心をするときがやってきたのでございます。
山を下りる前日、太宰は東京から観光で訪れたらしい華やかな2人の娘さんから、はいからな用事を頼まれました。白い富士を背景に、写真を撮ってほしいというのでございます。

こんな姿はしてゐても、やはり、見る人が見れば、どこかしら、きやしやな俤(おもかげ)もあり、写真のシャッタアくらゐ器用に手さばき出来るほどの男に見えるのかも知れない、などと少し浮き浮きした気持も手伝ひ、私は平静を装ひ、娘さんの差し出すカメラを受け取り、何気なささうな口調で、シャッタアの切りかたを鳥渡(ちよつと)たづねてみてから、わななきわななき、レンズをのぞいた。

青空文庫「富嶽百景」より

どてらを2枚重ねて着ている太宰の格好は山賊のようだと茶屋の人たちに笑われていたのですが、それでもこれほどまでに自分に自信を取り戻しているのはよい傾向なのでございましょうか。

ところで太宰は、写真のフレームから追い出した女性2人のことを真っ赤な罌粟の花と表現しておりました。ほっそりとした茎にひらひらとした大きな花を咲かせる可憐な花でございます。ポピーという名称の方がなじみ深いでしょうか。しかし罌粟の中には現在栽培が禁止されているものがあります。
太宰が東京でひとり暮らしを始める前、何が原因で入院していたかを覚えているでしょうか。「パビナール」という麻薬依存でございます。これは鎮痛剤として当時使用されており、安価であることから乱用の域に達していたそうです。そしてこのパビナールに含まれるオキシコドンという成分は、罌粟の未熟果実に由来するのものでございました。
富士(=自分自身)が映るフレームから、2人の女性(=罌粟、麻薬)を追い出す。それは一種の決意の表れだったように思われます。現にその後の太宰が薬物中毒に陥ることも、薬物で自殺を図ることもありませんでした。それはそれとして酒には溺れ、愛人を作り、入水自殺は企てたのでございますが。お前ほんとそういうとこやぞ。

あるいは自分が好ましく思っているものに余分なもの、悪いものを付随させたくなかったともいえましょうか。最後の最後にレンズいっぱいにキャッチして、別れのあいさつとしたのでしょう。こうして振り返ると、やはりL氏の言う通り面倒な富士推しガチ勢にしか見えません。




■富嶽"百"景

季節や天候によって多少なりとも富士山の見え方は変わることでしょう、例えば冠雪した富士山の方がらしいように。ですがその在り方自体は数百年単位で変わることはございません。ニッポンのフジヤマは日本の富士山でございます。
私たちは目で景色を見ているわけではありません。目はあくまで光の受容体、目が拾った光を脳が処理して初めて物を見ることができるのでございます。目ではなく脳が景色を見ているのでございます。よって富士山をどう認識するのかは、見る人の脳みそ次第であります。
富嶽百景において、太宰は富士山を通して自分自身を見ているのではないかと私は考えております。気分が良い時は富士が良く見え、気持ちが晴れないときは悪く見える。ゆえに作中に何度も現れる富士山の描写を、あるいは太宰自身と読むのでございます。



さて、ここまで取り留めもない文章を綴ってまいりましたが、本日はこの辺りで筆を置かせていただきたく思います。青空ディスカッションは好きずきに感想を話し合う会、課題図書から何かしらの教訓を読み解くことを目的としていないのでございます。
それではまた、縁があったら第3回『夏の葬列』にてお会いいたしましょう。

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