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望む場所にたどり着くために、思考のクセを手放したい

「人に影響されやすい=柔軟な思考」と解釈していた私だけど、凝り固まった思考のクセがあったようです。

それは、長い目でみるということ。

先を見通して努力することは、一般的によいことだと言われるけど、私はこの思考のクセを手放したいのです。

新卒で入った会社を、1年弱で退職。次に入社した会社は平均年齢53歳の地場産業の会社でした。

勤続10年なんて当たり前。阿吽の呼吸でこなされる仕事や人間関係のあれこれ。仕事内容も新規事業で手探り状態。

入社して3年は「お嬢さん」と呼ばれて、名前さえ呼んでもらえなかった。彼らにとって、私はなにをやっているのかわからない異端児。シンプルに必要とされていないのがわかって、悲しくてやるせない気持ちでいっぱいでした。

そんな辛い環境下でも、私は自分の居場所をみつけることができました。それは、いま取り組んでいることが上手くいかなくても、もう少し先にはよいことがあるはずと信じてコツコツ続けてきたからです。

つまり、長い目でみることで、私は今日までやってこれたのです。


でもその結果、たどり着いた場所は、自分が望んだものではありませんでした。

そりゃそうか。私は誰かが目の前に掲げた目標に向かって努力していただけで、自分が望んでやっているわけではなかったのです。誰かが望む未来に従って向かっていれば、その誰かが望む未来になる。怒涛に過ぎていく日々のなかで、そんなこと考える余裕もなかったけれど…。


長い目でみることは、その瞬間の自分の心の声に耳を塞ぐことでもある
と私は思っています。

ただ、もし当時の私が「辛いし、やりたくないなら逃げればよい」と本当に逃げていたら、いまの私の実績はなにもなかったのかもしれない。そう思ったら、長い目でみることで得られたものがあるのも事実です。


バランスが難しいけど、もう私はなんでもかんでも長い目でみることはしたくないです。条件をつけるとしたら、自分個人がもつ目標と会社が望む目標と、その二つが混じり合う場所では長い目でみることを許可しようと思っています。 

これからも自分の考えは変わり続けるだろうけど、その時々で「やっぱりこうしたい!」と望む心に気づける自分でありたい。慣れた思考のクセを手放すのは難しいけど、少しずつ少しずつ。