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いつか部屋に大きなポスターを貼れますように

テレビやSNSをみていると、お母さんと一緒にコンサートを観に行ったとか、グッズを買ってもらったという人の声が聞こえてくる。

家族の前で推しの話ができない私にとっては、あまりにも非現実すぎておとぎ話のように思えてしまう。

美味しい食べ物や美しい景色など、当たり前に共有できることがある一方で、推しの話がどうしても私にはできなかった。

「へえ、そういう人がタイプなんだ」と茶化されるのが嫌なのもある、でもそれよりもジャッジされるのが怖いのだ。

思い返してみると、幼い頃から母や姉に、好きなものをジャッジされてきた。二人に可愛いと認めてもらえれば、買ってもらえる。気にいられなければ、めちゃくちゃに否定される。

いまだに忘れられないのは、太陽の塔をモチーフにした仮面のキャラクターのキーホルダー。無駄遣いといわれ否定された好きの気持ちは、ほろ苦く残っている。(とはいえ、確かにあれはダサかったのかも笑)

社会人になって、自分のために使えるお金ができたとき。私は当時からのクセなのか、ワクワクして買ったCDも特典のポスターも、見えないように棚の奥にしまった。

たとえ見つかって、なにか言われても「私の勝手でしょ!」と跳ね返せる歳になったのに。

もうすぐ訪れる、一人暮らし。誰にもジャッジされない私だけの空間。玄関に推しの写真を飾りたいし、大きなスクリーンに推しの映像を映してみたい。ミニマリストなんて到底なれやしないだろう。

新生活の不安はたくさんだけど、小さな楽しみを想像して、踏み出す不安に上書きしていく。壁に貼られた推しのポスターに微笑む日常を夢見ながら。