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もう帰ることのない家へ

「ここを引っ越すなんて感慨深いね」とたくさんの人によく言われる。親にも友達にも。唯一自分だけはあっけらかんとしていて、せっせと荷物を詰めている。私は、多分、来週も来月もまた同じ部屋に戻ってこれると思っているらしい。

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今住んでいる家から引っ越すことになった。8年住んだ初めての1人暮らしの小さなアパート。ランドマークひとつないビジネス街に佇む、肩身の狭いこのアパートの日々は、苦しいことばかりだった。

本当はずっと実家に居たかった。家族の安心に包まれた家を身を切るように出てきた20歳の冬を昨日のことのように覚えている。だから、ちょうど同じくらいの年齢の女の子たちが、カフェでのんびりおしゃべりし、悠長に夢を語る姿を見ると、自分がどこで彼女たちと道を違えたか、いつも悲しくなった。今思うと、20歳は本当に若い。この身には酷な決断をしたと思う。

一人暮らしは辛かった。ゴキブリなんて屁みたいなもので、誰にも言えない苦しみを抱える夜や、孤独に耐える毎日はどうしようもなかった。手に負えないので、いろいろな過ちをおかした気もする。どうせ勇気も出なかったので、何かに委ねることはなく、耐え抜いてしまったけれど。

それなりに、嬉しい日も増えた。一人で何かを選択し、歩んでいくことを学んだ。大学院に合格した日も、内定をもらった日も。好きな人ができ、その人を部屋に招いた日も、その人のお弁当を作るようになった日も。

きっとこの部屋は、8年前に急にやってきた20歳の私を、さぞかし「騒がしい人」と思ったと思う。でも、もうここを出ると決断した私を見て、安心したかな、とも思う。部屋に人格はないことは分かっている。でも、この部屋に恥じないような「これから」を生きたいと思う。

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今までの日々を振り返り、その全てがぼんやりとしてはっきりと思い出せない。それはもう死んでいなくなってしまった人との日々や、好きな人の顔を、思い出せないようなあの感覚に似ている。本当に大事なことは、何度も反芻するから、思い出しにくいのだろうか。

新居が決まった日にいつものスーパーに行った。顔なじみの店員さんに「私、引っ越すんです」と言ってしまいそうな自分がいた。もう簡単に会えないから。

近くの和菓子屋さんでホカホカのたい焼きを買った。年に1回くらいしか買わなかったそれが急に愛おしくなった。

夏になると咲く小さな歯医者の庭の花も、明かりが灯る提灯も、どん詰まりにある大きなお屋敷も、どれもが私の毎日に染みていた。ここで生きてきたことを痛感させられる景色。どれだけ思い出せなくても、私は確実にこの街の、この部屋で一人で生きてきたのだ。それはかけがえのない毎日、どの日一日も欠けてはならなかった。

二度と繰り返したくないような苦しかった日々だけど、人生で二度と経験できない日々だった。この8年が、今後の私を励まし、強くさせるだろう。

こんなにも大好きだった部屋を出る気持ちになった。それは、この8年で私が獲得した唯一の強さ。優しさと痛みを含んだこの道を歩いて、この部屋に一人帰ることはもうない。

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