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素敵な気がすぅっと流れただけで

こんなに大粒の雨が降る日は、世界から遮断されたような気分になります。いつもうるさく流れてくる公式アカウントのLINEもぴたっと止まり、テレビの音も色もなぜかはっきりせず、心の芯にまで届くことはありません。

一生懸命炊事洗濯をして、急いでいるようにしてみても、何のために急いでいるのか、何を今日の終着点にしているのかわからないまま、時が過ぎてゆくのをぼーっと待ってしまいます。

自分がさっきまで大事にしていた「何か」は、実は最初から存在しておらず、経験してきた幸せも哀しみもただ夢のお話だったのではないか、と思えてくる感覚に陥ります。

そんな時、思い出す詩があります。

茨木のり子『存在』

あなたは もしかしたら
存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か
素敵な気がすうっと流れただけで
わたしも ほんとうは
存在していないのかもしれない
何か在りげに
息などしてはいるけれども
ただ透明な気と気が
触れあっただけのような
それはそれでよかったような
いきものはすべてそうして消え失せてゆくような

私が勝手にファンとして覗いているInstagramのアカウント主さんが、この詩をストーリーに流していたことがありました。しばらく眺めてしまいました。

深く愛した人が亡くなった後の、疲れにも似た空虚感がひしひしと感じられました。

この詩は茨木のり子さんがメモにしたためていた文章だったそうで、48歳、最愛の夫を亡くした際のものだそうです。


大雨で世界から遮断されたような日は、こんなふうに、自分と向かい合わざるを得ない静けさと対峙することになります。(死でなくても)いままで喪失してきたもの、失いたくないもの、それなのにどんどん忘れていっていること、手の平からこぼれて落ちていく何か。

「存在しなかったのかもしれない 素敵な気がすぅっと流れていくだけで・・・」という言葉を通すと、あぁ確かに本当だなと思えたりするから、言葉はすごい。天気と合わさった言葉は、さらに力を持って迫ってくるなぁと思い、確実にある自分の腕の肉をぎゅっと触って生きていることを実感したくなります。

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